第7話 カメラ編(プロローグ)
GANMAN GEORGE 最終回。
実はこのタイトルに出てくる「GEORGE」とは、
主人公ジョージ・ルキッドの事では無かったのだ。
それは一体どういう事か。
すべてをひっくり返す衝撃の最終回が、今始まる。
あの時、俺はまだ11のガキだった。
だってのに、2人のカギからいきなり告白された諍いでとんだとばっちりを受けていた所だった。
そのせいか、あの日はとてもイライラしてて。
俺はスカジャンのポケットに乱暴に手を突っ込んで裏路地を歩いていった。
あのうるさい女共の甲高い声が張り付いて耳ざわりなのをかき消すよう、歩調を無理に速める。
あの無責任で身勝手な愛の言葉なんか、聞きたくもなかったのだ。
そのわずわらしい声によって、明日どれだけ俺が迷惑を被る事になるのかを、頭の悪いアイツらは皆目見当もつかないらしい。
それならばいっそ、意味も無く鳴いている犬猫のほうが俺にとってはよっぽどマシだった。
やがて汚れた袖で鼻をすすって、つんとした雨の匂いを嗅いで曇天の街と空を見上げた時、その間際に茶色の毛を持つ小さな子猫が横を通ったのに気づいた。
散らかされたゴミ箱を漁ろうとその上に飛び乗ったその猫も、俺の存在に気付いてぴょんと耳を動かしている。
そして見た。その腐った町に輝く、猫の翡翠色の目を。それがぎらりと光った事に戸惑い、俺は奴らにもらった飴をその手に掲げていた。
すると猫はみゃぁと小さな鳴き声をあげて、その軽い足取りで俺に近付き、足首に摺り寄ってきたのだ。
汚れた靴の布ごしに伝わるその毛の柔らかさと、猫なで声に俺の心臓は一瞬波打ったようにはねる。
思わずしゃがみこんでその飴を手に出すと、猫は小指の爪程の真っ赤で小さな舌をちらりと出して、飴と、そして俺の汚れた指を首の角度をかえながら執拗に舐め始めたのだ。
ちろちろと感じるその小さな鼻先からのびるヒゲの感触、瞬く睫毛の長いつぶらな瞳、そしてその舌のくすぐったさに、俺は興味を持って猫を抱き上げていた。
「みゃぁ」と再び可愛らしい声をあげて小さな歯を見せる猫に、「可愛い」と俺は初めて感じた気持に心地よくなり、そのつんと伸びた鼻先に唇をつける。
「持ち帰ろう。」
と俺は決めた。
どうせ帰った所で女達からつまらない誘いを受けるばかりだ。
この子を持ち帰って、1人でこの猫と遊ぼう。
目前に広がるあの無機質な部屋も、この猫さえいれば素敵な隠れ家になるだろう。そう思っただけでまた心が跳ね上がる。
俺は久しぶりに感じたその「嬉しい」という気持ちにのって猫を抱えて歩いた。
俺の腕の中でしばらくじっとしといた猫は、首を撫でる手に目を細め気持ちよさそうににゃぁと鳴く。それが更に愛おしくなって俺は狭い眉間をかく。心地よい肌触りも愛しかった。
が、-そこで俺がもう一度しっかり抱きしめようとした所で、猫は俺の腕を蹴飛ばして、突然そこから逃げ出したのだ。
「なっ…!?」
なんで、さっきまでずっと俺の中にいたのに。
左手の非常階段に音もなく駆け上がったのを見て、俺も慌ててそれに続いた。
「-っ、待てよ!!」
ガンガンと響く足音が、動きの鈍い自分を示すようで憎らしい。
それを笑うかのように、猫はやがて様子を窺うように足を止めるも、俺が追いつくと見るや否やまた駆け上がっていく。
その気にさせおいて、あっさりと見返るようなその気紛れな猫に、俺は段々と苛ついていった。
「絶対に捕まえてやる…!せっかくの、相手なんだ…!」
