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第七章 禁断のシーズン ③

第七章②

大学四年になって、急に就職活動をしてみたくなったオレは、成りゆきで就職の内定をもらうことができた。そして無事になんとか大学卒業にこぎつける――


 実際、本格的に仕事が始まると、妙に時間がはやく過ぎていった。不慣れな事務仕事を一つ一つ覚えていくだけで、あっという間に日が暮れていく。まだ勉強中なので一日のほとんどをコンソールのまえで過ごすのだが、気がつけばいつの間にか退勤の時間になっているのだ。

 その代わりといってはなんだが、帰宅時間はバイトのときとちがい、まだ陽があるうちに帰れた。いままでは、それから明日の仕込みをしなければならなかったが、もうそんなことはない。いわゆるプライベートタイムというわけだ。

 こんな余裕のある暮らしで、しかも定収入があるなんて、まるで夢のようだった。ハッチャキで稼いでいたバイト時代より、よほど安定している。そのうち、こんなことでいいのだろうかと、うしろめたい気持ちになってくるのだ。就職してよかったと改めて自分のポジションを噛みしめていた。

 帰宅して夕食までの間ぼんやりと窓の外を眺めていると、ふと思い出すのだ。こんなときには、よく目のまえのみちにウマのクルマのボンネットが停まったものだ。もうそんなことはないと思うと、あの日々が大昔の出来事のように感じた。

 そんなある日のこと、このタイミングでモバイルが鳴った。


 ――まさか、ウマか?


 立ち直ってくれたのか、と画面を見ればカエデだった。

「先生、お疲れさまです」

《秋野クン、ビックリ情報教えてあげようか?》

「なにが《ビックリ情報》だ。もう授業は終わったのか?」

《まだ学校だから、あまり長電話できないんだけど、ビックリなのよ、ビックリ情報!》

「時間がないなら早くいえ」

《いつかオンマサンの同級生にオンマサンのこと、きいてくれっていってたよねえ?》

「そんなこといってたっけ? いつの話だよ?」

《大学生のとき》

「そりゃ、そうだろうよ。ウマが大学にこなくなってからだから」

《三年のときじゃなかったかな―― そんなこと、どうでもいいのよ!》

《そんなこと》をいったのはそっちだろ?

《オンマサンの同級生に会ったのよ、アタシ!》

「遅すぎやしないか? あれから何年経ったと思ってるんだ」

 突然連絡してきて、いまさらなにをいっているのか。もうウマのことなど、だれも気にかけてやしない。本人が立ち直るか、どうかの問題なのだ。オレがとやかくいえる立場ではない。

《ちょっと、きいて。ノムラサンはね、オンマサンのこと知ってたの!》

「いつの話だよ、それ? だいたい、その《ノムラサン》てのはだれなんだ?」

《だから、オンマサンの中学の同級生よ。彼女に、このまえ研修で会ったの!》

「《ノムラサン》とやらも先生になってるのか?」

《彼女も母校の中学にいるんだって。東村大和の》

「へえ…」と、しばし沈黙。モバイルの向こうでカエデが得意げに《うん、うん》と頷いている姿が見える。

「…おい」

《なに?》

「《なに》じゃないだろ、それで終わりか? それが《ビックリ情報》なのか?」

《オンマサンのこともきいたよ、ちゃんと》

「なんていってた?」

《引っ越したみたいだって》

「引っ越した?」

《うん》

「マジか… 」

 オレにとっては衝撃的だった。

 あの楽観的で超マイペースのわりに、どうでもよいことはきっちりしていたヤツが、そこまでになるほどの闇を抱えていたのか。家族はそのことで姿を消したかったということなのか。カエデがいつかいっていた「行方不明」も、まんざらいい過ぎではないようだ。

 オレには、どう考えてもウマ一家が引っ越した原因はウマではないか、という疑いが払拭できなかった。

《それでね、秋野クン》

「・・・ 」

《秋野クン? もしもし?》

「あ…ゴメン、ゴメン。きいてるよ」

 オレはつかの間、ウマのことに気を取られていた。

《ノムラサンがオンマサンのこと、詳しく知りたいんだって》

「オレだってウマから直接なにかきいたわけじゃないから、詳しくなんか知らないよ」

《秋野クンだって、オンマサンのことが気にかかってるんでしょ? 彼女から直接、いろんなことききたいんじゃないの?》

 鋭いところを突いてくる。もし、その《ノムラサン》とやらがウマの引っ越したあとのことを知っていれば、ぜひききたいのだ。だが、それをカエデに頼めば、その答えが返ってくるのは定年後かもしれなかった。

