第五章 夏草のいざない ③
第五章②
待ち合わせ場所にやってきたのはアヤだった。ポテチに成りきったオレとアヤは『夏草のいざない』の世界に入っていく――
♪明日世界が滅びたとしても 変わらない キミへのリスペクト
もしもこの世にボクとキミだけが 残されて 天地創造
Sentimental おおぞら さびしくて せつなくて
好きな曲がバックに流れているなか、まるで映画にシンクロしたようにオレとアヤがいるなんて夢のようだった。
やがて遊歩道はふた手に分かれる。川沿いの右のみちは緑地公園のようなところに続く自然道、土のみちだ。左は遊歩道が続いていく。その数メートル下には木陰を通してアスファルトの側道が並走している。
アヤは迷いなく右の自然道に進んだ。木が鬱蒼と繁り、日陰になっている。かなり傾いた陽が斜めにさして、光と影のコントラストが極まってきた。夏の陽が眩しすぎるせいか、陰影が濃いのだ。
「フィジカルだったら物騒で女のコ独りじゃ、決して通らないところだな」
「そうですね」
ふり向くアヤは、でも楽しそうなのだ。
「ここは主人公の高校生と謎めいた女のコが初めてデートする場所だよな?」
「そう、そう。デートっていうか、偶然出会うんですけどね」
「そうだっけ?」
アヤは緑地公園からすこし入ったところの、みちの脇にある朽ちかけたベンチのまえで立ち止まった。
「ここが主人公たちが最初に屯していたシーンのベンチです」と指さす。
そうだ、主人公の高校生が夕方散歩に出て、ここで屯していた仲間に偶然会うのだ。
「主人公の高校生はなんていったっけ?」
「名まえですか? 石田クンです。石田建時、〝ケンジ〟って呼ばれてるんですよね」
「そう、そう。建時が〝ケンジ〟って読めるから、そう呼ばれてるんだよな。女のコの方は?」
「シナちゃん。佐賀姿っていうんですよ。冗談みたいでしょ?」
「さがしな、か。あとで行方不明になっちゃうんだもんな。シャレでつけたのかな?」
「さあ」といって微笑した。
「ここで初めて、ふたりは会うんだっけ?」
「ちがいますよ。出会いは、あの電車のなかじゃないですか」
そういって橋の方を指さした。繁みの枝の陰から高架橋が見えた。あそこに私鉄の軌道が通っているのだ。だが、いまのところ一度も見ていない。オレたち以外は死んだように、なにも起こらない世界だ。
アヤは、なおも喋り続けた。
「ふたりは、もともと中学校のクラスメイトだったんですよ。ところがシナちゃんは高校生になって急に大人びたので、石田クンはわからなかったんです。そこがふたりの出会いのシーンじゃないですか」
そうだ、思い出した。「石田クン」はサッカー部の練習帰りで、「シナちゃん」に車中で声をかけられるのだ。
「そこでシナちゃんに、だれかに会うかときかれて、緑地公園にいけば、よく屯している連中がいるとこたえるの。それで、その日の夕方、石田クン自身がいってみたら、案の定仲間がいたってシーンがここなんですよ」
「なるほど、たしかにそうだったな」
「ホントに三回も観たんですか?」
「間をおいて二回くらいだったかもな。いずれにしろキミみたいに、そらでデテールをいえるほど観てるヤツはいないだろ」
アヤは、それについてはとくに反応しなかったが、なにかを探すようにあたりを見回している。なにか、このシーンに出てくるポイントがあるにちがいないと直感した。だが、思い出せないのだ。ここで仲間たちと会って、なにをしたか、どんな話をしたかがわからなかった。
「この時間だとまだ咲いてないですね」
川辺の藪や公園を囲むようにしている繁みの下をのぞいたりしている。「咲いてない」ということは、なにか植物なのだろう。
「なにか花でも咲いてたんだっけ?」
「ポテチクンは映画観てるわりに、なにも憶えてないみたいですね」
そういわれて、あらためて気づくことがあった。映画のことではない。いまオレはポテチだったのだ、ということだ。ポテチらしく振舞わなければいけない。
「ハハハハハ… 」
