第四章 海のポテチ ②
第四章①
深夜、オレたちはバカンスに出発した。最初の拠点まではみんなバラバラに向かった。オレはポテチのバイクにタンデムした――
「着いた」といって、時計を見るポテチ。オレも時間を確認すると、待ち合わせ時間の三時までまだ余裕があった。どうやら一番はオレたちみたいだ。
「なかで待とうぜ」と彼はヘルメットをとった。
店内はシーズン中の海のそばということもあって、若い客が何組かいた。朝飯は次の拠点で摂ることにして、オレたちはホットコーヒーだけにした。一息つくとボックス席の向かいにすわったポテチはいうのだ。
「最後までつき合えなかったな」
「え?」
「例のクスリ配り」
オレはなんのことかわかったら、苦笑して手を振った。
「気にするなよ。もう終わったも同然だから」
「まだ残ってるんだろ?」
実際、オレもウマも配り終えてはいなかった。ポテチの分も全部終わったとはいえなかった。
「でも、もう何件もない。八月いっぱいだから、オレ独りでも十分間に合うよ」
「なら、よかった」
ちょっとしたヘンな間があった。あらためて、こうしてポテチと二人だけになると、バイト以外の話はなかった。
考えてみれば夏休みまえに知り合って、まだひと月と経っていないのだ。その間、いろんなことが目まぐるしくあったにせよ、彼のプライベートはほとんど知らなかったことに気づく。
それを察してかどうかは知らないが、突然こんなことをいい出した。
「実はユウヒに話しておきたいことがあってさ」
「えっ」
店内の薄暗い照明のせいか、心持ちポテチの顔色はあまりよくないように見えた。いかにも神妙な話をしそうな雰囲気だ。しかも、オレだけにきかせようとしていた理由があるのだ。そうでなければ、あんなに飛ばしたり、ヘンな近道したり、ツルんで走らないようにしたりはしない。
「やだぜ、深刻な話なんか」
ポテチは笑みを浮かべている。
「ユウヒは深刻じゃないから心配するな」
「やっぱり深刻なんじゃないか」
彼はテーブルの上に手を組んで、少し天井を見た。
「大学にきて、今年ほど楽しかったことはなかったよ」
――は…? なにをいい出すのだ、コイツは?
「いや、オレもそうだよ。補習授業もバイトもオマエがいなかったら苦痛と忍耐でしかなかった」
「たまたま声をかけたのがユウヒでよかったと思ってるんだ」
オレは、たまらずポテチにきくのだ。
「どうしたんだよ、ポテチ。まるで、これきりでお別れみたいじゃないか」
今度は、ちょっと皮肉そうな笑みになっている。
「オマエだからいうんだ。ほかのヤツらにはいうなよ」
「エエ?」
「実はオレ、結婚するんだ」
「エエーーーッ!」
ポテチは口に人さし指を当てた。そのしぐさが、いちいちカッコいいのだ。こんな男に惚れない女はいない。結婚するとしても無理はないと思えた。
「来年には子どもが生まれるんだ」
彼が八月には実家に帰るといっていたのは、そういうことだったのだ。楽しければ、こっちに残っていればいいじゃないかと思っていたのだが、それで納得した。
「ど、どっち?」
オレは思いもよらないことを口走っていた。生まれてくる子が男だろうが、女だろうが、オレには関係ないことだ。ポテチは両手を開いて肩をすくめる。
「オレは、ずっとこっちにいたからデキたことしかわからないんだ」
「そ、そうか… 」
「そうか」じゃないだろ、とオレは自分自身にツッコむ。そこからは、なにをいっていいのかわからなくなった。
「もしかしたら大学を辞めなければいけなくなるかもしれない」
「嘘だろ?」
――なんのための補習授業だったのだ? 三年になるために受けたのだろうが…
「奥サンが妊娠してるのを知ったのが最近だったから。大学は卒業しとかないと、と思ってたんだけど」
ポテチは自分の妻のことを「奥サン」と呼んでいた。
「そんなにすぐに生まれるもんじゃないだろ?」
オレは、やっとなんとか落ち着きを取り戻した。なんで、こんな話をこういうところで告白しようと思うのか。
「生まれるのは来年なんだけど、そのまえに式を挙げとかないと」
「なんで?」
「実家のあたりは東京とちがって狭い社会だからな。デキたから結婚したなんてのは当たり前じゃないところなのさ」
ポテチの話から察するに、奥サンは実家のそばのひとらしい。オレは、あまり根掘り葉掘りきくのはよくなかろうと思って、あまり突っ込んだことをいわないようにしていた。だが想像するに、ポテチがそれを知ったのは補習授業のときだったのではないかと思われた。
思い出したことがあったのだ。あれは、たしか中間考査の直後だ。修了考査の英作文のミッションを茶化して話したときだ――
あの夏、彼女に会った。そして、彼女は妊娠した――
