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66話 アクアマリンのダンジョン04

「ここはどこで、今は一体何時なのでしょうね。場所も時間も、全ての感覚が狂わされている気がしますね」

 

 オールドマインは、小さな木造の一軒家で座っていた。

 お世辞にも裕福とは言えない家の一室で、妻と二人の子供と、食卓を囲んでいた。

 

「あなた、どうかされました?」

 

「パパー? どうしたの?」

 

「パパ?」

 

「さて、私に家族はいたのでしたっけ。それさえも思い出せませんな」

 

 オールドマインは、自身の異常な状態を冷静に見つめていた。

 記憶をたどれば、既に十回以上、幻術を解除していた。

 そう、自分では思っていた。

 が、何度幻術を解いて現実に戻ってきたと思っても、その世界もまた幻術の中であった。

 幻術で最も恐ろしいことは、感覚を失えば、空腹を感じないまま餓死することも痛みを感じないまま魔物に殺されることも起こりうる。

 それゆえ、自身の感覚には、特に気を払っていた。

 にも拘らず、オールドマインは、時間感覚を失い、挙句の果てには目の前で自分を旦那や父と呼ぶ三人の人影を、本当の家族か否か判断できなくなっていた。

 どころか、過去、自分に家族がいたのかいなかったのか、それさえも判断できなくなっていた。

 

「恐ろしい能力ですな」

 

 オールドマインは立ち上がる。

 その様子を不思議そうに見る三人にも、テーブルの上で香ばしい匂いを放つ料理にも目をくれず、ずかずかと部屋を出ていく。

 

『家族はぁ、嫌いだったぁ?』

 

 もしかしたら三人の誰かに呼び止められるのではないかと思っていたが、三人の声は投げかけられず、代わりに別の声がかけられた。

 アクアマリンのダンジョンの声が。

 オールドマインは足を止め、声の方へと振り返る。

 先程まであった食卓はきれいさっぱり消え失せており、代わりにアクアマリンのダンジョンが立っていた。

 

『嫌いだったぁ?』

 

「嫌いではありませんが、偽りの家族など要りませんよ」

 

『でもぉ、幸福だったでしょぉ』

 

「……否定はしませんな」

 

 家族で食卓を囲む自分、という違和感に気づくまで、オールドマインはいくらかの幸福感に包まれていた。

 それは事実。

 妻と子供たちの愛情を受け、感情が少しほころんだ。

 それは事実。

 だからこそ、違和感に気づいた今は、それが恐い。

 その時、確かにオールドマインは幸福を感じてしまったのだ。

 一瞬とはいえ、もう死んでもいいと思うほどに満ち足りた幸福を。

 

『戻る気はぁ、ないぃ?』

 

「ありませんな。私は現実を生きます」

 

 オールドマインは、オパールの石の力を使い、幻術への耐性をつける薬を作り出す。

 他のメンバーに配ったものよりも、さらに強力なものを三錠。

 そして、一気に口へ放り込み、容赦なくかみ砕く。

 一回一錠が適量とされる薬のため、副作用が――大きな吐き気と目眩がオールドマインを襲うが、その代償によって脳が一気に覚醒し、幻の世界が崩れ始める。

 

『残念ねぇ』

 

 最後に耳へ届いたのは、アクアマリンのダンジョンの呟き。

 感覚が暗転する。

 

 

 

「起きたか、オールドマイン。立て。修行はまだ終わっていない」

 

 次に目を覚ました時、オールドマインの目の前には父が立っていた。

 

 

 

 

 

 

「マーキーズ、そろそろあなたの誕生日じゃな。何か、欲しいものはあるかの?」

 

「私、ぬいぐるみが欲しいです!」

 

 母の胸に包まれながら、マーキーズは答えた。

 二十代にも関わらず、まるで高齢の貴族の様な独特の口調をする母であったが、マーキーズがそれを気にすることはなかった。

 周囲からからかいの声が聞こえることもあったが、不快でこそあれ気にすることはなかった。

 口調を気にするに値しないほどに、母から愛情を注がれていたからだ。

 

 マーキーズの欲しがるぬいぐるみというものは、ダンジョンからたまに手に入る、玩具の一種である。

 綿を布で包んで作られる、動物の形をした置物である。

 その愛くるしい見た目から、幼い子供には特に好かれている。

 また、ところどころに未知の物質が使われ、再現が不可能という特性上、類似した粗悪品が大量に市場に出回っている。

 だからこそ、ダンジョンからしか手に入らない本物は、非常に高価で、それをもつことが一種のステータスになっていたりする。

 

「またぬいぐるみか。はっはっは。マーキーズはいつまでたっても子供だな」

 

「お父様、子供扱いしないでください! 私はもう六歳の立派なレディです!」

 

 マーキーズが、胸に抱えたテディベアをギュッと抱きしめながら抗議する。

 昨年の誕生日プレゼントに買ってもらった宝物だ。

 常に持ち歩いていたせいで、ところほつれや汚れがあるが、むしろそれさえ愛おしむようにしている。

 

「はっはっは。そうだったな、すまんすまん。吾輩が悪かった」

 

 母と娘のほほえましい光景を眺めながら、父が笑う。

 その瞳からは、優しさと幸せがにじみ出ている。

 父もまた、マーキーズに多くの愛情を注ぎ、マーキーズもそれを強く感じていた。

 優しい家族の光景。

 マーキーズにとって当たり前の、いつまでも続くと信じて疑わない光景がそこにはあった。

 

 これより数日後、七歳の誕生日を迎える前に、マーキーズは貴族ではなくなる。

 マーキーズの誕生日プレゼントを買うために町へ向かったマーキーズと父母の馬車がダンジョンに飲み込まれ、ダンジョンの中で父母が魔物の手によって絶命する。

 優秀な護衛の下、最終階層である第四十階層にまでたどり着いたはいいが、フロアボスの前に護衛たちは敗北した。

 残された父母に戦う力はなく、魔物から守ろうとマーキーズを抱きかかえたまま、首を斬り落とされた。

 父母の首から噴水の様に溢れ出る血を浴びながら、マーキーズは自身を手にかけようと近づくダンジョンを見ていた。

 それより先、マーキーズの記憶は途切れる。

 気が付けば、ゴーレムと共に地上へ座っていた。

 首なしの二つの死体に抱きしめられながら。

 その後、大人たちの駆け引きによりマーキーズの家は取り潰される。

 理由はマーキーズ自身も覚えていないが、頭首になるには若すぎるだとか、魔物を操るような邪悪な人間は貴族に相応しくないだとか、そんな感じだった。

 

 もっとも、これは正しい過去の話。

 偽りの過去で起こることには関係ない。

 

「「マーキーズ、誕生日おめでとう!」」

 

「ありがとうございます! お父様! お母様!」

 

 七歳の誕生日プレゼントを渡されたマーキーズは、最高の笑顔を見せながら受け取る。

 七歳の誕生日の日、つまり今日、父母と共に町へでかけた幸福な思い出と共にぬいぐるみを受け取る。

 マーキーズにとって人生最高の日である。

 そして、来年は今日を上回るくらいに最高の日になるだろうと、明るい未来を信じる。

 

「私、最高に幸せです!」

 

 

 

 

 

 

『いい夢をぉ』

 

 マーキーズの視界の外で、意識の外で、幻術の外で。

 

 アクアマリンのダンジョンは斧を振り下ろす。

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