こういうときは、ポテチだったら笑ってごまかすだろう。
「重要なことですよ。〝フィオレ〟を憶えてませんか?」
アヤは少しの笑みも見せずにいうのだ。
「紅茶だったっけ? お菓子の名まえ?」
「〝フィオレ〟です! 〝夜に咲く花〟といわれて〝ジェネシスサイズ〟から流出した最初の生態系のプラットフォームで、映画のタイトルになった『夏草』のことです」
「そんな専門用語をいわれたって… 」
オレは肩をすくめた。
「〝フィオレ〟は〝ジェネシスサイズ〟に咲いた最初の花なんです。その花が〝メガネウラスタン〟の土壌をつくって、独自の大気を放出してるんです。最初に、この川の流域に〝フィオレ〟の花が咲きだして、その花粉で石田クンの仲間が花粉症になったって話をここでしていたんですよ」
「そうだっけ」
「そうなんです。秋口なんでブタクサじゃないかと思われてたんですけど、調べたら謎の花粉だったんで暫定的に〝フィオレ〟って名付けられたんです。〝フィオレ〟っていうのは花の意味らしいです。未知の花だっていうことで」
「キミはなんでも知ってるんだなあ」
オレが感心していうと、アヤは呆れたような表情をした。
「だから、そんな話を石田クンたちはここでしてたんじゃないですか」
「ああ、そうか。ここのシーンは憶えているけど、話の内容までは忘れてた」
そして、もうひとしきり笑ってごまかした。
「それを探してるの? だって〝夜に咲く花〟なんだろ? まだ日が沈んでないぜ」
見れば、たしかに明るいが、夏の残照という空の色になっていた。システム時間はフィジカルに合わせてあるから、実際それだけの時間が経過しているということになる。早いものだ。
「奥にいってみましょう」
アヤは、もう不気味なほど薄暗くなった緑地公園の小径を進んでいく。奥にいくにつれ、自然道は遊歩道から離れて川べりの方にそれていくのだ。だんだんと繁みが深くなり、まるでそれ自体が生き物のように覆いかぶさってくる。メタフィジカルだとわかってはいても、なんだかジャングルに突入するような雰囲気があって、ちょっと気持ち悪い。
小径がもはやケモノミチみたいな轍状態になったあたりで、自然の植物とは思えない質感と色のものが目につくようになった。ブルーシートでつくったホームレスのテント群が立ち並んでいるのだ。
「自由人居住区だ」
このシーンは憶えている。「自由人居住区」とは、映画の登場人物である高校生たちのつけた呼び名だ。「居住区」といいながら自由人は映画のなかで、ついに一人も出てこなかった。この時点で、すでに全滅していたからだ。
「怪獣に喰われて、だれもいなくなったテントをラヴホテル代わりに使うんだよな」
「そういうところはよく憶えてるんですね」
そりゃ、そうだ。なにしろ「石田クン」と「シナちゃん」が裸で抱き合う、オレにとってはクライマックスの場面だ。しかし残念ながらそれ以降、そんなシーンは無かった。
アヤは大いに呆れたようにこっちを見るので、また笑ってごまかした。
「この一番手前のテントだよ」とオレはブルーシートを捲ってみた。
テントのなかまで、ちゃんとつくってあった。昭和の時代に取り残されたような薄暗い外灯の明かりが、かろうじて照らしだす。
隣のテントとの壁際に本が無造作に積まれており、繁みを背にした奥側に木製の机が置かれていた。机の上には燭台とノートが開かれたままになっているのだ。
「そう、そう。ここの住人はインテリくずれじゃないかって想像するんだよな」
「ノートには川で見た生物の名まえが毎日書かれてるんですよ。日記みたいに」
「そのなかに見たことのない生物の名まえが書かれていて、それが怪獣の幼虫なんだ」
「そのときはまだ〝ドラゴノイド〟ってわからなかったんで、《ヘビトンボの幼虫?》って書かれてたんです」
「ああ、そうか… いいじゃないか、そんな細かいこと」
あまりに映画どおりに拘るのでオレが少しイラつきを見せると、アヤは初めてそこで笑うのだ。
「それでどうなるんだっけ? あ、そうだ。公園に屯ってた仲間の一人が行方不明になるんだよ!」
