第五章 夏草のいざない ④
第五章③
アヤとオレは映画『夏草のいざない』の世界にダイブした――
「逃げましょう!」
とっさにアヤはオレの手を引っぱって駆けだした。オレもわけがわからなかったが、一目散についていった。
繁みをかき分け、「自由人居住区」を駆けぬけ、緑地公園と遊歩道の分岐あたりまで出てきたところで彼女はやっと足を止めた。もう薄暗くなっていた。
「ここまでくれば大丈夫」
アヤは両ひざに手をかけて肩で息をしていた。オレも少し呼吸が整うとアヤにきいた。
「襲われるって、どういうことなの?」
「映画のストーリーどおりになるってことです。実際、襲われたらどういうことになるかわかりませんけど、食べられることはないでしょうね。そこでタイムアウトになるかもしれません」
「なるほど。そこで終わりってことになるのか」
「ポテチクンが、もし〝シンクロモード〟でダイブしていたら、ですよ」
オレは肩をすぼめて腕をあげた。
「わからない。そんなモードを選ばなけりゃいけないなんてこと知らないから」
「〝シンクロモード〟だったかもしれないですね。でも面白かったわ」
「そりゃ、よかった。でも、もう追いかけてこないの?」
「ここまではね。映画でもそうだったでしょ?」
なるほど。映画以上のことは起きないわけか。こっちはなにがなんだかわからず、ひたすら焦っただけだった。まあ、喰われてもタイムアウトになるだけなら、と安堵しているうちに思い出した。
「タイムアウトで思い出したんだけど、オレ、わけがあって街のスポットからダイブしてるんだよ。いい忘れてた」
アヤはモバイルを見て「もう三十分切ってますよ」といった。街のスポットを利用した場合は三時間単位なのだ。
「用件ってなんですか?」
オレは慌てた。普通なら会って、いちばん最初にきくことではないか。いまさら、そんなことをきかれるとは思いもよらなかった。
オレたちを呼び出したのはポテチなのだ。実はオレはポテチではなくて、ポテチがキミとオレを会わせようと画策したんだ、なんてことも時間が無さ過ぎて説明できない。
ダイレクトに「オレはポテチではなくて秋野だ」といえないことはないのだが、なら、なんでいまの今までポテチの姿なのかを説明しなければならない。単純に自分がポテチの姿をしていることを忘れていただけなのだが、かえって不審感を招きそうだった。
おまけに焦っていたせいで、思いもよらないことを口走ってしまった。
「次にしよう。また誘ってくれよ。今度はフィジカルでシナちゃんと会いたいなあ」
アヤは当然のように怪訝な顔でいうのだ。
「どういうことですか? ホンモノのシナちゃんに会いたいの?」
オレは混乱して思わずアヤのことを「シナちゃん」と呼んでしまったのだ!
「シナちゃんじゃない、アヤちゃんだ」
「ダメッ! だいたいアタシはシナちゃんみたいなオトコ好きじゃないです!」
いままで楽しそうにしていたのに、オレのいいまちがいが影響したのか、急に顔をそむけるのだ。
――そんなに怒らなくたっていいだろう?
「なんで… ああ、わかった、わかりましたよ」
そうだ、いまのオレはポテチだった。アヤが、ポテチとナカサンが仲良くしていたことを知らないはずはないし、実生活においてもヤツには奥さんがいるのだ。いくらルックスがいいとしても、そのぶん信用できないと思われてしかたがない。おまけにアヤは中学生なみのウブときている。オレをナンパと思って警戒しても無理はない。
「じゃあ、またシンクロしようよ。まだ、この先があるんだろ? そのときに肝心のことを話すよ」
「それなら、いいですよ。いつでも誘ってください」
急にゴキゲンになった。
――なんだ、この切り替えの極端さは?
しかし、これでやっとアヤと距離が縮められそうだった。だが、オレにはバイトがある。おいそれとアヤと遊んでいるわけにはいかないのだ。それに最大の問題は、どのタイミングで「実はオレはポテチじゃない」とカミングアウトするかだ。
「誘いたいのはヤマヤマなんだけど、夏休み中はもう無理かもしれないな」
「いいですよ。九月過ぎてからでも、前期の試験が終わってからでもチャットして」
そういって両手を伸ばして、オレの手をギュッと握ってくれた。オレは思いもよらないアヤの反応に驚いた。不審な女たらしに対してこんなことをするだろうかと思ったのだ。
「ほら、見て。あそこ」と彼女は、いまオレたちが逃げてきた緑地公園の方を指さした。
あいかわらず心細げな街路灯の白っぽい光に照らされて、暗い緑の繁みに似つかわしくない色のものが点々と見える。
「あれは、まさか―― ハイビスカスじゃないよな?」
「野生のハイビスカスが、こんなところに咲くわけないでしょ?〝フィオレ〟ですよ、〝フィオレ〟が咲き始めたんです」
映画のなかでも、こんなシーンがあった。やがて緑地公園は、この花に覆われるようになるのだ。
「名まえをまちがえられたついでにポテチクンには教えておこうかな」
アヤはその幻想的な光景から目を離さずにいう。
「?」
「実はアタシ、アヤでもないんです」
――でたっ! やっぱり成りすましか!
