63.壊れた玩具
細い裏路地にて。大通りから聞こえる喧騒は、随分と遠のいた。
あるとき、プロセクトは突然にして立ち止まる。アンジはそのときになって、ようやく男を問いただした。
「……あ、あの、一体どこへ?」
プロセクトは応じない。そしてアンジが再度問い掛けようとしたとき、男は遂に彼の元へと振り返った。
「さあ、始めようか」
刹那、プロセクトは笑顔のまま懐から魔法銃を抜き、一切の躊躇無しに弾丸を放つ。事態の理解出来ないアンジには、右足へ覚えた焦燥感だけが全ての答えだった。
アンジは思わず鳴を上げて倒れ込む。視線の先には、流れ出るおびただしい量の血液。動かそうとも、激烈な痛みがそうはさせてはくれなかった。
アンジは思わずして、咄嗟に男のほうを見上げる。そのときそこにあったのは、男の醜悪な微笑み。右手には、消音器の付いた宝飾の眩しい拳銃が映った。
「……昔の服を着る為に、少しばかり痩せたくてねぇ。近頃は、運動を心がけているんだ。ついでに、ゴミ処理の慈善活動も」
そしてプロセクトは、路地の隅に立て掛けられた手頃な角材を拾い上げる。逃げる術を失ったアンジにそれを振り降ろしてからは、まさに一心不乱であった。
「君のような品の無い子供が、私はこの世で一番大嫌いなんだ……!」
「何も為せない人間なんてのは、ゴミと同じなんだよねぇ……!」
「さあ死んでくれ……! 物乞いしか出来ないクソガキめが!」
角材は血に染まる。現役の有力貴族は、おぞましい悪癖に支配された快楽犯であった。
「――まったくアンジは、一人でどこ行ってんだか……」
ダイトはふと呟く。四人はいつも通りの時間に合流したが、そこにはアンジだけが姿を見せない。
ライブラとエフィにも、次第に不安が募った。
「やっばりおかしい。絶対何かあったのよ。探しましょ――!」
「えふぃ……あんじ……しんぱい」
皆が取り乱す中、ウォンは冷静に指揮を執る。
「手分けして探すぞ。エフィとライブラはあっち、俺とダイトはこっちだ」
静まり返った路地裏には、血の匂いがうっすらと立ちこめる。しかし入り組んだ路地の先では、誰の鼻にもそれは届かない。
「……ふぅ、良い運動になった。やはりいくつになっても、体は適度に動かさないとねぇ」
プロセクトは血のついた角材を遠くへと放り投げる。快楽を満たした多幸感に包まれながら、痛々しい痣を刻まれた少年の亡骸から離れた。
「さ、奴はどこかね。おぉ、居た居た」
プロセクトがおもむろに屋根の方を見上げた先、そこに居たのは、黒コートで身を隠す男。それは偶然か必然か、定例会議の後にゴートが遭遇した、あの男であった。
プロセクトはこなれた様子でその男へ指示した。
「それでは後の処理はいつもどおり頼んだぞ、フェズ」
「プロセクト卿。放り投げた角材も、その子供の傍に置いてください。いつも言ってるでしょう。証拠は全部綺麗サッパリと消さなきゃ、いつか足が付きますよ。というかそもそも人を殺したいなら、もっと人気のないとこで……」
「ああ、もう分かった分かった。ほら、これでいいんだろ?」
男は面倒臭そうに血のこびり付いた角材を拾い直すと、それを息絶えたアンジへと投げつける。
「それじゃあ、後はまかせるぞ」
プロセクトは投げやりになって、颯爽と路地裏を後にした。
路地裏にはアンジの亡骸だけが残された。プロセクトが場を離れてから暫し経てば、そこからフェズの仕事は始まる。
「……ったく狂った野郎だ。表の顔は保守派貴族で、裏の顔は快楽殺人者。いくら戸籍の無いポンド街の住民だからって、こうも街中でやられちゃうとねぇ」
「まったく、どうしようもない狂人だよ……いや、殺し屋やってる俺が言えたことじゃねーのか?」
そんな独り言の最中、フェズはおもむろ立ち上がる。
「……まあいい。相応の金は積まれてるわけだし、任された仕事はちゃーんとやりますかね」
男が掌を空へかざしたとき、周りの空気が微かに震える。
「……にしても何で殺し屋が、死体の処理なんかやらなきゃいけないかねぇ。専門外だっての」
天空に僅か寸分だけ現れた魔法陣。そこから放たれたのは、激しい稲妻。その煌々とした一閃は、真っ直ぐに亡骸へ墜落した。激しい光と衝撃音が周囲を揺らす。路地裏に面した窓は、衝撃波で砕け散った。
快晴の中突如として降り注いだ一本の雷は、大衆の注意を大いに惹く。
「――おいおい、今の音なんだ!?」
「――あっちで一瞬何か光らなかった?」
