第7話 カメラ編(前編)
場所はアフリカ某国の人工島。
青嵐な青空に白い太陽が、四角上に敷き詰められた都市―「ムンダネウム」を照らし出す。
その周りに一面に広げられた黒い太陽光パネルがきらりと光り、まるで鏡のように司令塔の「アウトルック・タワー」を映し出した。
「虚ろですわ。」
と東欧風のワンピースを身にまとった、少女は言った。
その寂しそうな表情は真っ青な空に妙に浮いて漂う。
RW収納倉庫(放射線処理倉庫)によって見捨てられた街、見捨てられた人々が集う「この世界」を見下ろしながら、彼女は寂しそうに赤毛混じりの髪をなびかせる。
「何がだい、サラ。」
と老人をおぶったまま、ボリュームのある癖毛をかきあげた中年のメスティーソは隣で呟いた。その黒く輝く瞳が、男の穏やかな人柄を表している。
「この世界のすべてが、まだ「虚ろ」です。この街のように、すべてが完成されていない。そんな世の中がむなしいのです。」
「ああ、そうだな・・・・。」
と、彼の背中におぶらされた―眼帯の男は、年齢にそぐわないはっきりとした声で頷いた。
夏にもかかわらず男は黒いコートをかぶったままだ、そして、風によってたなびいたコートは、その男に「手足」がない事を示す。それを隆々とした白い腕を持つ男が、よいしょと、担ぎ直す。彼の首から左腕に刻み込まれたトライバルの刺青が、それによって歪んだ。
「全くさ、ただ僕の場合はここが、「虚ろ」に見えるね。」
「というのは、おじさま?」
少女は少しいたずらっぽく微笑んで問うた。
「……こんな「世界」が存在していたって事が信じられない・・・というか。こういう世界の有り方もあったんだ、ってね・・・。」
「そうね・・・私もこんなこと出来るだなんて、思ってなかったわ。本当、SFみたい。」
「信じてそれは現実になるんだよね。まるで夢というものみたいに。」
そのほうと遠くを見る先には何が映っていただろうか、男が傭兵として「理想」を求め、かつて生きていたあの「偽物」だったアマゾンの森林が隠していた裏小屋か―。
しかし、その「理想」ここで遂に成さしめた男―、眼帯の老人を2人は愛おしそうに見返った。
手足に眼帯をした老人と、それを背負うトライバルの刺青が彫られた筋肉質の男、
そして、東欧刺繍を身にまとう少女。
この一見して奇妙な組み合わせ、それこそがこの「ムンダネウム」を象徴する、「構造」であった。
老人と、男と、少女はそれぞれ、世界の「はぐれ者」だった。
それぞれが、自分の「生きていい場所」を求め、たどり着いた先が、互いにとって遠い異国の「ここ」であったのだ。
「だが、我々にはまだ、いずれ成し遂げるべき事がある。」
老人の言葉に2人はゆっくりと遠い向こうの、対決すべき「虚栄の街」へと頷く。
「未だ囚われている、私たちの「息子」をここに引き出そう。」
「一筋縄ではいけませんわ、おじい様。「お兄様」がその気になれるか、どうか・・・それが問題です。」
「そうだな、僕の目からして見る限り、アイツは僕と同じだ、あの目、「洗脳」されてるよ。」
「だが、成し遂げなければならぬ、この組織を守るため、ならば。その時は頼むぞ、ホセ。」
男はぎゅっと―ホセと呼んだ男の肩に身体を寄せた。
「ふっ。おおせのままにね、お父様。」
「あまり、無理はしないでね、おじ様。」
と、茶目っ気溢れる笑顔でホセは、サラに向かってウインクをした。
そう、男にはまだ、「夢」があった。
それは、やがては世界に自分たちも「生きるに値する存在なのだ」と知らしめてやる事。
虚栄の混沌たる「アメリカ」と、同じ組織として二分し世界に均衡をもたらす。
目指すべきものは自分を〈こうなる〉まで貶めた、「国民国家」への否定。―
遠い記憶の彼方に残る痛みに、濃い灰の瞳が曇った。
「おっじちゃ―っん!」
後ろの空中庭園で遠く、ムンダネウムの未来を担う子ども達が駆け寄ってきた。
それは、この「ムンダネウム」という組織が出来なければ、生まれる事も許されなかった子ども達の輝かしい笑顔。
「おじいちゃん~変わって~!いつもの肩車させてよ!」
と嬉嬉とした笑顔で子どもたちは老人を背負う男の脚元に駈け寄った。
「あーまたかよ!」
と悪態付くも、男はにっと皺を寄せて笑い子ども達を愛おしそうに見下ろす。
「はいはい、じゃあ向こうにおいてあった義足を取ってくれないか?」
すると、子ども達はまるでそれが当たり前かのように、「平然」としてベンチに置かれた義足、義手を取出しそれを差し出した。
その子ども達に満足したように、老人は慈父のごとく口角を少しあげたのだった。
***
So manchen braven Kamerad
Legten wir schon ins kühle Grab.
|: Wenn auch so manches Auge bricht,
Wir fürchten Reichsbanner und Rotfront nicht.
Und ist der Kampf auch noch so schwer,
Wir wanken, weichen nimmermehr!
|: Wir fordern Freiheit, Recht und Brot,
Für Deutschlands Zukunft gehn wir in den Tod. :|
NYのマンハッタン、ダグ・ハマーショルド広場。
一面に広がる曇り空に、その陰鬱さを強調する、堅苦しいドイツ語が何重にも響いていく。
怪訝な顔をして見守る観衆をよそに、灰色を背景に黒服の軍服を着た屈強の男たちは、口を縦横に大きく開けて声を張り上げていた。
そして、足並み揃えて軍靴をならし、枯れた木々とアーク調の電灯の真ん中を、堂々と行進していく。
曇天のNYに光る黒軍服の双鷲の銀、煌びやかに光る金刺繍の男たちの出で立ちに惹かれ、盛りあがる黄色い声も聞こえるが、その中でドイツから観光としてやってきたある者は、揺れる真紅の腕章の中央に描かれた「記号」に眉を顰めていた。
「まさか、NYにまで来てお目見えになるとは思わなかったな。」
カメラを片手に男はその、男たちの腕に揺れる鉤十字の記号を憎らしく思っていた。
「ネオナチね。」
と隣で見知らぬ女性が声をかける。漆黒の軍帽子をかぶる男たちのスキマからうかがえる青刈りの毛髪を見、彼女は腕を組んでいた。その胸にも銀塩カメラが光っている。
「そうなのか?」
「スキンへッドはあいつらの特徴よ。こんな所で大仰にパレードして、一体何をしようとしてるのかしらね。」
と淡々と分析する彼女に驚き、そのドイツ人の男は震える指を、大声で歌い通り過ぎる男たちに刺しながら言った。
「そ、そんな呑気な事言ってる場合か!?」
「あら、どうしたのそんなに慌てて。」
「だって、そうだろう!?だってこんな事ドイツで起こしたら・・・即逮捕ものだぞ!?」
「それはドイツの場合でしょ?ここは、アメリカよ。実際に誰かに危害を加えなければ、わざわざ停止されるほどのものではないわ。」
それは彼らも分かってやっている―いや、そもそも「悪い事」だと思ってやってやしないのだ。
溢れ出す野次馬たちの中で、唯一彼らが歌うドイツ語の歌詞を聞き取っていた女性は、カメラをかまえ、それを撮影した。
「そ、そんな・・・・!」
「アメリカは自由の国だから。」
と、怒り震える男に「決め台詞」を吐き捨て、彼女は行進についていく。
ドイツの男も慌ててそれに続き、忌々しそうに軍服の男たちを横目に見ていた。
「とは言えど、さすがに起こす場所が問題ね。」
と軍歌の雰囲気に駆られ、写真を撮り、盛りあがる一向をかきわけ女性は呟いた。
「この広場を出てネイションストリートを左に曲がれ行った先にあるのはドイツ総領事館よ。もし今日彼らがそこに行く事を目的として行進しているというのなら・・・。」
「やばい!それはヤバイよ!!」
男は悲鳴に近い声をあげて彼女の横を走った。
「しかも今日は、丁度外交官が国連へ向かう頃合いだわ。そんな時に丁度彼らが通り過ぎるものならなおさ
ら・・・。」
「ナイン・・・!それは、やめろ・・・!やめろおおおおおおお!!」
男はドイツ人として危機と思ったのか、行進が広場を通り過ぎ左に曲がったとき、その直角の角度を狙って飛び込んできたのだ。
「何をする!」
太い男の怒声が響く。
「それはこっちのセリフだ!やめろ!今すぐ止めるんだ!お前ら!今自分が何をしているか分かってんのか!?」
興奮のあまりドイツ語で怒声をはき妨害する男に、軍服の男らはその鍛えた鋼の拳で一発ぶちかまし男を再び人ごみの中へと戻した。
「ぐっはああ・・・・!クッソ・・・!」
鼻血を垂らし口元を抑える男を、女はその肩を抑え留めた。
「むやみに対抗しちゃダメよ!あいつらだって伊達に軍服来てるワケじゃないんだから!」
「んだからってどうするんだよ!あのままにされたら、ヘタすりゃ国際問題ものだぞ!」
2人ははっと軍歌を歌い行進する「鉄の壁」を睨み、その向こうにある「総領事館」のビルを遠目に見る。
「どうするったって・・・・どうしようも・・・。」
男も、そして女もその持っているカメラで風景を撮る事しかできなかった―。
***
と、その騒動を聞きつけ、1番街をマンハッタン橋からサイレンを鳴らし駆け抜ける、あるパトカーがあった。
「すみませぇぇえええん!どいてくださいィィィィい!」
クラクションを鳴らす回りの車をぬうようにすり抜け、違反スピードギリギリで走るパトカーの運転手は、黒縁メガネをかけたオールバックの警官、ヨーナスだ。
そしてその後部座席にはカーキー色の軍服を着、逆立った金髪を揺らす美少年巡査―、ジョージがあぐらをかいて座っていた。煙草を咥えた口元を綺麗にあげ、ジョージは戦いの準備に嬉々として取り掛かっている。
「パトカーナンバー0009要請す。ドイツ総領事館にはいつまで間に合うか。」
「はいはいはい!今全速力で向かっております!あと5分位には駆けつけられるでしょう!」
と、トランシーバを取り上げ、ヨーナスはハンドルを片手でぐいっと回した。
「了解。随時そのまま進め。なんとかして間に合わせろ。」
「了解!」
と、その無茶振りに怒りを表す様乱暴に無線を元に戻した。
「ヨーナス、車体を揺らすな。弾が積めらねえ。」
と、股間に立てるKar98kに、金色に光る8ミリマウザーを詰めながらジョージは言った。
「何呑気な事言ってるんですか!?大体貴方がパトカーに乗らずにのんびり着替えしてるからこうなったんでしょう!」