「ちがいますよ、そのまえに石田クンとシナちゃんはもう一回ここにくるんです!」
「それで?」
「順序だてると、石田クンはここで偶然出会った仲間に数日後にまた呼び出されて暇つぶしにつき合わされたんだけど、シナちゃんとの約束があったから先に帰るんですよ」
「シナちゃんに会ったあとに、またここにくるの?」
「まだ仲間たちがいるかもしれないから、いってみようってなって。ふたりで」
「そんなシーンあったか? 石田クンの仲間とシナちゃんが一緒にいたの?」
「だから一緒にはならなかったの。ふたりがいったときには、もう解散していて、だれもいなかったの」
オレたちは映画のなかの自由人のテントで、夢中になってストーリーの確認をしていた。オレのなかでは前半部分に「石田クン」と「シナちゃん」のふたりが、この公園でいろんなことを考察していた記憶だけはあった。
アヤは続ける。
「石田クンがシナちゃんに会いにいったあとに残された仲間のうちの一人がいつの間にかいなくなっていて、アイツは帰ったんだろうって解散したのだけど、いなくなった仲間がそれ以降、行方不明になっているっていうのが後日わかるんですよ」
「そこで怪獣の登場か!」
オレが手をポンと叩くと、アヤは人さし指を振った。
「まだ、まだ」
「まだ出てこないの?」
「そのあと別の日にふたりはまたここにきて、そこで…つまり、深い関係になるんです」
「ええっ、そこで初めて?」
「そうですよ、アタシがいってるんだからまちがいないわ」
「それまで、なにもなかったの?」
「だから友だちが行方不明になったじゃないですか」
「そうじゃなくて、ふたりの間にさ」
「ありました。二度目にここにきたときに、まだ進化していない〝ドラゴノイド〟を見つけて、驚いたシナちゃんが思わず石田クンに抱きつくんです」
「それでキスするんだ!」
「そう、アタシがこの映画で最もキライなシーン」
「なんでよ。ロマンチックじゃないか」
アヤは、にこりともしないでいう。
「だって高校生ですよ。お互いを近くで見つめあったとたんにキスって、おかしくないですか? もっとプラトニックな方がいいわ」
そういうアヤは、どうやらストレートな表現があまり得意ではないらしい。本人の志向性を物語っているのかもしれない。
「だって、そのあとにはここをラヴホテル代わりに使うんだぜ」
「あんなシーンは無くてもいいんだけど、あそこはシナちゃんのオトコ好きなところを極端に表しているんで、しかたないです… 」
つまり、アヤは「シナちゃん」が誘惑するために、キスを誘導したことが許せなかったということなのか。そもそもアヤは、この「シナちゃん」という登場人物自体がキライだったのか。どうやらアヤは、オレの見込みどおりのウブで潔癖性なのかもしれない。
「さわやかな青春ムードではストーリーが成り立たないからな」
「そうですね。ここを別の男子とも利用していなかったら犠牲になることはなかったんですけど、それじゃあ話が展開しないですものね」
映画で「シナちゃん」は、別の男子生徒とここで会っていたときに「怪獣」の餌食になるのだ。これがフィジカルだったら、オレもここでアヤと深い関係になりたかったが、彼女もそういうことが無いメタフィジカルだからこそきたのだろう。
オレたちはそこをあとにして、さらに繁みの奥に進んだ。もう轍すらないジャングルをかき分けながら出たところは水辺だった。わずかな足場しかない取水口の淵だ。
「ここで初めて怪獣が登場するんだよな」
「まだ全身は見せないんですけどね―― というか、映画のなかで幼虫はどんな全体像かわからないんですよね」
「そういえば、そうだな。成虫もほとんど姿を見せないしな」
「だからカエデがいうような怪獣映画じゃないんですよ。自衛隊も出てこないし」
たしか、映画のなかで「石田クン」の仲間がいうセリフがあった。「ペットのワニが下水道に流されて、そこで巨大化したものだ」と。
