第七章 禁断のシーズン ①
第六章⑤
ポテチとアヤがつき合っていることを確信したオレは、ウマたちにポテチの秘密をバラした。その後、カエデからポテチと連絡がつかないという電話をもらって、どうやらアヤも捨てて実家へ帰ったのかと思う――
あるとき、数少ない必修の講義のあと、エルザとばったり出会った。
「よお、最近見なかったなあ。たまにはウチに寄れよ」
エルザは相好を崩して手をあげただけだった。
「ツレは?」
「ツレ」とは、いわずもがなのウマのことだ。するとエルザは急に表情を曇らせて「時間ある?」というのだ。
「オレは暇なときにしか大学にこない」
「ちょっと、そのへんでお茶飲もう」
こんなふうに彼が誘うこと自体珍しかった。というより、いまだかつて一度もなかった。だいたい、だれかがいいだして、それについてくるというのが彼の流儀なのだ。
オレたちは最寄りの駅ちかくまで歩いて、そのへんにあるカフェに入った。
「ゼミはどんな具合なの?」
オレは手始めに、どうでもいいことをきいた。
「いやあ、けっこうマジメくさってやるゼミでさあ。毎回レポートを出さなけりゃいけないんで大変なんだよ」
「それはオマエらが選んだんだからしょうがない。オレのところは教授がやる気ないのか、いまのところ卓球しかやってない」
「オマエのところは有名なソフトボールゼミだからな。きいたところでは就職率もあまりよくないんだろ?」
「ソフトボールゼミ」とは、担当の教授がいないのだが休講というわけにもいかず、ソフトボールをやらせてコマを埋めているいい加減なゼミのことだ。
「オレは就職しないから、ちょうどいい。それどころか、ソフトボールやるにも人が足りないくらい少ないんだよ」
「どうするの?」
「卓球か、最悪休講だ」
「暇つぶしゼミだな。暇つぶしにもならない」
ははは…とお互い愛想笑いをするまではよかった。
「ウマもおなじゼミなんだろ?」
「それがさあ…」とエルザは、なんだか歯切れが悪いのだ。
「ウマに会うことある?」と逆にきいてきた。
「いいや。いつが最後だったかも憶えてない」
「アイツ、突然大学にこなくなっちゃったんだよ」
「どういうこと?」
「三年になってから、ずっと出てきてないみたいだ」
ウマに限って、オレみたいにバイトに精を出すなんてことはちょっと考えづらかった。そうだとしても、いまさらバイトだなんて遅すぎやしないか。
エルザは続ける。
「必修科目はもちろん、ゼミにも顔を出さない。一度もだぜ」
「ウマは、そんな大胆なことができるヤツじゃない。ゼミに出ないなんて、絶対おかしいよ。なんかあったんじゃないのか?」
「オレもそう思ってさ、このまえ連絡したんだよ。モバイルに出ないんだ、アイツ」
まるでポテチだ、とオレは思った。
「アイツのところは固定電話があるから、そっちにかけてみたんだよ。そうしたらお母さんが出て、いま具合が悪くて休んでるっていうから、あまりきくのもなにかなと思って、それ以上は追及しなかったんだけど… 」
「身体をこわしてるのか」
「それが、どうもちがうみたいなんだな」
「じゃあ、なんで休んでるの? ゼミに最初から出ないなんてのは、よほどのことだろ」
「ゼミ出ないと卒論も書けないし、卒論を書かなければ卒業できない。就職も難しい」
「そうだろ? そんなわかりきったことを逃げようとするか、アイツが?」
エルザは首を傾げながら、自信なさそうにいった。
「電話の切り際にお母さんがいうんだよ。これからも仲良くしてくださいねって」
「は?」
オレは意味がわからなかった。だが、なにか大学に出てこられなくなった事情があるとしか思えない。
「だれか、事情がわかるヤツいないのかな」
エルザは黙ってしまった。
オレは、その場でウマに連絡してみることにした。しかし、やはりエルザがいうとおり、出る様子はなかった。
エルザとはそこで別れたが、家に帰って、もう一度ウマに連絡してみた。結果はおなじだった。今度はイエデンにかけた。するとお母さんが出た。
「あら、秋野さん。いつもお世話になっております」
オレはウマのお母さんに会ったことがない。ウマの家に遊びにいっても、いつもだれもいないのだ。きけば、ウマのところは両親とも公務員だといっていた。ウマが去年のバイトの件で、オレのことを家族に話しているのだろう。