アクセルを強く踏みつけながら、ヨーナスは後部座席を見る。その一見したジョージのコスプレ姿に似合う―という気持ちが湧いたものの、慌てて視界を前に戻した。
「・・・それにしても何だってそんな恰好してるんですか?」
その質問にミラーごしにジョージが愚問だと嗤った。
「そりゃおめー、ナチの軍人共がNYに復活ときたらその時代に倣って倒した奴が、またちゃんと倒してやらねえとな。」
と揺れに合わせて鉄の音を立て、ジョージは青い水色の瞳を輝かせる。それはさながらこれから遊びにいく少年のようであった。
「という事はなんです?連合国軍の制服でも着るんですか?」
「ハッ!?馬鹿か!そんなんじゃ在り来たりでつまんねえだろ!」
と、木でつくられたストックを握りジョージはヨーナスを睨んだ。
「ちょっと捻りを込めて選んだんだヨ。てめーらの問題は、てめーらで落とし前付けなって、てなぁ?」
「へ、へえ・・・・?」
意味を解しないヨーナスをジョージは「素人が」と鼻をならし、煙草をふかしたまま新緑の帽子をかぶった。
***
一番街に面する細長い建物のテラス縁に掲げられた、鷹の紋章と三色の国旗。
その下の入り口から出てきたのは大勢の男たちに囲まれたドイツ外交官である。
目の前で待ち合わせてあるメルセデスの大型車に乗り込もうと絨毯の上を進み、ドアを抜けるが、ふと聞こえた騒ぎの音に顔を向ける。
「あれ、あれは・・・・・?」
右手に見える異様なほどの人だかりと、その中を抜けてこっちに向かう軍歌を歌う黒だかり。
その言葉にふと既視感を覚え、目をこらせども、その目の前をさえぎるように誰かが立ちはだかった。
「ただのつまらない喧噪でしょう。気にする事はありません、先に急ぎましょう。」
「あ、アーサー議員・・。」
流暢なドイツ語で呼びかけたその男は、先ほどまで米独座談会に参加していたアメリカ下院議員のアーサーであった。
だが、その隠すようにあえて淡々としている仕草に、外交官は更に気になってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくれまいか議員殿。あの歌は私、どこかで聞いたことあるんだ・・。」
と、興味深そうにアーサーの向こうにある景色を眺めようと、背をのばそうとする外交官。それをアーサーは肩を掴み離した。
「それよりも、次の座談まで時間がありません。早く車へ。」
と動揺を出さずに対処し車の中へと促そうとするも、それを解しない外交官は「ちょっと待って。」と身を乗り出すばかりだ。
やがて彼らが近づいてきて軍歌の音も大きく聞こえてきた。と、周りのボディガードがその気配に気づきまわりを囲む。
その間で軍服の男が野太い英語で外交官を侮辱しながら、軍靴をならしボディガードを牽制している。ボディガードも沈黙でもってそれを留めるが、それを更に軍服の男は声色を変えて攻めてくる。一色触発の事態となった。
そこから少し状況を解し、眉を顰め始めた外交官を見、アーサーは冷たい灰色の瞳で後ろを睨む。
「早くしろ。」
と遠くにいる「彼」に呼びかけ、アーサーは小さくつぶやいた。
すると突然、その問いに応える様、ブレーキ音と共にボディガードを何人か轢いて、1番街の道路を弧を描くようスリップする車が現れた。
ネオナチの前に停まった「鉄の塊」。その典型的な、クラウンビクトリアの四角いボディが浮かび上がらせ、それは煙を吐いた合間から両者に見せつけるかのごとく、「NYPD」のフォントを露わにした。
「なんだ、コレはあ!」
興奮気味の軍服男が、突然の音に不愉快そうに眉をひそめパトカーに近づく。
そしてその太く盛り上がった腕で、その窓ガラスを割ろうと降りかかるが―
途端、そのタイミングを狙ったかのようにドアが開き男を弾き飛ばした。
「ぐはあっ!」
と同時に、その黒軍服と違う、カーキー色の軍服を着た男が車の中から出てきた。その寸時を狙って男は、軍靴の厚い底で男のアゴを思いっきり蹴り上げる!
「何者だ!」
その勢いに駆られ、一気に攻撃の態勢にのるネオナチであったが、倒れる男の後ろに見える男は金髪を帽子からのぞかせる、ジョージ・ルキッド。
そしてその手に握られる物は木製のストックで造られたkar98k―。重みのある鉄の風情に、軍服の男たちの動揺が走った。
「え、それ。もしかして本物―。」
「たぁありめええだろが、糞ナチがぁぁああああああ!」
と堅苦しい軍服姿に合わない下品な声をあげると共に、その銃口が男たちに向かって火を放った。
沸き立つ悲鳴にのせてジョージはKar98k片手にその列に駆け込み、両足を振り上げ列を叩きのめす。
やがてそれにネオナチも負けじと、一斉にジョージを取り囲んでいった。
「か、かかれえええええ!」
男たちの雄叫びが鳴り、「黒」が一斉に真ん中のジョージに襲いかかる、が―ジョージはふと目を閉じたかと思えばにやりと口角をあげ、ぶんとライフルを振り回し一番手に襲いかかった男の顔面を振り飛ばした。
立て続けにジョージは弾を放って一人を、その間に襲ってきた相手の攻撃をバク転して避けつつ後ろの男を回し蹴りにし、すかさず2発のパンチを前後にくらわす。そして体勢を崩したその背後から足蹴りをかけ、前の男をガードレールに押し付ける。
―展開される噂通りの殺陣さばきに黒軍服たちはしりぞいていった。
「キャーッ!ジョージ・ルキッドよー!」
「いけーっ!NYPDの猟犬!」
「こりゃまた、軍服姿がいいねぇーっ!」
荘厳な軍歌に彩られた雰囲気も今や黄色い歓声へと様変わりし、道路両側、そしてビルからのぞく人だかりの騒ぎが大きくなっていく。
しかし、円状からジョージの足蹴りによってビクトリアに弾き飛ばされた一人が、きっとメルセデスの陰で様子を見ていた外交官を睨みつける。そして、
「この、腐れ外道がぁあああああ!」
と拳を振り上げ、飛びかからんとした。
きゃあっと迫りくる影にうずくまる外交官。その前に盾になるようにアーサーが構え、
「寄るな!」
と一喝するも、動きは止まらない。ジョージはその声にはっと振り向いてkar98kを撃たんと構えたが、
「ぐっ・・・・!」
突如、ジョージが苦悶の顔をして、態勢を崩したのだ。
「ジョージさん・・・!?」
そして銃口ははずれ、ビクトリアの窓ガラスを割るにとどめてしまった。
ジョージが止めてくれる出遅れいたボディーガードが慌てて飛び出すも、男はそれさえも弾き飛ばし、やがてアーサーごと殴り飛ばそうと飛び上がる―が、
「さっせるかああ!」
「がっはああ!」
ビクトリアを踏み台に、横から飛び出たジョージがアーサーの顔面の前、男の脇腹を両足で突き飛ばしたのだ。転がる男はあっと言う間に側にいたガードたちに組みふさがれた。
その騒ぎに便乗し、残りのネオナチも続いて外交官に襲いかからんと迫るが、彼らの足元に途端9ミリ弾の弾幕がはられる。
「近寄るな!それ以上近づいたら次はお前たちを撃つ!」
それは、漆黒のハンドガン―GLOCK182丁を構える、紺の巡査服を着たヨーナスだ。
「おお、ディンゴの方もおでましだぞおぉぉ!」
と沸き立つ掛け声を背景に、黒い銃口の向こうからヨーナスは憤怒の表情で、軍服の男たちを黙って、そのメガネの奥に光る黒い瞳で牽制した。
ヨーナスのGLOCK18に押され後ずさる男たちを見ながら、ジョージは一件落着とみて、後ろを向いて嗤う。
「ケガはねえか?」
それはうずくまる外交官にと言うよりは―、その前に無表情のままで立つアーサーに向けたものであった。
「無事だ。」
ジョージが手をかざす向こうで、アーサーはわき目もふらず前を向いて答えた。
「ヨーナス!」
「はいはい。」
ジョージがヨーナスの方を向いて叫ぶ。ヨーナスはそれに応じてGLOCK18を構えたまま、脚で車の中に置いていた棒状の何かをジョージに向かって蹴り上げた。
飛び上がってその細長い棒を受け取ったジョージは、ビクトリアのボンネットに乗り上げ、隣に位置する車高のあるメルセデスの銀のルーフに飛び移る。
「何を!?」
ふと態勢を低くしながら大仰に掲げたのは、黒・赤・金の横三色に彩られ風にたなびく国旗、
―その真ん中に黒の刺繍された鷹の紋章とドイツ語が見えたとき、外交官はワオと歓声をあげた。
「Reichsbanner Schwarz-Rot-Gold・・・・!ジョージ・・・!君は・・・!」
ドイツ社会民主主義(SPD)準軍事組織の軍服を着、国旗を掲げる美青年の出で立ちに、ついに、大衆の一斉な歓声が地の底から湧いて出る。それをジョージは満足そうに手を振ったのであった。
「すっげえええぜ!噂にゃ聞いてたが、やっぱりジョージってはすげえなああああ!外交官がSPD所属と分かってのコスプレかぁ!?だとしたらソイツは・・・ええと・・・やっぱりすげええええ!」
ついさっきまで焦りと動揺で固まっていたドイツの男は、周りの観客と同じく拳を振り上げ興奮気味に声をあげる。が、その隣にいた女性は男の声に応えず、一人複雑な面持ちで、その「痛みを隠すように笑う」ジョージを遠くから見ていたのであった。
「・・・どうして的がはずれたのかしら・・・それにあれから・・・ジョージの右脚の動きが妙に・・・おかしかった・・・・。」
***
ムンダネウムとの抗争も一旦沈着化し、しばらく経った頃である。
曇り空、マンハッタンチェルシーの海岸沿い。廃線された高架橋の上で一人、ジョージはハドソン川を見下ろしながら煙草をふかしていた。
「待たせたな。」
その声に横を向けば、黒コートを羽織った死神―、アーサーが待ち合わせより少し遅れてジョージに近づいてくる。高架橋の草を揺らす冷たい風が吹きあがったが、その表情はまったく何の変わりも見せなかった。
「珍しいこったな。お前からこの俺を直に呼び出すなんて。」
ジョージも今日はそれを無表情のままに迎えた。
アーサーの瞳の冷たさから、これから起こる事をどことなく察していたのだ。
「・・・ああ、そうしたには、どういうワケかは分かっているよな。」
重々しい低い声が、ジョージの心臓を微かに震わせる。
その戸惑いを見せまいとジョージは煙草を投げ捨て、高架橋の寂れた貨物船にひょいと乗り出した。
「ったく、いちいち、わざとらしい前置きはいいんだよ、とっとと言え。一議員の死神サマが、一体この俺に何を要求するってんだ?」
列車の柵を両手で掴み、ジョージはアーサーを見下ろしてせかした。
「・・・・・いずれ、私はムンダネウムと対決する事になる。」
