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70話 アクアマリンのダンジョン08

 アクアマリンのダンジョンは、最終階層で天井を見上げていた。


 最終階層は、白を基調とした教会の聖堂を模していた。

 最終階層の入り口から、奥に長く続く縦長の空間で、最奥の壁にはカラフルなステンドグラスの窓が三枚備え付けられており、その壁の前には白い台が置かれている。

 また、入り口から最奥まで続く通路には、人間が二人通るスペースを残して、椅子が敷き詰められている。

 座ると、白い台が目に入る向きに、大量の椅子が敷き詰められている。

 誰も座っていないその椅子には、花びらの入った籠が置かれ、椅子自体にも飾り付けがされている。

 まるで今から、結婚式でもあげるような、華やかな飾りつけ。

 水着姿のアクアマリンのダンジョンには、場違いなほどに神聖で美しい空間である。

 

 アクアマリンのダンジョンは、白い台の隣に置かれている椅子に座り、背もたれにもたれかかっていた。

 ふかふかとしたクッションが、アクアマリンのダンジョンを優しく包み込む。

 気持ちよさそうな表情で、首を左から右へと、少し傾ける。

 

 アクアマリンのダンジョンは見ている。

 パペットを通して、ブリリアントの面々が落ちた幻術を。

 彼らにとって、最も幸福な時間を。

 それこそが、アクアマリンのダンジョンにとっての幸福。

 幻術に落ちた人間が幸せそうな表情をするたび、心が温かくなっていた。

 最初の頃は、幻術の中で即座に自死を測るラウンドとオーバルに気分を壊されていたが、今はむしろ、二人を幸福にする方法を考えていた。

 

『救えるのはぁ、私だけよねぇ』

 

 頑なに自身の与える幸福を拒否し続ける姿が、理解できなくて、哀れで、可愛そうで、助けてあげたくて。

 二人を助けることが、自身の使命だとさえ思い始めていた。

 

 そして再び、ラウンドとオーバルが幻術へ落ちる。

 これで何度目だろうか。

 アクアマリンのダンジョンは、パペットを介して幻術の中に世界を作り出す。

 彼らの幸福な記憶から、彼らの最も幸福な世界を。

 次こそ、幸福になれるように、祈りを込めて。

 

『うふふぅ……』

 

 彼らの意識に干渉する。

 

『…………あら?…………!? あ、ぐうああぁ!?』

 

 そして突如、どうしようもない激痛に襲われた。

 

『な、なにぃ……? このぉ……記憶ぅ……』

 

 激痛を発生させるものの正体が判明するまでに、時間はかからなかった。

 幸福な世界を作り出すために干渉していた意識から、逆に別の意識が、記憶が、流れ込んできた。

 目をそむけたくなるほどに、不幸で悍ましい記憶が。

 

『うぅ……あああああああああああああああああああああ』

 

 椅子から立ち上がり、両手で頭を抱えて前へと倒れこむ。

 倒れた後も、足をばたつかせ、体を何度も動かす。

 前進で痛みが表現される。

 

 故郷がダンジョンに飲み込まれた記憶。

 大切な人間がダンジョンに飲み込まれた記憶。

 ダンジョンの中で、魔物たちに殺されていく人々を見続けた記憶。

 最高に不幸だった記憶。

 そして、恨みの感情。

 憎い。憎い。憎い。

 澄み渡るほどに真っ白なアクアマリンのダンジョンに、どす黒い記憶と感情が流れ込み、その落差が精神をすり潰していく。

 

『ああああああああああああああああああああああああ』

 

 ラウンドはダンジョン攻略を止めた。

 最終階層に存在するダンジョンを倒さなくとも、ダンジョンを討伐できることは、ジルコンのダンジョンで確認済みである。

 ならば、倒さずに討伐しよう、と。

 そして目を付けたのが、幻術の世界でアクアマリンのダンジョンが何度も現れることである。

 幸福な世界がアクアマリンのダンジョンの干渉を受けているのであれば、自身の意識とアクアマリンのダンジョンの意識が、何らかの形でつながっているのではないか。

 繋がっているのなら、逆に干渉できるだろうと。

 そして、やりかえせばいい。

 今までやられたことを。

 

 幸福な記憶を送り込んでくるのならば、不幸な記憶を送り返してやればいい。

 

 ラウンドは、オーバルは、幻術の中で思い出す。

 自身にとって最悪の記憶を。

 遅れて、ハートが、オールドマインが、ペアシェイプも思い出す。

 

「幸福などいらん。俺たちの恨みを見せてやれ」

 

 ブリリアントは、ダンジョン撲滅を掲げるハンターギルドである。

 加入条件は二つ。

 一つは強いこと。

 もう一つはダンジョンを恨んでいること。

 何を犠牲にしてでも、ダンジョンを撲滅したいほどに恨んでいること。

 

 他人に幸福な記憶を与え続け、それゆえ幸福な記憶しか知らないアクアマリンのダンジョンにとって、ラウンドたちの最悪の記憶は、恨みは、筆舌に尽くし難いほどの苦痛であった。

 ただただ苦痛を紛らわすように叫ぶことしかできず、のたうち回り。

 

『く……あぁ……』

 

 

 

 幻術の世界に現れた。

 ラウンドが見ていた、故郷の村を再現した幻術の世界。

 ラウンドは子供の姿で、アクアマリンのダンジョンを迎えた。

 

「よう。ようやくお出ましか」

 

『痛いじゃなぁい……』

 

