第六章 九月はだれにもわからない ⑤
第六章④
試験最終日、ポテチらしき人物を見かける。バイクの二人乗りでタンデムはアヤに見える。直後、学食でカエデたちと会うが、その話のなかで、どうやらポテチとアヤがつき合っているらしいときく――
その夜、心配してか、ウマとエルザがやってきた。そのころには、もうオレはいつものように振舞えていた。
「どうしたんだよ? ポテチのこと?」
ウマたちは、まさかオレがアヤのことで気を落としているとは思ってないようだった。オレは、この際だからなにもかも喋ってやろうと思っていた。
「ポテチの軽薄さには、さすがのオレも庇ってやれなくなった」
「庇うって―― ポテチになにかあったのか?」
「アイツはオレに大学を辞めるといっていたんだ」
「エ? だって試験にきてたじゃん」
「なあ」とウマはエルザを見る。エルザも、それに応えるように頷いた。
「だから、おかしいなと思ったんだよ。大学辞めるヤツが試験を受ける必要があるか?」
「前期は受講してるわけだし、英語の補修だって受けてたんだろ?」
「いや、あのころはまだ辞めなければいけないことなんて無かったんだ」
「どういうこと? お父さんか、お母さんでも亡くなったとか?」
「そうじゃないんだけど。えー、どこから話せばいいかな… 」
オレはなるべく理解しやすいように説明するために、事情を整理していた。
「最初から話せよ、最初から」とウマは鼻息荒くいう。
「アイツは、もともとウチのちかくに住んでいたってことは知ってるよな?」
「いまでもじゃないか」とウマはいう。
こいつらがどこまで知っているのかわからなかったから、しかたなしに全部話すことにした。
「いま住んでいるところは、アイツのもともとの実家で、家族は愛知県に引っ越してるんだよ。大学が終わるまでポテチのために引き払ってないんだ。でも、ことあるごとに家族のもとに帰っているだろ?」
ウマもエルザも、うんうんと頷いてきいている。
「アイツのことだ、むこうでもモテまくって、つき合っている女のコもいたらしい。そのカノジョが妊娠していることがわかって、急遽、結婚することになったときいたんだ」
「だれに?」
「本人に、だよ」
「エエ?」
ウマもエルザも口をあんぐりあけて、驚き呆れ果てるといった反応を示した。
「子どもが生まれるから大学を辞めるって」
「だって、試験受けにきてたじゃないか。それ、いつの話だよ?」
「夏休みにカエデたちと西伊豆にいっただろ? あのときさ」
ふたりはしばらく思いをめぐらすように天井を見たりしていたが、やがてウマがきいてきた。
「そういう秘密を抱えながら、ナカサンとイチャイチャしてたっていうのか?」
「いや、オレはアイツがそういう事情を悟らせまいとして、わざとなるがままにしていたと思っていたんだ」
「子どもが生まれるっていうときに? あれはどう見ても肉体関係にまで発展する勢いだったぞ、なあ」とウマはエルザに同意を求めた。
「オレたちと途中で別れただろ? あのあとはモーテルにちがいないって、カエデちゃんなんかと話してたんだ、なあ」またエルザを見るウマ。
「オマエだって、そう思っただろ?」とオレにまで同意を求めようとするので、「オレは事情を知っていたので、そうは思わなかった」と返した。
「なんでオマエにだけ、そんなことを打ちあけたんだよ?」
「そんなこと、オレが知るか」
オレにだけ打ちあけた理由をポテチはいっていたが、信用できなくなったいまは、そんなことをいえば「オマエはどこまで人がいいんだ」といわれかねなかった。事実、オレ自身も、そう思っているのだ。
「大学が始まれば、今度はアヤちゃんか… 」
ウマのその言葉はオレの心を痛く傷つけた。
だいたいポテチとアヤがつき合い始めるきっかけは、おそらくポテチがオレとアヤをくっつけようとしたことからだろう。あのとき、オレがポテチの姿などでダイブしていなければと、何度悔やんでも悔やみきれなかった。
「それでオレたちのまえに姿を現さなくなったんだな」
ウマがしかつめらしく腕組みをして見せると、エルザは首を傾げた。
「それと関係があるのか?」
「そりゃ、そうだろうよ。オレたちと仲のいいカエデちゃんたちに合わせる顔がなかろう? 身重の婚約者がいながら、西伊豆ではさんざんナカサンとベタベタしておいて、大学に戻ればさっそくアヤちゃんに乗り換えだ」
オレはちょっと心配になった。アヤがカラ研の連中に村八分みたいにされているのではないかと勘ぐったのだ。
「でも、ふたりの世界に入っちゃえば、そんなこと関係ないだろう?」
エルザは、いずれにしろ他人事だという立場らしい。