一方、アーサーは前を向いたままそれに応えた。
「ムンダネウム。」
久しぶりに聞いた言葉にジョージも一瞬真顔になる。
「ああ、今はまだ、その時ではないが、いつか、いつか必ず私はムンダネウムと直接に戦う日がくる。」
対策委員長としてそれまでに至った経緯と背景を多くは語らず、アーサーは背を向けた。ハドソン川を背景に見える背中は、相変わらず自分と違う、遠い次元にいるもののようだとジョージはしばらく見守っていた。
「そして・・・その時はお前もいてほしいのだ。」
やがて溜まったように言った声に、ジョージは片眉をあげる。
「ムンダネウムは強敵だ。「あれ」は魔女だけではない。きっと、大きな武力をも持つ組織となりえる恐ろしい組織だ。それでも、このアメリカのために私は迷う事もなく、そこに立ち向かうつもりでいる。」
と、黒いコートをなびかせて振り向き、ジョージを見上げてアーサーは言った。
「そしてもし、いずれその時になったら、私はお前を連れて行きたい。
そして・・・お前は私のために、・・・・・死んでほしいのだ。」
「ああ・・・・?」
最後の言葉がジョージに信じられなかった。そんな事をお前が言いだすなんて―まさか。と。
「買おう。」
しかし、アーサーはジョージの疑念を否定しはっきりとした口調で続けた。
「その悪趣味な銃も、その能力も、そしてその心も。お前が持っているものすべてを私が買おう。」
そして、手を差し伸べながら言った。
「お前は私の物になれ。ジョージ・ルキッド。そして、来るべき時の切り札として、私のために、その命を投げ出してくれ。」
淡々とした眼差しは、その言葉が冗談ではない事を表している。
ジョージは自分に対する堂々とした態度に、戸惑いと疑念の目を向けるが、言った相手がアーサーだという事にしばし真剣にそれを受け取った。
「・・・・そのための報酬は?」
「これまでにないスリルと快楽。」
自分の性格を分かり切った言葉に、ジョージに笑みがこぼれる。
そして、鉄の音を立てながらジョージは列車から降り、ぐっと身を乗り出してアーサーと向かい合った。
何の動揺も見せない無表情につまらなそうに眉を下げる。
しかしジョージはアーサーの、そういう所が好きだった。
「なる、ほどねぇ。相変わらず冷たい取引だな。」
と好意的に笑い首を傾ける。しかしその笑みには一種の「狂気」もはらんでいた。
「わかった。だがもし、この俺を使う事にするなら、お前もそれなりのリスクを負ってもらうぜ。」
「なんだ。」
アーサーが眉を顰める前に、精悍な顔つきでぴっと指を差し、ジョージは言った。
「俺を使う時は、妥協はするなよアーサー。もし、お前が相手の事を思って少しでも俺に「手加減」する事を迫ったら、その時は容赦なく、俺はお前の咢を食いつぶす―。」
きっと掲げたギルデットが、アーサーの細い首筋をつうと撫でた。
「テメエの物になるって以上、それなりにきっちり「楽しんで」もらおうぜ。タイミングをはき違えるなよ、死神。その灰の頭脳ってヤツでよく考えて、よく見て、この「俺」を使う時を決めな。それを間違えたら、死ぬのはテメエの方になる。」
ジョージはアーサーの奥底に潜むその「相手」を見透かしながら笑った。
そう、これは主従のやりとりではない。
互いが互いの「命」を賭けるものなのだ。
「良いだろう。」
無表情のまま、アーサーは答えた。
そして、突然懐から細長いナイフを取り出し―
「お前・・・!」
何の戸惑いもなく、自分の親指をばっさりと切った。
大きく丸く溜まる血が、ぼとりと灰の高架橋へと落ちていく。
「取引の誓いだ。これ位の落とし前はしなければ。」
「ったくいきなりなんだよ・・・・変にカッコつけやがって・・・!」
「怖いのか?」
「はっ、まさか。」
アーサーに煽られてジョージも躊躇もなく、ギルデットを己の親指に突きつける。咆哮と共に裂けた皮膚から、手首にかけて血が絶え間なく流れていった。
「決まりだな。」
「ああ。」
それ以上語る事もなく、2人は互いの血濡れた手を掴み絡ませる。
神妙な顔で向かい会うその間に風が通った。
「さっそくだが、そのために・・・これからお前にはしばらくNYPDを抜けてもらう。」
アーサーは呟く。そして、ジョージは何の未練もなく頷いた。
その目撃を最後にジョージはぴたりとNYからいなくなったのだった―。
『GANMANGEORGE7最終回 カメラ編』
今から3年前の丁度この頁に、とある事実を元にした娯楽小説が半年間だけ連載されていた。
その名は「GANMAN GEORGE」。
ギャングの元締めから一転、NYPDの巡査へと抜擢された眉目秀麗の美青年、
ジョージ・ルキッドの活躍を書いたものであり、私の弟子ナターリアいや…ここではイゾルデ・エリザ―が、初めて執筆した小説でもある。
その時のイゾルデはまだ新米のジャーナリストだったので、まだまだ技量として不十分な所が多く、そのためこの小説はあまり話題にならなかったとされているが、
今回、編集長のご好意により今度は私の手によってGANMAN GEORGEの続編が載せられる事となった。
結果としてこの7話でもって、GANMAN GEORGEは最終回、と致す。今回の話は今までのとは逆に、イゾルデ自らが調べた事柄と共に、遺したカメラに記録された写真、そして私、ジェームズ・ラングドンが独自に調べ出した事から記述されている。多少の文体の違いが見られるがそこはご了承頂きたい。
ちなみに、イゾルデ氏本人は現在行方不明である―。
1、イゾルデ・エリザ登場
『NYの猟犬』―ジョージ・ルキッド巡査。
連載が終了して以来、我々に強烈なインパクトを与えたまま姿を消した金髪碧眼の美少年。
その間に、我々は様々な噂を立てては、彼の行方を追い続けていた。巷ではLAPDへ異動されただの、別の話では警察をやめて今度はマフィアとしてジュリアとイタリアへ渡っただの、はたまた別の所では麻薬所持占拠で逮捕した不良少女と恋に落ち、今は二児の父であるという話まで飛び交い、根拠のない噂が立てば立つ程、人々は想像に掻き立てられていた。
これはその真実を改めて突き止めようと奔走した、一人の女記者の物語である。
NYブロンクス地区、パークエイブと149番地の交差点左上一角。
コンクリートが剥き出しの古ぼけたそのビルに、彼女の勤め先はあった。ビルは、角になっている所がひび割れのガラス張りになっている。
そして、そこに位置する執務チェアで、胡座をかいたパンカーの女が一人。
彼女はリンカーンヘルスセンターの庭を背景にタンクトップからのびる白い両腕を掲げ背伸びする。
そして分厚く塗った黒い唇を開き、
「マリアンヌ」
と「彼女」の名前を呼んだ。
「はい。」
軽い声と共に書類の山から這い出たのは、我らがGANMAN GEORGEの執筆者、イゾルデ・エリザ。
ブリュネット(栗色)の髪を肩まであげたポニーテールに、浅黒い肌を持つ長身の女で。
ぱっちりとしたマスカット色の2つの瞳で、タンクトップの女―、編集長を見、角の編集長机の前へ歩いて立ち止まる。
その出で立ちは青生地に黒チェック柄の丈の短いノースリーブワンピースと黒ニーソックスという、記者にしては派手な格好だ。
それは被写体の目を向けるためのもの、と本人は以前語っていた。
本人が意識したものかは不明だが、その身体の線に沿ったワンピースとニーソックスは、膨らみのある胸、なだらかなくびれ、そして肉付きのよい太ももをくっきりと映し出しており、確かに別の意味でも相手の目を引いていたのだった。
「もうすぐ秋も本格的なのに、よくまぁ。」
と自身もタンクトップ姿である編集長は、猫のように背筋をのばして机に手をつき呟いた。
「マリアンヌ、私、貴女に新しい取材をこれから頼みたいと思っていたのよ。」
「新しい取材?」
とイゾルデは髪と同じ色の眉を上げる。
「そう。貴女が3年前にジェームズの代わりに書いた小説、「GANMAN GEORGE」の続編を書くための取材を、ね。」
得意気に机に膝をつく編集長。しかしそれにイゾルデは
「ええ・・・・?3年前のあの続編を今更書けって言うのですか・・・?」
と嫌そうに首を振る。が
「嫌、とは言わせないわよ。」
と眉を顰める彼女の顔指差して、編集長は笑った。
「実はつい先日ね、来月タイムズ紙で掲載するはずだったネタが今頃ガセって事が分かったらしいのよ。で、今その埋め合わせで物凄く向こうが焦ってる所でさ。そこに私が駆け寄ってみたら編集長曰わく、GANMANGEORGEの特別編と形なら、その代わりとして任せたいんだってさ!」
両手をあげて、にやっと笑う編集長に、イゾルデの後ろにいた同僚たちがさすが編集長!と手を叩いてはやし立てた。
「ようやくタイムズ紙から下請け依頼が来たんすね!」
「これで久々に収入らしい収入が手にはいるわ!」
と力なく手を叩く同僚にイゾルデは苦笑する。
「そ。みんなが言うとおり、タイムズ紙に載せられるというのは、我々エロとグロしか書くネタのない三流下請け記者にとっては、これとない栄誉と収入の源よ!みんなの給料も賄うと思って、ここは何とかなさい!!」
と銀のビーズが散りばめられたスカル調のタンクトップを着た編集長はぴっと、イゾルデの胸を指差した。
「ったく、あいっ、変わらず、大きいわねぇ。」
と立ち尽くす彼女に憎たらしく吐き捨て、自身の控えめな胸の上に腕を組み、
「頼むわよ!」と強調した。
-そう意気込んで頼まれても、とイゾルデは困惑する。
「困りますよ編集長。6話の最終回以来、私は全く彼らの事についてはご無沙汰ですし、新しいネタなんてこの3年のブランクで取り戻せるものではないですし…。」
「そういうわけで1ヶ月、貴女はここから出入り禁止よ。」
「はいい?」
答えになってない編集長の言葉にイゾルデは声を裏返した。
「1ヶ月あげるわ。1ヶ月。その間に主人公ジョージを含めた主要人物の事を取り上げる。これがタイムズ紙に連載する絶対条件になっているの。それを最低限成し遂げられるまで、貴女はここに入る事を許さないわ。」
「ええ…!?」
もし私がそこにいたなら、そしてそこにいる一同も、この時こう思ったであろう。
「あぁ、また気分屋編集長の無茶ぶりが始まった。」と。
イゾルデもついに来たと言わんばかりに眉を潜め、首を振った。
「何よ。それ位真面目にやれって、事よ。私だって伊達に編集長に掛け合ってきた訳じゃないんだし、それなりに成果を出してくれないと困るのよ!」
