67話 アクアマリンのダンジョン05
人生最高の幸福と言われたら、何を思い浮かべるだろうか。
男であれば、武勲を立て、高い地位を得ることだろうか。
女であれば、よい男と結婚することだろうか。
それは人により様々。
ペアシェイプにとっては、結婚こそが人生最高の幸運であった。
過去、何人かの男性に見初められ、交際し、関係を持ったこともある。
そのまま結婚するのかと考えた時もある。
が、ペアシェイプは、非常に男運が悪かった。
百発百中の勢いで、ペアシェイプを不幸にする要素を持つ相手を選んでしまっていた。
そのうえ、ペアシェイプは目が良すぎた。
その証拠に気づいてしまうのだ。
いっそ見て見ぬふりをしようかとも思ったこともあるが、見えてしまった以上は気にしてしまい、結果破局に至り続けた。
だから今、ペアシェイプは幸福をかみしめている。
純白のウェディングドレスを身に纏い、バージンロードをゆっくりと歩く。
歩く道の左右には、ブリリアントの仲間たちが座り、祝福の言葉を投げかけてくる。
ゆっくり、一歩一歩、踏みしめて歩く。
歩く先には、結婚を祝福している神の像と、司祭、そして一人の男性がいた。
男性の顔は光が差し込んでいる影響で見えないが、雰囲気だけでも誠実な相手であることが感じ取れる。
理由も根拠もないが感じ取れる。
ペアシェイプが男性の前に立つ。
顔はまだ見えない。
ペアシェイプの顔にかかるベールが邪魔で、顔をよく見ることができない。
しかし、気にならない。
何一つ。
司祭が問いかけてくる。
目の前にいる相手と愛を誓うかと。
目の前にいる相手を、病める時も健やかなる時も愛することを誓うかと。
男性が答える。
ペアシェイプが答える。
「では、近いの口づけを」
ベールがあげられる。
光が差し込み、顔が良く見えない男が、両手でペアシェイプの顔を優しく包む。
ペアシェイプはその手に身をゆだねる。
目を閉じる。
数秒後に起こることに、喜びと幸福を感じながら。
自身の最高の幸せが訪れる瞬間を待つ。
『おめでとぉ』
祝福の声が響く。
「ペアシェイイイイイイイイイイイイプ!!!!」
『あらぁ?』
突然の叫び声に、思わずペアシェイプは目を開ける。
目の前には、空間ごとひび割れ、砕け散る男と教会があった。
男の顔は未だに見えない。
『あらぁ?』
第一階層。
オーバルは、二体のアクアマリンのダンジョンに斬りかかる。
一体はマーキーズへ、もう一体はペアシェイプに斧を振り下ろすところだった。
一本の剣を器用に振ることで、二本の斧を弾き飛ばす。
「幻術じゃねえが、どっちも偽物だな!」
『こんなに早く解かれちゃうのねぇ』
そして、斧を失い、無防備になったアクアマリンのダンジョンの――姿をした魔物へ剣を振るう。
首が落ち、残された体が糸の切れた操り人形のごとく崩れ落ちる。
崩れ落ちた体の表面は溶けていき、デッサン用モデル人形のようなツルリとした人型の魔物が姿を現し、そのまま消滅していった。
「……パペットか」
ラウンドが上体を起こし、消滅していく魔物――パペットを見る。
手を首に当て、首をごきごきと動かす。
「マスター、無事だったか」
「幻術の中で、三十一回ほど自死したがな」
「俺は三十五回だったな」
ラウンドは警戒を解かずに立ち上がる。
魔物に対する警戒ではなく、オーバルに対する、周囲のギルドメンバーに対する警戒である。
オーバルもそれに気づき、理由も理解していた。
自分が本当に現実に戻ってこれたの確信を持てていないため、警戒を解くわけにはいかないのだろうと。
オーバルは無用な警戒を与えないよう、ただ待った。
ラウンドが現実であることを理解し、警戒を解く。
そして、オーバルへと視線を向け、疑問を口にする。
「お前はここが現実だと確信しているようだな。何故だ?」
オーバルは、ラウンドが目を覚ましてから現在に至るまで、ラウンドに対して、他のメンバーに対しても、警戒心を持っていなかった
オーバルほどの実力者であれば、ラウンドと同様、まずは疑ってかかるだろうと考えていたが、一切の素振りがなかった。
