第四章 海のポテチ ③
第四章②
バカンス当日、オレたちは深夜にウチを出た。途中の待ち合わせ拠点で、オレはポテチからバカンスのあとで結婚のために実家に帰ることをきく。しかも、大学を辞める可能性があることも知る。
そこに着いたエルザが地元のヤンキーに連れ去られるのを見る。後を追うポテチ――
エルザの話はこうだった――
彼が駐車場にクルマを停めて降りたところが、あの連中の目のまえだった。なかの一人が「ダサいクルマ」といったのだ。たしかにウマのクルマはオシャレだが、ファミリー向けのセダンだった。そこからエルザみたいなヤンキーくずれが降りてきたので、ヤツらは面白がったのだ。
エルザが思わずヤツらをギロリと睨むと、なかの一人が「おい、いまガンつけたろ?」と因縁をつけてきた。錆びた髪を寝起きのように逆立てた、いかにも「粋がっています」という顔つきをしていた。どうやら、こいつらのリーダー格らしい。
エルザは無愛想に、そいつを睨み続けていると「ちょっと、カオかせ」と彼の前後を仲間に挟ませて、さっきの路地に連れていった。
たまたま、窓際の席からそれを見ていたポテチが雰囲気を察して、得物がわりに濡らしたタオルを持って追いかけた。ポテチによれば、なにもないときは濡れたタオルがけっこう役に立つという。振り回すだけで、意外な衝撃があるらしいのだ。こういう知識があるということはポテチもタダモノじゃない。
あのユウレイ集落みたいなところに連れ込まれたエルザに、地元ヤンキーのリーダー格のヤツが絡んできた。だれにガンつけているのだ、みたいなことをいいながらエルザの襟を掴んだところで、それを取り囲んでいた三人のうしろからポテチが声をかけた。
「ニイチャン、どうかしたのか?」
彼らがふり向くと不敵な笑みのポテチが立っていて、エルザに「アニキ、なにかあったんですか?」とヘンなニュアンスでいった。エルザが襟を掴まれたまま、ポテチにニヤリと笑った。
ポテチは濡れタオルをくるくると振り回すと「オマエら、この方をどなただと思ってるんだ?」といった。一瞬、場が凍りついたようになった。
さらにポテチは金属バットを持ったヤツにきく。
「ニイチャン、それどうするんだ?」
そいつは強張ったまま、「いや…」といって立ちすくんでいた。畳みかけるようにポテチはいう。
「それをどうするつもりなんだって、きいてるんだよ!」
そして傍らにあった板塀目がけて、濡れタオルを鞭がしなるように叩きつけた。ひと気のない廃屋集落に鋭い音が響いた。途端にそいつらは走って逃げだした。エルザの襟首を握っていた、できそこないのライオンみたいなガキは目をまんまるにして動けなくなっていた。
「いつまで握ってるんだ」とエルザが突き放すと、そいつは腰を抜かしたのか、その場にしゃがみ込んでしまった。さっきの威勢は夏のからっ風に虚しくなびくタテガミのようだった。
「一発くらいド突いときますか?」というポテチに、エルザは首を振って「小僧、ここはユウレイが出そうだから早く帰んな」といって路地を戻りはじめた――
「そこにオレが駆けつけたというわけか」
すると、ウマもいう。
「オレが外を見てたら三人づれのガキどもが走ってきて、慌ててスクーターで出ていったんだ。アイツらがそうだったんだ?」
なるほど、たしかにもうアイツらのスクーターがなくなっている。
「いろんなことが起こる夜だ。無事に目的地に着けるのかな」
ウマにとっては、まったく他人ごとだ。だが、これでだいぶ目が冴えただろう。
オレたちはコーヒーを飲みながら、次の拠点を決めた。次は海沿いの国道を西に向かい、バイパスの終点から伊豆半島に入って、熱海を過ぎたあたりのファミレスにした。
今度はオレが自分の軽ワゴンを運転することにした。ウマはエルザと自分のクルマに戻り、ポテチは単独で出発した。クルマ組は国道からバイパスに乗ったのだが、ポテチはどこを走っているのか、もうわからなくなっていた。
バイパスは無料だったが自動運転が利くからラクだった。オレは白みはじめた海を眺めながら、こんな風景も初めて見たと胸が躍った。夜が明ければ昼間の暑苦しい喧騒が戻ってくる。そのわずかの間だけの寡黙な贅沢を堪能しようと思った。