きっとイゾルデを見定める、濃い眉毛の下からのぞく黒い瞳は、異論を受け付けぬ意志を表している。もう駄目だと言うように首を振ったイゾルデは、「はい」と掠れるような声に答え俯き、編集長に背を向けた。
「全くこっちの言い分もそれなりに聞けっての…それだからいつまで経ってもあのクラス止まりなのよ。」
と向こうの当人に聞こえない程度に呟くイゾルデ。
力無く座ったその席の向こうから恰幅の良い先輩が顔を乗り出してイゾルデの様子を伺った。
「大変な事になったわねぇ。」という労いの言葉に
「本当、よっぽど困窮状態なのかしら。」
と深いため息で応えた。そして、仕方なくいそいそと机下の引き出しから6冊分のタイムズ紙を取り出し、机の上に置く。
「見直すのね。」
「うん、どんな感じに書いてたかな。と思って。本当は嫌よ。自分で書いたのって見直す度に書き直したくなるんだもの。」
「あるある。」
くつくつと笑う先輩をよそに、ページをめくるイゾルデの隣から同僚のレゲエ男が割り込んだ。
「そういや、そのGANMAN GEORGEも当時一番の収入源でしたよねぇ。想像されてた以上に評判があった、ていうじゃないですか。」
「悪い評判もね。」
と自嘲味にイゾルデは呟いた。
「あらそうなの。私好きだったけどなー。特に最終回のモトローラ・セイバー編が好き!議員が出てくる度に選出州区をいちいち出したのはそのためだったのね。って、分かった時は手を叩いてしまったわ。」
頬杖をつきながら笑う先輩に後輩はずいと向かい合って言った。
「えー僕は『銃編』と『i―pad編』が至高だと思いますけど?やっぱーああいうも何も考えない馬鹿騒ぎが一番GGらしいですって。」
「そうかしら。」
指を立てて語る後輩の向こうで、編集長が大仰に手を振って叫んだ。
「あたしはペチカ!!ペチカ編がジャスティス!!」
屋敷と死神だもんな。そりゃお前好きだわ。-皆無言のツッコミでそれを受け止めた。
その喧騒を聞き、めくりながらイゾルデはため息をつく。
しかし、続編は今まで通りにいくわけにもいかない。
それなりに大人になった証拠として、本編の不足分を補った文章にしなければならない、と思いながら。
「・・・ねぇ、でもその中でも何か不足してる所とか、不満に思った箇所はなかったかしら。続編を書くならそれを補ったものにしたいと思ってるんだけど。」
と尋ねたイゾルデに、二人は書類ごしに向かい合い、同時にうーんと考え込んだ。そして
「「それを言うなら…やっぱりジョージの事、かなぁ…」」
「えー!?よりによって主人公にご不満!?」
予想外の答えに思わずイゾルデは声を裏返す。
「ちょっと!乱暴な所が不満とか、銃撃戦がチートだとかは受け付けないわよ。だって本当の話なんだから歪曲する訳にも行かないじゃないの!」
あぁ言われてしまったと口を開く後輩に対し、先輩はそういう事じゃないと首を振って答えた。
「いや、何かね。主人公なのに浮き世離れしてる感じが奇妙、というか。何か彼だけがふわふわ浮いている感じがどことなく気にいらないのよねぇー。」
「は、はぁ…。」
「あーそれ僕も思ってました。ジョージの胸の内と言いますか、心理描写がないんですよねー。いつもせせら笑って戦ってばっかりで、彼に全然感情移入出来ないんですよ。」
意見に対しイゾルデは「そうは言っても」と両手を掲げて答えた。
「それは入れなかったん、じゃなくて、入れられなかったの。分析する限りジョージは元々ああいう質らしいし、下手に人間くさくして実物を曲げるよりかはアイドルにした方がヨーナスとうまく対比出来るかな、て、思っていたのよ…。」
そういうもんですかねぇと腕を組む後輩、しかしそこでも先輩は「心理描写が描けないんなら、」とさらに一言つけ加えた。
「それならどうしてそうなったのか、というジョージのバックボーンが知りたいわね。
余程の事でないかぎり「ああ」はならないだろうし、その過去だけでも続編で見れれば、ジョージにも奥ゆかしさが出てきて好感がもてるんじゃないかしら。」
その言葉にイゾルデは、ふっとああそれは私も知りたいかもと思った。
「…どっちにしろ、一筋縄じゃぁ、いかないって訳か…。」
と再びため息をついた時、タイムズ紙の上に乗せていた腕時計が時間を告げる。
「ありがとう。なんとかそれを取り入れて続編が書けるように頑張るわ。」
とイゾルデはいそいそと準備に取りかかった。タイムズ紙を元の棚に戻し、愛用の万年筆と小さな赤いメモ帳は右胸のポケットに、財布とティッシュは左のポケットに入れて。
そして最後に、机の上に置いてあったカメラ、桃色のK―rを首にかけて立ち上がる。
灰色の殺風景な机の前で、準備完了のイゾルデはわざとらしく敬礼をした。
「それでは行って参ります!また1ヶ月後に!」
無理に張り上げたイゾルデの声に先輩は憐れみながら、
「頑張ってね。待ってるわよ。」と優しい声で励ました。
「あ、マリアンヌさん。僕あと一つ作品について意見あるんですけどぉ。」
出て行こうとドアに手をかけたイゾルデを横流しに、後輩が机に突っ伏したまま呟いた。
「色々リアリティ、リアリティ言っちゃいましたけど、GGのフィクション部分はいつも通りにぶっ飛んじゃって良いと思いますよー。」
「フィクションですって?」
途端、怪訝な顔をしてイゾルデは振り向く。
「ええ。リアルとフィクションの掛け合いは本編のテンションでやってほしい、って事ですよ。」
とあくびをする後輩にイゾルデは物有り気に笑った。
「フィクションなんてないわ。あれはすべて本当の話よ。」
「はああ?」
その真剣な眼差しに後輩は驚いて顔をあげた。
「え、嘘でしょ。あれは絶対に嘘でしょ。車が一人でに動くとか、死神が湧いて出るとか、あそこはマリアンヌさんの創作でしょ?」
困惑気に自分を見る後輩に向き直り、イゾルデはカメラを手にとった。
「人間の目は妄想と偏見に溢れて当てにならないもの。波でもあり、線でもある光を入れて、レンズから見えるものこそが真実なのよ。」
「は、はぁ…?」
はきはきした口調に押され後輩は声を裏返す。
「続編もこのカメラのレンズを通して見た真実を書いていく、それだけよ。貴方もCAMERAMANとしては、まだまだね。」
と化粧品っ気のない顔で均等に並んだ白い歯を見せながら笑う。
後輩が何か言おうとする前に、ブリュネットのポニーテールを優雅にはためかせ、イゾルデはオフィスから出て行った。
2、TARGET1 『POISONOUS SNAKE OF THE NY』
ブロンクス橋からマンハッタン島入りし、向かった先は夜の37番街だ。
豪華なホテルと情緒溢れるアークテクチュアから暖かい街灯が漏れる頃。
高級車とめかし込んだホワイトカラーたちが行き交う石畳を、イゾルデはすり抜けるように走ってゆく。
大通りに至る直前の右手に見えるは、大きな建物に挟まれた梁が丸見えの小さな木造家。
明かりのつく入り口から溢れるように色とりどりの花が白漆喰の木造家を取り囲んでいた。
「あ、ジェニー!ジェニー!!早く!」
と家の窓から少年が手を振ってイゾルデを呼ぶ。
「はい、はーい!今行きます!」
と小走りにその家の中に駆けつけ、イゾルデは奥にあるロッカールームへ一直線に走り抜けた。
「あら、今日は父さん、母さんはいないの?!」
ロッカーを開け、首にかけたカメラを中に、代わりに取った赤いエプロンを首にかけながらイゾルデは大声をあげて問う。
「ああ!今になってホテルから白百合百本のアレンジメント頼まれちゃったってさ!2人してそっちに向かってる所なんだよ!」
シット!こんなクソ忙しい時間に!と若者らしく悪態を吐く少年を横目に、
「今日はとことんついてないわね。」
と呟きながらイゾルデはエプロンの紐を結んだ。
「まぁ、仕方ないわ。何とかしてこっちも2人でやりましょ。」
エプロンのポケットに小さなカメラ(手のひらミノックス)を仕込み、ロッカーを閉める。
その間際、早速店の前に立つ客に向かい
「いらっしゃい!」
と赤いエプロン姿で2人は花の中で挨拶した。
そこは一家が経営する、深夜に開かれる花屋「リリエンタール」である。
昼までに閉まってしまう28番街花卸問屋に代わり、ホテルや劇場の花やアレンジメントを行う花屋は、店の形通り「隙間」産業として大いに繁盛していた。
イゾルデはそこに土日を含めた週5日、アルバイトとして働いていたのだった。
今日も仕事帰りから休む間もなくさっそく花屋の仕事に取りかかる。
27番街の夜は、殆ど裕福層が行きかう所だ。
高級車とそのエンジン音、腕を組み交わしながら歩く恋人たちの逢い引きの言葉、向かいのホテルでパーティーが開かれて盛り上がっている歓声を横目に、イゾルデは淡々と花屋の仕事にとりかかる。そんな日々を送る毎日だった。
エプロンごしでも分かる大きい胸で、彩り溢れる花束を抱え、行ったりきたり。
そうしている内に、花を抱える浅黒い手は土に汚れ、草木による切り傷と刺し傷でいっぱいになる。
そんなイゾルデの手から美しい花を受け取るのは、きちんとネイルがなされている細く綺麗な手、または高い腕時計をはめた大きい手だった。
これから彼、彼女らは華やかな場所で着飾った相手にそれを渡しに行くのだろうか。
と、イゾルデは泥がついた口元を汚れた手で拭う。そう言えばこの手はさっき角のある高級靴で踏みつぶされたリリアンを這いつくばって拾った手でもあったけ、とぼんやりと思っていた。
土足の床に手をつき足をつき、その手で髪をかきあげ顔を撫でて―、けたたましい車のクラクションに慌てて横にそれ、我に返る。
「どうしちゃったんだろ、私。」
感傷に浸る自分に首を振り、ささくれた茶色い唇を一舐めして、唾を飲み込む。
「ジェニー!!薔薇50本ラッピングよろしく!!」
とその間もなく、取り込み中の跡取り息子が、向かいに立つ男の注文をイゾルデに任した。
「はーい!今、行くわ!!」
と何か溢れそうだった瞼も拭い、後ろにある赤薔薇に手を突っ込んだ。
「…今日の私おかしいわ。こんなの5年前からずっとやってきた仕事じゃないの…!」
しゃがみこんで丸くなった背中に、追い討ちをかける様に華やかな女の笑い声が降りかかる。更に追い討ち花の棘が斜めに刺さった。
「痛っ…。」と言葉を口にした時、惨めな気持ちが広がっていく。
「今日はあれなのね。きっと1ヶ月帰って来れないって、分かったから不安で…。」
取材の当てがない1ヶ月。しかしそれでもこのバイトもやめられない状況で。