しかし、カエデとは思えなかった。だれなのだ、いったい?
「みんな、アタシのことをアヤっていうんですけど、ホントの名まえは〝彩〟って書いてイロドリって読ませるんですよ」
「松尾アヤじゃなくて、松尾イロドリなの?」
アヤはコックリと頷いた。
「学校の先生もみんな、そう呼ぶから面倒くさくてアヤで通してるの」
「なるほど。いちいちイロドリですって訂正するのは面倒だもんな」
びっくりした。アヤはアヤにちがいなかったのだ。『SC』を初体験して、唯一の収穫だったかもしれない。
「カラ研の連中も知らないの?」
「だれにもいってません」
「そんなこと、オレみたいなインフルエンサーにいっていいのかよ?」
オレはそんなに「インフルエンサー」ではない。だが、いまオレはポテチなのだ。ポテチの「インフルエンサー」ぶりは、オレがいちばんよく知っている。ますます「オレはポテチではない」とカミングアウトしづらくなってしまった。
「べつに無理に隠すほどのことじゃないですから。でも、みんなアタシの呼び方は変わらないでしょうね」
「まあ、そうだろうな。でもイロドリって名まえは古風な感じがするけど、ステキじゃないか」
アヤは恥ずかしそうに腰に伸ばした両手を握ってモジモジするのだ。その姿が今日いちばんカワイイと思えた。オレが理解できそうにない趣向性さえなければ、全部をカミングアウトしたかもしれない。
そんな彼女の背後に咲く奇妙な色の花をオレはぼんやりと見ていた。
「夜に咲く花か… 」
今日のことはだれにもいうまい。アヤがイロドリだったことを含めて、知っているのはオレたち二人だけなのだ。しかも、その一人のオレがポテチでないことを知っているのはオレだけなのだ。夏休みが終われば、だれにもわからない出来事だった。
その翌日、家に戻って配信サービスのサブスクリプションを検索してみた。『夏草のいざない』がないか探したのだ。次にアヤとダイブするときまでにストーリーを憶えておかないとならない。
『夏草のいざない』は意外と簡単に見つかった。ストーリーは、ざっとこうだ。
最初に、近年まれに見る大型の台風五十一号が東京を襲うシーンから始まる。T川の源流にあった〝ジェネシスサイズ〟という閉鎖環境実験施設が大規模な地滑りで破壊されてしまうのだ。そこでは舞台設定の時代に頻発する異常な気候変動に対処するために限定地域をリセットするための〝結界テラフォーミング〟の実験をしていた――
台風一過のある日、石田建時(=ケンジ)という男子高校生が、夏休みの部活の帰りに電車で中学の同級生だった佐賀姿(=シナ)と偶然乗り合わせる。彼女は少しの間に妙に大人びた美人になっている。それをきっかけにふたりは頻繁に会うようになるのだが、落ち合う場所が近くにある川原の緑地公園なのだ。そこにはホームレスの居住区もあって彼らは何度かそこにいくうちに、そのなかの空き家と思われるブルーシート小屋で肉体関係を持つ。
あるとき、いきちがいがあって会えないことがあり、それ以来、ケンジはシナに連絡がつかなくなる。彼はシナへの想いが強くなるが、そのころ彼女は行方不明になっていた。
一方、緑地公園を溜まり場としていたケンジの中学時代の仲間の一人も行方不明になっていた。みんなで公園内を探しているときに奥の取水口から現れた見たことのない巨大生物を目撃して、そこが怪物の餌場になっていることを知る。後日、取水口に続く暗渠から大量の人骨が発見され、そのなかに仲間の遺体もあったのだ。
死んだ仲間の葬儀の夜、ケンジはシナの友だちだという女子から、シナのことをきかれる。彼はそこで初めて、連絡が取れないシナも行方不明になっていることを知る。同級生たちの情報から、シナがケンジと連絡がつかなくなった直後に別の同級生と川べりを歩いているところを目撃されていたが、それ以来消息を絶っていた。当然、家にも帰っていないという。
もしやと思ったケンジは独りで取水口に続く暗渠に足を踏み入れ、そこで泥に埋もれた金属片を拾う。なにかと確認するべくもなく、あたりを捜索していた警察に追い返されてしまった。
後日、管轄の警察署から事情聴取ということで数人の同級生が呼び出された。そこでふたたびシナの友だちに会ったケンジは彼女から、シナは複数のオトコと関係していたらしいときかされる。なかば信じられない彼は、暗渠で拾った金属片がズボンのポケットに入っているのを思い出した。
それがシナのペンダントだとわかったとき、シナも怪物の餌食になったことを憶測して、彼の正気は徐々に失われていく――
物語の最後は電車に乗っているケンジが、いるはずのない幻覚のシナから、この電車が成虫の〝ドラゴノイド〟に襲われるという警告をされるところで終わるのだ。