 現実の世界と幻術の世界では、感覚が異なる。

 夢を見ている時、現実ではありえない行動と感覚を体験できるように。

 現実の世界ではのたうち回っているアクアマリンのダンジョンも、幻術の世界ではすべての痛覚を遮断し、冷静な状態を維持できた。

 思考は正常に稼働し、このまま悍ましい記憶を押し付けられ続けると、現実の世界の自分が遠くないうちに発狂死してしまうだろうと理解し、それを避けるために幻術の世界からラウンドたちを追い出すことが最優先事項であると認識した。

 それはラウンドも同様。

 すぐにでも襲ってくるかとラウンドは構えたが、その予想に反し、アクアマリンのダンジョンは動かなかった。

 

 そう、アクアマリンのダンジョンの思考は正常に稼働した。

 だがしかし、感情が、思考を、行動を捻じ曲げた。

 

 アクアマリンのダンジョンの目から、涙がこぼれ落ちた。

 

「なんだ?」

 

 予想していない出来事に、ラウンドは困惑の表情を浮かべる。

 手で自身の涙を拭うというアクアマリンのダンジョンの隙だらけの行動も、隙と認識するのに時間がかかり攻撃をし忘れる失態を侵す程度には困惑していた。

 

『私がぁ……幸福にぃ……してあげるからぁ……』

 

 涙声で発せられたアクアマリンのダンジョンの言葉も、ラウンドには意味が分からなかった。

 アクアマリンのダンジョンは、ラウンドたちの記憶に、苦痛を感じた。

 幸福しか知らないがゆえ、不幸という記憶が狂気のように自身の精神をすり潰してきた。

 そして、僅かに痛みになれた時、思考する隙間ができた時、アクアマリンのダンジョンが感じたのはこの痛みを与えた者への怒り……ではない。

 自身の常識にないほどの不幸を持つ目の前の相手を救いたい、という純粋な善である。

 

『絶対にぃ……』

 

 自身の死のリミットが近づいている状況でなお、他人の幸福を選んだのだ。

 

「要らん」

 

 幻術の世界で、ラウンドはアクアマリンのダンジョンへ剣を振り下ろす。

 言葉と行動で、明確に拒絶を示す。

 

『ダメよぉ』

 

 アクアマリンのダンジョンは、顔をかばうように右腕を前に出して剣を防ぐ。

 剣と腕が衝突し、キインと心地よい音が鳴り響く。

 そして。左手で剣を掴みにかかる。

 ラウンドは掴まれる前に剣を引いた後、空いたアクアマリンのダンジョンの左わき腹へと切り返す。

 鈍い音とともに、剣がめり込む。

 

「かてえな」

 

『斬れる硬度にはぁ、してなかったんだけどねぇ』

 

 景色がぶれる。

 ラウンドの記憶がぶれる。

 ラウンドを幸福にするため、アクアマリンのダンジョンが幻術の世界の内容を変える。

 

 過去から現在へ。

 ラウンドの故郷から、ラウンドの作ったギルドへ。

 ブリリアントへ。

 

「「「マスター?」」」

 

「「「お帰りなさい、マスター!」」」

 

 見慣れた顔がラウンドの周囲に現れ、歓喜の声をあげる。

 見慣れた光景。

 いつもの光景。

 日常という、幸福な光景。

 ラウンドはそんぼ首を、無言で斬り落とした。

 

「何を!?」

 

「マスター!?」

 

 歓迎から驚愕へ。

 そして恐怖へ。

 驚き、恐れ、逃げ出そうとする者たちを、後ろから斬り殺した。

 ばたばたと倒れていく者を一瞥もせず、アクアマリンのダンジョンへと向き直る。

 

『仲間じゃ……ないのぉ……?』

 

「幻だ」

 

 血に染まっていない剣を、血を掃うように床へ向けて振る。

 綺麗な刃が、アクアマリンのダンジョンの姿を映す。

 ラウンドが剣を構えなおし、その切っ先が本物のアクアマリンのダンジョンを捉え、吸い込まれるように向かっていく。

 

『じゃあ、次の幸福ねぇ』

 

 その瞬間、ぐきり、とラウンドの足が悲鳴を上げる。

 踏み込んだ足をひねってしまい、切っ先がぶれる。

 結果、ラウンドの刃は、アクアマリンのダンジョンにとって幸運なことに、その首の横を素通りする。

 

「……っちい!」

 

 外したことと、なにより何でもない場所で足をひねるという失態に、ラウンドは自身への怒りを覚える。

 が、切っ先がアクアマリンのダンジョンの首元にあることを即座に気づき、手に力をこめる。

 狙う必要もない。

 ただ振るだけで、首にあたる。

 そんな位置。

 

 が、はずした。

 否、振ることができなかった。

 剣を握りしめた手に溜まる汗と、なんども剣を振り続けたことによる握力の弱りが、ラウンドの手から剣を落とさせた。

 何も握られていない空っぽの手が振られた後、剣は真っ逆さまに落ち、カランと言う音とともに床へと転がった。

 要するに、ラウンドは剣を落とし、攻撃に失敗したのだ。

 アクアマリンのダンジョンにとって幸運なことに。

 

 二度の幸運。

 二度の偶然。

 否、これは果たして偶然だろうか。

 

「お前の能力か」

 

『次の幸福はぁ、ダンジョンのいなくなった世界、なんてどうかしらぁ』

 

 景色がぶれる。

 ラウンドの記憶がぶれる。

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