「いや、こちらこそ。去年の夏休みには散々お世話になりました」
オレはこういうところでは、わりと礼儀正しいのだ。というより、あたり障りなく接しようとする癖がついている。たぶんバイトのせいだろう。
「マモルクン、おいでになりますか?」
「いるんですけど…」とお母さんは困惑したようにいうのだ。
「具合が悪いらしいってきいたんですけど、どうかしたんですか?」
「ここのところ、なんか様子がヘンなんですよ。よくわからないんですけど… 」
お母さんの話し方から、オレもなにか不穏なものが読みとれた。
「ぜんぜん部屋から出てこなくなっちゃって。なにがあったのか知らないけど」
オレも心当たりがないことをいったうえで丁寧にきいてみた。
ウマは三年次が始まる直前、つまり春休みの終わりころから様子がおかしくなったらしいのだ。家族との接触を一切断って、部屋にこもりきりだという。昼間はだれもいないし、食事もいつ摂っているのかわからないから、いつも部屋のまえに置いておくのだそうだ。
絵に描いたような「引きこもり」ではないか。なんで突然そんなことになったのか。これ以上、お母さんの話をきき続けるのは友だちとして辛いこともあって、電話を切ることにした。切り際にはエルザとおなじことをいわれた。
「これからも仲良くしてやってくださいね」
オレは戸惑うしかなかった。
――いったい、ウマになにがあったというのか?
まさかポテチみたいな事情があったとは考えられない。そうなら、引きこもりになどなっている場合ではないだろうからな。
しかし、大学の三年にもなって引きこもるなんてことがあるか?
中学生や高校生ならまだしも、就職の内定まで出ている大学生が突然の引きこもりなんて、きいたことがない。
オレは、またエルザに連絡してみた。
「ウマのお母さんがいうには春休みの終わりころからだっていうんだけど、なにかなかったか?」
《いつも一緒にいるわけじゃないから、わからないけど―― そうそう、中学だかの同窓会があるっていってたよ、たしか。おなじ大学にいる女のコに連絡したらフラれたみたいなことをいってたなあ。でも、いつものことだからって、ヘラヘラ笑ってたぜ。それが原因とは思えないけど… 》
オレはそれをきいて、あることを思い出した。どこできいたのかは忘れたのだが、たしかウマの同級生の女のコが教育学科にいる、といっていたはずだ。ものすごくカワイイうえに、ものすごく気位が高いコだといっていた。
オレはあまり気が乗らなかったけど、カエデにきいてみることにした。おなじ教育学科だから、だれかわかるかもしれない。カエデがそのコを知っていれば、ウマのことがわかるかもしれないと思ったのだ。
ただ、オレはポテチとちがって、女のコにこんな時間にモバイルするということに抵抗があった。突破口をはやく見つけたいという気持ちはあったが、それを上回る探求心まではなかった。時計を見れば、もう十時になるではないか。明日、バイトが終わってからにしようと区切りをつけた。
気乗りはしなかったが、いつまでも先延ばしにしてモヤモヤする気分でいたくなかったから、今夜こそはカエデに連絡してみることにした。仕事中もずっと、今日、真相をたしかめると心に決めていたのだ。
カエデはすぐにモバイルに出た。
《秋野クン、珍しいじゃない。もしかして初めて電話くれたんじゃないの?》
「そうかもしれないな」
カエデにいわれて初めて気づいた。ホントにそうかもしれなかった。いままで女のコに連絡するのはポテチと役割が決まっていたのだ。どうりで、好きでもない女のコのところに連絡するのに過剰な緊張感があったわけだ。
《どうしたの?》
「いや、ちょっとききたいことがあってさ」
《なに?》
オレは、教育学科にウマのウチの近くからきているコがいないか、きいてみた。
《なに、それ? 気になるコでもいるの、秋野クン?》
「そんなノンキなことをいってる場合じゃないんだ。みんな忙しい時期だし、ポテチじゃあるまいし」
《ポテチクン、あれからどうしたの?》
「知らないよ。知るわけないだろ、大学辞めたかもしれないヤツのことなんか」
《そうだよね》
