第八章 ブルーサバーバンスカイ ①
第七章⑤
オレはノラ嬢の案内で、かつてウマの家があったところを見にいって、そこに暗黒のブラックホールのようなものを見る――
♪明日 世界が滅びたとしても 変わらない キミへのRisupekuto
もしも この世にボクとキミだけが 残されて 天地創造
Sentimental おおぞら さびしくて 切なくて
Sentimental おおぞら There beneath the blue suburban skies…
「これ、なに? 昭和のポップスばかりだと思ったら突然―― 」
助手席に座るノラは小首を傾げて、こっちを見た。彼女の特徴的で、オレが好きな仕草だった。オレはハンドルを握りながら口もとが緩んだ。
「昭和ポップス特集じゃないんだよ、これは。オレの好きな曲ばかりのアンソロジーなんだ」
今夜は彼女の家で晩飯をごちそうになり、その足でドライブに出たのだ。
夜の湘南はすいていた。左手にずっと海が見えているはずなのだが、真っ暗でなにも見えない。いつか明るいときに連れてきてやりたいと思っていたが、なかなかお互いの時間が合わせられなかった。
「これ、なんだっけ? 聴いたことあるよ」
「”ウミユリ”ってバンドの『ブルーサバーバンスカイ』。知らない?」
「だから聴いたことあるって。”ウミユリ”好きだったの?」
「この曲が好きだったの。『夏草のいざない』って映画の挿入曲」
「どんな映画だったっけ? 観た記憶があるんだけど… 」
「たいした映画じゃない。青春SF 映画」
思い出さなくてよい。この映画が好きだったなんていわれたら、オレがノラを嫌いになりそうだ。
「だけど、この曲いいだろ? オレ、好きなんだ」
「そうだね。昭和のポップスも好きなの?」
「それはカエデの影響だよ。死ぬほど聴かされたからな」
「照山サンの趣味なの?」
「アイツはこういうのが大好きなわりに、最近のヒット曲にはまったく興味がない」
「へえ… 」
ノラは何度も頷くように首をふって、大きなカーブを描く湾の先を走るクルマのテールランプを追っていた。ここで納得して、なにもいわないのがノラのいいところだった。カエデのように自分の価値観を押し付けられると、こっちもムキになって抗いたくなるものだ。
「なんかさあ―― 」
コンソールの明かりだけのなかでノラは突然口を開いた。なにをいいだすのかと思い、しばらく聞き耳を立てていても、なにもいわないのだ。
「…?」
オレが彼女の方を見ると、ノラはフロントガラスの向こうを見たまま、やっと「こういうのもいいね」なんていうのだ。
「こういうの」とは、たぶんオレのアンソロジーのことではないだろう。なんのアテもなくノスタルジックな音楽を聴きながらクルーズすることが彼女にとってリフレッシュになるという意味だと受け取った。
「よかった」とオレが口角を上げると、ノラもこっちを見てほほ笑んでくれた。不思議なことだが、彼女といると心穏やかになるのだ。出会いから今までのことを考えると、なにか運命的なものすら感じる気がした。
♪憧れている All day long 輝いていた あの日のキミ
Sentimental おおぞら さびしくて 切なくて
Sentimental おおぞら There beneath the blue suburban skies
キミはどう? ボクじゃもの足りない?…
*
一年二年は、あっという間に過ぎた。学業はいい加減だったが、実務はいたって真摯なのだ。おかげで大学時代の友人たちのことは一切思い出すことがなかった。
そして、気がつけば卒業して十数年という月日が流れていた。カエデとの再会を果たしたのは、久方ぶりの中学校の同窓会の通知がきたことがきっかけだった。三十代半ばになると、それなりの場所で催されるものだ。地元でも有名な中華飯店の宴会場を借りてやったのだ。
このくらいの齢になると、もう、だれがだれだかわからなくなってもおかしくなかった。おそらくオレも、それくらいの変貌を遂げているのだろうくらいのことは覚悟していた。
ところが一目見て、まったく昔のままの面影の持ち主がいた。それがカエデだった。ひと目で彼女だとわかった。あのころ、ちょっとふくよかだった体形が少し締まったようで上品な若奥サマに見えたが、まぎれもなくカエデだった。
「カエデだろ?」
「あら、秋野クンじゃない。きてたの?」
「オレは、いまだにここに住んでるんだ。地元でやるのに、こないわけにいかないだろ。オマエはどこからきたの?」