「だって…こっちの方が稼ぎが…。」
分かりきっていた事をついぼやいてしまった時、条件反射のごとく疲労で霞んでいた翡翠色の瞳が涙で溢れてしまう。それをごまかすようにイゾルデは必死に薔薇をかき集めた。
一筋の涙を拭う事なくただ無言にただ無表情に、深紅の薔薇50本をテーピングしピンクのリボンを結ぶ。
「こんな事情、客には関係ないもの!迷惑はかけちゃだめ…!」
その勢いと共にいつもより勢い良く結びつけ薔薇を掲げた。
「・・・おまたせしました。ラッピングはこの通りで如何ですか?」
そして待っていた客の前に突き出した。震えていた声を必死に抑え、涙の顔が見えないように薔薇で隠す。しかしその薔薇の隙間から客である男はやがて怪訝な顔をして首を傾けた。
「君は…?」
イゾルデは激しく舌打ちした。ささくれた心は躊躇いつつ男に向かう。
さっさと受け取ってこの華に相応しい女の所に行けばいいものを―と薔薇の間から男を睨みつけた。すると、
「え…?」
「あっ!やっぱりあの時のおねーさんだ!」
薔薇を傾け男は笑う。
その先にいたのは、艶のある黒髪をきっちりと固めている赤眼鏡の男だった。最初は眼鏡の印象が強く気づかなかったが、イゾルデは見覚えのあるその鋭い目つきにあっと声をあげた。
「貴方…あの…!NYの毒蛇…!」
それは、NYのプレイボーイと知られ「毒蛇」の異名を持つ日本人、椴敬之であった。
GG編でも2話の『ファントム編』から登場した人物でもある。イゾルデは突然の準レギュラーの登場に、一瞬動揺で固まった。
GGの中で描写した蛇柄ジャケットを着こなした伊達者と違い、今日の椴は黒スーツとネクタイ姿に、赤眼鏡という生真面目な風貌である。それで全く気付かなかったのだ。
しかしその血色の良い端正な顔立ち、眼鏡の奥に光るブラウンの瞳、33という年齢の割に深く均等に刻まれた目の皺といった、印象的な姿は曇る事はなかった。
そして何より、彼の後ろにある車高の低い、ガラガラヘビのノーズアートの付いた黒い車で彼の存在を表していたのだった。
しかし、それと同時にイゾルデは気付いたのである。
さっき遠慮なしにクラクション鳴らしたのもコイツだったのだと。
「君、あれだよね!?ずーっと前に羽子板花束やってくれたおねーさんだよね!」
ビジネスマンの見た目らしからぬ明るい声で、指を差す椴にイゾルデははっとなって、
声を裏返した。
「あ、そうだったわね。そう言えば貴方は…!」
以前薔薇のラッピングに羽子板、羽子板と文句を言っていたうるさい客でもあった。とは言えず指をさし返して笑った。
「まぁお久しぶり!また来てくれたのね!ありがとう!」
と笑うも頭の中は予想外の展開に戸惑うばかりである。
「いやーっ、あれから5年かー!元からだったけどおねーさんも美人になったね!今から気の乗らないパーティーに出る所だったけど、その途中で偶然にも君に会えるなんて今日は実についてる日だ!」
と口角をあげ別の相手に渡す花束を持って、見ず簿らしい自分を口説く彼に、
「誰にでもそう言っているくせに。」と笑いかえした。
「あれ、もしかして知っているのか?俺の事。」
「ここら辺で知らない人はいないわよ。NYの毒蛇さん。」
ぴっ、と指を立てウインクするイゾルデの仕草に、まいったなと椴は頭を掻いて苦笑した。
「君には知られたくなかったなぁ。いつもそのせいで本心を信じてもらえないもん。」
と寂しそうに呟きながら、突然くいと、綺麗な手でイゾルデの首をあげたのだ。
「ちょ…汚れ…っ。」
イゾルデの静止に構わず彼女についた泥を撫でるように拭う。
「汚い?そんなワケあるものか。健気に働く君はこの花よりここにいる、どの女たちよりずっと綺麗だよ。」
まるで自分のさっきまでの心を見透かしているかのように、ネオンを背景にして微笑む椴に、イゾルデはその鋭い赤茶色の瞳に吸い込まれそうな心地になった。
「やっぱり設定通り、伊達にプレイボーイじゃないのね…。」
と椴の魅力に浸れるが、―しかしその自分にクラクションを鳴らしたのも紛れもなくお前だ。
「…ありがとう。その言葉だけで元気出たような気がしたわ。お礼にお花おまけするわね。」
頬を染めながら目を反らすイゾルデの様子に、
「つれないなぁ。」と椴は何の事情も知らずに、笑った。
イゾルデはそそくさとそこから離れ赤以外の薔薇を摘む。その動じない様子に狩りの本能が芽生えたのか、椴は彼女の肩に手を優しくかけて言った。
「ありがとうね。今度は君の花を注文するためにまた伺おうかな。」
その言葉にイゾルデは立ち上がって、
「今度とも言わずすぐにまた来てくださいな。貴方に早く会いたいわ。」と微笑んだ。
それは好意ではなく、作戦の笑みである。これでジョージと繋がりのある人物と関われた。ここから親睦深めて情報を聞き出せれば…というものであったのだが、照れるように笑った椴の次の言葉がその期待を裏切らせた。
「そうしたいけど、そればっかりは無理だなぁ。俺明後日からNYにいないもん。」
「え…?」
真顔になるイゾルデに椴はにこっと、笑う。
「明後日からさ俺、久しぶりに日本に帰る事になったんだよ!1ヶ月っていう長い期間だけどさ、なんせ12年ぶりの帰国だからね!これだけはどーしてもはずせねーんだ!ごめん!」
謝っている割に、少年のようなあどけなさで笑う椴と反対に、イゾルデはその言葉に愕然としていた。
1ヶ月とは丁度取材期間の締め切り日である。せっかくの情報の糸が繋がった直前に、こうも簡単に切れてしまうとは―。契機を逃し、再び固まってしまったイゾルデの手から白桃の薔薇を受け取り、椴は背を向ける。
「じゃあね、子猫ちゃん。また遊びにくるよ!」
と結局最後まで名前を訊ねずに投げキッスする椴の真意を、イゾルデはとうに知っていた。
その事実に悔しいやら悲しいやらで、顔に影が差す。
「・・・・けど私の方は…あんたとどうしても話しをしないといけないのよ!」
今更駆け寄ってしまうのも遅いとは察していた。それでも、とイゾルデは鈍く光る黒い車に手をかける椴の背中に向かって、声をあげる。
「待って!!」
通りに響く声に振り向いた彼の怪訝な目にイゾルデは戸惑う。この後に繋げる話はもう「これ」しかない、と緊張で震える口でこう言った。
「私、前から貴方の事について一つ聞きたい事があったの!」
「…何…?」
今更何を話すと言うんだというように椴は眉を顰める。
「貴方、本当は《椴》って名字じゃないんでしょ。」
神妙に語るイゾルデに今度は、椴が固まった。
「何を言って・・・。」
「前に貴方が昔別の人に渡していた名刺を見た事あったの。貴方の本当の名前は日椴、日椴敬之。」
「…だから何だって言うのかな。」
笑っていう言葉にしては、どこかそっけない答え方だ。
「確かにそうだけどね、「日椴」じゃぁかなり言いにくいだろ?それだから正式な場以外は「椴」で通している。それだけさ。」
と返しそそくさと終わらせようと振り向いた椴にイゾルデは
「嘘ばっかり」と答えた。
「それだけじゃないでしょ?貴方の名前、全部音読みにしたらどうなるかしら。」
にやりと口角をあげ、突然カタコトの日本語で話したイゾルデに、黒髪の隙間から椴が驚愕の目を向ける。
「日椴敬志を音読みにすると《ひだんけいし》、つまり《被弾傾始》。」
息を止める椴に容赦なく、イゾルデは指を指して笑う。椴に対する留めの一撃だ。
「別に隠したがる事はないじゃない!?《被弾傾始》とか、車狂いの名前としてはピッタリじゃないのー! 車じゃなくて戦車だけど!」
あははと笑うイゾルデの手首が突然強く掴まれ、椴にぐいと引き寄せられた。
その先は椴の胸板。イゾルデの胸がその若干薄い胸板ピタリとくっついて揺れる。
濡れ場の一場面に見えるシーンでも、手首を掴む男は憤怒の顔で震えていた。
「あの時からおかしいと思ってたけど…!やっぱり君、日本語知ってたんだねぇ…!」
きゅっと結ぶ唇へ無理やり引き寄せて「日本語」で椴が言った。
「言うなよ。絶対誰にも言うなよ!?車狂いの俺の名が「戦車」からちなまれたってバレたら俺はもう…表には歩けねぇ…!」
「あらら。戦車と車、どう違うというのよ。」
「全然違うよ!」
椴の怒声がきょとんとしているイゾルデの顔にかかった。
「車輪をついたものは戦車とは言わねえ!!キャタピラー全駆で、装甲で、砲塔がぐるぐる回って、それが全部揃って初めて戦車っていうんだよ!!」
御叮嚀な解説と共に、それよりもと憤りを込めた椴の語りは更に佳境を増す。
「何より戦車は人を殺すための陰気な物だ。そんな物と車を一緒にしてもらっちゃぁ、困るね!」
それが一番のこだわりだったのだろう。赤茶色の瞳が激しく燃えていた。
「ふん。一緒にするなと言ってもねぇ、交通事故で死んでる人の方が、戦車で死ぬよりどれだけ多い事か。」
「ほっとけ!」
都合の悪い事は聞くもんか、と椴は彼女を突き飛ばす。息を荒らしながら敵意の目を向ける瞳は、警戒する蛇の目そのものだった。
「まさかそこまで怒るとは思わなかったわね…。」
あくまで冷静に掴まれた胸元を抑えるイゾルデ。と、自分が女性に対して行ったとっさの行動に椴はバツが悪そうに斜め下に目をそらす。
「…ちっ…こんな事指摘されたのは…初体験の相手以来だったから…油断した…!!」
「あら、彼女もなかなかのものだったのね。」
「相手は男だよ。」
「へえー……あぁ…、そう…。」
何とも言えないで立つイゾルデに、けっ、と悪態づき椴は車に乗り込んだ。
目の前で乱暴に扉が閉められ、唸るようなエンジン音と共に排気ガスが花弁を舞う。
すぐ通り過ぎようとするHSV―010を追っかけ、イゾルデは最後の言葉をかけた。
「また来てね!」
「二度と行くか!」
窓からかっと歯をのぞかせる椴がぷいとそっぽを向いて行った。
「やはりこのドタバタで会話出来るのはここまでが限界だったか…残念ね。」
「お前は本当、タダで転ばねえなあ」と呆然としてそれを見上げる少年に気付かず、車を見送りながら呟いた割に、イゾルデは嬉しそうに口角をあげた。
「残念だけど日椴さん。貴方は、いずれもう一度ここに来る事になりそうよ…。」
ふふ、と薄汚れた手で赤ポケットから取り出したのは椴のアイフォン。彼女が今までけしかけた出来事は、すべては「これ」のためだったのである。
3、TAREGET2 『PHANTOM』
続編取材四日目。まだ人通りの少ない明朝、日曜日のブルックリン。
