入学
ジオアントス王国の中心に位置する王都ジオアントス。ここはこの国最大の規模を誇る都市だ。
王城のある北部、学園がそびえる南部、人々の生活が息づく西部の居住区、そして活気あふれる東部の商業区という、四つのエリアに分かれている。
僕は東門から王都へ足を踏み入れた。衛兵による簡単な身体検査を受けたが、僕がフォーマルハウト家の者だと分かると態度は一変。驚くほどすんなりと通してくれた。
「ここが王都か……。十年ぶりだけど、あんまり変わってないな」
どこか懐かしく、それでいて新しい生活への期待に胸が躍る。不思議な高揚感に包まれるが、感傷に浸っている場合ではない。まずは学園へ向かわなくては。
それにしてもやはり人は多い。流石は王都だ。僕はつい観光気分であちこちをキョロキョロと見回しながら、歩みを進めた。
「まるでお上りさんだな……」
前世の記憶によれば、都会の人は他人に無関心だったはずだ。だから僕の事など気にしてはいないのだろう。そんなことを考えているうちに、いつの間にか目的の学園に到着していた。
いきなり学園長に会えるものだろうか。父さんは「手紙を見せれば大丈夫だ」と言っていたけれど。
「すみません、学園長に面会しに来たのですが」
僕は守衛に父からの手紙を提示した。
「これは……! お待ちしておりました、どうぞこちらへ」
守衛の案内に従い、僕は学園長室の重厚なドアを叩く。
「入りたまえ」
「失礼します」
部屋に足を踏み入れると、そこには筋骨隆々の大男が待ち構えていた。立っているだけで圧倒されるような、凄まじい存在感だ。
「ようアスター! 久しぶりだな!」
「こんにちは、ジャック・シリウス学園長」
彼もまた、伝説的な四星の一人だ。
「おいおい他人行儀だな。昔みたいに『ジャックおじさん』って呼んでくれよ」
「……分かったよ、ジャックおじさん。久しぶり」
ジャックおじさんはしばらく豪快に笑った後、不意にその表情を険しくした。
「アスター、いきなりだが、これからは偽名で過ごせ」
「理由を聞いてもいい?」
唐突な提案に、僕は疑問を投げかける。
「四星を狙う不穏な連中がいるようだ」
……あいつらの仲間か、例の『あのお方』というやつだろうか。
「もう狙われましたよ、ここへ来る途中で」
「何だと!? アスターがフォーマルハウトを継承したことが、もう漏れているのか?」
「そこまでは分かりません」
あの襲撃が僕個人を狙ったものか、それともフォーマルハウト家全体を標的にしたものかは不明だ。
「ふむ……『木を隠すなら森の中』だ。やはり正体は伏せ、一学生として過ごすべきだろう」
「他の生徒を巻き込む危険はありませんか?」
「ここには俺がいる、大丈夫だ」
王国最強と謳われる男の言葉には、揺るぎない自信と実力が裏打ちされていた。
「偽名、か……。『アスター・ハウト』なんてどうかな?」
「うむ、少し安直な気もするが、まあいいだろう」
僕のネーミングセンスのなさが露呈したが、偽名はあっさりと決まった。
「おっと、もうこんな時間か。寮の門限が近い。場所は分かるか?」
「はい、守衛さんに教えてもらいました」
「そうか、なら急げ。門限は絶対だからな!」
そんなに厳しいのか……?
僕は挨拶もそこそこに、寮へと急いだ。
***
――アスターが去った後、ジャックは独り呟く。
「アスター・フォーマルハウトか……」
見違えるほど成長した。あの途轍もない力。一体どんな鍛え方をすればあんな領域に達するのか。サロスよ……もしかしたらあいつは、俺よりも……。
「なんてな! まだまだ若いもんには負けんぞ! ガハハ!」
***
高等部の寮は、校舎から見て右側が男子寮、左側が女子寮となっている。
間違えて左に入ったら、生きては帰れなそうだな……。
そんなドジはしないだろうと思いつつ、僕は右側の男子寮へ入った。
寮母のような管理人は見当たらない。どうやって門限を管理しているのだろう。建物内は不気味なほど静まり返っていた。
僕は自分の部屋に入り、シャワーを浴びる準備をする。
星霊術で水を生成する簡易的なものだが、旅の汚れを落とすには十分だ。服を脱ぎ、術を発動しようとしたその時、突然ドアが開いた。
「疲れたわね、もうクタクタ……」
現れたのは、燃えるような赤い瞳と髪を持つ、凛とした少女だった。
「「えっ」」
まずい、僕は咄嗟に大事な部分を手で隠した。
「落ち着いて! 叫ばないでくれ!」
「こっ、ここは、私の部屋よ……っ!」
彼女は震える声でそう言った。
「いや、ここは男子寮のはずだけど……」
「そんなはず……あっ!」
彼女は何かに気づいたように顔を真っ赤にし、「ごめんなさい!」と叫んで脱兎のごとく去っていった。
これが彼女との『衝撃の再会』になることを、この時の僕はまだ知る由もなかった。
***
翌日、いよいよ入学式当日だ。僕は小走りで講堂へと向かっていたが、その途中で人だかりに遭遇した。
「カレンさん! 僕と付き合ってください!」
衆人環視の中での告白。相手の女性は、黒髪ロングの淑やかなお嬢様だが、どこか陰のある雰囲気を纏っていた。
彼女は周囲を一度見渡すと、なぜか僕の方へ歩み寄ってきた。そして、僕の腕を強引に絡め取る。
「ごめんなさい、私、この方と婚約していますから」
「「「「「えええええ――っ!?」」」」」
周囲に激震が走り、告白していた男子生徒は真っ白になって固まっている。
「行きましょう」
彼女に引きずられるようにして、僕はその場を離れた。
連れてこられたのは、誰もいない静かな談話室だった。
「ごめんなさいね、アスター・フォーマルハウトくん」
……本名を知っている!?
僕は反射的に身構え、距離を取る。
「警戒しないで。私はカレン・シリウス。三年生でジャック・シリウスの娘よ」
ジャックおじさんの娘……。あのおじさんから、こんな美人が?
「カレン先輩……訳あって、今は『アスター・ハウト』と名乗っています。できれば、そう呼んでいただけると助かります」
「分かったわ、アスターくん」
「ところで、先ほどの『婚約』というのは……?」
どうせ方便だろうとは思ったが、一応確認しておく。
「私の父さんとサロス様が、昔決めたそうなのよ」
初耳だ。なんてことをしてくれたんだ、父さん。
「……先輩はいいんですか? 親が決めた相手なんて」
「ふふ、可愛い弟みたいで気に入っちゃったかも」
彼女はいたずらっぽく微笑む。
「僕が悪い人だったらどうするんですか?」
「悪い人は自分からそんなこと言わないわよ、それに……」
最後の方は声が小さくて聞き取れなかった。
「あ! もう行かないと、入学式が!」
「呼び止めてごめんなさい。また会いましょう、アスターくん」
「はい、また!」
彼女との会話は、どこか心地よかった。もし僕に姉がいたら、こんな感じだったのだろうか。
***
一人残された談話室で、カレンはポツリと呟く。
「ふふっ、父さんから聞いていた通りね」
真面目そうで、強い意志を宿した瞳。私の好きな瞳。
「普通の人生、か……」
彼との会話が楽しかった分だけ、カレンの心には深い諦観が広がっていくのだった。




