家出 7
種もみの発芽率は悪くなかった。都市標準のものよりもちょっと劣るくらい、野生のものとは思えないほどだ。選び手の腕が良かったか、もともとそういう品種なのか。そうだとすれば、現在のものと掛け合わせて新しい品種を作ってもいいかもしれない。
ともかくも収穫が終わるまでなんとも言えないのだが。
リラはきれいに生えそろった苗床を優しく撫でながら考える。田に移し替えるほど伸びるにはもう少しかかりそうだ。通常の田植えは終わっているから一人で植えることになるだろう。ちらりとガレンの顔が思い浮かぶが、あの外出以降、また以前のように少し距離を取る日々が続いていて、手伝いを頼みたいとはあまり思えなかった。敢えて頼むとすれば母か、従姉妹たちだろうか。
すらりとした苗の緑に、ふとアキを思い出す。連絡はまだない。試験結果はどれほど時間がかかっても、そろそろ出るころだ。もしかしたら、アキにもイーサンは捕まえられなかったのかもしれない。
それだって、何ら不思議のないことだ。むしろ、捕まえられる方が驚きなだけで。
育苗小屋を出たところで、ガレンと鉢会う。
「やぁ」
ぎこちない。
「苗を見ていたのだけど」
見ればわかる応えを返して、反応を待つ。躊躇った後、ガレンは言った。
「シンガ家に鳥が来ていたよ、リラ宛て」
ガレンと目が合い、しばし見つめあう。薄青の瞳、表情を見失うような色。彼は何を思っているのだろう?
けれども、それは私が関与することではない、即座にそう決めて、リラは礼を言う。
「ありがとう、助かるわ」
「彼に会いに行くのか?」
「手紙の内容によるけれど」
「乗ってくか?」
軌道自転車を運転しようか?その提案は魅力的だったけれど、リラは首を振った。
「今日の今日ってこともないだろうから、大丈夫。巡回便に乗っけてもらうわ」
「そう、じゃ」
よそよそしくガレンは去っていく。だが、すれ違い際にさりげなくリラの手に触れたその手は、リラが欲しいと言っているようだった。思い過ごしではないと思う。イーサンが試験に合格したならば、後継ぎとなるリラの婿選びは本格化することになる、その筆頭候補と言っていいガレン。しかし気持ちが向かない。
「ままならないのは人の心」
メロディに乗せて口ずさみながら、リラは母屋に向かう。鳥はこの都市の中で一番早い連絡手段だ。訓練された鳥は見せられた印の持つ家めがけて飛ぶことができ、その家が鳥が運んできた手紙を宛先まで届けることになっている。シンガ家は当然その印を持ち、リラも配達を手伝うことがある。だが、自分宛ての鳥は初めてだ。
家に入ると小指ほどの小さい筒を、どこか渋い顔で眺める当主、父に出くわす。
「お父さん、私宛に鳥が来たと聞いたのだけど」
「あぁ」
返答は短い。何か言いたげに、だが結局何も言わずに、父はその筒をリラの手に落とす。
「ありがとう」
「出かけるのか?」
「多分」
「田植えは終わってるから、自分で都合をつけてよいからな」
父には話していないが、母経由で何か聞いたのか、イーサン絡みと気付いているようだ。いつにない寛大な言葉にリラは微笑んだ。
「ありがとう、お父さんこそ適宜ちゃんと休んでね」
「あぁ」
自分と同じカールした黒い髪を短く刈り込んだ精悍な父を、リラは好きだった。褐色の肌も自分と同じで日に焼けて真っ黒い。黒い王、だなんて冗談でも言われない威厳もある。
リラは階段を上がり私室に入る。決して大きくはないが、手の込んだパッチワークのベッドカバーが自慢だ。曾祖母が作ったというそれは、もはや布としてぎりぎり形を保っているものを幾重にも重ね、不思議ととろみのある仕上がりになっている。暑いときに布団はなしでそれだけ被って眠るのもお気に入りだ。
小さい筒は紺色で精巧なもの。紙を巻いて作られていて、シールを爪で破くと蓋が外れる。通常は使い捨てだが、その蓋は再度閉めることができ、これで返信をよこせということだろう。筒を振って出てきた紙には、明後日の日付と時間、試験会場とだけが簡潔に記され、黒いインクでアキ、と署名されている。
リラは自分が持っている紙の中で最も薄いものを選ぶと、小さく契り、了解の旨と名前を書き込み筒に押し込んだ。階下では案の定、父が待っていて筒を受け取ってくれた。
「明後日、外出するわ」
頷いた父は、さっそくその筒を鳥につけるために出て行った。
ああ見えて、父は弟の行方に心を配っているのだと思う。あまり取り乱したり、必死に探してはいけないのが当主だ。なぜなら、ここにリラがいるから。もしこのままリラが跡を取ることになるならば、イーサンが居なくなったのが一番の理由とするのはあまり良くない。やはりリラが跡を取るからイーサンが出ていった、といった風体の方がなんぼも良いだろう。
だからこそ、リラが動くしかないのだ。
鳥が飛び立っていく音がする。
リラは家の外に出て、鳥の向かう先をじっと見つめた。空は青く、だがそれは妙に光って見える。透明な壁が光を反射してるのだ。生まれたときから見慣れた空に、目を細めただけでリラは違和感は覚えない。
ただ、鳥はあまり高度を上げないまま飛んでいく。それが少しだけ窮屈に感じた。