オレは彼を見ているうちに、なんだかエルザに感情移入してみようという気になった。エルザのようにムダなエネルギーを使わないというポリシーを持てば、なにごとも許せると思えてきた。
「クッソォ、なんて羨ましいヤツなんだ」というウマの横顔を冷静に観察していると、だんだん滑稽に見えてくる。たぶん、数分まえのオレもこんな顔をしていたにちがいないのだ。女房じゃないのだから、ヤキモチを妬くなんてみっともないではないか。
ただ、どうしても理解しがたいことが残っていた。
――実家で待っているというポテチの婚約者はどうしたのか? 生まれてくるといっていた子どもはどうなるのか? もうひとつ、アヤはポテチの事情を知っていてつき合っているのか?
いや、よけいなことだ。オレが気にかけることじゃない。そう割切ることで、自分の気分がずいぶんと楽になる。アヤのことも最初から無かったことにすればいいのだ。
帰るときまでウマは愚痴をこぼしていた。楽しい夏休みになったと思っていたときのことが、はるか昔のようだった。
「カエデたちの耳には入れるなよ」
「そんなことしたら、だれかが大事故に巻き込まれる」
ウマが「それはオマエだ」といわんばかりの目配せをする。だから箝口令を敷いたのだ。
こうしてオレたちは、またポテチが現れるまえに戻っていった。
春休みになって、まるでなにごとも無かったかのように日々は過ぎていった。オレは、あいも変わらずバイトに精を出していたし、家に帰ればウマやエルザが暇つぶしに遊びにきた。ただ、ポテチだけがオレたちのまえに姿を現さなくなっただけだ。
三年生になったキャンパスでも、あれ以来会うことは皆無だった。オレはホントに辞めたのではないかと思えていた。
ポテチがいなくなったことで、カエデたちカラ研の連中とも疎遠になった。そもそも専攻がちがうのだから、おなじキャンパス内にいたとしても、まず顔を合わすことなどない。連絡をとろうと思えば、いくらでもとれるのだが、用もないのに連絡するのはおかしいし、オレはちょっとカエデが苦手だった。
彼女たちもまた、唯一の接点だった学食にすら、まるでオレたちを避けるかのように姿を見せなかった。
やはりポテチの人を惹きつける能力はすごい。もし、まだアイツがいればいまだに、やれカラオケ大会だ、みんなでどこかに遊びにいこう、などと楽しい企画を立てていたにちがいないのだ。彼一人が消えたことで、あっという間にオレたちのキャンパスライフは無味乾燥のものとなった。
アルバイトの休みの日のこと。
オレは家にいても退屈なので、久しぶりに大学にいってみた。去年の学年末試験の結果が個別にチャットで送られてきて、こんなものまともに見たことがなかったのだが、オレの成績は意外によかった。これもウマたちのお蔭だと思えた。そうでなければ、真剣に勉強などする気も起きなかったはずだ。アイツらに教えてやろうと思い立った。アイツらの結果も知りたかったし。
二コマ目の講義は必修なのだが、知った顔はいなかった。面白くないうえに出欠もとらないので出ないヤツが多いのだろう。ウマもエルザもいなかった。こんなことなら、ふたりにあらかじめオレが大学にいくことを伝えておくべきだった。
昼休みになったが、午後から卒論のためのゼミがある。三年生になると、オレたちの専攻はゼミに属さなければならないのだ。そして就職活動も始めなければならない。オレはそもそも就職するつもりがまるでなく、伝手のあるバイトの延長を個人事業としてやっていくつもりだったからノホホンとしていた。
だがゼミには属さないわけにはいかないので、適当に人気のなさそうなところに所属したが、あいかわらずバイト優先だった。ウマやエルザは人気のあるゼミに希望を出したようで、彼らとは別になってしまった。
ゼミはウマたちとは別だったので、帰ろうと思っていた。だが、せっかく出てきたのだ、払っている授業料のモトを少しでもとっておこうと思って出席することにした。帰り際にウマたちと会えるかもしれないし。
たまにキャンパスにきても手持無沙汰の孤独を強いられるだけで、帰りは午後五時ころになってしまった。こんな時間になっても、まだだいぶ明るかった。最寄りの私鉄駅に向かって近道の住宅街のなかを歩いていたときだ。
試験のデキを自慢しようと思っていても、だれにも会わなければ意味がない。ムダな休みになったと独りとぼとぼと歩いていたら、脇をバイクが通り過ぎていった。
うしろからなんの気なしに見送っていただけだから、はっきりしたことはわからないが、あのタンクの色はポテチのバイクではないのかと気づいた。
ゼミの終わり時間も一緒だし、黒いヘルメットもポテチのものと似ていた。なによりタンデムシートに座って腰に腕を回しているのは、あれはアヤではないのか?
