118.導きのままに ***
「ねえねえ! 今日の夜ご飯はなーに!?」
エンジ村に住まうとある少年は、母親の足にしがみついてご機嫌に尋ねた。母親は小さな炊事場で忙しなく手を動かしながらも、優しい笑顔で返す。
「……できてからのお楽しみよ」
「ええー! 教えてよ!」
少年は不服そうに頬を膨らませる。母親はその可愛らしい様相を見て、少しばかり微笑んだ。
そのとき、家の扉は何者かによって開かれる。二人はそれが畑仕事から帰った父であると思い、炊事場から声を飛ばした。
「お父さん、お帰りなさーい!」
「おかえりなさい、あなた」
しかしそこに、聞き慣れたの声色の返事はない。い静まり返った玄関に、母親だけが僅かな違和感を抱いた。その一方で少年は、何の疑いも抱くことなく、帰った父の元へと走り出す。炊事場からは、忙しない足音が遠ざかった。
一度は勘ぐってしまったが、母親の視線は手元の鍋で温められたスープへと戻る。些細なことで違和感を覚えてしまったものだと、深く考えるのはやめておこう。それよりも、スープが焦げてしまう。
しかし残酷とは、不意に訪れるから残酷なのだ。母親の堪は間違っていなかった。次の瞬間、居間へと帰ってきたものは大きな衝突音。皆で囲むはずだったテーブルは横転し、そこには眼球を剥き出したまま頭から血を流す子の姿があった。
母は己の顔が青ざめていくよりもずっと前に、ただ少年のもとへ駆け出していた。
不思議と声は出なかった。母親はいくら少年を揺さぶろうと、それはもう動かない。開きっぱなしの瞼の奥には、無気力な瞳がどこか途方も無い遠くを見つめる。きっと彼の見ているものは、この世ではない。
「――これでいいんだよな」
「――ああ、それでいい」
扉の向こうから、聞き慣れぬ声が差し込んだ。まだ若いその声の主は、幼き日のクレント=ズニア。背後には、彼をこうさせた因果たる、名も無き少年の姿もあった。
そしてその名も無き少年は、同行する別の少女へと声をかける。
「素晴らしい魔法だね、フィノン」
幼くして強化魔法・剛力を会得するフィノンは、義理の兄であるクレントへそれを付与した。つまるところ彼女もまた、罪に手を染めたのだ。
それでもフィノンはまだ迷いが拭えないようで、名も無き少年の労いには何も応答せずにいる。幼いながらも、人を傷つけることの罪深さは承知している。
名も無き少年は、彼女の思惑を察して呟いた。
「……君は優しいんだね、フィノン。でも、優しさと甘さを履き違えてはいけない」
少女は応じない。名も無き少年は、話し相手をクレントへ変更した。
「にしてもまさか、よりにもよって君が僕の話に乗ってくれるとは驚いたよ。昨晩は一番反発していたように見えたけど」
「……お前の気味悪い思想に乗ったわけじゃない。手を汚すしかないのなら、年長の俺の役目だと思った。本当なら、フィノンも置いてくるはずだった」
「なるほど。素晴らしい信条だ」
名も無き少年は話を現状に戻す。
「ところで、あの子供はちゃんと殺せているだろうか?」
あまりにも軽々しく命を語った。クレントは無き少年に嫌悪しながらも、渋々と応じた。
「……ただ殴っただけだ。分からん」
「強化魔法の乗った拳なら、内臓を破裂させる感覚ぐらい分かると聞く。ちょうど母親もいることだし、そいつで練習してみてくれ。人間を壊す感覚を覚えておくことは、今後の為になる」
クレントは少し黙り込むと、背中を向けたまま少年へ尋ねた。
「……お前は一体何者なんだ。なぜ魔法の使えないお前が、そこまで魔法に詳しい? たいして年も変わらぬお前が、なぜそこまで達観して生死を語れる?」
「全て本で読んだ。魔法は人を殺せるということも、人が人を殺すことで、そこに何かを生みだせるということも。歴史と科学が、手を取り合って証明してくれたよ」
その少年は少しだけ微笑むと、改まって次の指示を下す。
「無駄話は後だ。さあ、さっさと殺してしまってくれ。長引くと厄介な事が起こりかねない」
クレントは拳を掲げた。仲間を生かすために、己が手を汚す。それが正義であって正義でないことは分かっていたはずなのに。
夜になれば、三人の略奪者は孤児院へ充分な食糧を持ち帰った。それでも孤児院に残った者たちは、それを素直に喜べるほど毒されていない。
エルは名も無き少年へ恐る恐る尋ねた。
「本当にやったの……? 村の人から物を盗んでしまったの……?」
少年は屈託なき笑顔で答える。
「ああ、そうだよ。発覚を遅らせるために、始末した上で略奪した。それでも僕の見立てでは、きっと今晩にでも自警団による犯人捜しが始まる。早ければ、深夜にはここが突き止められるね」
「ふ、ふざけないで!」
「ふざける? 何のことだい?」
エルは少年の胸ぐらを掴んだまま、一種の怯えを帯びた声で尋ねた。
「どうしてあなたは……笑っているの?」
「まだ分からなくていい。君たちもいずれ、同じように笑っているから」
少年の言葉は続いた。それは恐ろしいくらいに的を得ているように聞こえてしまう。
「それに、君も分かっているんだろう? もし君が本当に略奪を拒んだのなら、僕たちを止めるべきだった。それをせず傍観した君は、僕たちの仲間だよ。安心してくれ、もちろん歓迎するとも」
そのときティタはクレントに語りかける。
「……クレント」
「……なんだ?」
「あんたがさ、殺ったんでしょ。気弱なフィノンと魔法の使えないそいつが、そんなことできるとは思えない」
「……ああ、そうだ。俺が殺した」
「それは、あんたが一番年上だから?」
クレントは答えない。沈黙が黙認であることくらい、ティタにも理解できた。そして彼女の一言が、さらに孤児院の情勢を変える。
「……ごめん、クレント。私はあんたに背負わせすぎた。私もそいつに従う。私も同じもん、背負うから」
ホーブルはティタの両肩を掴んだ。
「おい! 正気かよ!?」
「当たり前じゃん。革命家気取りのそいつは気に入らないけど、クレントだけに手を汚させるのは耐えられない。私はね、クレントの次に年上なのよ……!」
彼女と同年齢であるホーブルは、言い返す言葉を失う。まるで友が、次々と毒に侵されゆく様を見ているようだった。
ふとして名も無き少年は、話の軌道を戻す。
「もし未明に自警団が孤児院へ来たならば、僕たちは協力無しで生きられない。僕たちに残された道は、たった一つだよ」
どこか余裕のある少年の口調に、エルは感情的に批判する気力を失った。
「これが最後だ。僕に従え。僕の導きがあれば、また明日の黎明を皆で見ることができる。約束しよう」
No.118 エンジ村
王都・ギノバスから遙か遠方に位置する辺境の村。騎士の配備が行われていないため、村民により自警団が組織されている。




