117.和やかに、そして等しく。 ***
エルが孤児院に身を寄せてから、数年が経過した頃。辺鄙な孤児院は、この日大きな転換点を迎えることとなる。
「――ご臨終です」
始まりは、老神父の永眠から。昨晩突然倒れた男は、そのまま帰らなかった。孤児院の隅にひっそりと設けられた神父室にて、村に唯一の治癒魔導師の宣告が響き渡る。小さな部屋に押し寄せた子供たちの多くは、初めて人間の死なるものへ直面した。
曖昧ながら状況を理解する幼き日のカルノは、ただ泣きじゃくった。年長であるクレントは、傍で不安な顔をしたフィノンの頭を撫でる。彼らは、兄妹であったから。
村から訪れた司祭が先導のもと、葬送は滞りなく終えられた。それでも儀式が終われば、その司祭はそっと目を背けるようにして教会を立ち去る。司祭とはいえども単に村の小さな祭事を仕切るだけで、一村民と変わらない生活をする彼には、これからの孤児院の運営を支援する力も、その義理も無い。
そうして子どもたちは、静かな教会の中へ取り残された。夜になろうとも、神父が炊事場から手製の食事を運んでくることはない。
漠然とした不安がそうさせたのだろうか。深夜になれば、彼らは自然と暗い庭に集う。
「……俺たち、どうなるんだ」
ホーブルはふと不安を口にする。しかしそこには一つの返答も訪れない。神父たった一人の手で切り盛りされていた孤児院が経営困難に陥っているということは、誰の目にも確かだったから。
エルはどうにか希望を見いだしたく、分かりきっていることを口にする。
「村の人たちに頼んでみればさ……」
しかしティタはそれを一蹴した。
「そんなの無理。エンジ村は冬も厳しいし天候も不安定だから、食糧も油も足りてない。私たちの分なんて、どこ探しても無いわよ」
「……なら、いつも村の外から来てくれる貨物車のおじさんに」
「神父様がもういない以上、あの人はもうここには来ない。あの人だって慈善活動じゃないの。ちゃんと神父様と契約関係にあった。要するに私たちに残されたのは、少しの食糧と冬に向けて届けられた油の蓄えだけ。これ以上に物資が潤うことは、二度とないの」
逃れられぬ絶望は静寂を呼んだ。しかしそんな最中、ひとつの声が差し込む。
「――これが世界だよ。弱者はただ、排斥され続ける」
どこからともなく現れた声の主。それは普段全く喋らぬ、件の少年のものであった。
少年は手にした小型の灯火魔法具を掲げる。その魔法具は本来であれば、握った者の魔力を消費して周囲を照らす代物である。しかしどういうわけか、それは灯らない。少年の周囲は依然として、不穏な暗がりに包まれた。
しかし少年の演説は、ある告白から忽然と開始される。
「――魔力拒絶症。魔法に溢れた世界に生きながら、あらゆる魔法が使うことが叶わない。魔法具ですら、僕にとってはガラクタだ」
なぜ少年が魔法具を握ってここへ現れたのか、その意図がようやく分かった。彼はそのガラクタを躊躇無く投げ捨て、また言葉を綴る。
「世界のあらゆる知識人は、平和と平等を呪詛のように唱え続ける。それでも世の理という不文律は、永遠に不平等と差別を生み続ける」
「僕は弱い。果てしなく弱い。僕から何か奪うことは勿論、殺すことだって容易い。誰でも気軽に、僕を奪える。僕は、弱者の象徴だ」
「平和、平等。弱者が生きることのできる世界。そんな戯れ事が机上の空論から永遠に抜け出せないのは、強者がこれを語るからだ。平和も平等も、弱者にしか実現できないのに」
そして演説は強烈な一言で締めくくられた。
「――弱者の象徴たる僕が、世界を統べなければならない」
広場の皆は、ただ硬直した。圧巻されたというよりは、それが途方も無い戯言にしか理解できなかったから。
まずその沈黙を振り払ったのは、ティタ=ミトゥリス。彼女はただ率直に感想を述べた。
「……あんた、頭おかしいの?」
見下したような目をする彼女に、少年は真っ直ぐ瞳を合わせる。
「大真面目だよ。これこそが僕に与えられた宿命なんだから。かつての僕が汚れた街で野垂れ死ぬことなく、生きながらえてここに立っている意味なんだから」
「……変な奴だとは思ってたけど、ほんとにイカれてる。意味分かんない。弱肉強食って言葉を知らないのかしら? 残念だけど、こんな孤児院にいる時点で、私たちはただの肉だよ」
「それは理性の無い野生の世界の話だ。人間には理性がある。人間の文明が醜い獣と同じ価値観で存立するのは、不適当だ」
ティタはまた何か反論しようとするが、クレントはをそれを制止した。そして彼は、少年と対話を試みる。
「急に俺たちへ妄言を垂れようと思ったのは、どういう目的があってのことなんだ?」
少年はそれを待ち望んでいたかのように返答した。
「僕に服従しろ。平和と平等の実現の為に」
その妄言に、広場の空気はより一層険悪へと陥る。ティタは制止を振り切って野次を飛ばそうとするが、冷静なクレントはそれを掻き消し、対話への挑戦を続けた。
「俺たちにはそんな馬鹿げた無謀な話に、乗っかる理由も無い。だいたい名も知らぬお前相手に、仲良しする義理も無いんだがな」
「それじゃあ君たちは、このまま孤児院で何も成さず死んでいくのか? それこそ、喰われるだけの肉塊のように」
「誰がそんなことを」
「だって僕たちは、このままだと死ぬんだ。当面の僕たちには、生きるために統率が必要だ」
「そうだな、それは間違ってない。でもお前が適任ではないことだけは確かだ」
遠慮なく言い放ったクレントに怯まず、少年は突如としてある計画を示した。
「夜明け頃、村へ降りて民家を一つ襲撃する。まずは数日生きながらえるための食糧を手にするんだ」
「……愚かな奴だ。お前はさっき、自らで弱肉強食を否定したんだろ」
「革命とは血の代償の上に成り立つ。これはあくまで必要な過程だ。弱者として生きる者が抱えた歪みを、弱者たる苦しみを理解させる。一種の教育のために、奴らを喰らう」
「……分からんな。大義名分にしか思えない」
「分からなくていい。まずは君たちが明日を生きる為に、僕へ服従してみろ。それに僕にも、それなりの覚悟ができている」
少年は懐から、どこからともなく短剣を取り出した。そして少年は掌を広場の芝生へ置くと、刃を躊躇うことなく手の甲へと突き刺す。
「生きる為に、村の襲撃は必要事項だ。誰かがやらねばならない。僕の指示に従え……なんて言っても、聞く耳をもたれないことくらい分かっていた」
場は騒然とした。少年は顔を歪ませながらも、不敵な笑みで語る。
「ならば僕も背負おう。そこで一人でも怪我をしたなら、僕はその責任を負って、絶命するまで己の肉を削ぎ続ける。僕を殺したい奴がいるなら、そいつに任せてもいい」
No.117 革命の塔における「塔主」
革命の塔において、その全権を握る指導者を意味する。