あのとき、いつも陽気に受ける彼が、見たことのないような表情でオレをド突いたことがあったのだ。おそらく一瞬、自分の境遇をいわれたと思ったのではないか。知らないこととはいえ、オレはとんでもないことをいってしまった可能性がある。
だが、その直後に「たった一度なのに…そして、オレは一発必中の男になった」といったのは彼自身だ。それが事実だとしたら、自虐だったかもしれない。
だからオレに告白しようと思ったのかも―― まさかな…
「なんで、そんな重要なことをオレなんかに?」
「借りがあるからな」
そういってポテチは押し殺したような笑い方をした。オレが思っているほど、本人は深刻そうではないみたいだ。
「ユウヒと出会ったおかげで、悔いなく楽しい最後の大学ライフを送れた」
「まだ辞めるって決まったわけじゃないんだろ?」
「もちろん」
そして、少し間をおいてからいうのだ。
「ただ、このまま続けるとすれば、子どもを彼女にだけ任せておくってわけにはいかないし、実家で面倒見てもらうにしてもオヤジはまだ働いてるだろ? オレには弟もいるし、オフクロにだけ負担を押し付けるのもどうかと思うんだ」
ポテチは見た目とちがってオトナだった。この齢で、もう所帯を持つ覚悟ができている。
常備薬配りの仕事をウマが「社会の底辺を見ているようでトラウマになる」といったとき、ポテチは「ああいうふうにならないようにしようと自覚できる」といったのを思い出す。彼は、もう責任を感じていたのにちがいない。もし、これがオレだったらどうしたろうかと考えさせられた。
「なにより問題なのは、子どもが生まれることをまだ話してないんだよ」
「両親に?」
ポテチは、にこやかに頷くのだ。
「笑いごとじゃないだろ、どうするんだよ?」
「どうもこうもない。だから、どうしても八月に帰らないと」
帰って、これからのことを決めるということなのだろう。彼の言い草だと本人は学校を辞めるつもりでいるようだった。
「学費も払い込んでいるんだろうし、せめて二年生だけでもやってけよ」
ポテチはなにもいわず、ただ微笑するだけなのだ。冷静に考えれば、ここで辞めておけば後期の学費を払わないで済むし、だいいち、辞めるとわかっているものを区切りがいいからと二年生まで終わらせて、なんのメリットがあるのか。
しかし、オレにとってポテチがいなくなってしまうことは考えられなかった。仮に、これがウマやエルザだったとしてもおなじだったろう。もう彼らはオレの生活には必要不可欠のピースになっていたのだ。
オレは気持ちを隠しきれるわけもなく、気落ちした顔をしたのだろう。ポテチはオレの手をポンポンと叩くのだ。
「ユウヒに、なにかお礼をしなければな」
「バカなことをいうなよ」
「そうだ。このバカンスの経費はユウヒに持ってもらうことにして、まだバイト料の残りがあれば、それは取っといてくれ」
「取っといてくれって…」
「やる」
「嬉しくないんだけど」
正直なところ、ポテチやウマに手伝ってもらった今月分は、おそらく常備薬配りのミッションのおかげで、たいした稼ぎになりそうもなかった。このバカンスの経費も、ひょっとすると赤字になるかもしれない。だが、そんなことをいうわけにはいかない。
「だれにもいうなよ」とポテチは釘をさす。
「ああ… 」
――オレはオマエとちがってインフルエンサーじゃない。
そんな重大なことをペラペラ喋るか、と思っていた。そんなことをいえば楽しいバカンスも、みんな暗い気持ちになるだろう。そんなことは全部オレが引き受けてやる、と。
それにしてもオレはカラ返事だったにちがいない。それ以上チカラが出なかったのも事実だ。ポテチは自分のことなのに少しも深刻そうな素振りを見せずにいうのだ。
「近いうちに奥サンを紹介するからさ」
「うん… 」
それからオレたちは、なにも喋らなくなった。しばらく、しんみりした雰囲気になってしまったのだが、不意にポテチはジーパンのうしろポケットに突っ込んでいたタオルを引っ張り出すと、それをお冷で濡らして立ち上がる。
「?」
「ちょっと待ってて。ウマがくるかもしれないから、ここにいろよ」といって、店を出ていった。
オレは、自分の背後にあるウィンドから外を見た。そこから見える駐車場にウマのセダンが停まっていた。と、いうことは運転していたエルザが着いたはずだが、彼の姿がない。
オレは視線を滑らした。するとオレンジ色のナトリウム灯に照らされて、建物の隅に歩いて消えていく数人の影が見えた。真ん中の人影にエルザの独特なヘアスタイルの特徴があった。たしかオレとポテチがここに着いたときに、バイク置場の隅に三、四人のヤンキーみたいな連中が屯していたのを思い出した。
アイツらにエルザが因縁をつけられたのかもしれない。エルザの方から、なにかをすることは考えられないからな。そもそもアイツは、いかにも因縁をつけてくれという顔をしている。ポテチはそれを見ていて黙っていられなかった、ということなのか?
