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第五章 夏草のいざない ①

第四章⑥

 西伊豆からの帰り、ポテチがナカサンを送っていくのを見て、オレはますます彼の態度に懐疑的になる。だが、帰途の車中では憧れのアヤと一緒だった――



 八月になってオレは、また独りでバイトに勤しんでいた。ウマは、あれ以来バイトに現れなくなった。バイトどころか、オレのウチにも寄りつかなくなった。

 さすがに強行軍のバカンスはこたえたのだろう。一度パスすると、おのずとオレのまえに顔を出しづらくなるとみえて、ぱったりと音沙汰をなくしてしまった。

 気持ちはわからないでもない。アイツはオレとちがい、バイトなどしなくても充分なお小遣いがもらえているのだ。遊びのつもりでやっていたようなものだから、気が向かなくなれば放り出すのも無理はない。学生にとって、いまは夏休みなのだ。

 おかげでオレは再配達と僅かながら残る未配達分をこなさなければならなかった。それまで独りでやっていたわけだから、ピーク時にポテチやウマの手助けがあったことを感謝しなければいけない、と思うことにした。

 しかし、ふと七月の愉快でエキサイティングだった日々を思い返すと、やはり寂寥感はあった。忙しく動き回っているときは、そんなこと考えている暇もないが、夜ウチへ帰ってきたときなどは、そんなことばかりを思い出させる。

 ポテチは無事に結婚を許されたのだろうかとか、なにを考えているのかわからないアヤは、いまごろなにを考えているのだろうかとか… 

 オレの体感では、もう秋風が吹き始めているようだった。

 一週間が過ぎ、セミが木から落ちるようになって、そろそろ市役所の仕事も収束し始めたかなと感じていたとき、カエデから珍しく電話があった。

《秋野クン、バイト忙しいの?》

 遊んでいる連中が妬ましかったオレは、これ見よがしでいってやった。

《ウン、とっても》

 実はもうルスデン入れは一回りして、あとは再配達を待つばかりだったのだ。

《ちょっと悪いんだけど一時間ぐらい時間とれない?》

《なんだよ? 一時間あれば何件回れると思ってるんだよ》

《そこをなんとか… 頼む!》

 モバイルの向こうでカエデが拝むような手つきをしているのが見えた。声の調子も、いつものあっけらかんとした彼女のものとはちがうように感じた。

《電話じゃダメなのか?》

《アヤの相談にのってほしいの》

《アヤ? アヤちゃん?》

 

 ――砂漠でオアシスみたいな名まえじゃないか。そんなもの、のるに決まってる!


《アヤ》の名まえをきいたとたんに態度を変えるのもおかしいので、いかにもシブシブといったふうを装った。

「アヤちゃんがオレになんの相談だよ?」

《アヤにきいてもらわないと詳しいことはわかんない。でも、秋野クンじゃないとダメだと思う》

「オレじゃないとダメなの? じゃあ、しかたないな」

 カエデたちとは二日後に学食で会う約束をして電話を切った。

 これがアヤでなければ「いやだぜ、深刻な話は」といって断ったにちがいない。だが、深刻な話だったらどうしよう。ポテチにしろ、アヤにしろ、オレは深刻な話をしやすい人間に見えるみたいだからな。

 しかし、オレの気持ちはそんなことより、またアヤに会えると弾んでいた。

 思えばあのバカンスでは、ふたりだけの時間がいくらでもあったはずだった。にも拘わらず、カラ研に入ったいきさつとか、姉妹仲はいいのかとか、貯金がいくらあるなんて話は一切しなかった。

 わかっているのは、送っていった彼女の家が美容院をやっていることと、ダークな昭和ポップスと「怪獣映画」と電気クラゲが好きだというだけだ。それすら話のタネにもしていなかった気がする。

