第6話 推敲メモ
「――というわけで、作戦会議を始める」
放課後の温室。鉢植えの陰に置いた木箱を机がわりにして、俺は羊皮紙を広げた。
向かいに座ったミシェルが、ごくりと唾をのむ。
「さ、作戦会議……」
「お前とハーヴィー先輩をくっつけるための作戦だ」
「くっ……! 声が大きいです、リュカ様!」
ミシェルが真っ赤になって周りを見回す。温室には俺たち二人しかいない。カイルは今日、騎士科の演習で来ないことを確認済みだ。
俺は羊皮紙に、さらさらと項目を書いていく。
『一、二人きりになる口実を作る』
『二、ハーヴィー先輩に、ミシェルの気持ちを少しずつ意識させる』
『三、決定的な場面で、背中を押す』
ミシェルが、まじまじと紙をのぞきこんだ。
「リュカ様って……なんだか、恋愛小説みたいなこと考えますね」
「……よく言われた」
主に担当編集に。主に締め切り前に。
実を言うと、この作戦には元ネタがある。
一番最初に書いて、ボツになったプロット。カイルとミシェルの話だ。あの原稿の中で、二人が距離を縮めるきっかけは、学院の収穫祭だった。準備委員に選ばれた二人が、飾りつけのために遅くまで残って、灯りの下で初めてまともに話をする。
ボツになったはずの場面を、今度は余白で起こしてやる。
「収穫祭の準備委員に、お前とハーヴィー先輩を推薦する。委員は各学年の推薦で決まるから、根回しは俺がやる」
「そ、そんなことできるんですか」
「侯爵家の三男をなめるな。取り巻きだけはいる」
本文で書いた、リュカの数少ない長所だ。顔が広い。性格は悪いけど。
「ただ、問題がひとつある」
「問題?」
「ハーヴィー先輩の予定がわからない。騎士科は演習が多いから、委員を引き受けられる日が限られるはずだ」
カイルは脇役だった。本文にも設定資料にも、彼の予定表なんて書いていない。
そして、カイルの予定を一番よく知っている人物は、ひとりしかいない。
剣の稽古相手。同じ騎士科の友人。
(……アルベルトだ)
推敲方針、その三。アルベルトには近づかない。
俺は心の中で、その一文に三本目の二重線を引いた。
夕暮れの訓練場は、もう人がまばらだった。
アルベルトは、端の打ち込み台の前にいた。上着を脱いで、シャツの袖をまくって、黙々と木剣を振っている。
一振りごとに、空気が鳴る。
(……うわ)
本文では、何度も書いた場面だ。『アルベルトの剣は、研ぎ澄まされた氷のように美しかった』とか、なんとか。
実物は、違った。
氷なんかじゃない。汗が光って、息が上がって、腕の筋が張っている。美しいというより、生きていた。
木剣が止まる。アルベルトが、こちらを振り返った。
「……ベルナール」
「お、お疲れ様です。少し、お聞きしたいことが」
アルベルトは額の汗をぬぐい、上着を手に取った。
「歩きながらでいいか。寮に戻る」
「はい」
並んで歩くのは、初めてだった。
アルベルトは背が高い。歩幅も大きいはずなのに、気づくと俺と同じ速さで歩いていた。
カイルの予定を聞くと、アルベルトは少し考えてから答えた。
「演習がない日は、週の後半だ。ただ、あいつは委員なんて面倒な仕事は断る」
「ミシェルと一緒なら、断らないと思います」
「……」
アルベルトが、横目で俺を見た。
「ミシェル・ローランとカイルを、近づけたいのか」
「はい」
「なぜだ」
なぜ。
本当の理由は言えない。俺が最初に書いた二人だから、なんて。
「二人とも、幸せになるべきだからです」
アルベルトの足が、一瞬止まった。
「……お前は、時々そういう言い方をする」
「どういう言い方ですか」
「まるで、物語の結末を知っているような」
心臓が、嫌な音を立てた。
「それに」
アルベルトは、前を向いたまま続けた。
「お前は、話すとき、俺ではなく俺の後ろの何かを見ている」
「……え」
「最初に図書館で話したときから、ずっとだ」
言葉が出なかった。
図星だった。
俺はずっと、アルベルトを見ていたわけじゃない。アルベルトの後ろにある、設定資料を見ていた。本文の台詞を、キャラデザを、自分が作った「アルベルト・グランツ」を見ていた。
目の前で、汗をかいて、俺の歩幅に合わせて歩いている、この人じゃなくて。
「……すみません」
「謝れとは言っていない」
アルベルトは、ふっと息を吐いた。
「話すときくらい、こっちを見ろ。それだけだ」
俺は、顔を上げた。
夕日に照らされた横顔が、すぐそこにあった。銀灰色の髪が少し汗で湿って、額に張りついている。
設定資料には、書いていない顔だった。
「そういえば」
アルベルトが、ふと思い出したように言った。
「図書館で、お前が読んでいた本を読んだ」
「え?」
「『セレスタ王国風土記』。窓際の席に置いてあった」
あの日、慌てて置きっぱなしにした本だ。
「……どうでした」
「退屈だった」
真顔だった。あまりにも真顔だったので、俺は思わず噴き出してしまった。
「ふ、はは……っ、ですよね。俺も、三ページで寝そうになりました」
「なら、なぜ読んでいた」
「なんとなく、です」
笑いがおさまらない俺を、アルベルトが黙って見ていた。
なんだか、ずいぶん長く見ていた。
「……グランツ様?」
「いや」
アルベルトは視線をそらし、空を見上げた。夕焼けの端から、灰色の雲が広がりはじめている。
「明日は、降るな」
その声が、ほんの少しだけ低くなった気がした。
俺は、知っている。
『雨の日は剣を抜かない。理由は誰にも話していない。』
「……そうですね。降りそうです」
それ以上は、何も言わなかった。言えなかった。
寮の前で別れたあと、俺は部屋に戻って、推敲メモの紙を広げた。
カイルの予定を書き込む。週の後半。収穫祭の委員の件は、明日から根回しを始める。
それから、少し迷って、余白の欄に書き足した。
『アルベルト:本文より、よく喋る』
『歩くのが、遅い。たぶん、合わせてくれている』
『あと、少しだけ笑う』
最後の一行を書いたところで、ペンを置いた。
窓の外では、雲がゆっくりと月を隠しはじめていた。