足りなかった、まだ足りなかった、その毛に触れてもっとその声を聞いてもっと遊んでいたかった。
煩い大人たちから逃げるように日影に隠れてその体を抱いて寝て、皆が油断した時にこっそりチーズをくすねていく、そのスリルを楽しみたかった。
ふと、最上階についた猫が今度はサッシに登ってその尻尾を蛇のように揺らす。よそを向きながら別の生き物のごとく揺れる尻尾に、駆け上がった俺は息をのむ。
そして、距離を保ち背後から一気に走り出して抱き締めたのだ。
風で靡くスカジャンから伝わる猫の柔らかい感覚。もう離さないと更に強く抱き締めた時、猫はみゃぁと鳴いてその重なった手足で暴れ出した。
「いやだっ!離さない!」
俺はムキになって飛び出す猫を無理に引き寄せた。
その時になって気付いたのだ。
その瞬間、自分の身体がサッシから出て、地面へ転げ落ちていくのを。
「う、うあああああああああああああ!!」
宙に浮いた感覚、ぐるりと回る視界、途端に迫る地面、その直前に階段のパールに激しく右足を打ちつけられた激痛と鈍音。
その瞬間の事は途切れ途切れに覚えている。
何より感覚として残っているのは、堕ちる間際に猫が動きを止めた事、その小さな耳をぴたりと止めた事だった。
***
目が覚めた時には右足の激しい激痛と共に、雨の降る冷たさに身を震わせていた。
「う…。」
千切れるような痛みに顔を歪ませど、その目は胸に抱えた猫を真っ先に捉えた。が-
猫は死んでいた。
俺のクッションになる様地面に打ちつけられてしまった猫は、触ると「くしゃり」と潰れた内臓が音をたて身体が凹んでしまっていた。
そこから滲み出る血がコンクリートに広がって俺の身体を染める。
やがてそれは俺の血と混じり合って水溜まりと共に流れていって、「一つ」になった。
「殺しちゃった。」
俺はかすれた声で呟いた。が、にじみ出る悲しみよりかはこの時、やっと手に入れた征服欲の方が勝っていた。
「でも、これで、ずっと一緒だ。」
俺は動けない脚を広げたまま抱き締めた。
鉄の臭いが入り混じった温かみ、それに愛しさを感じて呼びかけども猫は何も言わない。何も動かない。
そして雨が、段々と唯一残っていた体温をも容赦なく奪っていく。
俺は猫の首を持ち上げ、雨に露たらすその顔を見た。
長い睫毛、小さい鼻、狭い額、そして口元からだらりと出る赤い舌-、求めていたものすべてが今、目の前に、そしてこの俺の腕の中にあるというのに、猫はその気持ちを拒否するかのように、固く瞳を閉じたまま動かない。
この時になって俺は初めて「死」を知ったよう気がした。「殺した」のはこれが初めてじゃないけれど。
俺は小さく口を開いた。そしてその垂れ下がる赤く小さな舌を、-吸い込むように口に含んだ。
唇に当たる毛の心地に酔いしれながら雨の音に紛れその赤い弾力を、唾液が混じる音に合わせてたんまりと味わう。
俺の体温で生き返る-、そんな些細な望みを欲しながら。
「仕方ねえだろ、お前が俺から逃げようなんてするんだから。」
恍惚の後に現れる右足の痛み。神経が麻痺して意識を失う。
ベットから目を覚めるまでに俺はずっと抱きしめていたに違いなかった。
嗚呼、これがいわゆる「恋」っていう感覚なんだったら。
成る程、二度とごめんだクソッタレ。
***
ベルの音がその光景をかき消し、俺の目を覚まさせる。
黒くすす汚れた天井に浮かび上がる蛍光灯の造形を見、俺は前髪を乱暴にひっ掻いて起き上った。
薄い水色の掻け布を押しのけ、白タンクトップを晒した体は部屋の冷気にしんと静まる。