オレは呆然と立ち尽くした。バイクは気づいていないかのように、すこし先の角を右折して消えた。ウマたちが見たものを含めれば、これで三度目だ。もう、まちがいない。
なんてことだろうか。いくらオレがエルザのように無関心を装おうとしても、まるで嫌がらせのように目のまえに現れる見たくもないシーンは、オレの心を即効性の毒のように侵食していった。揺るぎのない事実として認識せざるをえないのだが、やはりアヤはポテチのものになってしまったのだと確信した。
それからしばらくした、ある夜のことだった。
その日は妙に暖かかった。もう初夏だ。ウマたちがくるような気がして、ずっとサッシを開けて外を見ていた。アイツらとは三年になってから、まだ会ってなかったのだ。オレも忙しかったのだが、連絡もなかった。
不意にオレのモバイルが鳴り出した。そら、きた、と思ったが、画面を見ると相手はカエデだった。
「しばらくだったな。元気かよ?」
《病気だったら電話なんてしないわよ》
いつものカエデみたいだった。ただヘンに神妙な喋り方だった。
《ちょっと、ききたいんだけどさあ…》
「なによ?」
《ポテチクンは?》
「ポテチ?」
忘れていたイヤな名前を久しぶりにきいた。
「ここにはいないよ。ポテチになんか用なの?」
《ポテチクンに、ききたかったんだけど繋がらないから》
それでオレにかけてきたのか。まだ以前のようにツルんでいると思っているのだ。
「ポテチには去年の夏休み以来会ってない」
《そうなんだ… 》
沈黙―― でもカエデは切ろうとしなかった。
「ポテチがどうかしたの?」
《アヤがさあ》
これまた懐かしい名まえが出てきた。こっちは胸が痛む名まえだ。
《アヤがポテチクンに連絡が取れないんだけど、きいてくれないかっていうのよ》
「アヤちゃんとポテチは、どういうことになってるんだよ?」
《そんなこと秋野クンに関係ないでしょ》
「関係はないけど―― オレはアヤちゃんのことを心配してるんだぜ」
《心配? なにを心配するの? アヤがポテチクンとつき合っていること?》
「やっぱり、つき合ってるのか」
《秋野クンは海にいったときにポテチクンとナカサンが仲良くしていたことをアヤが知らないとでも思ってるの? ナカサンとポテチクンの間にはなにもないのよ》
「オレもそれを信じたいけど、なにもないっていう根拠があるのか?」
《じゃあ、きくけど、なにかある根拠でもあるの?》
今日のカエデは、いつかとちがって妙にポテチの肩を持つように思えた。たぶん、ポテチの肩を持っているのではなくて、アヤの肩を持っているのだろう。つまり、アヤからポテチはそんな人じゃない、くらいのことをいいくるめられたのにちがいない。
「オレもウマも、もう事情を知っているんだけど、キミたちには内緒にしていたんだ。よけいなお世話だと思ったからね」
《えっ… 事情って、なによ?》
「アヤちゃんにはショックかもしれないから、絶対いわないでほしいんだ」
《ええっ! ポテチクンはナカサンともつき合ってるの?》
「だれが、そんなことをいった。オレはナカサンのことなんかいってないぞ」
《なら、事情って?》
「それは… 」
オレはこの期におよんでも躊躇いがあった。やはり、いうべきではないのではないか、と思ったのだ。だがカエデの言い草だと、どうやら完全にふたりはつき合っているようではないか。そう思うと、アヤをポテチの毒牙の犠牲にしたくはないという意思が働いた。おまけにカエデは、オレをウマ程度の短絡的なヤツだと勘ちがいしているようなのだ。