「そりゃ、ききたいよ。どうしろっていうんだ」

《アタシがセッティングしてあげるから、会って話そうよ。それきっかけで彼女と連絡取れるから》

「ウマのことを?」

《アタシだって、オンマサンのことを心配してるのよ》

「そうか、知らない仲じゃないしな」

《それからね…》とカエデは、いかにももったいぶるようないい方をした。

「?」

《ノムラサンね、カワイイよ》

「なに?」

 オレの反応に、《冗談、冗談》と含み笑いでごまかした。

「なにか勘ちがいしてないか? オマエも同席するんだからな」と釘を刺してみたが、オレも思い出した。たしか、ウマもいっていた。気位の高い美人だ、と。

 オレは、そういう女が大嫌いなのだ。そう考えると、オンラインで勘弁してもらおうかとも考えた。だが内容が内容だけに、やはり直接会った方がよかろうとも思えた。ちょっと気が重いが嫌いなタイプのコなら、お互い雑念なく話すことができる、と思った。カエデさえヘンな気を回さなければ。


 カエデのセッティングで平日の夕方、《ノムラサン》に会うことになった。カエデにしては手回しがよかった。《ノムラサン》との間で、最初からそういう話になっていたのではないかと思えた。落ち合う場所は、お互いの交通の便がよい八川駅の北口にした。

 もうだいぶ季節が進んで、夕方でも上着が必要ないくらいの陽気になっていた。オレはクルマ通勤だったので直接いくつもりだったのだが、職場の上司から八川に出るならクルマよりモノレールの方が早いといわれて、クルマを職場に置いていくことにした。呑むことになるのだから当然だ。

 そんなことをしているうちに一番早いモノレールに乗り遅れて、駅で三十分待つことになってしまった。たったいま先発が出たばかりなので、ホームはガラガラだった。遅刻は仕方ないがカエデのことだ、断りの連絡をしないと激怒だろうと思い、ホームのベンチに座ってモバイルした。

《もう、着いたの?》

「そうじゃない。約束の時間に着かないという連絡だ」

《仕事?》

「残業するほど忙しくないよ。単純にモノレールに乗り損ねただけだ」

《いまからでも間に合わないの? そんなに本数なかったっけ、モノレールって?》

「オマエだって、これで大学に通ってたんだろ? ちょうどタイミングが悪かったみたいだ。オレは私鉄で通ってたんで、モノレールの時間をよく知らなかったんだ」

《アタシだって私鉄だったよ。大学のそばなの、職場?》

「モノレールで一駅手前だよ。おかげで、まだ大学にいってるみたいだ。現役じぶんにはろくに通ってなかったからな」

《ホントは留年したんじゃないの?》

「留年してたらモノレールなんて乗れないよ、高くて」

《交通費出るの?》

「オレはクルマ通勤だ。モノレール通勤は基本的に出ない」

《クルマ使えないときはどうするのよ》

「クルマもモノレールも電車通勤換算なんだよ」

《じゃあ、モノレールが早くても交通費持ち出しになっちゃうんだ?》

「そんなにオレの交通費が気になるのか?」

 話の脱線はいつものことだが、オレはいいことを思いついた。こういう時間つぶしをしなければいけないときにはカエデに電話すればいいのだ。

《アタシ、もうすぐ着くから先にいってるね。とてつもなく待ってるのヤだから》

「勝手にしろ。着いたら連絡するから」

 やっと八川に着いたのは待ち合わせの時間より、ほんの数分の遅れで済んだ。ということは、先発車両できていたら三十分近く待つことになっただろう。だが、すでにカエデたちの姿はなかった。彼女に連絡すると、駅のロータリーの東側の路地の奥にあるスペイン風居酒屋にいるという。

 なんとか店を見つけて、入るなりオレはカエデにいった。

「なんでスペインなんだよ、フツウの居酒屋でいいじゃないか!」

 彼女は丸い小さなテーブルに座って飄々というのだ。

「だって駅に近いし、オシャレじゃない? スペインって」

 オシャレだかオシャカだか知らないが、こんな店に入られた日には、なにを注文していいかわからないではないか。今夜は、もう全部彼女たちにおまかせだ。

 また、テーブルが三人様用とは思えないほどコンパクトなのだ。男だけできたらグラスだけで、アテなど乗らない。おたがいが至近距離で話をしなければならないので、自ずとヒソヒソ話になる。店内が静かなわけだ。