ブルックリン橋が見える海岸沿いのサッシにもたれているのは、黒いマフラーを巻くイゾルデである。
靄が雲のようにかかる肌寒い海岸沿いで、赤茶色のだぼついたジャケットと同じ色のズボンを履き、地べたに座る不格好な様は女のものとは思えない。
しかしそれは一種の「変装」である。手元に持つは三脚つきのタゲレオタイプカメラ。
クラッシクである事を表す黒い段々式の茶色い暗室が映えていた。
それを得意気にぎゅっと持ち上げたイゾルデは今、椴のアイフォンでもって呼び出した「相手」と待ち合わせをしていたのであった。
「さぁて、そこのお嬢さん。この美しいマンハッタン島の景色でも、記念に撮ってみないかねぇ~…。」
と「相手」にかける言葉を呟きながら振り向き、薄紫色と黄土色のコントラストを背景にそびえ建つマンハッタン島のビル郡を眺めていた。
NYに行く前に写真で何回も見ていた海岸沿いの摩天楼を今、この目で見ている事に若干不思議な心地でサッシに手をつける。
行政機関が連なるロウアー・マンハッタンのビルは、それなりの風格と厳格な威圧感を漂わせ、はぐれ者のイゾルデにつきつける。ふと目をそらした右手にはこのブルックリンとマンハッタンを結ぶブルックリン橋が格子状の形を成してカーブを描いている。
「あの橋を渡ってすぐ右手にあるのが、プラザなのよねぇ…。」
ブロンクスに住むイゾルデにとってロウアー・マンハッタンは馴染みではない。しかしそれだけははっきりと覚えていた。
向こうの島にジョージもいるのだろうか…。
と靄のようにかすんでは消える、彼の清楚な横顔が浮かぶ。
「そう、きっとジョージに憧れている「彼女」も、そう思ってきっと向こうから来るに違いないわ…。」
女の勘という不確かな感覚でもってイゾルデは構える。
と、その通り、お目当ての「お相手」が朝日の光を真っ白に反射しブルックリン橋を横切ってきた。
「やっぱ来た来た来たぁっ!」
腕の中で三脚を掴みイゾルデは手を叩く。イゾルデが待ち構える真っ白なそれとは、ロールスロイスの最高級車「ファントム」であった。
GG第二話において、椴のHSV―010と壮絶なカーチェイスを繰り広げた、象牙色の光沢を放つ「歩くマンション」。
その輝きに目を見張る。そしてファントムは朝の騒音から離れ、この木とベンチが並ぶ海岸沿いのレンガ張りの真ん中を牛耳り、悠々と向かってきた。
「良かった!約束通りに来てくれた!」
傲慢さが微かに滲み出るパルテノン神殿を象ったラジエータへとイゾルデは走り出す。怪しまれないように速度を緩め近づいてみると、運転席にはきょろきょろと長い黒髪をなびかせ中りを見渡す女が窓ごしに映った。
「久しぶり…ね!ミナさん…!」
息を切らしながらイゾルデはベンチを挟んだ距離にいるミナに向かって笑った。
それはGGの準レギュラー兼、主要人物のお付きを勤める韓国人カンジョン・ミナである。
椴の友人でもある彼女は、取材対象としてはもってこいの人物だった。
31歳となった彼女のその際立って特徴のない顔立ちは特に変化がなかったが、前髪は片方だけを下ろし、もう片方を書き上げた様は以前よりも大人びた雰囲気を醸し出し、アシンメトリーな真珠のアクセサリーを際立せている。
ホイールを掴みながら首を左右に動かし、ミナはファントムの中で約束していた「彼」を探している。その相手は今頃遠い異国(母国)にいる事も知らずに探している姿を見て、呼び出した「イゾルデ」はどこか滑稽に思えて笑った。
「残念ね。貴女を呼び出したのは実は私なのよ、ミナさん…。」
少し笑うイゾルデをチラ見したミナはその由を知る気配もなく、ただの写真屋と判断して通りすぎる。イゾルデは振り向きファントムのリアを見た。
「あれで椴が見当たらないと思ったら、必ず降りて確認するに違いないわよね…!」
その時に写真屋として、世間話にとかけより彼女とコンタクトをとれれば…!
以上がイゾルデの作戦である。
さぁ、早く降りろ。とファントムを睨みつけて待ち構えてみたのだ―が、ファントムはぐるりと振り返り、再びこっちに向かってきた。
「はいぃ…?」
そして中に入ったミナは無表情のままイゾルデの横を再び通り過ぎる。
「え、降りないの…?」
振り向いた間際、ファントムのスピードが早くなっているのに気付いた。
「ちょ、ちょっと待ってよぉぉおおお!!」
まさか車内から確かめるだけにしようとは―!予想もつかなかったトラブルにイゾルデは慌てて追いかけた。
「ちぃ…やっぱなかなか一筋縄にはいかないか…!」
つまづきそうになる体を大仰にのぞけってイゾルデは駆け出す。
ファントムを霞むもやを斬り、その眩い象牙色の鉄の塊へ一直線に速度を速めた。
しかしスピードを上げるファントムとの距離はどんどん、むなしく離れていく。
「だからってぇ!そこで諦めるわけにはぁあああ!!」
唯一の情報の頼みを掴もうと、息切れで揺れる視界の中で必死にファントムを捉えんとする。ただそれめがけてがむしゃらに走り続ける。
すると少しずつであるがファントムのライトが大きく見えるようになった。
もう少しもう少しと、藁をも掴む思いで目前のファントムに手をのばす。
運転席にいるミナに気付くように、すぐ先の下部サッシに爪でもかけようとした。
が突然ファントムが減速し、イゾルデの指がすり抜けてしまったのだ。
「あ、走りすぎた…!?」
急いで振り向こうとした途中―、右手にはあのパルテノンラジエータが―、
「え、轢かれ―」
激しいブレーキ音と鉄の音。背中が象牙色のボンネットの上に叩きつけられた時に、砕かれたような激痛―、その時イゾルデが覚えている事はそれだけだったという。
***
うっすらと目の膜がかかった、天井の照明が眩しい。二回まばたき、翡翠色の瞳がここがどこであるかを示した時、女性のしゃくり声がガーゼごしに聞こえた。
「良かったぁあああ!…ああっ、いえ。すみませんでしたぁあああ!!」
視線を横に向けると、眉を真ん中に寄せ涙を流すミナがベッドに手をつき声をあげる。
「ああ…もしかしてここ、病院…。」
呟いた時自分の口元にもガーゼがつけられていた事に気付く。ひたすらごめんなさいと髪を上下に揺らすミナに応じようと、シーツから起き上がれば、ちらっと感じた痛みに眉を潜める。と腕にギプスがはめられていた。
「あぁ…ダメですよ…!動いては…!」
慌てて駆け寄って肩を掴むミナに、イゾルデはガーゼのついた顔でゆっくりと微笑む。自分の対照的な落ち着いた態度に、ミナは前髪を揺らしピタリと止まった。
「初めまして。私を病院に連れて行ってくれたのね。ありがとう。」
と開いた手をのばすイゾルデ。縋るようにそれを掴んだミナは
「いえいえお礼なんて!私が悪いんですから!!」
と再び涙を流した。それはファントムの持ち主とは見えないごく普通の女性だった。
「あのっ、さっきの事故で頬と口元に怪我を負ってしまいましたが、残る程ではないんだそうです!腰には内出血が、腕は少しひび割れがあるんだそうですが…全体的に全治4週間だそうで…!」
そうか、思ってたより酷くはなかったなとため息ついた時、間髪入れずミナは再びすみませんと繰り返す。イゾルデの手に額をつけ謝る様子に、
「そこまで思い詰めないで。どちらかと言えば急に飛び出した私の方が悪いんだから。」
と優しく手を握りかえした。その仕草にはっとなって顔をあげるミナ。イゾルデの仕草に我に帰ったか、
「いえ、どんな場合であろうと悪いのは車の方ですから。」
と小さくかすんだ声で俯いた。
「あの…本当にすみません。ファントムも故意ではなかったものの申し訳なかったと言っていました…。どうかそれに免じて許して下さい…。あっ。」
肩をすくめ誤った途端、しまったというように口元を抑えるミナに強調するよう、一言イゾルデは答えた。
「知ってる。はねられた時聞こえたわ。ファントムのしまったという声をね。」
その後に続いた長い沈黙に斜め上から見上げてみると、ミナは細長い目をこれでもかと大きく見開かせていた。その勢いで溢れていた涙もどっと流れている。
「貴女にも…聞こえたのですか…?まさか…ファントムの言葉を…?」
逆にミナが信じられないというようにイゾルデを見下ろした。
「信じてくれるのですか…?私の言葉を…?」
「信じるわよ。」
即答した途端ミナは見開いたまま涙をボロボロと流し、小さな嗚咽をあげながら目をこすった。
「っ…すみません。こんな事言ってくれたの、今まで誰もいなかったから…。とても嬉しくて…!」
こする指の隙間から光る目の輝きは悲哀ではなく、歓喜の涙である事を示していた。余程理解されなかったのがつらかったのね。とシーツに手をつけながらイゾルデは察する。
「あら、本当に今まで誰もいなかったの?」
「いませんよ。ファントムの引き合いで一番の趣味仲間と出会う事はありましたが、彼もそれだけは認めて…くれなかったですし…。」
ぐしぐしと目をこするミナの言う彼とは椴の事であろう。しばらく沈黙が続く。
「男ってそういうものなのよねぇ。」
ふとため息をつきながら、イゾルデは顔を上げミナへの慰めとしてこう言った。
「何事も論理的に物事を追求しようとするくせに、「性欲」やら「本能」やら不確かなものに振り回されてるのは、いつもそっちの方じゃない。説得力ないわよねえ。」
と手を上げ呆れるように首を振るイゾルデの俗っぽい物言いが、まるでそのまま椴に対して言っている気がして、(そう意図して言ってる事をミナは知らない)ミナは思わず吹き出した。
「ふふっ・・・本当にその通りだと思います。周りの知ってる男の人、みーんな絶対に否定してくるんですよね。女友達は友達で全く関心を寄せてくれないし、それてずっと寂しかったんです…。でも貴女の様な人がいてくれて本当に良かった。」
涙の跡をうっすらと残しつつミナははにかみながら笑う。イゾルデもふっと痛い口元を歪めつつ微笑み、
「私も良かったわ。」と呟いた。
「?何がです?」
首をかしげるミナにイゾルデは折り畳まれた自分の服を指差し、水色の患者服を掴みながら言う。
「服はああだったけど下着は新品にしておいて。」
「やっだぁ、もうさっきからぁ!!」
突拍子もない冗談についにミナはひざを叩いて笑ってしまった。
***
松葉杖をついた男はしんとした白い廊下に突然女の笑い声が聞こえた事につまづきそうになった。
「な、何だぁこれは…?」
陰湿な病室に浮いた明るい声に首をかしげる男は、声がする白い個室のドアに耳をつける。と華やかな2人の笑い声の中からちんちくりんな会話が聞こえていた。
