家出 8
リラは試験会場の前に立っていた。
先日と同じ女性の門番が、こちらに気付いてニコリと微笑みかけてくれる。日時と場所の指定だけでここに来たが、それを門番に告げるべきか、或いはアキを待てばいいのか分からず、曖昧にリラは微笑みかえす。笑顔は大事だ。相手に敵でないことを伝える一番の方法。
門番は、あたりをちらちらっと見た後、リラを手招きした。
「リラさんですね?」
こくりとリラは頷く。
「伺ってます」
誰から、とは言わない。だがそれがアキだろうことは検討がついた。門番はそっと扉を開けてリラを通す。小花の咲いた前庭が広がり、元は邸宅か何か個人のもののように思われた。
「この小道を行くと、建物に着く前に分岐しますので右を行ってください。建物を回り込んで裏木戸に続きますが、途中で会えるはずです」
誰に、とは言わない。それがアキなのか、イーサンなのかはわからないがどちらでも構わないのだ。我ながら大雑把だと思うが、そうでなければやっていけない。細事は人に任す訓練は受けてきたのだ。
前庭に人の気配はない。門番にお礼を言って、ゆっくりとリラは歩き出す。歩き出して気付く、緊張しているのか、体が強張っているような気がした。景色がまるで非日常のように色鮮やかに、穏やかに見えた。見慣れた白い蝶が舞うその軌跡すら辿れそうな濃厚な空気、まるで水の中を歩いているような気持ちになった。
分岐が見える。言うほどはっきりした分岐ではない、幹から離れていく小枝ほどの道だ。白い石が敷かれていなければ気付かないほどの細い道、そこをリラは右に折れた。左手に大きな建物を見ながら、ゆっくりと道は巻いていく。この土地の限られた都市では珍しいほどの立派な庭に建物だ。建築当初は都市の重要人物の持ち物ででもあったのだろうか。
都市の重要人物と言えば。
リラはふと暇を見つけて調べたことを思い出す。この都市の王家ウィンダリットには王タツミ、アキツとカツラという王子が二人とチハヤという王女の計四人が登録されている。詳細な容姿は公表されていないが、全員黒髪に黒い瞳の美男美女だという。
アキツ、という名前を目にした時、リラの胸の内に驚愕はなく、腑に落ちる感覚があった。すっかり忘れていたが、父がイーサンを跡取り指名した時に訪問していた王子もアキツだった。リラが跡を取るのかと問うた人物ならば、リラ・シンガを覚えていても不思議はないというものだ。思えば、コリン・ウィリアムズも、その恋人と思われる女性も、アキと呼ぶときは不自然な感じにしていた。コリン・ウィリアムズは現王タツミの甥にあたり(つまりメリダ夫人は現王の妹だった)、アキツ王子とは従兄弟の関係になる。親しくても全く不思議はない。
そして王子ならば、役所の試験会場へ手引きすることも不可能ではないの…だろうか。ここに関してはリラはあまり自信がなかった。王家とは形ばかりで、この都市のトップは選挙によって選ばれた知事だと通常は考えられているからだ。
だが、それは表向きのことなのかもしれない。王家と五商家が親密な関係にあるように、役所の中に王家独自のルートがあったとしても、それはそういうものなのだろう。在ってはならないことだ、と振り上げる拳などリラは持たなかった。
建物のちょうど横に回りこんだ頃だろうか、リラの進む小道は渡り廊下を横切る。そこに人影が二つ。リラよりも頭一つ小さい見慣れた少年と、長い茶色い髪を一つに束ねた青年と。
「あなたは一体、なんでどうして私の邪魔をするのですか」
苛立たし気に少年、イーサンが声を立てる。手には荷物を持ち、これから部屋を移動するといった雰囲気だ。
「あぁ、いや、ちょっとね」
年上の貫禄を見せてのらりくらりと応える青年はアキ、王子アキツというべきか。髪の毛はかつらなのだろう。
「ちょっとって…部屋を移動し次第、説明を受ける予定です、みんな行ってしまって」
不安げに渡り廊下の先の建物を見遣る。合格したのだな、とリラは考える。
「あぁ、うん、スリアには言ってあるよ、大丈夫。全員揃うまで待っててくれるって」
「スリア先生を呼び捨てにするなんて!」
イーサンはそういうところ、硬いから。微笑んだリラをアキが見つけて、手を振った。
「ほら、君と話したい人がきたよ」
ぱっと振り返ったイーサンは、家を出たときと変わりようもなく、ただ少し服が役人仕様で少し大人びて見えた。
「姉さん!」
驚いた顔は、数秒置いて困惑に置き換わる。それはそうだろう、これから新しい扉をくぐろうとした矢先に過去に置いてきたはずの人間が現れたのだから。
両手の平をイーサンに向けてリラは降参の意を示す。
「あなたを連れ戻しに来たわけではないから」
リラはイーサンの前に立ち、その顔を見下ろした。
「話を少しだけしない?」
「僕のことはもう、自分で決めたことだ」
「それは尊重する。でも、そう、私のために時間をくれない?……私のために」
自分の声音に潜む気配に慄きながら、リラは返答を待った。イーサンが居なくなれば自分が跡を継ぐ、その事実を淡々と受け入れてきたつもりでいたが、まるで覚悟ができてないことをイーサンに時間を乞いながら気付いたのだ。心のどこかでイーサンが戻ってくるのではと思っていたが、今イーサンを前にすると弟は全く戻って来ないのだと分かってしまった。わかりたくない、そんな恐れが自分の中で暴れている。
だが、イーサンはその恐れと向き合わなくてはならないとでも思ったのだろうか。一度うつむき、それから唇を噛みしめてリラを見上げ、頷いた。
その様子に彼もまた、覚悟が必要なのだと察せられ、姉の威厳を持ってリラは微笑んだ。そしてアキに問う。
「どこか、落ち着いて話ができるところがないかしら?」
「そこの部屋使っていいよ。三十分したら迎えにくるね」
アキが指さしたのは、渡り廊下の手前にある部屋だった。手をひらひらとさせて彼は去っていく。しばし姉弟でその背を見送って、ぽつりとイーサンが言った。
「あれは誰?」
この都市の王子だと思う、とは言えずにリラは沈黙を守った。