 カエデの向かいに座っている女性が「こんばんは」と挨拶してくれた。そうだ、これが問題の《ノムラサン》なのだ、と思った。

「あ、挨拶が遅れて失礼しました」とオレは職場の名刺を差し出した。いくらおなじ大学出身で自分と同期だとしても、オレは礼節を尽くした。なにしろ相手は気高いのだ。

「カエデの中学の同級生で大学も一緒だった秋野です」

「オ(・)ン(・)マ(・)サ(・)ン(・)の中学の同級生だったノムラです。アタシ、名刺持ってないので」

 オレが座る場所がないので立ったままでいると、わざわざ立ち上がってくれた。カエデとそう変わりない背丈に思えた。「オンマサン」の呼び名はカエデから教えてもらったのだろう。気高いのに機転が利くコだと思った。

 とりあえずジョッキではなく、お上品なグラスに注がれたビールで乾杯した。スペインのビールを初めて飲んだが、妙にフルーティな香りがした。女のコの好みそうな味わいだと思った。

 至近距離で見るノムラサンは、噂できく「ものすごい美人」というほどではないと思えた。ボーイッシュなショートカットで、大きな鋭い瞳とちょっと厚めの唇で、美人というより顔の造りが整っているという印象だった。

 教師らしい清潔な明るい色のスーツ姿で、第一印象ではおよそ気位が高いようには見えない。オレはサディスティックなイメージを持っていたのだが、どのクラスにも一人はいそうな真面目で融通の利かないコという感じだった。