伊豆半島に入り海沿いの国道を走っているときには、かなり明るくなっていた。まえをウマのクルマが走っているのだが速度をあげようとしないところを見ると、運転しているのはどうやらウマらしかった。
「オレにかまわず先へいっていいぜ」
オレはハンズフリーでウマにいった。
《べつに急ぐ必要ないだろ》と、マイペースなウマらしい。
「エルザが焦れてるだろ?」
《横で寝てるよ》
物事に動じないように見えるが、エルザもさっきの件では気疲れしたのだろう。
「一緒になって寝るなよ」
そうはいったが、陽が昇ってくると海のそばだけに照り返しが多くて眩しくなる。目を細めているうちに瞼が重くなってくるのだ。ほとんど交通量のない早朝の国道は快適で、さらに誘眠作用を呼ぶ。
「ウマ、なんだか眠くなってきた。なんか喋ってくれ」
《オマエが眠くなってどうするんだ》
「オマエはいつも眠そうだから、眠くなってもわからないな」
《さっきの話で目が覚めた。ポテチは頼りになるんだな。偶然とはいえ、すごいヤツに出会ったもんだな》
「オレが補習受けることにならなければ出会ってない」
《カエデちゃんもだろ?》
「そういえばそうだな。ふたりに出会ってなければ、今日みたいなことは無かったな」
《中学の同級生だっけ?》
「そう、おなじクラスだったんだ」
《いいなあ。それで愛しあってるんだっけ?》
「いい加減にしろ。オレにも、いちおう好みのタイプがあるんだ」
《彼女の方からアプローチしてきたんだろ? じゃあ、男として無碍にはできないよな》
「同級生だからだよ。それ以上でも、それ以下でもない」
《オレにも教育学科に中学のときの同級生がいるんだけど、キャンパスで見かけてもまるで無視だぜ》
「カワイイの?」
《ものすごくカワイイ》
「オレ、それでいい。紹介してくれ。オマエにカエデやるから」
《なんでカエデちゃんじゃダメなんだよ。カワイイじゃん、彼女》
「だから、オマエにやる」
《だけど、オレの同級生は紹介できないよ。気位が高いから》
「それでオマエのことを無視してるっていうの?」
《そうに決まってる》
「そうじゃないだろ? なんで学内に動物が歩いてるんだと思ってるんじゃないのか」
《オマエ、ひどいヤツだな。オレ、パカパカなんて足音たてないぜ》
オレはウマの反応に思わず大笑いした。おかげで、いっぺんに眠気が吹き飛んだような気がした。みちの左側にガードレールのようにある堤防の向こうは海面だ。朝陽が輝いて、あいかわらずキラキラと眩い。
《ポテチは、もう着いてるかもしれないな》
まちがいなく一番はポテチだろうと思えた。オレたちのうしろからくるなんてことは、ちょっと想像できなかった。
次の拠点のファミレスに着いたときには、当然のごとくポテチがいて、自分のバイクの脇に腕を組んで寄りかかっていた。掛けたサングラスが鏡面になって、駐車場の端に立つシュロの木を映している。そうしているだけで絵になるのだ。
オレたちが着くと相好を崩して、手を挙げた。
「ここで朝飯にしよう」
オレたちはモーニングコーヒーを飲みながら、次の行程を確認した。この先は内陸を走ることになるのだが、一本道だから大きなまちがいはなかろうということで、最後まで拠点を設けないことにした。わからなくなればインカムで繋がっているし、カエデたちのホテルまでナビで誘導してもらえばよい。
「あと三時間で着くかな?」
楽観主義者のウマが珍しく心配そうにいう。
「大丈夫」と、ポテチはウマの肩を叩く。オレも「オマエが着かなくてもポテチが着く」とフォローした。全員で大名行列みたいに揃っていく必要はない。
出がけにオレは、ウマからカエデの外付けメモリーを借りようとした。さっきは睡魔の抜き差しならない攻撃に難儀したのだ。すると、エルザが「今度はユウヒのクルマを運転する」というのだ。そこでオレがウマのクルマを運転することにして、ウマは一回休みになった。ポテチ以外の三人が、それぞれのクルマを一巡することになった。
そんなことをやっている間にポテチは、とっとと出発してしまった。彼は、あくまで孤高なのだった。
「この『右右デート』って歌が面白いんだよ」と、ウマは助手席でオーディオコンソールをいじる。