なんという救いようのない映画なのかと思えた。いままでは、そこまでの感想は持たなかったが、暗く重苦しいだけの「怪獣映画」ではないかと感じた。アヤは、この映画のどこがそんなに気に入ったのだろうかと不可解にさえ思えた。
たしかアヤは原作も読んでいるといっていたはずだ。この映画は、そのいちばん最初のエピソードなのだと。もしかしたら原作は、もっとポップな世界観なのかもしれない。そうでなければ、こんな暗い映画を好きになれるかと思い、読んでみる気になった。
ネットで文庫化されている原作本を購入し、毎晩寝落ちするまで読んだ。アヤがいうように、この『メガネウラスタン・クロニクル』という作品はどのくらいのボリュームなのかわからないほど長いのだが、おそらく大河ドラマということではなく、〝結界テラフォーミング〟されていく地域で起きるエピソードの積み重ねという構成になっているため、同じ設定の世界を舞台とした短編集という読みやすさではあった。
とはいえ、これだけのものを読むとなるとオレにとってライフワークになりそうだったので、とりあえずこの映画の原作が入っている第一巻だけを入手した。
映画になったエピソードは二番目なのだが、最初のエピソードは〝結界テラフォーミング〟を実験するまでの退屈で小難しく、アヤが口にしていた専門用語の羅列に、それだけでよく眠れた。
次の原作エピソードは物語があるし、映画で観ているので読みやすいといえばそうなのだが、映画に勝るとも劣らないダークさだった。ほとんど原作どおりに映画を撮ったように思えた。
三番目のエピソードが、またグロテスクなものだった。タイトルが《ドラゴノイド症候群》なのだが、川辺に〝ドラゴノイド〟を崇拝する人たちがコミューンをつくる発端を描いていて、これも常軌を逸していた。
――ある大学生が同人誌のマーケットで自費出版の『ドラゴノイド症候群』という本を発見する。その内容は前エピソードを時系列に主人公ケンジの目で追った手記なのだ。それは神経科病院に入院しているケンジ自身が書いて自費出版したものだった、という設定なのだが、ここでの主人公〝ヨウヤ〟はこの本に書かれていることが事実なのではないかと川辺に探索にいって、同じような同志(!)たちに巡り合い、見つけた〝ドラゴノイド〟の卵を孵化させるという話だった。この連中が、やがて「怪獣」を崇拝する《独立居住区》をつくることになるのだ。
簡単にいえばそういう話なのだが、この主人公ヨウヤの友だち〝ヒロツグ〟が「肉食怪獣」の卵の話をきいて、妊娠させてしまったカノジョを「怪獣」に始末させようと企む人間ドラマが絡む。うまく孵化寸前の卵がある巣にカノジョを誘い込んだヒロツグは、カノジョを残し逃げてしまう。孵化した幼虫は刷り込み本能でカノジョを親と思い込んだあげく、逆にヒロツグを餌食にする――
というストーリーなのだ。
気持ち悪いことこのうえない、吐き気を催すようなエピソードなのだが、このカノジョが後々〝ドラゴノイド〟を操ることができる唯一の人間ということで、この居住区の女王になる。つまり、《独立居住区》とそこの支配者の成り立ちの物語なのだ。
なんだ、この本は。アヤは、こんなものを面白がって読んでいるのかと思うと、彼女の人間性が疑われるようだった。
たしかに、あまりまわりと打ち解けていないようにも見えるし、彼女自身が持つ世界に浸ってしまっているのかもしれないとも思える。たぶんアヤが本当に好きなのは映画ではなく、この原作の世界なのだろう。
それでもオレは毎日配達のバイトをやり、通常でない仕事のおかげで普段より余裕があるぶん、夜は本を読むという、いままでにない規則的な生活を夏休みの残りに過ごした。しかし、アヤお薦めの小説はトラウマになりそうなので、それ以降はこの本を二度と読む気が起こらなかったし、読まないことでアヤの過激なアンダーグラウンドイメージも少しずつ薄らいでいった。
夏休みも残り一週間ほどとなったある日、オレはもうこの市役所の仕事を返そうと思って、いままでの伝票を持って所長のところにいった。未配達分が二十件弱くらいあったのだが、これ以上待っても連絡があるとは思えなかったし、このままだとせっかくの稼ぎ時をムダに過ごすことになってしまう。
ところが所長はいうのだ。
「返すのはいいんだけど、最後に未配達のウチを一件一件回ってくれないか? ガス代出すからさ」
どうやら所長は、あくまで八月いっぱいオレにこの不気味な仕事をやらせたいらしい。
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。