それは機械の声はなかなか聞き取れないだの、私は出来るだの、今そこにあるカメラは貴女の事を気遣っているだの、何一言発する度に、中にいる女達は手を叩いて笑い合っている様子だ。
「なんだ、ありゃ…今時の女の話には本当についてけねぇなぁ…。」
とドアを睨みつけたまま、男は松葉杖をついて離れていったのであった。
***
そんな事があった由も知らず、白い個室の中で2人は会話に花を咲かしていた。
ミナは理解してくれた人との出会いに喜び、イゾルデは話の中から情報を聞き出せる事に歓喜していた。
しかし初対面であるという設定で話を引き出すのも難儀であり、自然と話は、ジョージよりかは椴の方へと寄ってしまう。
「それにしても椴さん、何で待ち合わせすっぽかしてしまったんでしょう…。今まで色々誘われたものでしたが、一度だってこんな事なかったのに…。」
寂しそうに目を伏せる様子に、イゾルデは小さくごめんねと呟いた。
「その相手、さっき言ってた趣味仲間の事かしら…?」
「…っなんで分かったんです…!?」
「だってそう言った時と今、同じ瞳をしてるもの。」
穏やかでかつもの寂しいその瞳は、
「…貴女、彼の事好きなのね―。」
物あり気に微笑んだイゾルデの言葉にミナはいえいえ!と慌てて両手を振った。
「ちっがいますって!もう!確かに好きは好きですけど、そういう好きじゃなくてその…私には好きな人がいますしっ!」
それがジョージなんだよね!とイゾルデは喜々として問おうとしたが、ミナは続けてこう言った。
「でも、あの人に大きな影響を受けたのは確かです。そのせいか…私も…言いにくい事ではあるのですが…。」
と遠慮がち何か言いたげな様子に、イゾルデは仕方なく頷いて続きを促す。
「ええ、…もしかして私は椴さん、彼がいたから…彼氏と別れる事になったのかも…しれません。」
「な、なんですって…!?」
驚いて目を開けた。その相手を知っているが故に尚更だった。
「彼氏って…死神議員の第一秘書のダニエル・クレイグの事よねぇ!?」
美丈夫で、優秀で、かつ性格も良いという申し分のない男―なのに、
「はい。確かに彼は本当に良い人でした。いつも優しく接してくれて、常に上品な物腰と服装とで私に悪い思いをさせないように気遣ってくれて、逞しい見た目と議員秘書としての相応な出で立ち持っていました。だから、これ以上の男はない、と私はその虜になっていました。なのに…。」
ミナは伏せた瞳の中で思い出す。5年前の夜、メトロポリタン美術館前の広場。眩しい程の照明、モザイク調の広場の真ん中で出会ったのは一人の男。
ダニエルの柔らかい金髪と違う、墨を塗ったような艶を放つ黒髪と、射放つようなブラウンの瞳―、ダニエルの円く優しい眼しか見た事がなかったミナとしては、そのオリエンタルな麗しい風貌に動揺してしまったのだ。
そして彼の後ろには、鈍く光る漆黒のHSV―010が。
「…プレイボーイとか毒蛇とか言われてはいますけど、彼のらしさが出てくるのはやっぱり車といる時なんです。前に会ったパーティーで故障した彼女のアテンザを手持ちの工具で直したんですけど、地べたから這い出てオイルで汚れた手を吹いて笑った顔は、それはもう純粋な少年そのままで、とても綺麗だなと思ってしまいました。」
そうすると、今まで美しいと思っていた彼の小綺麗なコートやループタイや時計や、今まで貰ってきたネックレスなどがすべてどこか胡散臭くて、つまらない物だと思うようになってしまった。
椴の汚れた手の中にあるコイルの銀の輝きの方がずっと綺麗だと、ネックレスを見ながら思っている自分がいた。
「―っすみません。こんな事、現実知らない女の戯れ言ですよね。」
自嘲気味に目を伏せるミナは笑う。イゾルデは経験こそはないものの、何故か彼女の気持ちが今よく分かっていた。
「分かるわよ。」
と、ミナが顔を上げた先には調子良く笑いながら首を振るイゾルデがいた。
「やっぱりねぇ、女は地を這って生きてるような男が好きなものなのよねぇ。」
「蛇に足はありませんけどね。」
ミナは冗談を言って笑う、その言葉はすっと素直に受け入れる事が出来た。地を這うように生きる―確かに私はそういう男が好きなのかもしれない、と駐車場の車に潜り込む椴の姿を思い浮かべながら胸に手を置く。
「だから…なのかな。私、あの人に憧れるのもー。」
ふと思い指す。蒼い天空に紺のネクタイを靡かせて舞うその姿。
果てしなく遠く、手の届かない人ではあれど、その細い両手に持つ黄金銃の鉄の重み。
陶器のごとく色白の肌を持ちながら自ら血と硝煙の中へと身を投じる、その心意気と潔さ。それは正に地(血)を這った男その者の姿―
「ジョージさん…」
遠い先を見て掠れるようにミナが呟く。とイゾルデの心臓が勢い良くはねた。
「ジョージって言ったわね!言ったわよね、今!」
ようやく目的か―、身を乗り出した時の腕の痛みにうめきつつ甲高くイゾルデは叫んだ。
「ジョ、ジョージって、あのジョージ・ルキッド!?NYPDの猟犬の!?」
「え、ええ。そうですけど…やはり貴女も知ってましたか。」
と困惑気味に笑うミナにイゾルデは勢い良く尋ねた。
「ええ、実は私も前からジョージの事知りたかったのよ!知り合いだったら彼の事教えてくれないかしら!羨ましいわ!」
翡翠の瞳を輝かせて間近に顔を向ける様子に、ミナはふとした優越感に首をあげる。
「ふふ、実は私もそれ程って訳でもないですが、ジョージさんとはそれなりに…」
と言いかける言葉をイゾルデは待ち構えたが―
「…え。」
突然開かれたドアにミナはばっ、と顔を向けひょうきんな声をあげる。
「ま、まさか、ここで本人のご登場!?」
とイゾルデも顔を向けたが、その正体に途端に真顔になった。
そこにいたのは、黒ずくめの男たちを背後に従えたドアに手をつく男であった。
無表情に2人を見下ろす灰色の瞳が、痩せこけた色白の顔に窪んでいる。その皮一枚下は頭蓋骨ではないかと思うほどの姿を目の前に、
「あの…病室ちゃいますよ。」
とイゾルデは思わず呟いてしまった。
4、TARGET3 『GRIM REAPER』
病室に現れたその男の名は、アーサー・ヴィゴローヴィチ・ベリャーエフ。ロシア系アメリカ人。そしてアメリカ国会下院議員であった。
ペチカ編から5年、51歳となった彼の容姿はさして変わらなかったものの、あの頃から確実に積み重ねていったキャリアと実力による政治への影響力は絶大なものとなっていた。
特にGG6話、「モトローラ・セイバー編」では、情報公開における違反行為をしたNSA職員の処分、人事異動、対策実行委員会の改変、その他の後始末と、それらをすべて請け負い、機敏な行動と持ち前の話術でもって暗躍したと評されている。
皆が認めざる得ない位置に立った時、2年前に一度下院大統領候補に立候補したものの落選。しかし、またいずれという可能性も無きにしもあらずと、話題性をその細身に受けている議員であった。
それが今、一記者(自称)にすぎない、イゾルデの病室にいる―。
「いや、違う。私は病人じゃない。」
しばらくの沈黙にアーサーは答え、病室の中へ踏み込んだ。円椅子から慌てて立ち上がり背筋をのばすミナ。
「あ、アーサー様!!何故こんな所に!」
イゾルデの気持ちを代弁してミナが震える。
「部下の失態を上司が責任を負う事の、何が悪いと言うのだ。」
と淡々と答え、ミナを睨んだ。
「全治3週間か。痛手を負わせた相手にそんな笑顔で接するなど反省する気配がないのではないか。」
「あ、いえこれは…!」
背中を震わせ事情を説明しようとするミナであったが、アーサーの一睨みがそれを許さなかった。
「謝罪の気持ちがなっていない。きちんと誠意を態度で示さないと、何の意味もないといつでも言っていた事だろう。良い加減学習したまえ。」
「う、あ…はい…。」
突然咎められた事に背中を震わせ泣きそうになりながら俯くミナ。一気に空気が様変わりし、戸惑うイゾルデに、アーサーは「あ。」と顔を向け頭上高くから見下ろして言った。
「場違いな事をしてしまったな。それを含めて私の方からも謝りたい。部下の不手際によって痛手を被らせてしまって申し訳なかった。上司として私にも責任ある事だ。深くお詫びする。」
目を伏せて謝罪の念を表すアーサーの誠意と謙虚さをイゾルデは十二分に理解したが、それに心動かされたと言ったら、それは聊か違っていた。
「なんか本当に淡々なのよね…。まるで責任感だけですべて行動してるみたい…。」
灰色の短い睫を見ながらイゾルデはため息をつく。5年前より鋭く、冷たくなったように見える瞳がうっすらと開き、再びミナの方に向き直った。
「ほら、君もだ。誠意を示せ。」
「きゃ…!あ、はい!」
慌ててアーサーの横に並び直立するミナ。
が、頭を下げようとしたミナを留めたのは、イゾルデの手だった。
「・・・・!?」
「良いですよ。私は謝罪など最初から要求していません。」
そう、轢かれたのは自分が取材のためにと椴を偽り、彼女をはめようとしたのが原因だったのだから。とイゾルデは心の中で呟く。
自分の不手際で彼女が頭を下げるのはどことなく後味が悪いと思って居た。しかしアーサーがその意図を知る由はなく、
「いや、そういう訳にはいかない。しっかりここはけじめをつけなければ。」
と眉を顰め更にミナを問い詰めようとする、が
「私が良いって言うなら良いんです。」
ぴっしゃり、イゾルデは言い放った。
「インテグラさん…っ!?」
先程の口調と違った、水を張ったような凛とした声にミナは目を見張る。一方咎められた方のアーサーも意外な面持ちで灰の瞳を開いた。
「貴方の“義務”を全うとする意識は立派だとは思いますが、そこに誠意はあっても「真意」がない事が今のでよく分かりましたわ。なので良いのです。心のない謝罪なら、最初からない方が良い―。」
イゾルデは途端に出した言葉に我にかえる。ミナを庇おうとしたつもりだったのにこれではアーサーを責めているような言葉ではないか―。アーサーはその言葉に沈黙で受け止めている。
もう後には引けないとイゾルデはきりと大きな翡翠の目で彼を見定めた。
「真意がないように見えたか。」
とアーサーは問う。
「真意というものが初めから貴方にあったというのでしょうか。同じ目してますよ。ブラウン管ごしから見える、あの瞳。それと同じ目で今、私を見ている。」
そのままの気持ちで答えた時、
「そうか。」
とアーサーは目を伏せた。ミナは一部始終を見守りつつアーサーの様子を伺う。