《秋野クン、ポテチクンがモテすぎるのを妬いてるんでしょ? いいじゃない、アヤとポテチクンがうまくいっているんなら》
ついに我慢の限界を超えた。オレは思わずいってしまった。
「いいか、よくきけよ。ポテチにはな、実家に婚約者がいて、今年には子どもが生まれることになってるんだよ」
《エエーーーッ!》
オレは耳の穴が右と左で貫通したかと思った。それほどカエデにとっては驚愕のことだったのだろう。
《じゃあ、なんでアヤとつき合ったりしてるのよ、おかしいじゃない!》
「だから、オレがさっきからいってるだろ? 心配してるって」
《それをアヤにいってよ!》
「バカいえ、それこそオレが妬んでるみたいじゃないか」
だいたい、なんでカエデがそんなことをきいてくるのか、という話だ。アヤがオレに直接連絡してくれれば、カエデみたいなジャジャ馬娘を通さなくて済むことなのに。
まあ、アヤのことだから知らない人とは喋りたくないくらいの理由なのだろう。どうせオレは知らない人ですよ。そのへんをカエデは理解しているのだ。オマエはアヤの使い走りか、といってやりたかった。
《そうねえ、アヤはもうポテチクン以外、見えてないみたいだからなあ… 》
「そんなにゾッコンなの、アヤちゃん?」
《もう、サークルにも出てこないんだから。アタシ、なんていえばいいのよ》
「いいよ、オレにきいても連絡先はわからなかったっていっとけよ。オレたちも連絡が取れないって」
《…わかった》
「おい、くれぐれもホントの事情は話すなよ。アヤちゃんのことだから、なにするかわからん」
《そうね。できればアタシにも話してほしくなかったわ》
「オマエがききたがったんだろ。新しい犠牲者が出ないようにする警告だ。それと、アヤちゃんを村八分にするなよ」
《いつの時代の話をしてるのよ》
カエデとは、そこで切った。
オレはポテチと話す理由が見つかったので、さっそく連絡を入れてみたのだが、長い呼び出し音のあと、繋がらないというメッセージが返ってきただけだった。
舌打ちをして切ったが、なんとなく直感で、もう二度とポテチには連絡がつかないだろうと思った。
ポテチは早々とアヤも捨てていったみたいだった。おそらく、それこそ事情があって実家の方に戻ったのではないかと思えた。
――子どもが生まれたか?
つまり、もうキャンパスでポテチを見かけるヤツはだれもいなくなるのだ。わが校の犠牲者は打ち止めということになる。
もとをただせば、ポテチがオレとアヤを引き合わせようと画策したことが、たぶんきっかけになっている。あのとき、はっきりいってくれればオレはポテチに成りきったりはしなかった。ただ、相手がアヤなだけに彼女のオレへの態度がどうなったかはわからない。あのあと、ふたたびメタフィジカルで会ったとしても、オレの性格的なことも含めて、ポテチみたいなトントン拍子でアヤとつき合うようになるとは、とうてい考えられない。
もし、あのときあの場所にいたのはオレだったといえば、アヤもポテチも裏切ることになっただろう。だからオレ自身があの日のことを全部封じ込めてしまったのだ。オレさえいわなければ、九月にはだれにもわからないだろうと。その反動が、これだ。
その後、カエデたちとも顔を合わすことはもちろん、連絡してくることもなくなった。ポテチの件はそこで落着となったのだが、それだけでは終わらなかった。
オレにとって、べつの大事件が起こりつつあったのだ。
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。