「アタシ、ここから五時間もかかるところにいるのよ。東海地方のT市」
「そこで先生やってるの?」
「教師不足だから、いまはどこでも教鞭が執れるのよ」
「クルマできたの?」
「こればかりはリモートってわけにはいかないし、しばらく休暇を取ってなかったからね。ちょうどいい気分転換」
「疲れただろ」
「そっちこそ顔に出てるわよ」
たしかに年度末は、いろいろと忙しいものだ。この齢になると、疲れもあからさまに顔に出る。
「オマエは変わらないなあ。ルール違反って顔だ」
「なに、ルール違反って?」
「自然のルールに従って十年以上も経てば、だれだって齢をとるはずなんだよ。オマエは学生時代とちっとも変わらないじゃないか」
するとカエデはオレの肩をポンと叩いて、「こんなオバチャンにオベンチャラいっても会費はとるんだから」と笑った。
「場末の年齢詐称キャバクラのママかと思ったぜ」
途端に彼女は表情を変えて足を踏みつけた。
「いつもひとこと多いんだよ、アンタは!」
彼女は、あのころから茶化すと必ず足を踏んづけるのだ。オレたちは一瞬、あのころに戻ったような錯覚に陥って、顔を見合わせて笑った。
「ノラチャン、元気?」
「相変わらずだよ」
「天然ぶりも?」とカエデは含み笑いできく。
「このあいだも〝ジョン〟が反応しないっていっててさ」
「”ジョン”ってなによ、イヌ?」
「スマートAI」
「ああ、音声で家電なんかを管理するヤツね。名まえをつけてるの?」
「ノラが名まえをエントリーしたんだけど、その名まえが”ジョン=エントウィッスル”っていうんだ」
「なんでそんな名まえにしたの、覚えられないでしょ?」と眉をひそめる。
オレは頷いていった。
「なんでも実在のミュージシャンらしいんだ。とっくの昔に亡くなってるけど。だから、そんなのやめとけっていったんだけど、好きだったみたいで、それがいいってきかないんだよ」
「けっこう、拘りがあるんだね、ノラチャンって」
「ウチは子どもがいないから、どうしても人の名まえにしたかったらしい。だから、”ジョン”ならいいっていったんだ」
カエデは「そのコが反応しなくなったの?」と、もう面白そうにきく。
「なにかきいてみろっていったんだよ。ノラが”ジョン”って呼ぶんだけど、どこからも反応がない」
「バッテリーが切れたんじゃないの?」
「いや、それ以前に本体が見えないんだ。どこに置いてるんだってきいたら、ここにあるじゃないってテーブルの上を指さすのさ」
「目のまえにあるのに気づかなかったの、秋野クン?」
「そりゃ、そうだろうよ。ノラが話しかけてるのはポータブル加湿器なんだ」
「”ジョン”と加湿器をまちがえてたの? そんなひといる?」
「そういう想像を絶することをするんだよ、彼女。あれがないとなにもできないって大騒ぎでさ」
「近くにあれば反応するでしょ? どこにあったの?」
「冷蔵庫のなか。ぜったい反応しないところ。どうやったら、あんなところにしまおうと思うのか… 」
もうカエデは大笑いだ。
オレは十年まえに、そんなノラと結婚していた。派手な披露宴などが苦手なオレは、仲のいいヤツだけに声をかけて内々でパーティをした程度だった。そこにはカエデも参加してくれた。
大昔、ウマに《オマエに似合いの女性が現れるのは、いまじゃないよと神様がおっしゃってるんだ》とチャットしたことがあった。同時に神様はオレに「そのコはオマエと似合いだ」とおっしゃったのかもしれない。
「秋野クンはそういうときに激怒するの?」
「オマエなんかとはスケールがちがい過ぎてケンカにならない」
「合ってる夫婦なんだよ。ほかのみんなはどうしてるの?」
「みんなって、エルザなんかのこと?」
彼女は、まるで決まっているかのように頷く。エルザもウマもおなじ専攻の同級生だ。そして、カエデたちと一緒に海にいった仲間だった。
「連絡のしようがない。だれがどこにいるのかも知らないんだ」
「連絡とり合ってなかったの?」
「卒業間際の就活やら卒論やらのどさくさで、そのままさ。生存確認ができるのはエルザだけだよ。ウマはあいかわらず行方不明のままだし、ポテチは実家に帰るっていったまま音信不通だろ?」
「ポテチクンは亡くなったわよ」
「え?」
オレは耳を疑った。
「亡くなった? なんで?」
「詳しいことはわからないけど、なんか脳腫瘍だったみたいよ」
「なんで、そんなことオマエが知ってるんだよ? だれからきいたの?」
「姉から。姉のところにナカサンから連絡があったらしいの」
――ナカサン…?