「みぎみぎデート?」
「そう。右へ右へとデートするって歌なんだけど、問題はそこじゃないんだ」
「それだけで大問題だろ。おなじところをグルグル回ってるだけじゃないか」
「だから、みんなの目を惹くためにミニスカートで、おなじところをいったり、きたりするって歌なの!」
「それで『右右デート』? そんなに短いスカートなの?」
曲が始まった。いかにも昭和といったエレキポップスなのだ。歌っている女性歌手は、いかにもあっけらかんとして、たぶん日本経済のことなど考えていなかったろう。
たしかに《♪ミニスカートで歩いてみたの》という歌い出しなのだが、バックの男性コーラスが《♪ズボン、ズボン》といっているように聴こえるのだ。
「これ、コミックソング?」
ウマを見ると、もうひっくり返って笑っている。
「眠くなったら、これを聴け」
「オレはそんなに面白いとは思えないんだが… 」
その当時、こんな歌がヒットしたのだろうか、と考えた。いくら若い人が聴いていたとしても、そのころの日本人の意識の程度が疑われる。
オレはウマにきいた。
「オマエは、こんなのを夢中で聴いている女のコが好きなの?」
「どういうこと?」
「カエデのことだよ」
ウマはちょっと考えてから、「夢中で聴いてるのはカエデちゃんだけじゃないだろ」と返した。
たしかにそうだ。アヤも、おかわりシスターズも含めてカラ研の連中は、みんなこんなのを聴いているのだ。しかも、アヤに関していえば「暗い歌が好きだ」とカエデがいっていた気がする。見た目に反して性格は陰気なのかもしれない、と楽しみにしていたアヤとのバカンスを目前にしてヘンな警戒感を持たざるをえない。
まわりの風景は、もう水辺のリゾートという感じではなくなっていた。雑木林が続く山のリゾートみたいになっている。鄙びた商店街に出たと思えば、またすぐ山道のようになる。それを何度も繰り返した。木々の間から鋭く射しこむ光線は、かなり鮮烈だ。気温も、だいぶ上がってきたにちがいないと思われた。
「もう、エルザのクルマも見えないな」
黙りこくっていたオレを気にしてか、ウマは話しかけてきた。
「荷物を大量に積んでいる軽ワゴンなのにな」
「なんだか、これから海で遊ぶって感じじゃないな」
ウマは、いくだけでだいぶ疲れたといいたげだ。
「オマエは砂浜で寝てろ」
「こんなところまできて、昼寝してろっていうの?」
「帰りに備えて寝ておけ」
「オレは運転手か?」
みちが下り坂になった。長い下りだった。どうやら下りたところが西伊豆のようだ。
「やっと着いたな」
閑散とした街を通り過ぎ、やがてカエデたちの泊まっているホテルが見えてきた。少し小高い丘を登ったところにあるキレイなホテルだった。
「これ、ビジネスホテル?」
思わずオレが口に出すと、ウマも「いや、これは立派なホテルだろ」と目を見張っている。真っ白いお洒落なデザインの建築物なのだが、ビジネスホテルやラヴホテルとちがい、通りからエントランスまでシュロ並木があり、正面は大きな車寄せになっていた。その向かいがだだっ広い駐車場で、そこにポテチたちがいるのがわかった。
彼ら以外に外を歩いている人はおらず、ひと目でカエデたちもいることが確認できた。エルザの乗った軽ワゴンのまわりに女のコが集まっていたのだ。季節柄、みんな露出度の高い短パンにノースリーブといった軽装で、これだけ女のコがいると艶やかだった。
少し離れたところにポテチがバイクを停めて、なかの一人の女性と話している。見たことのない、妙に洗練された女のコだった。
「カエデちゃんのオネエチャンかな?」とウマはいう。
「カエデに似てないな。オネエチャンの友だちじゃないか?」
「さもなければ別口なのかもしれない。ポテチのことだからな」
オレたちがロータリーみたいになった車寄せを回ってくると、カエデが気づいて手を振った。嬉しそうに飛び跳ねている。ほかの女性たちにくらべ、彼女は少しふくよかな感じが否めなかった。身体のラインが明瞭なぶん、腰から下の安定感は抜群といってもよかった。いつ見ても清楚なアヤが、いつも以上に惹き立っている。