 アヤのよくわからない人見知りの性格を気遣うようにオレは突っ込んだことをきかなかったし、疲れていたし、日焼けが痛かったし、ポテチ問題もあった。

 ほとぼりの冷めないうちに、またアヤに会えるなんて巡り合わせのようなものを感じざるをえない。ポテチもウマもいなくなったバイトを心折れずにやってきたご褒美だ、と自分にいいきかせた。

 その夜は興奮して寝つけなかった。ところが、いざ冷静になってみると気がかりなこともあるのに気づくのだ。

 カエデの妙に深刻そうな声、そして《アヤの相談にのってくれ》といっていたことだ。オレとアヤを引き合わせようとしているわけではない。まじめに、なにか相談ごとがあるのだろう。どう考えても、そうとしか思えない。

 

 ――オレでないといけない相談とはなんなのか?

 

 ますます寝つけなくなった。まんじりともしないで、あっちこっちと寝返りを打っているうちに夜が明けた。


 カエデたちと待ち合わせた時間に少し遅れて学食にいった。相変わらずガラガラのテーブルの、いつものカラ研のポジションにふたりは横並びで座っていた。オレがその横に並んで座るというわけにはいかないから、彼女たちの対面に腰掛けるしかなかった。まるで三者面談だ。

「お昼は?」とカエデがきくので、「ここで食うつもりできた」とこたえた。

「じゃあ、食べるまで待つ」

「そんなに時間ないから、いいなよ」

 オレはカレーのプレートをテーブルに置きながら、アヤの顔を見た。

 アヤは日焼けしやすいといっていたが、健康的な日焼けとは程遠いような蒼ざめた顔をしていた。どこか具合でも悪いのか、よほど気に病んでいることでもあって何日も寝てないような不健康な様子だった。

 彼女はオレと目線も合わさず、そこで初めて「こんにちは」というのだ。


 ――出たよ…


 知らないあいだでもないのに、いまさら他人行儀で「こんにちは」もないものだ。

 アヤはこういうところがあるのだ。会うたびにリセットされているのではないかというほど、よそよそしくなっている。オレは思わず「カエデの同級生の秋野です」と自己紹介しようかなと思ったりした。

「それでオレに相談って、なに?」

 アヤは俯いたままいうのだ。

「ポテチクンのことなんだけど」

「ポテチ?」

 オレは、その名まえをきいただけで、なにやら不穏な空気を感じとった。バカンスまえとは、だいぶヤツのイメージが変わっていた。それに、このアヤの顔色…

「ポテチがどうかしたの? アイツは、いま実家に帰っているけど」

「数日まえにチャットでメッセージをもらったんです」

 アヤは、ちっともこっちを見ないのだ。

「ポテチから? どんな?」

「《会いたい》って」

「…は?」

 オレは耳を疑った。どういう意味の《会いたい》なのか理解に苦しむ。


 ――まさかナンパのつもりではないだろうな?


「ただ《会いたい》だけなの?」

 アヤにたしかめた。

「正確にいえば、《会ってもらえないかな》って」

「なんのために?」

 アヤは深刻そうに首をかしげる。横からカエデが助け舟を出す。

「秋野クンなら、わかるかなと思ったの」

 つまり、アヤはポテチから《会いたい》といわれたことに不審感を抱いて、カエデに相談したということなのだろう。ポテチがどういうつもりでアヤにそんなメッセージを送ってきたのかがわからないのだという。カエデのお父さんがウチにきたときに、どういう意図かわからなくてポテチに相談したのと似たケースだ。

 ポテチは西伊豆でナカサンとべったりだったのは周知のことだ。そのまえにオレはポテチから、実家の近所にいる婚約者が妊娠しているので結婚するつもりだ、という話をきいている。そのことは、もちろんカエデたちには秘密だ。