エタイのしれない動物が出てくるから「怪獣映画」といわれてしまうのだろう。ワニで充分ではないかとオレは思うのだが…
「だから、そういう映画じゃないんですよ、これは」
アヤは「怪獣」に拘るらしい。
「この映画の原作は〝ジェネシスサイズ〟が崩壊して、この川の流域のテラフォーミングが進んでいく物語なんです。そのごく初期の段階で〝ドラゴノイド〟が現れる部分は必須なんですよ。そのあとに〝メガネウラスタン〟が誕生するわけですから」
また意味不明な固有名詞がいっぱい出てきた。
「それはなんだっけ?」
「どれですか?」
「メガネスカタンとかいうの」
「〝メガネウラスタン〟。〝ドラゴノイド〟を崇拝する人たちが川の流域につくった居留地のことです。羽化した〝ドラゴノイド〟の学名を居留地の名まえにしたんです」
「それは映画のなかには出てこないんだろ?」
「居留地になるのは、もっとずっとあとです。『夏草のいざない』は〝結界テラフォーミング〟が始まった初期の状況を描いたものなんで、〝ドラゴノイド〟の代わりにワニが出てきたら、それこそただのワニ映画になっちゃいますよ。〝フィオレ〟を咲かせる必要もないし、〝ジェネシスサイズ〟が崩壊するシーンも必要ありません」
オレは澱んだ取水口の水面を眺めながら、アヤの講義をきいていた。水面に映るポテチの影は何度見てもなじまない。その都度、ポテチらしく振舞わなければと気づくのだ。
日はもう暮れたのだろうか。藪の合間から見える流れの瀬には、もう照り返しがなかった。夕靄が出てきたのか、向こうの淵の背後に見える対岸が霞んでいる。
「なんだか怪獣が出てきそうな雰囲気になってきたな。映画のなかでも、こんな感じだったじゃないか」
アヤは、うっすらと笑みを浮かべている。
「『SC』でも〝ドラゴノイド〟が現れますかね? もし現れるなら見たいわ」
出たよ、とオレは思った。ルックスからイメージする清楚な女子大生とは、まるで正反対のオタク女なのだ。このコは「怪獣」やアザラシや電気クラゲをやたらと見たがる。このへんがふたりを隔てる感性のちがいなのだ。
最初のうちは、そのギャップがまた堪らないのだなあ、と思っていたが、こうして長い時間一緒にいると、このコは普通に世間話をするのだろうかと疑わしくなってくる。
「あら?」
アヤは取水口を凝視している。
「どうしたの?」
「いま、水の音がしましたよね?」と目をそらさずにいう。
「またまたあ~」
オレは引きつりながら笑みをつくった。
映画では、ここで「怪獣」が登場するシーンなのだ。ちょうど時間的にも、こんな感じだった。たしか靄の水底をなにか巨大な影が動くのだ。
「ほら」とアヤは水面を指さす。
オレがそこをのぞくと、濁った水煙をあげてなにか動いているのがわかった。カニのような脚が這いずっているみたいだったが、大きさが並じゃなかった。タラバガニでも、ここまで大きくない。
「〝ドラゴノイド〟ですよ」
アヤは淵にしゃがみこんで、その不気味なモノを観察している。
「おい… 」
オレはアヤの手を取ろうとした。自分が「怪獣」に喰われるのをノンキに見ているつもりなのか。
「大丈夫ですよ、ここはメタフィジカルです」
それはわかっているが、それにしても不気味すぎるじゃないか。
「襲ってこないの?」
「〝ギャラリーモード〟にしてるから大丈夫…」といいかけて、彼女はやっとこっちに視線を投げた。
「してるでしょ?」
「してるって、なにを?」
「〝ギャラリーモード〟」
「それ、なに?」
急にアヤは怪訝な顔つきになった。
「要するに鑑賞するモードです。まさか〝シンクロモード〟にしてないでしょうね」
「それだとどうなるの?」
「ストーリーのキャラクター目線になるから〝ドラゴノイド〟に襲われます」
「襲われるって、どういうこと? 喰われるの?」
「〝シンクロモード〟にしてるんですか?」
「いや、オレはただ…」といいかけたとき、淵にカニの脚が現れた。
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。