軽ワゴンの横に停めると、降りて大きな伸びをしたくなった。上半身を左右に振りながら、オレはエルザにきいた。
「どのくらい待った?」
エルザは相変わらず運転席に座ったまま、窓から顔と片腕を出して「三十分くらいかな」というのだが、妙に強張った顔をしていた。普段とちがい、女性軍に囲まれて緊張しているみたいだった。
「凄いクルマできたね」
カエデがオレの軽ワゴンを見ていう。
「オレの愛車だ。文句あるか?」
ウマがワゴンのハッチを開けて、彼女たちの荷物を載せている。
「これは荷物専用車だから、ウマのクルマに乗りな」
そこでカエデが紹介してくれたのが、彼女のオネエチャンだった。並ぶと体形はよく似ているのだが、カエデの甘い顔に対してオネエチャンは目鼻立ちがはっきりしていた。
「姉の〝紅葉〟です。よろしくお願いします」とちょこんと頭を下げるのだが、落ち着いた態度で立派な社会人に見えた。どちらかといえば、アヤのような淑やかさがあった。
「秋野です。お姉さん、美人ですね」とオレも挨拶すると、「いつもカエデからお話をきいてます」と含み笑いで返すのだ。
「どんな話かな?」
オレがそう問いかけると、爪先に激痛がはしった。
「痛っ… 」
「アンタはいつもひとこと多いのよ」とカエデが横目で睨むのだ。なんて恐ろしい女なのか。このオネエチャンと血が繋がっているとしたら、悪夢としか思えない。
それにひきかえアヤの優美なこと。カエデの横でうっすらと微笑を浮かべているだけなのに、今朝の陽ざしのような爽やかさじゃないか。
「ナカサン」
カエデが、ポテチと夢中で喋っている女性を呼んだ。どうやら、これがオネエチャンのお友だちらしい。
こっちにやってきたのは、カエデのオネエチャンより顔立ちがはっきりしていて、むしろシャープといってもいいくらいの端正な容貌の持ち主だった。オレたちの目のまえで枯草色にメッシュしたショートカットの髪を陽に輝かせ、手を腰にあて脚を広げてまっすぐ立ったスタイルも抜群なのだ。こんな女性が、なんでこんなところにいるのか不思議だった。
「こちらがカズアリさん。オネエチャンの中学の同級生で、いまはダンサーなの」
笑うとちょっと前歯が見えて、まるでリスのようなキュートさがある。大きな瞳の横で指を二本立てて、軽くあいさつ代わりの敬礼をした。
「オッス! カズアリです、ヨロシクね」
見た目は異様にチャーミングなのだが、カエデよりサバサバした感じなのだ。男らしい、といってもいいくらいだと思えた。
「カズアリさん、ダンサーなんですか?」
「そう」
「なんの?」
「いろんなダンス。普段はインストラクターをやってるの」
どうりで、すらっとして姿勢がいいと思った。
「こんな先生ならオレも習おうかな」とウマが目をハート型にしている。
「よせ、オマエはダンスより競馬が似合ってる」
カエデがさらに補足する。
「ナカサンはね、〝パシフィックオールスターズ〟なんかのライヴでバックダンサーもやってるのよ。プロのダンサー」
ルックスもいいわけだ。
先着組は既に紹介が済んでいるようで、カエデがオレとウマを紹介した。ウマを紹介したときに〝ナカサン〟はきくのだ。
「オンマサン? 呼び名?」
ウマの顔を覗きこんで小首を傾げるナカサンにオレは教えた。
「動物の種類の名ですよ」
「なにそれ?」
「我々は人類でしょ? 彼は馬類なんです」
「なにがいいたいんだよ」とウマにド突かれた。
ナカサンは面白そうに笑って「本当はナニクンなの?」ときく。ウマは鼻息荒く、「こう見えても」といわんばかりに名のった。
「ボクは、れっきとした〝裾茂〟一族の末裔です」
「忍者かなんかの末裔なの?」
ナカサンとのやり取りは長くなりそうなので、オレが遮断した。
「まともに相手をしちゃダメですよ。ウマなのに〝裾茂〟って名まえがあるっていっただけですから。そういうカズアリさんは、なんで〝ナカサン〟って呼ばれてるんですか?」
「〝奈華〟っていう名まえなの」
「ステキな名まえですねえ」とウマは鼻の下を伸ばし、もはや馬類よりも面長になった。
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、一部を除き、特定のモデルはありません。




