紙飛行機
今日も退屈な一日が始まる、カーテンが開けられ、看護師さんが来る。朝の検温が済み、味気ない朝食を取る。
――そして、何もない一日が過ぎる、はずだった。
「ねえ、隣座ってもいい?」
僕が談話室に置いてあるラノベを読んでいると、少女が、馴れ馴れしく話しかけてきた。正直勝手にすればいいのだが、少し悪戯心が出てしまった。
「ダメ」
彼女は目をぎょっとして驚いている。まさか断られるとは思わなかったのだろう。
「じゃあ勝手に座る!」
彼女は僕の隣に座った。そしてこちらをジッと見つめてくる。
「何か用?」
こう見つめられると、ラノベに集中できない。
「君、名前は?」
「教えない」
僕は即答した。彼女はプンプンと頬を膨らませている。
「私の名前は美香! よろしくね!」
僕はキラキラとした彼女が、眩しく感じて、照れくさくなった。
「よろしく……」
頭を掻きながら、小さく返事をすることしかできなかった。
「それで、名前は?」
再び彼女が問いかける。
「僕の名前はね、遥斗っていうんだ」
彼女と最初に会ったときの記憶だ。彼女の底なしの明るさと、消毒液の匂いがやけに脳裏に刻まれていた。
***
それから、僕たちは一緒に談話室で話すようになった。一年が過ぎても僕たちは、退院することができなかった。
「ねえ、大きくなったら何になりたい?」
美香がクルリとした愛らしい瞳をして、僕に尋ねる。
「そうだな、このラノベの主人公みたいになりたいかな」
僕の答えに美香はムスッとして怒り出す。
「ラノベの主人公って、『俺TUEEE』とか言って、やりたい放題する人でしょ、そんなのになりたいの?」
偏見が凄いな。談話室に置かれているラノベは、最近の流行の物が多かった。
「確かにそういうのもあるかもだけど、僕は誰かを守れるような、優しい人になりたいの!」
「ふーん、そうなんだ」
彼女はジト目で僕を見つめる。
「じゃあ美香は?」
すると彼女は耳まで真っ赤にして、モジモジと身じろぎをした。
「笑わない?」
彼女の真剣な瞳に、僕はしっかりと目を見ながら、答えた。
「笑わないよ」
――美香が、僕の袖をぎゅっと掴んだ、白く細い指が、かすかに震えている。俯いた彼女の唇から、零れ落ちるような声が響いた。
「あなたのお嫁さんになりたい……っ」
「――っ」
やけにモジモジして恥ずかしがっていたのは、そういうことか。真っ赤になって俯く彼女の姿が、たまらなく愛おしくなる。ドクン、と胸が跳ねた。
「じゃあ――退院して、大きくなって、それでもまだ僕のお嫁さんになりたいって思ってくれたなら、結婚しよう」
子供同士の口約束、でも僕たちは真剣だった。
「約束だからね! 絶対だよ!」
彼女が必死になって訴える。
「うん、約束だ!」
美香とならきっと楽しくて、明るい家族になれる。僕はそう信じていた。
***
また一年が過ぎた。僕と美香は病院の中庭で『紙飛行機』を作っていた。
「じゃあ飛ばすよ」
「うん」
僕の作った不出来な紙飛行機は、すぐに墜落した。
「あはは、下手くそだね!」
墜落した僕の紙飛行機を指差して、彼女が笑う。
「じゃあ、美香はどうなのさ! 手本を見せてよ」
僕はわざとらしく、大袈裟に怒ってみせる。
「ふふふ、見ててね、私の最高傑作を!」
彼女が『紙飛行機』を持って飛ばす。その紙飛行機はどこまでも飛んでいく。そして――なんと、鳥に攫われてしまった。
僕が呆然としていると、彼女はなぜか、勝ち誇った顔だった。
「私の紙飛行機は、どこまでも遠くに飛んで行ったよ!」
そういうことか。今回は彼女の勝ちってことにしておこう。
「次は負けないよ!」
僕が彼女に宣言すると、彼女は消え入りそうな顔をして僕に語った。
「紙飛行機を見たら、私を思い出してね……」
彼女は僕にそう告げると、そのまま走って病棟に戻って行った。僕は彼女の瞳に涙が溜まっていたのを見逃さなかった。
何で泣いて……
次の日、彼女は僕の前に現れなかった。次の日も、その次の日も。
彼女が亡くなったのを知ったのは、一週間が経とうとしていた頃だった。
***
目が覚める。目に映るのは寮の天井だった。
「夢か……」
何で、今更前世の夢を……。前世の夢なんて、今まで一度も見たことがなかったのに。
「結婚の約束……果たせなかったな」
ベッドの上で、もう叶うはずのない言葉をポツリと溢す。
「紙飛行機か。この世界ではまだ見たことがないな……。もし、美香もこの世界のどこかに転生していたら――」
いや、考えても仕方のないことだ。そんな奇跡みたいな話があるわけがない。
「――よし」
僕は首を振った。もう戻ることのない過去に別れを告げ、未来に向けて歩みを進めたのだった。