カエデと喋っていると、肝心のことから話題がどんどん遠ざかっていくように思えた。オレは軌道修正して、きき直した。
《オンマサンのウチってどこだっけ?》
「東村大和」
《東村大和? モノレールだよねえ》
ウマはいつもクルマでくるからわからないが、公共の交通機関だとそうかもしれない。
《だれだろう? そのコがどうかしたの?》
「いたとしたら、そのコはたぶんウマの同級生なんだ。ウマのことをきいてほしいんだよ、なにがあったか」
《なにがあったの?》
「だから、それをきいてほしいんだって」
《オンマサン、どうかしたの?》
「オレもよくわからないんだけど、ずっと大学にきてないみたいなんだ」
《病気か、なにか? 家の人にきけば?》
「それができればそうしてる。ちょっとデリケートなことらしいんだ」
《デリケート? オンマサンが?》
モバイルの向こうでカエデが笑っている姿が見えた。
「笑いごとじゃないんだぞ!」
《ゴメン、ゴメン。それをそのコが知ってるの?》
「わからん。だから、わかったらきいてみてくれないかって頼んでるんだろ?」
《あら、アタシ頼まれてるんだ?》
「お願いしますよ。そのコを探して、きいてみてくださいよ」
オレは一応お願いしている体になった。なんてヤな女なのか。
《探してまできくの?》
「キミだって知らない仲じゃないだろ、心配にならないか? 他人はそろそろ就活を始めてるってときに」
《そういえば、アタシ来年、中学校に教育実習にいくの。母校なのよ》
《母校》というのは、オレとカエデが卒業した学校ということだ。そうか、カエデはやはり教師になる道を選んだのか。
「懐かしいな。母校に錦を飾るわけだ。カッコいいじゃないか」
《教師になれたらね》
「世話になった先生たちも鼻が高いだろ」と、いつの間にか脱線している。
「いや、それはともかく、ウマのことも頼むよ」
カエデはなんとか了解してくれたのだが、気の散った女だ、どこまで本気かわからない。なにしろ、手掛かりはウマの住所しかないのだ。オレはアテにしないで、やっぱり自分で情報を収集するしかないかもと覚悟はしていた。
それから、また数日が過ぎた。
オレはいままでよりも大学にいくようになった。いくらやる気がないとはいえ、ウマのことが気にかかるし、ゼミには出ないとならなかった。就活はしないにしても、学校だけは卒業しないといけない。
退屈なゼミが終わり校門に向かって歩いていると、こちらに向かってくる学生の姿が目に入った。汗をびっしょりかいた色黒の顔をあげたところで、それがエルザとわかった。
「これから?」
彼は無言で手を挙げた。
「ウマのことなんだけどさあ…」とオレがいいかけると、エルザが先に喋り出した。
「どうやら就職のことらしいよ」
「就職?」
「ウマの中学の同級生の話をしただろ?」
「ああ、気高い美人の同級生だろ?」
「あれとは別に、ゼミにもウマの同級生だったってヤツがいたんだよ。そいつの勧めで、いまのゼミを選んだくらいなんだ」
「なんだ、一番人気だったからじゃないのかよ?」
「それは、そいつがそういったからなんだけどね」
「なんだよ、それ」
「ウマの同級生ってのは、ウチのゼミに二人もいてさ。オレも知らなかったんだけど」
エルザの話によれば先日のゼミで、そいつらがウマの噂をしていたらしい。その一人に、いつもツルんでいたエルザが「ウマのこと、きいた?」といわれた。
きけば、そいつらがウマの中学時代の同級生だということがわかったのだ。ウマは中学の同級生より、高校時代の同級生だったオレたちと親しくしていたようなのだ。ただ、履修や試験のことなどは、そいつらから情報を得て、オレたちと共有していたらしい。
「ウマは、オヤジのコネで銀行のクチが決まってるみたいなこといってたじゃないか。実は就職先が決まらなければ世話してやってもいいぞ、くらいの程度だったらしいんだ。しかも、銀行とは似ても似つかない近所のスーパーだったみたいだ」
考えてみれば当りまえのことだ。いくらオヤジの教え子だからって、そう簡単に頼めるものじゃないはずだ。だが、たとえスーパーの従業員だろうと、就職が決まればいいではないか。進路が決まっていなければ、立派な内定だ。
「スーパーじゃダメなのかよ?」
