帰郷
ついに出発の日を迎えた。
ジャックおじさんが手配してくれた馬車に揺られ、三日ほどの道中、僕たちは何事もなく穏やかな時間を過ごしていた。
「これがアスターくんの星霊……」
カレンがドゥーちゃんを見るのは、これが初めてだ。
まじまじと観察するカレンをよそに、当のドゥーちゃんは落ち着きなく馬車の中を飛び回っている。
「この子はドゥーべ。僕たちはドゥーちゃんって呼んでるんだ」
僕が軽く紹介すると、カレンは瞳をキラキラと輝かせた。
「ドゥーちゃんっていうのね! ねえドゥーちゃん、私のこと『お姉ちゃん』って呼んでみて?」
詰め寄るカレンの勢いに、ドゥーちゃんが空中でピタリと止まる。どうやらカレンは、可愛いものには目がないらしい。
「いきなりなんですの!? この黒い小娘は?」
その瞬間、車内の空気がピキリと凍りついた。
「ドゥーちゃん……それは私が『腹黒』だって言いたいのかしら……?」
カレンが低く冷たい声で問う。笑顔のはずなのに、背後のオーラが恐ろしい。
「ひっ!? カ、カレンお姉ちゃん、大好きですのー!」
恐怖でガチガチに固まったドゥーちゃんが、必死の形相でカレンの胸元へ飛び込んだ。
「あらあら、いい子ね。可愛いわー」
(カレンだけは絶対に怒らせないようにしよう……)
僕は冷や汗を流しながら、その光景を教訓として心に深く刻み込んだ。
「漫才もいいけど、そろそろじゃないかい?」
メグの声を聞いて、僕は窓の外へ目をやる。
「そうですね、もうすぐ見えてくるはずです」
懐かしい我が家までは、あともう少しだ。
「もうすぐ、ソフィアお姉ちゃんに会えるのね!」
ステラは期待を隠しきれない様子で、そわそわと腰を浮かせている。
やがて馬車は、見慣れた屋敷の前に到着した。
「ただいま、フィリップおじさん!」
門のそばにいたフィリップおじさんに声をかけると、彼は僕に気づき、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「おかえりアスター! 元気そうで何よりだ。……して、そちらの方は?」
「学園でできた友達だよ。ステラ、メグ、それにカレンだ」
「こんにちは」
三者三様に、丁寧に会釈をする。
「これはご丁寧に。……おや、カレンお嬢様まで。もっと盛大にお迎えすべきでしたかな?」
「いいえ、お気遣いなく。十分ですわ」
おじさんの冗談めかした挨拶に、カレンが真面目に返す。二人は以前から面識があったのだろうか。
カレンの少し恐縮したような態度にそんな疑問を抱いていると、おじさんが僕の肩を抱き寄せ、耳元で密やかに囁いた。
「カレンお嬢様は婚約者だから分かるが……まさか、あとの二人も……?」
「そんなんじゃないよ、フィリップおじさん」
いちいち説明するのも面倒になり、僕は肩をすり抜けて話を切り替えた。
「父さんと母さんは?」
「中にいるぞ。精一杯甘えてくるといい!」
「ははは、もうそんな歳じゃないよ」
口ではそう言いつつも、逸る気持ちは抑えられない。僕は屋敷の中へ足を踏み入れた。
「ただいまー!」
「「おかえり、アスター!」」
馬車の音に気づいていたのだろう。玄関では父さんと母さんが、今か今かと待ち構えていた。
父さんは僕を歓迎した後、背後の三人に視線を移して首を傾げた。
「何もない所だが歓迎するよ。俺はサロス、そしてこっちがソフィアだ。ところで……カレンちゃんは知っているが、他のお二人は?」
王都に住んでいた時、多忙だった父さんはステラとは面識がないはずだ。
「私はステラ・ミモザです! ……うっ、うう……」
自己紹介の途中で、ステラの瞳から大粒の涙が溢れだした。彼女はそのまま母さんの方へ駆け出し、その体に飛び込む。
「ソフィアお姉ちゃん……生きてる……本当に……っ、うわああああ!」