疑うことができないほど警戒心が甘いとも考えていなかった。
だからこそ、オーバルの行動が奇妙に映った。
オーバルは、ラウンドの問いにニカリと笑み、自分の目を指差した。
「心眼のおかげだ」
「心眼?」
「そう。前の反省を踏まえて、心眼をさらに鍛えたんだ。今の俺なら、幻術かそうでないか、見るだけでわかる!」
「なるほどな。有効な能力だ」
過去の失敗に対し、明確な対策の術を持ったことに対し、ラウンドは素直に感心した。
同時に、アクアマリンのダンジョンの討伐において、これ以上ないほど有効な能力であるとも理解した。
ラウンドは考える。
オーバルの能力を最大限に活かす方法を。
脳を回転させながら、視線は倒れているメンバーたちへと向ける。
パペットが消滅したことで、幻術の効果が消え、メンバーたちが次々と目を覚ます。
「……また、不覚を取りましたな。申し訳ありません、ラウンド殿。私の創った薬が役に立ちませんでしたな」
「そんなことはない。幻術を一つ無効化していた」
目を覚まし、即座に謝罪を選んだオールドマインの言葉を、ラウンドは制す。
幻術の重ね掛けを誰も想定していなかった以上、オールドマインのミスではないと考えたため、謝罪を止めたのだ。
ラウンドの返事の内容に感謝を示すべきか、幻術を一つ無効化していたという自身でさえ気づかなかった事実をどうやって知ったのか驚きを示すべきか、感情が混じり、オールドマインは無言で一礼した。
「本物のラウンドだぁ(はぁと)」
「本物?」
目を覚ましたハートは、ラウンドの近くまではいずり、ラウンドの足へ鼻を近づけてすんすんと匂いを嗅いだ。
「この匂いは、間違いなく本物ぉ(はぁと)!」
そして、幸せそうな表情を浮かべる。
ラウンドにはその場を去るという選択肢も、匂いを嗅がれたことに抗議をする選択肢もあったが、何も言わずにその場に立ったままだった。
ハートなりの幻術ではないことを確認する方法だと気づいており、またハートの奇行にも慣れたものなのだ。
「……結婚が。これは、キますね。心に……ええ、かなり……」
目を覚ましたペアシェイプは、上体を起こし、右手で左胸を抑える。
現実に戻ったペアシェイプが真っ先に感じたのは、現実との落差である。
自分の人生で最も幸福だったとさえ感じたあの瞬間がすべて幻だったと理解し、その幸福感と現実のギャップに強い絶望感が押し寄せた。
次に、今後の人生で、幻で見たような幸福な瞬間が本当に訪れるのかという不安感が押し寄せた。
最後に、あのまま幻の中にい続けたら、永遠に幸福にいられたのではないかという渇望感が押し寄せた。
そのすべてが、ペアシェイプの心を痛ませた。
ボロボロになった理性で、心臓を押さえつけ、心の痛みを無理やり上書きする。
「結婚?」
ペアシェイプの言葉に引っかかったラウンドが、言葉を復唱する。
ペアシェイプはラウンドに目線をやり、自身が結婚という言葉を放った理由を説明しようと口を開く。
「マスター! マーキーズが!」
が、そのまえにオーバルの声で空気が塗りつぶされる。
ラウンドとペアシェイプの視線が、声の方向へと移る。
そこには、目を覚ましたメンバーに囲まれ、未だに意識を取り戻さず、光を失った瞳から涙を流すマーキーズの姿があった。
「マーキーズ?」
ラウンドはマーキーズに近づき、指先で首に触れた。
指先からは体温が感じられ、脈も正常に動いていた。
身体的な異常はなく、精神的な何かによるものではないかと考えた。
つまり、マーキーズが見た幻術に起因するのではないか、と。
「お前たち、幻術の中で何を見た? 俺は、アクアマリンのダンジョンを討伐し続ける幻だ」
ラウンドの視線が、オーバル、オールドマイン、ハート、ペアシェイプの四人へと向く。
「俺は、お前と戦って、勝つ幻だ」
「私は、子供の頃の幻でしたな」
「私は、ラウンドと一緒にいた~(はぁと)」
「私は……その……結婚式を……」
四者四様の内容が返ってくる。
「もう一つ。その幻は、お前たちにとって幸福なものだったか?」
四人全員が肯定した。