 それを承知のうえで、積極的すぎるナカサンを疎むのもどうか、という所作だったのではないかとオレは理解していたのだ。

 アヤがポテチに興味をしめしているなら、まだ話はわかる。どう考えても、オレにはポテチがアヤにも食指をのばしているとは思えない。ナカサンとの件では、ポテチが誤解されないように本当のことをいってしまおうかとも思ったが、いわないでよかった。もし知られたら、ポテチはただの分別のないサイテーな男になってしまっただろう。

 ポテチがなにを考えているのか、オレにもわからなかった。それどころか、オレのお気に入りのアヤに手を出そうとしているのだとすれば怒りすら覚える。

 だがオレの知っているポテチは、そんな軽薄なヤツじゃない。そう信じていたかった。

「それでなんて返したの?」

「忙しいから時間がとれないって返したんです。そうしたら仮想空間(メタフィジカル)でいいじゃないかっていうんです」

「名案だな」とオレが思わず呟くと、カエデはオレの足を踏むのだ。

「なにが名案なのよ!」

「いや… しつこいヤツだな、ホントに」オレは慌てて、いい直した。

「ちょっとポテチクンにいってよ、アヤを(もてあそ)ばないでって!」

「弄ぶだなんて… 大げさな」

 だがカエデは、もうカンカンだった。それとも、自分に興味をしめしていないことが癪に障るのか。

「ナカサンはどうなってるんだよ?」

「ナカサンがなんだっていうのよ?」

 直情型のカエデを逆撫でしたようだ。

「いや、その後、ポテチとナカサンとはどうなっているのかって」

「なんでアタシが、そんなことまで気にかけなけりゃいけないの? アタシは保護者じゃないんですからね」

「オネエチャンになんかきいてないのかよ?」

「きいてないし、オネエチャンがなにか知っていたとしても、ききたくないわ!」

「怒ってるの、()()()()()()?」

 オレが諫めるつもりで「ちゃん」づけしたことに、ますます逆上したようだった。

「当りまえでしょ、アタシの友だちまで毒牙にかけようとしているんだから」

 こうなると、もうダメだ。なにをいってもきく耳を持たなくなる。おまけにアヤにもポテチの悪印象を植えつけてしまう。

 オレは、まるでポテチの代わりになじられにきたようなものだ。

「わかった、わかった。ポテチにたしかめてみるよ」

「ダメよ!」

「はあ?」

 オレは、わけがわからなくてカエデの顔をのぞいた。

「まるでアタシたちがポテチクンのことを悪くいいふらしているみたいじゃない」

 実際、そうだろ?と思った。ポテチにいってくれ、といったのはアンタだ。

「じゃあ、どうしろっていうんだよ? オレになにをしてほしいの?」

「秋野クンには、()()()がアヤを呼び出す理由をききたかっただけ。知らないなら、べつにいいわ」

 カエデは、ついにポテチを呼び捨てにしだした。だいたい、呼び出されているのはアヤなのだ。オマエは立派なバーターだろ、とツッコんでやりたかった。

 もやもやした気分で解散した。カエデのおかげで、そのあとの仕事が捗らなかったこと。ポテチのことばかり考えていたせいで、届ける家を何回まちがえたか。

 それにしてもポテチは、なんのためにアヤと会いたがっているのか、オレも気にかかってしかたがなかった。ナンパでないことはたしかだろうと思っていたが、なんだかそうともいえない気になってくる。

 ちょうどいい、この機会にポテチにチャットしてみようと思いついた。バイトの帰り際にポテチにメッセージを送った。


《元気でやってるか? その後どうした? うまく話がついたのかい?》

 

 それはつまり、無事に結婚することを許されたのか、という意味だった。


 ポテチから返事がきたのは、それから二日もあとだった。オレも日々をバイトで忙しくしているが、ただでさえ落ち着きのないポテチが結婚しようというのだ、半端じゃない忙しさなのだろうなと思っていた。

 ところが返事は妙にノンキだった。


《こっちは東京とちがってのんびりしたもんだ。話はうまくついたから、一週間後にメタフィジカルのこのアドレスにきてくれ》


 最後にアドレスが添付されているのだ。

「?」

 意味がわからなかった。もしかしたら、なにかの都合で結婚式をメタフィジカルで挙げるから、それに参列してくれということなのだろうか?