カーテンが開かれたままの窓には、鈍鬱の灰の空がNYの街を覆い、聳え立つ摩天楼の屋上に触れていた。
その重たい湿り気のある灰黒い色は、正に見慣れた鉄の冷たさを連想させる。
「嫌な夢を見たな…。」
呟く言葉にも嫌悪しつつ、眉を顰めて眠い頭を俯かせると、色褪せた掛け布を膝に置いた青白く細々しい脚が視界を覆った。
寝相によって太腿までたくしあげられた半ズボン、それから見える猫の尻尾が張り付いた様な赤黒い痣。あの日から変わらないどす黒い色に俺は更に吐き気で眉を顰める。
やがてそれを見ない振りをし、ベルの鳴る方へベッドから飛び降りていった。
「…なんだょ。」
向かいの壁に張り付いた電話を取って、気だるく呟いた。
その受話器の冷たさに改めて寒い日を実感する。
「ジョージ、仕事だ。」
そして受話器ごしに聞こえるは低く短い男の声。数年ぶりの挨拶だというのに、余りにも淡白なその言葉に相変わらずだと、その内容も含めて口角を少しあげた。
「ほぉ、ついに来たってか。俺に頼む、という事ァ相当なヤマなんだな。」
「あぁ。」
その言葉にと向かいの机に放り出されたCASTERを片手で掴み、ぎりと一本を噛み締めて俺は笑う。同じ手でライターも取り、同時に火を灯して。
「どんな依頼だ。」
「外を見ろ。」
白い煙を振り向き際にかき消して窓を見ると、再び今にも雪が振りそうな張り詰めた空気の中にあるNYのビル群と、その下に敷き詰められた灰の街並がある。
がしかし、それに反して耳の奥に静かに響くは騒がしい人の声とサイレン音とブザー音の反響。
窓に手をつき更に顔を寄せると、水中に淀めく絵の具の様に、黒い煙も幾つか見えた。
「へぇ…随分と騒がしいな。何があったんだ。」
「殺人容疑者の一人が、NYPDの追跡をすり抜けて逃亡中だ。」
「へえ、そいつはすげえな。」
思わず、間を置かずに答えてしまった。
口笛を吹いて顔を引き、今一度その喧騒の街並みを見据える。まさか、あの「NYPD」を足蹴にしてここまで為さしめるとは―、俺でも出来るかどうか。
ふと言いかけた言葉をタバコを咥えて止め、四角の隙間に蠢く群衆を見下ろしながら白い煙を吐いた。
「その犯人を、お前の手で捕まえてほしい。」
「・・・一体、どんなヤローだ・・・。」
「女性だ。」
低い返答に、俺の視界は更に大きく広がった。
「正確には「猫」、と呼ばれた正体不明の若いジャーナリストで、名をイゾルデ・イルザという。栗色の髪をポニーテールにし、翡翠色の瞳をした浅黒い肌を持つ女性だ。」
栗色、翡翠、「猫」。
目の前が途端、あの夢に出た猫の残照となって映る。それを掴むように、俺はタバコを指先に寄せて片手で顔を覆っていた。
目下に広がる猫が駆け巡った「跡」。自分の目が震えているのが視界の揺れで分かった。
「おもしれえ・・・・分かった。」
やがてぎり、と音を立てて俺は嗤う。久々に感じた鼓動。周りの冷気をも遮るように篭る熱。
喉が乾く程の熱さから湿気を欲し、俺は歯を剥き出しにしながら自分の指を千切らん程に開けた。
「絶対に捕まえてやる・・・。」
「頼むぞ。」
今度こそ。と言いかけた所で奴は念を押して言った。
「いいんだよな。アーサー。」
そして、俺も白い息を吐きながら今一度その言葉を「確認」する。
「ああ、いいさ。」
そして最後に奴は長い沈黙の後、「死神」としてこの言葉を呟いた。
高鳴る鼓動を助長させるあの「約束の言葉」を。
「捕まえろ。手に負えない場合は・・・『殺してでも』だ。」
〈前編へ続く〉