 お互いが近すぎるので、あまり顔をじろじろ見るのもどうかと思い、なるべくカエデの方を向いていたのだが、ノムラサンの視線は痛いほど刺さってきた。

「ウマがノムラサンのことを気位の高い美人だといってましたけど、ちょっと印象がちがいますね」

 オレのことを興味津々で見ていたノムラサンは、驚いたように返した。

「気位なんか高くないですよ。裾裳クン、どうしたんですか?」

「ボクもよくはわからないんですけど、三年の春休みころから急に引きこもりになったみたいです」

「ひきこもり? いまさらですか?」

 だれがきいても、そう思う。いくらトリプル不幸に見舞われたとしても、どうやったら引きこもりなんかになれるのか、と。

「まあ、そもそもメンタルが弱かったんだと思うんですけど」

「アタシの印象だと、そんなデリケートには見えなかったんですけど… 」

 ノムラサンがそういうと、カエデも「もっともだ」といわんばかりに頷くのだ。

「三年になるまえの春休みに中学のクラス会があったんでしょ?」

「ああ、なんかありましたね。忘れてたけど。あれ三年のときだったんだ」

「そこでウマに、なにかいわれたんじゃないですか?」

「アタシが?」とノムラサンは自分を指さして首を傾げた。

「いやあ、憶えてないです。なにかいったかしら、アタシ」

 するとカエデが割り込んできた。

「秋野クンはオンマサンが引きこもりになった原因が〝ノラチャン〟にあるとでもいいたいの?」

「ノ(・)ラ(・)チ(・)ャ(・)ン(・)?」

 オレが眉間にシワを寄せてカエデを睨むとノムラサンは破顔した。

「アタシのことです」と、また自分を指さす。

「アタシ、ノムラミネコっていうんです。中学のころから名まえのマ行を省いて〝ノラネコ〟ってアダ名で、裾裳クンからもそう呼ばれてました」

「ノラネコでノラチャン? なるほどね」

 いわれてみれば大きく鋭そうなまなざしはネコみたいだ。しかし、今日会ったばかりのオレが「チャン」づけで呼ぶのには抵抗がある。

「いや、ノムラサンのせいだなんてことをいうつもりは一ミリもないんだけど、仲間うちではそのクラス会でおなじ大学にいる女のコにフラれたみたいだときいたんでね」

「フラれた? アタシ、裾裳クンからなにもいわれてませんよ!」

 ノ(・)ラ(・)サ(・)ン(・)は急に言葉が強くなった。

「じゃあ、なんであんなこといったのかなあ」

 オレはカエデの顔を見て首を傾げた。

「オンマサンはノラチャンのこと、好きだったんじゃないの?」

 今度はノラサンの顔を見る。

「裾裳クンが? え~~~っ!」

 彼女の反応の仕方は、まったく予期せぬことをいわれたとしか見えなかった。

「大学で会っても素知らぬ顔で通り過ぎるんですよ。だからアタシのこと、キライなんだって思ったほどなんです」

 なるほど。シャイなのはエルザだけかと思っていたが、ウマも好きなひとのまえに出るとそうなるのか、と思った。アイツは、ノラサンからいつも無視されているようなことをいっていたが、実は照れくさいから自分が無視していたのだ。それどころか、彼女から声をかけてくれないから、無視されていると思い込んでいたのかもしれない。

「気位が高いのは、いったいどっちなのやら」

「じゃあ、ノラチャンはそのクラス会でオンマサンと喋ってないの?」

 カエデが疑問をぶつけると、ノラサンは意外なこたえを返した。

「アタシ、たぶん参加してないと思うの。たいてい誘いの連絡はもらうんだけど、いつも忘れるのよ」

「ええっ?」

 カエデもオレも彼女を凝視するしかなかった。

「いつもってことは一回や二回じゃないってこと?」

 ノラサンは、おかしそうに俯いた。

「そういうのに興味が無いってわけじゃないんだけど、けっこう大雑把な性格してるの。キミは身体の真ん中にデッカイ穴が空いてるねっていわれたことがあるくらい」

 それをきいてオレたちは大笑いになった。

「裾裳クンから何回か連絡もらったことがあって、そのたびにいくから大丈夫ってこたえた憶えがあるのよ」

「にも拘らず、いかなかった?」

「いった憶えがないから、たぶん… 」

 オレとカエデは顔を見合わせた。カエデなどは呆れたようにいうのだ。

「アナタ、それでよく教員になろうと思ったわね」

「だって教員の試験のことで頭がいっぱいだったんだもん」

 ノラサンは恥ずかしそうに下を向いた。

 どうやら、この問題は一筋縄では括れそうもないことがわかった。ふたりがかりでこの天然女教師を詰めるわけにもいかないので、オレは上面だけでも庇ってやろうと思った。

「しょうがないよな。将来が決まるかどうかの瀬戸際なんだから」

 ところがノラサンは、こんなオレの擁護発言に思いもよらぬ反応を示した。

「秋野サン、やさしい」

 そして、オレを潤んだようなまなざしで見つめてくる。

「えっ… 」

 一瞬、焦ってしまって、どう反応しようか戸惑っていると、すかさずカエデがまたよけいなことを返した。

「ノラチャン、このひとはいつも心にもないこというんだから気をつけたほうがいいよ」

「オマエは、いったいだれの味方なんだ!」

「アタシは常に正義の味方」

 だいたい、ノラサンのせいではないといい始めたのはカエデではないのか。にも拘らず彼女の天然ボケを責めてみたり、そうかと思えばオレの悪口をいったり。

「もういい。原因はノラサンではないことがわかったから、次の懸念材料に移ろう」

「ノ(・)ラ(・)サ(・)ン(・)?」

 オレがそう呼んだことで、今度は女性軍ふたりが大笑いになった。

「秋野サン、アタシ〝ノラサン〟ですか?」と、ノラサンは三たび自分を指す。

「『弟はつらいよ』じゃないんだから」とカエデまでも。

 たしかにオレはあの映画をあまり観たことがないから、特別に意識もしなかったが〝ノラサン〟といえば国民的な三枚目アイドルではないか。しかも見た目はこっちの〝ノラサン〟とは似ても似つかないフーテン風情だ。

「いや、これは失礼。そういうつもりはなかったんだけど、初対面でいきなり〝ノラチャン〟はどうかと思って、ついそう呼んでしまった」

 すると彼女は笑いながら「べつにそれでいいです。なんだったら〝ノラ〟と呼び捨てにしてくれてもいいですよ」という。

 その返しにオレは感銘を受けた。なんて心の広いコなのだ、と。だれだ、気位の高い冷血感だなどといったのは。オレはその一言に、いっぺんで彼女が気に入った。

 だが場を引き戻したのは、空気が読めないカエデだった。


つづく


毎週金曜日23時に更新します。

*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。

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