「銀行員になれると信じて疑っていなかったんだろうな。アイツらしい早とちりだ」
「それでショックを受けたというのか?」
「アイツはアイツなりにプライドがあるんだろ」
「なら実力で金融機関を受ければいいだけの話だ」
「プライドはあっても、銀行員になれるだけの実力がないこともわかっていた」
つまり、ウマにとっては思いもよらないステータスを手に入れられると思い込んで、オレたちに自慢していたということなのか。
「試験のときにオレを頼りにしているようじゃあな」
オレがそういうと、エルザは敏感に反応した。
「しかもアイツ、例の《累進課税説》が《E》だったんだよ!」
「るいしんかぜいせつ?」
それはなんのことだっけ?と思った。
「ほら、オマエがまとめてくれたヤツ。アイツが《ピグー》と《ピグミー族》をまちがえた――」
「ああ…」とオレは思わず手を叩いた。
「本人にきいたの?」
「その同級生からきいたんだ」
「オレが思うに」とエルザはもっともらしい顔をする。
「《ピグー》を《ピグミー族》とまちがえたとしても《E》にはならなかったと思うんだ」
「だって自分で気づいたんだろ? だいたい、そんなまちがいをすること自体論外だ」
「問題はそのあとが続かなくなって、就職が内定してるから単位をくれれば毎年のツケトドケを欠かさないとか書いたことが原因じゃないかと思うんだよ」
「それだ、まちがいない」
オレはさらに付け足した。
「《累進課税説》で留年が決まったせいで望んでもいないスーパーの就職すらフイになったうえに、中学校の同窓会でおなじキャンパスのコにフラれた」
エルザは腕を組んで下を向いたまま頷いた。
「トリプル大事故だな」
「自業自得ってやつだよ」
それ以上、ウマのことでエルザを引き留めるわけにもいかないので、そこで別れた。
オレは駅への道をたどりながらウマのことを考えた。こんな災難に遭遇したら、ウマみたいな半ば能天気なヤツでもメンタルをやられるのか、と。今度、アイツに会ったときにはなんとか励ましてやらなければいけない。
そうだ。たとえ留年したって、おなじ《累進課税説》が試験に出るかもしれないのであれば、今度こそ《A》をとれるじゃないか。やることはわかっているわけだから。
一年余裕があれば、じっくり進路を考えることもできる。そこから銀行員を目指すことだって、いくらでもできる。
同級生のコだけが女じゃないだろ。男女機会均等なのだから、世の半数は女だ。一度や二度フラれたからって、それがなんだというのだ。人生は長いのだ。ウマに似合いのコが、どこかできっと現れる。それはいまじゃないよ、と神様がいっているのだ。
オレは頭のなかで、そんなことをウマに助言してやろうと意気込んだ。ウマをポジティブに転換させてやろうと帰りの電車のなかでチャットしてやった。これでアイツを奮い立たせることができると思っていた。
すぐには返信も既読もつかなかったが、そのうちなんらかの反応があると信じていた。だが現実はシビアだと思い知らされたのはオレの方だった。オレは、この時点でまだウマに会える機会があると思っていたのだ。
翌日になってもチャットの返事はなく、既読もついていなかった。その日、バイトが終わって、もう一度ウマのイエデンにかけてみた。
今夜もお母さんが出た。でも、今夜はお母さんもヘンだった。「秋野です」というと、しばらく反応がなく、そしてこういうのだ。
《秋野さん、心配してくれてありがとうございます。でも、もう連絡しないでください》
「・・・・・・・・・ 」
オレは逆に反応のしようがなくなった。だが心のなかで、はっきりとわかったことがあった。もう、ウマにも会うことはないのだ、と。
ウマとは、それきり会っていない。一度だけ仕事の途中でウマのウチの近くまでいったので、まえを通ってみたことがあった。家のまえの通りからウマの部屋を見上げたのだが、カーテンが閉まっていた。家の窓という窓から明るさが消えていて、人が住んでいる気配もなかった。こんなふうに見える家はほかにいくらでもあるのに、特別に衝撃的だった印象がある。
カエデたちとも、それからしばらくは会うことはなかった。
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。