母さんは一瞬驚きに目を見張ったものの、すぐに泣きじゃくるステラをしっかりと抱きしめ、優しくその背中をさすった。
……僕たちは、言葉もなくその再会を静かに見守るしかなかった。
「ごめんね、ステラ……弱いお姉ちゃんで、本当にごめんなさい……」
ひとしきり泣きじゃくった後、ステラはようやく名残惜しそうに母さんの胸から離れた。
「それにしても、ステラがミモザを継承するなんて……因果なものね」
母さんはどこか遠くを見るように、寂しげに目を細めた。
「私は、お姉ちゃんと同じミモザを継承できて、誇りに思ってる!」
ステラの強い意志を宿した眼差しに、母さんは自嘲気味に微笑んだ。
「強くなったわね、ステラ。私とは大違いだわ」
「ソフィアお姉ちゃんは弱くない!」
即座に否定するステラに、母さんは苦い記憶を紐解くように、ぽつりぽつりと語り始めた。
「私は……何もかもに耐えられなくなって、自分の存在を消したの」
「消す……? 一体どういうこと?」
僕が問い返すと、母さんは静かに続けた。
「サロスと結婚して、アスターが産まれて……私は幸せだった。でも、四星のサロスと、孤児院出身の私。世間の風当たりは、想像以上に過酷なものだったわ。だから十年前の戦争を利用して、私は『死んだこと』にしたの。全てから逃げて、今ここにいるわ。サロスがいまだに対外的に独身を貫いているのは、そのためよ」
明かされた母さんの過去。以前ライラさんが驚愕していたのは、死んだはずの人間が生きていたからだったのだ。
「だからステラ、私にはあなたにお姉ちゃんと呼ばれる資格なんて……」
「そんなことない!」
ステラがその言葉を強く遮った。
「ソフィアお姉ちゃんがいたから、今の私があるの。私はお姉ちゃんが大好き! 今までも、そしてこれからもずっと!」
「ステラ……ごめんなさい……ありがとう……ううっ……」
今度は母さんが、堰を切ったように泣き出した。ステラはそんな母さんを優しく包み込む。
しばらくして涙を拭った母さんの顔には、今までになく晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「もう大丈夫。ありがとう、ステラ。あなたのお姉ちゃんとして、もう弱い所は見せないわ!」
母さんはステラのおかげで、長年の呪縛から吹っ切れたようだ。
「ソフィアお姉ちゃん、大好き!」
二人はもう一度抱き合い、喜びを分かち合っている。そんな感動的な空気の中――。
「完全に自己紹介のタイミングを逃したが……私の名前はメグ! よろしくお願いします、お父様、お母様! アスターくんと私、結婚しました!」
空気を読んだのか、それともあえて壊したのか。メグがいつもの調子で、とんでもない爆弾発言を放ちながら割り込んできた。
「アスター!? お前、いつの間に結婚を……!?」
「父さん、冗談だから! ほらメグ、父さんが本気で困惑してるよ!」
「ははは! 私は本気なんだけどね……よろしくお願いしまーす!」
「お久しぶりです、サロスおじさま、ソフィアおばさま」
今度はカレンが、一歩前に出てお淑やかに一礼する。
「久しぶりだな、カレンちゃん。そういえば学園の外に出ているが、大丈夫なのか?」
「ええ、アスターくんのお陰で」
「本当に久しぶりね、カレンちゃん。すっかり大きくなって」
一通りの挨拶が終わり、父さんは僕を少し離れた場所へ引っ張ると、小声で囁いてきた。
「三人とは、どこまで進んでいるんだ?」
「どこまでって……ただの親友だよ」
(カレン以外とはキスまでしちゃったけど……それは絶対に言えない)
「そうか……だが、フォーマルハウト家は安泰だな、はっはっは!」
それってどういう意味だ……? まあ、深く考えても仕方ないか。
一騒動ありながらも、久々の我が家の温かさに、僕はしみじみと心を落ち着かせるのだった。