「……雷か? こんな快晴だってのに」
そして同刻、その一筋の落雷は、少年たちの目にも留まることとなる。
「――なんだ!? 何の音だ!?」
焦りを見せるウォンとは対照的に、ダイトは冷静を保つ。
「……魔法だ」
魔法の教養があったからこそ、彼は冷静でいられた。対してォンは口早に疑問を呈する。
「魔法……? だって魔法陣なんてどこにも……」
「速攻魔法陣。いわゆる魔法の早撃ち、ってやつだよ」
そう呟いたダイトは、突如として落雷の地点を目指し駆け出す。一歩遅れてウォンもそれに続くが、疑念は晴れない。
「おいダイト!? 今は魔法なんかよりも、アンジを――!」
「考えたくないけど、胸騒ぎがするんだ! 少し付き合ってくれ!」
路地裏には既に野次馬が集まっていた。二人の少年は民衆の合間を縫いながら、最前列へと割り込む。汚い装いゆえに嫌な顔をされたものの、そんなことを気にしている暇は無かった。
最前列で目にした光景。それは奇しくも、二人の探していたものだった。現場の調査にあたる騎士たちの近くに転がるのは、黒焦げの何か。それはもはや、元は人間であるとは思えない代物。ただしそのすぐ傍に転がる空き缶と少々の小銭は、二人の少年にとってやけに見慣れたものだった。
野次馬の会話が耳に入る。
「……うえ、人間ってあんなになるのかよ。気持ち悪ぃ」
「……見た感じ、子供の背丈だな。どうせろくでもないことして、気の短い魔導師の逆鱗に触れたんだろうよ」
それは悲しみや怒りなどとはそぐわない、胸に風穴が開いたような喪失感。あるいは、虚無感。二人はその黒い何かがアンジであると理解すると、ただ呆然と立ち尽くしてそれを見つめた。
「――皆さん、離れてください! ほら、下がって下がって!!」
騎士に男は野次馬たちを遠のける。立ち尽くす二人の少年にも、同じ声が掛けられた。
「君たちも帰るんだよ。ほら早く!」
二人の少年は基地に戻ると、二人の少女へ見た全てを語る。
「――アンジは、死んだ」
ウォンの発言をダイトは訂正した。死んだという表現は、無性に気に入らなかった。
「違う。アンジは死んだんじゃない。殺された。アイツは何も悪いことなんてしていないのに、ひどい有り様で殺された」
なぜ殺されたのかは分からない。被害妄想であることを否定出来ないのは、確かだたった。それでもそんな言葉で納得出来る心の余裕など、ダイトは持ち合せていない。彼はこれまでに、もう奪われすぎたから。
ライブラは気が動転して問い続ける。
「ま、待ってよ? どうしてアンジが? 何のために? アンジが狙われる理由なんて――」
ダイトはついに取り乱した。
「知らねーよ! それでも……アンジは殺されたんだ!! アイツは雷の魔法で……体を丸焦げにされて!」
「――ダイト、落ち着け!」
ウォンは取り乱すダイトを抑えた。それでもダイトの心はもう治らない。もう治らないところまで、壊れてしまったから。
ダイトは吠え続ける。
「あいつはきっと、誰かの暇つぶしで殺された!! 何の利害も無いはずのポンド街の人間を殺すなんて、その過程を楽しむことだけが目的のイカれ野郎だけだ!! あいつは、クソ野郎の気まぐれで殺されたんだ!!」
涙を流して激情するダイトに三人は戦慄する。それでも彼の主張は続けられた。
「……もう分かっただろ!? 俺たちみたいな人間は、平凡で慎ましい生活すら許されない。人の目に触れれば、いつかはああやって、原形も無くなるくらいにいたぶられて殺されるんだ! 俺たちは、人間になれない……人間の形をしただけの、ただの玩具なんだよ!!」
ダイトは激情のまま、亀裂の走った硝子窓に拳を叩きつける。激しい音が立つと、手を伝う温かい血の感覚が流れた。
「俺は……家柄も屋敷も使用人も。父も母も。友人も奪われた。奪われ続けて、やっと分かった。この世界は、俺の思っているほど正常じゃない」
そして彼は俯いていた顔を上げる。そこに貼り付いた表情は、もうその場の三人の誰も知らない、ダイト=アダマンスティアであった。
「俺だって人間だ。死にたくないし、死なせたくもない。もう何も失いたくない」
「――俺はやってのける。何を奪ってでも、この異常な世界で足掻いてみせる」
その少年の主張を否定できる者は、一人たりとも居なかった。
No.63 プロセクト=ズグセル
髭を生やした肥満体型の男。莫大な富を持つ保守派貴族の実力者。富を持て余した男の趣味は、快楽殺人だった。