「そんな…アーサー様が反論しない…。こんな事って滅多になかったのに…。」
とそれを為さしめたイゾルデを、今一度物珍しくミナは顔を向けた。
「なら、せめてこれだけでも受け取ってくれ。」
ふとアーサーが後ろ手から取り出したのは白薔薇の花束。突然現れた桃色のかすみ草に彩られたコントラストに、イゾルデは素直に綺麗と思った。が、
「ですからそういう義務も必要ないんですってば。」
とぷいと背ける。
「これは義務じゃない。私の真心だ。目を見て分かるなら見ろ。」
ミナは「まっ」とほんのり赤く染めイゾルデを見た。
しかしミナは知らない。イゾルデは花をもらう女たちを、散々小馬鹿にした事で見惨めな自分を肯定し、精神を保っていたという事を。
「…良いんです。私はこの花を受け取る資格がないのですから。」
あえて卑屈になって避けてみる。もアーサーは全く場を譲らない。
「何故資格がない。」
「言いたくないです。」
「なら受け取れ。」
「……何でそうなるんですか。」
「じゃぁ言いたくない、とさえ言えば君は受け取ってくれるのか?」
「………。(あーっ!しつけぇな!)」
さすがは灰の議員。話術にかけては若娘のイゾルデがかなうべくもない。
仕方なく窓の方を向いて無視してみれば、アーサーは無表情のままにぐいぐいとその頬に白薔薇を押し付けてくる。
「もう何も思わなくて良い。ただ受け取るだけで良いじゃないか。人の好意は素直に受け入れるのが礼儀だぞ。」
「貴方が受け入れて欲しいのは「意志」じゃなくて「意地」じゃないんですか!?―あばがっ、みねふじこ。」
「峰不二子!?ア、アーサー様近い、近いです!」
と側にいたミナがアーサーの腕を留める。
真上から見下ろして気付かなかったのか、花束がイゾルデの顔を覆っていたのだ。
「…すまない。わざとじゃないんだ。」
さっと花束を離し真上から謝る。咳こんできっと見上げる翡翠の瞳が、淡々とみる灰の瞳に抗議するように瞬いた。それをすっと横流しにしてそらしたアーサーは
「…分かったよ。」と呟き黒い背を向けた。
「帰るぞ、ミナ。どうやら彼女はもう謝罪は充分との事だ。」
イゾルデはしまったとアーサーの背を恨めしく睨む。
「ちょっと、何故ミナさんごと帰らせようとするのよ!あともうちょっとでジョージの事を聞けたのに…!」
よもやそれを狙っての事かと思ったが、自分の言う通りに従うアーサーに何の文句をつけようがない。ぐっと唇を噛み締め悔しがるイゾルデの前へ、ミナが駆け足で寄ってきた。
「とりあえずこれ…!私の名刺です…!治療費の事とか、あと何か言う事があったらいつでも連絡下さい!あの…さっきの事とかもね!」
最後を耳打ちで囁いたミナに、「ありがとう」と笑って受け取った。
「まぁ、とりあえずこれで情報収集は保留か…」
と片手で「第一秘書カンジョン・ミナ」と書かれた名刺を確認しながらアーサーの後ろについていく彼女を寂しそうに見送った。
そして、
「アーサー氏。」
イゾルデの張った声にアーサーは背を向けたままぴたりと止まった。
「何だ。」
「実は私、写真屋を営んでいる者なのです。お気づきになりましたか。」
「ああ、タゲレオの。なかなか良い品だった。」
「さすがはお目が高い。」
自慢気にタゲレオのレンズが光った。
「込み入った話ではありますが、いつかはこのカメラで貴方の写真を撮らせていただけないですか?―ああ、これは謝罪要求ではありませんよ。私の真意であります。」
そう言いかけたアーサーを遮り、得意気に言ったイゾルデを一瞥するアーサー。
「何もわざわざ、そこで撮らなくても探せば手に入るだろ。」
と一方アーサーはそっけなく返し、花束を持ち上げそのまま去ろうとする。
「違いますよ。」
と、イゾルデはぴっと指を突き指し、ウインクして言った。
「私が撮りたい写真は貴方の笑顔。いつか貴方が心から笑った時に、私はまた貴方の隣にいさせて下さい。」
心地よい風がイゾルデの言葉を響かせる。
まぁ、とミナが微笑んだ時、それに応えたアーサーの顔は今日一番の顰めっ面であった。
***
二週間後の夕方。秋特有の斜角の低い橙色の日差しの中、イゾルデはのそりとシーツから起き上がり、携帯で連絡をとっていた。
「編集長。以上が今までの経緯です。」
神妙な面持ちで語るイゾルデに、
「へ~えぇ。思ってたより、早くコンタクトが取れたようじゃなーい。マリアンヌちゅわーん。」
と編集長は調子良く答えた。
「準レギュラーの椴から始まり、ミナ、そして四人組の1人アーサーと短期間でまぁなんと一気に取れたもんだねぇ。やり方は乱暴だったけど。」
「乱暴だったからここまで出来たんです!」
とイゾルデは悪態を付いた。全治まで一週間、ギプスが外された右腕はだらんと力なく青白いシーツの上に乗っかっている。それをぼんやりと見ながらイゾルデは、筋肉痛で痛い左手で携帯を握りしめた。
「はいはい。しっかりジェームズの嫌な所を受け継いだものね、アンタも。で、入院中の間にミナから聞いてきた情報ってどうよ。それで続編書けそう?」
「ええと…実は羅列しただけで整理はしてないんですけど、結構な量になりましたし、もうこれで十分な気がします。」
「ほうほう。読んでみ。」
イゾルデは窓の端に置いていたメモ帳を取る。一段と大きな声でゆっくり読み上げたメモの主な中身は、以下の通りであった。
●椴の蛇ジョセフィーヌVSジョージの忠犬アレッツォ 雌同士のすさまじい戦い。
→姉御ペルージアの尻尾一振りで終了。
●ヨーナスメガネ失踪事件
→メガネがないとヨーナスの目とアメリカの明日が見えない→股間にあった。
●ウェッブの母親(実)がNYPDに訪問→やっぱり昔からウェッブはああだったらしい。
●アーサー氏→結構頑固。
●ポール・ヴォスとメアリー刑事が結婚した。
「…………。」
「…………。」
長い沈黙がながれる。
「……これで続編を…………。」
「書けるか―――――ッ!!」
「ですよねぇ――――ッ!!」
あちゃぁ、とイゾルデは頭を手に添え、俯いた。
「アホか!馬鹿か!ボケナスが! 一番驚いた事が、ポール・ヴォスとメアリー刑事の結婚とか本当もう、どういう事だよ!?」
「ええ、私もそれに一番驚きました。」
適切すぎる編集長の反応に、うんうんと頷く事しか出来ないイゾルデ。
「つーか何より、ガンマンジョージの続編なのにジョージのじょの字も出てきてないじゃない!どういう事よ!」
「それがですねぇ…実は奇妙な話なんですよ。」
ようやく本題にたどり着けた、と編集長の荒息が整っているのを見計らって言った。
「私だってここ二週間、ただぼーっとミナの連絡を待っていたわけではありません。病院をこっそり抜け出しては、ジェームズ氏から受け継いだパイプラインを訪ねて色々話を聞いてみてはしてたんです。」
5年前はそれであれ位の情報が集められた、なのに、
「全然集まらなかったっていうの?不自然な位に?」
「ええ、皆3年前の国旗団事件については、それは詳しく教えてくれましたが、それ以降になるとぴったり、皆知らないって言うのです。どうやら3年前を境に、ヨーナスとバディーも切り離され、一人枠にされたらしいですよ。」
あらあら…と携帯の向こうで編集長が物寂しく息をはいた。
「国旗団て、あれよね。ナチスコスで行進していた迷惑共を、ジョージがヴァマイル共和国の国旗団をコスして一網打尽にした事件?
ジョージが今までやってきた最後の、そして最も格好良い逮捕劇と評されたヤツ。確かにあれはかなり盛り上がったけど、それ以来音沙汰なしだわね、ジョージ。」
「おかしな話ですよね。一体あの自由奔放なジョージに何があったと言うのでしょうか。可能性としては上層部に取り入れられて囲われているか。または上層部からの命令で関係者が口止めされているのか、でしょうか。」
「へぇ「今更」?どっちにしろ、奇妙な話ね。―で、高燐の方はどうだった。」
ふるふると、イゾルデは首を振った。
「駄目です。ヒロイン高珊も、3年前に警察学校に入学して以来、チャイナタウンにはしばらく居ません。それ以降ヨーナスも来なくなったらしく、良い情報を見つける事は出来ませんでした。」
淡々と述べる言葉に編集長は、
「5年かぁ…。」
と小さく呟いた。それに寂しそうにイゾルデも目を伏せる。
お互い、まさかここまで現状が変わっていると予想外であったのだ。
いや、これが普通であって5年も変わらずにいる自分の方がおかしいのかも、とイゾルデは自嘲する。ふっと優しい日差しが憎たらしくなってくる―。
「困ったわね。せっかく頑張ったのに今度こそどん詰まりになってしまうなんて…。」
いつもそうだ。とイゾルデは眉を潜めた。変わろうと思ってもやって上手くいけそうにも上手く行かない。そんな5年間でもあった、と。
が、それでも俯いたまま、翡翠の目を開きイゾルデは次に語った。
「もうこうなったら仕方がないです。」
それは決意を固めた低い声だった。
「今まで集めた情報は切り捨てて、いっその事方向転換して取材をやり直そうと思います。」
「は?どういう事。」
「もうこれ以上ジョージの《今》を探る事は埒あきません。今度は逆、ジョージの《過去》について取材しようと思います。」
「か、過去って…そんな事尚更本人に会ってみないと分からないんじゃ」
「いいえ。一人だけ、一人だけ取材するに値する人がいます。その人とコンタクトを取る手立ても私には《一つ》だけある。むなしい希望ではありますが、いっそのこと、それにかけてみたいと思うのです。」
「あんた・・・!まさか!」
その言葉から、本編の中にいる「ある人」を思い出し、編集長はかっと目を見開いた。
「ええ、タイムミリットはあと僅かですが、なんとかやってみたいと思います。そしてジョージの過去と、国旗団事件を取り扱ってフィニッシュ。どうですか編集長。」
「…その選択は賭けね。」
「賭けですね。」
互いに電話に視線を向けた。
「…いいわ。続編は続編らしく本編と違った味を出さなくちゃ。ね。」
ありがとうございますとイゾルデは電話を切った。
激怒しながらも与えてくれた花屋の夫婦からの休暇期間は全治期間の一週間。それまでに何とか解決しないと…相変わらず俗っぽい自分を嗤いながら、イゾルデは夕闇に沈むむなしいNYの街並みを見下ろした。
これから来るジョージへの道筋と行方不明に至るシナリオを察する様に、タゲレオが鈍くレンズを照らし、闇に紛れてしまった事には気付かないまま。
〈中編へ続く〉