目線を他のメンバーに移せば、二十人全員もうなずき、肯定を示した。
「もう説明するまでもないと思うが、おそらくこのダンジョンの能力は、幸福な幻を見せること。その幸福を受け入れたが最後、そのまま目覚めず、現実で魔物に殺される」
何人かのメンバーが、ゴクリと唾をのむ。
自分たちはさっきまで、まさに殺される直前にいたのだという恐怖が、喉を乾かした。
「そして、目覚めたとしても、現実との落差が精神をすり潰してくる」
説明の根拠を示すように、ラウンドはマーキーズに視線を向ける。
涙を流し、横たわるマーキーズは、未だに反応を示さない。
ラウンドの意図することを、全員が体感をもって理解した。
人間は、ギャップで苦しむ。
理想と現実の間で苦しむ。
幸福と不幸の間で苦しむ。
もしも最高の幸福を手に入れた時、幸福感が最高潮に高まったときに消え去ったら、その落差はどれほどの苦しみを与えることか。
『だからぁ、幸福の中にいましょうよぉ』
聞き覚えのある声に、全員が一斉に武器を構える。
『やだぁ、恐いわぁ』
恐怖を感じさせない表情で、アクアマリンのダンジョンは大げさにリアクションをとって見せる。
「ずいぶん悪趣味な性格だな」
幸福を利用して、不幸を作りあげる。
ラウンドは、その試練の内容に、率直な感想を投げかけた。
アクアマリンのダンジョンは、ラウンドの言葉が理解できないというように、きょとんとした表情を浮かべる。
『悪趣味ぃ? 悪趣味はぁ、貴方たちでしょぉ?』
「なんだと?」
『望んで不幸になろうとしてるじゃなぁい』
アクアマリンのダンジョンの瞳は済んでいた。
発する声は済んでいた。
挑発でも、嘲りでも、偽りでもない、純粋な疑問。
それが余計に、見る者の、聞く者の背筋を凍えさせた。
『幸福はねぇ、とても気まぐれなのぉ。誰もが望んでいるのにぃ、幸福をたくさん持ってる命もあればぁ、一つももってない命もあるのぉ。とてもぉ、不幸なことじゃなぁい? だからぁ、私があげるのぉ。一つでも多くの命がぁ、幸福な生を送れるようにぃ。私にはぁ、その力があるからぁ』
まるでそれが己の使命と言わんばかりに、目を輝かせ、胸を張り、いっそ堂々とアクアマリンのダンジョンは言い放つ。
その言葉に乗っている感情は、善意である。
利益も感情も度外視した、純粋な善意である。
「なら、なぜ殺そうとするんだ!」
だからこそ、オーバルは叫んだ。
オーバルの中で、アクアマリンのダンジョンの言葉と行動が矛盾していると感じたから。
幸福にしたいと口にしたその体で、マーキーズとペアシェイプに斧を振り下ろし、殺そうとした行動の理由を知るために。
『なぜって、当たり前じゃなぁい。命はぁ、いつか散るのよぉ』
間髪入れずに答えは返ってきた。
『最高の幸福を得たとしてもぉ、その後、不幸になるかもしれないじゃなぁい? 生物はぁ、最高の幸福を感じている時に死ぬことこそがぁ、最高の幸せなのよぉ?』
知らなかったの、とばかりの目を向けられ、今度こそオーバルは固まった。
理解した。
自分と目の前のダンジョンとの間にある、絶対的な価値観の違いを。
アクアマリンのダンジョンは、善意の塊である。
他者に幸福感を与えることを至上の喜びとし、そのためなら自分のすべてを差しだしてもかまわないとさえ考えている。
その感情に従い、彼女はダンジョンへ入ってきた人間たちに、幸福を与え続けてきた。
魔物化し、自我が芽生えるより前からずっと。
事実、アクアマリンのダンジョンは、何度も入る人間が後を絶たなかった。
ずっと幸福を味わうために。
そして、幸福中毒とでも呼ぶべき人間が現れ始めた。
幸福中毒の人間は、永遠に幸福に包まれることを願った。
幸福な気持ちのまま、死にたいと願った。
その願いは叶えられ、多くの人間がアクアマリンのダンジョンの中で死に絶えた。
夥しい死体から、アクアマリンのダンジョンは学んだ。
幸福に包まれたまま、死の恐怖を感じないままに死ぬことこそ、最も幸福な行為であると。
アクアマリンのダンジョンは、それからも幸福を与え続けた。
皆を幸せにするために。