オレが独りでウィンドの外を見ている時間がしばらく続いた。
国道側の入口からオレの軽ワゴンが入ってきたのは、それからさらに時間が経ってからだった。まだポテチたちは戻ってこない。クルマを停めたウマは、オレの姿をすぐに見つけたようだった。
「やっと着いた。もう途中から睡魔との格闘だった」
アンニュイな目つきのウマが、そんなことをいってもまったく説得力がなかった。
――オマエはいつも、そういう顔をしているじゃないか。
ウマは、さっきまでポテチがいたオレの向かいのシートに座ると、さっそくきくのだ。
「アイツらは?」
オレは説明のしようがなかった。憶測でならなんとでもいえるのだが、事実がどうなのか、わからないのだ。
「もう着いてるんだろ? クルマが停まってるもんな」
「いま、ふたりで出ていったんだけど、どこへいったのやら… 」
ウマは「エッ」と眉間にシワを寄せた。
「どういうこと?」
オレは首を傾げるしかなかった。ただ、もしオレの憶測どおりであるとすれば、まさか大ごとになってはいないだろうな、という懸念はあった。
「ちょっと見てくるから、オマエは濃いコーヒーでも飲んでろ」といって、オレは彼らのあとを追うことにした。
「やっと人心地が着いたと思ったら…」とウマは眉毛を八の字にしていた。
さっき人影が消えた方へいってみると、そこは建物を回ってバイクで入ってきた裏路地のような出入り口に繋がっていた。そこから表の歩道に出て、国道と反対方向に目を凝らした。暗いナトリウム灯が点々と続くけっこう大きな通りなのだが、まったく人通りがなかった。明け方の三時なのだ。無理もない。
しばらく国道と逆方向に歩いていくと、道路わきから男が三人走り出てきた。こっちに走ってくる。
「!?」
よく見れば、まだ高校生ぐらいの連中だった。一瞬だが通り過ぎるときに、なかの一人と目が合った。青い鍔のヘルメットをかぶって、鼻の下にうぶ毛程度の髭を蓄えていた。血走った目つきで、手には金属バットを持ち汗まみれなのだ。
オレは嫌な予感がして、彼らが出てきたあたりの路地に飛び込んだ。いまどき、こんなところがあるのだろうかという辺境集落みたいな一角だ。さらに暗く狭い路地で心細くなるような街灯があるだけなのだ。昨日までやっていた配達を思いだす。
――あれは、まだ昼間だからいいけど…
気が急いて速足だったものが、いつの間にか走っていた。
数メートルもいくと、向こうの街灯の下を人影が歩いてくるのが見えた。背の高い方がタオルをくるくると振り回している。ポテチとわかったときには安堵感で、そこに座り込んでしまった。
ポテチとエルザは笑いながら歩いてきて、オレがそこにいるのを見つけると「ウマはきたのか?」とノンキにいう。
「ウマどころじゃないだろ、どうしたんだよ?」
ふたりとも、どこもなんともないようだった。
「いま、地元のヤンキーみたいなガキどもがここから出てきたんで、もしやと思って」
そういうとエルザがオレの肩を叩いて「わるいな、心配かけて」と笑う。
ファミレスへ戻るとウマが頬杖で、心ここにあらずという表情をしていた。オレたちの顔を見ると「オマエらと最後に会ったのが、去年のことみたいだよ」と寝ぼけたようなまなざしでいう。
「オマエは平和でいいよ」といって、オレたちはやっとシートに腰を降ろす。
「いま、パッと目が覚めるような話をしてやるから」とエルザは笑いながらいう。
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。