 そう考えるとアヤにしつこく連絡をとっているのは、彼女も招待されているということなのか?

 それにしては、おかしいではないか。会ってそのことを直接話したいというのならわかるが、アヤを招待するつもりならカエデに声をかけないわけにはいくまい。アヤだけというのはおかしい。だいたいオレには会うどころか、こっちからのチャットの返事だ。

 オレがきいている「話」とポテチのいう「話」は意味がちがっているのではないか、と思える。

 まあ、いい。その日に指定されたアドレスにいってみればわかる、とオレはあえてそれ以上のことを確認しなかった。

 

 ところが約束の日の前日のことだ。ポテチからチャットがきた。


《申し訳ない。明日いけなくなってしまった。ユウヒに紹介したい友だちがいたんだけど、二人だけで会ってくれないか?》

 

 ――なんだ、それは? いったい、どういうことなのだ?

 

 ポテチのこのニュアンスからすると、どうもその友だちというのは女のコらしい。

 ポテチがさぞ忙しかろう、というのはわかる。みんなの先陣を切って結婚しようとしているのだ。あとに続く者は、みんなポテチの真似をすればいいが、彼はなにもかも初めてのことを独りでやろうとしているのだ。

 しかし、そんなときにオレに女のコを紹介しようなどと悠長なことを考えるだろうか?

 たしかにポテチはオレに借りがあると思っている。そんなことはいつでもできるではないか。今生の別れじゃないのだから。

 オレは混乱した。いきなり初対面のコと二人だけで会えというのか?

 

 ――まさか、ポテチの《友だち》というのはナカサンではないだろうな?

 

 たしかにルックスは素敵だと思うが、オレはああいうド派手でアケスケな女性は好みではない。あのバカンスで、ほとんど接触していないのをポテチだって知っているはずだ。

 

 ――いや、いや、ちょっと待て。

 

 ナカサンなら、まだいい。見たこともない、まったく初めて会うコだったらどうするのだ。オレは自慢ではないが、気遣いする人見知りなのだ。

 お気に入りのアヤとでさえ、ろくに話が弾んだことがないのに、紹介者もいない知らない人と待ち合わせなどできるか。通り過ぎてしまうだけだ。

 そこでハタと気づくのだ。

 ポテチが紹介するというのはアヤではないか、と。

 そう考えると辻褄が合う。ポテチはオレとアヤを二人だけにしようとしているのではないか。オレたちが西伊豆で、そんな場面がたくさんあったことなど彼は知らないのだ。

 そう思うと、うれしい気持ちにもなった。オレがアヤを気にかけているのをポテチは普段から観察していて、こういう計略を立てたのだろう。

 なるほど、これですべてのことが腑に落ちる。

 よし、ここはポテチの計略に乗ってやろう―― 一瞬そうは思ったが、時間が経つにつれ、よけいな不安がよぎってくるのだ。

 これがアヤだとして、彼女がこないであろうことをオレは予測している。オレとしては、だれもこなくて済むのだが、万が一きていた場合だ。

 そんな場合があるかどうかは別として、きていたときに具合が悪くないか、というのだ。間を取り持つヤツがいないで、ヘンな空気になりはしないか。なかば知った者同士だ。通り過ぎるというわけにもいくまい。

 つまり、オレはこういうことを妙に気にする小心者なのだ。そのままいって「やあ」と明るく声をかけられないタチなのだ。おまけにオレの知るかぎり、アヤはそんなオレに輪をかけた閉鎖的な性格だ。

 

 ――やっぱり、くるわけないな


 オレの結論は、そこに落ちつくのだった。


つづく



毎週金曜日23時に更新します。

*作中の人物、団体、作品等の名称は、一部を除き、特定のモデルはありません。

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