「ナカサンって、だれだっけ?」
「海へいったじゃない? あのとき姉が連れてきた同級生のカズアリさん」
「ああ、オネエチャンの同級生のダンサーのひと?」
思い出した。たしか‟和在奈華″という女性がいた。すらっとスタイルがよくて、目鼻立ちのはっきりした美人だった。あの当時、すでにダンスでメシを喰っている、といっていた憶えがある。こんなひとが、よくオレたちみたいな田舎学生のバカンスにきたなと思っていたのだ。
「ナカサンが、どうしてポテチのことを?」
急にカエデはオレの目を見つめるのだ。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ナカサンのことを憶えてないようじゃあ、ちょっと衝撃的かもしれないけど、びっくりしないでよ」
そんな意味深な言い方をされると、驚くようなことでもないのに驚く準備をしなければならないではないか。ポテチが亡くなった以上の衝撃が、まだなにかあるというのか。
「ナカサンはポテチクンの奥さんだったの」
「ええーーーっ!」
本当にびっくりした。まわりに座っていた同級生たちが一斉にオレの方を見たくらいだ。では、ポテチが結婚するといっていた女性はどういうことになったんだ?
「いつからだよ?」
「みんなで海にいったでしょ? あのとき、すでに婚約していたみたいね」
「ポテチとナカサンは、もともとつき合ってたってこと?」
「知らなかったの?」
「いま初めてきいた。知ってた?」
「キミたちが知らないのに、アタシたちが知ってるわけないじゃない」
カエデの話によると、ナカサンはオネエチャンと中学の同級生だったというのだ。ふたりがつき合い始めたきっかけは、本人がいないから知る術がないが、おそらくモテることを自覚していないポテチがナンパしたとかではないだろう。カエデも、たぶん積極的だったのはナカサンの方だ、と憶測した。
オレは、てっきり実家の近くで知り合った女性と結婚するものだと思い込んでいた。ということは、ナカサンはオレやカエデの中学の卒業生になる。身近な先輩にあんな目立つ美形がいたとは、まったく知らなかった。
「カエデのオネエチャンと仲がよかったの、彼女? 偶然、誘ったのがポテチの婚約者だったってこと?」
「あとできいたんだけど、ナカサンの方から誘ってきたみたい。アタシから海にいく誘いがあるだろうからって」
なるほど、みんなポテチが仕組んだことだったのだ。いわれてみれば、バカンスの提案をしたのも、オネエチャンの友だちを誘えといったのもポテチだ。たぶんポテチがカエデと知り合ったタイミングで、婚約者とカエデ姉妹との繋がりがわかったんだろう。そして婚約者がくるから、前もってオレに結婚することを告白したのだろう。
――なんでオレだけに…
「だけどナカサンから、そういう仲だということは秘密にしてほしいっていわれたみたいよ。ヘンに気を遣われたくないからって」
つまり事情を知っていたのはオレとオネエチャンだけだったのだ。そのオレですら、すべての事情を打ちあけられたわけではない。どうりで初対面とは思えないほどイチャついていたわけだ。
ポテチはカノジョが妊娠しているといっていた。知っていたら気遣いしないわけにはいかないだろう。オレは「妊娠」というだけで勝手に身重のイメージをつくっていた。ヘンに気遣いされない代わりに大変なヒンシュクを買ったのではないか?
「姉はバラそうとは思ってなかったけど、もうシラケまくってたわ。まるで、ふたりのバカンスのためのバーターのようだったって」
――オレたち、みんなが、だ。
でもポテチの立場になってみれば、滅多に会えないカノジョと一緒に海にいきたかったというのが本音だったのではないだろうか。気持ちはわからないでもない。でも、いまさらそんなことをいわれても誤解が解けたのはオレとカエデだけだ。
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。




