↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
98/119

第98話 悪役令嬢、怪談になる


 その日の午後、律子は、図書館の奥の書架に、いた。


 裁定所の先例集の、続きの巻を、探していたのだ。第十六年度。あの方がそらんじていて、私がまだ読んでいない、あの巻——


 書架の反対側に、人の来る気配がした。


 女生徒が、三人。閲覧席の隅に、荷物を置いて、身を寄せ合った。声が、ひそめられた。ひそめられた声というのは、書架の隙間を、よく通る。


「——ねえ、聞いた? 七不思議より、怖いのが、あるって」


 律子の手が、止まった。


「なあに、それ」


「プルデンティアの、七つの噂」


 ……。

 ……あら。

 ……私、いつの間にか、怪談に、なっているわ。


 出て行くべきか、迷った。迷っている間に、一つ目が、始まってしまった。始まってしまうと、もう、出られなかった。書架の陰で聞いていた者が途中から現れるのは、どう考えても、怪談的な登場の仕方だった。


「一つ。あの方、六つのお歳で、お隣のご令息の誕生会に、蛙を百匹、贈ったの。ご令息は、いまでも、雨の夜に蛙が鳴くと、寝込むんですって」


 ……バルナバス様なら、お元気よ。

 ……去年、ご結婚の報せが、来たもの。


「二つ。十歳で、お家を乗っ取る論文を、お書きになった。実の、お家を、よ」


 ……あれは、相続法制史の論文よ。

 ……乗っ取る先が実家って、論理が、循環しているじゃないの。


「三つ。歓迎会で、影の蛙を、百匹、お出しになった」


「……あれ、わたし、見てたけど。一匹、だった気がする」


「百匹よ」


「……そう、よね。百匹、だったかも」


 ……あなた! いま、正しかったのに!

 ……一匹って、言えたのに!

 ……ああ、飲み込まれたわ。目撃者が、文法に、負けた。


「四つ。あの方に見つめられると、人は、頷いてしまうの。同意の魔法よ。お断りした令嬢が、去年——いなくなった」


「去年って、あの人は、まだセルヴィアに……」


「いなくなったのよ」


 ……時系列も、負けたわ。


「五つ。人を殺めてよい条件を、研究なさってて、——もう、見つけたんですって」


 ……見つけてないわよ。

 ……あれは正当化事由の比較法研究で、結論は「立法的解決を要する」なの。読んでから怖がってちょうだい。


「六つ。お父上にお近づきになった女の人は、みんな、記憶を失って、廃人に。——何人も、よ」


 ……何人も。

 ……一人は本物の被害者で、一人は加害者なのだけど、噂の中では、二人とも、私の犠牲者なのね。

 ……これが、一番、笑えないわ。


「そして、七つ目」


 声が、いちだんと、低くなった。


「教室で、あの方の両隣、いつも、空いているでしょう。あれね、みんなが避けてるんじゃ、ないの。——お隣に座った生徒は、消えるの。だから、空いてるの」


 ……。

 ……ちょっと、待って。

 ……あなたたちが避けるから空いているのであって。

 ……空いているから消えたことになるって、それ、原因と結果が——

 ……いえ。

 ……もう、いいわ。噂に、論理を、説いても。


「……ねえ。それでね。ここだけの話、本当は——八つ目が、あるらしいの」


「や、やだ、聞きたくない」


「聞いて。八つ目はね、夜中に、あの方のお部屋から——」


 律子は、そこで、目当ての巻を、見つけてしまった。


 第十六年度、先例集。目の高さの棚。手が、癖で、動いた。調べ物の癖というのは、恐怖より、速いのだ。


 本が、するり、と、抜けた。


 書架に、四角い隙間が、開いた。


 隙間の向こうに、女生徒三人の顔が、あった。


 目が、合った。


 ……。

 ……あら。

 ……どうしましょう。


 こういう時、令嬢の礼儀は、一つしか、教えていない。


「——ごきげんよう」


 悲鳴が、三重奏で、上がった。


 図書館である。司書が、遠くで、しっ、と言った。三人は、椅子ごと、後ろへ倒れ、腰を抜かし、立ち上がることを、早々に、断念した。そして、這った。三人、綺麗に、隊列を組んで、閲覧席の間を、匍匐で、進んでいった。荷物は、置いたままだった。


 律子は、書架の隙間から、それを、見送った。


「…………」


 ……ごきげんよう、が、駄目だったかしら。

 ……いえ、何を言っても、駄目だったわね。

 ……八つ目、聞きそびれたわ。


 ◇


 図書館を出たところに、紺のローブの人影があった。


 ルシア先生が、返却する書物を、抱えて、階段を、上がってくるところだった。


「あら。……浮かない、お顔」


 律子の顔を見ると、声をかけた。


「……少々。その、——怪談に、なっておりまして、私」


 言ってから、自分でも、変な報告だと、思った。


 先生は、笑わなかった。代わりに、少し、首を、傾げて。


「ようこそ」


「……ようこそ?」


「この学府でね、怪談になるのは、良い教師と、良い学生だけ、ですよ。退屈な人は、噂にも、なって、頂けませんから」


 先生は、書物を、抱え直した。


「ちなみに、私の怪談は、七つ、どころでは、ありませんの。——先輩の顔が、ご入り用でしたら、いつでも」


 そのまま、図書館へ、入っていった。


 ……。

 ……慰められた、のかしら、いま。

 ……多分、そう、なのよね。

 ……七つどころではない、って——先生、まだお若いのに、一体、何年、ここに、いらっしゃるの。

 ……いえ。保留、保留。


 ◇


 夜、貴賓区画で、律子は、机に、突っ伏していた。正確には、突っ伏す寸前の角度で、額を、指で、支えていた。


「お嬢様、お茶です。……あの、図書館の件、もう、従者の食堂に、届いてました」


「早いわね」


「『書架から現れて、ごきげんようと呪いをかけた』ことに、なってます」


「呪い」


「挨拶が、呪いに」


 ジーナは、お茶を置いてから、少し、明るい声を、出した。


「……あと、呪いじゃない方の、お話も、あります」


「あら。集積所に、そんな棚も、あるの」


「ありますよ。ええとですね、奨学生寮の、食堂の話なんですけど。クララ様が、昨日、お手料理を、振る舞われたそうです。寮の、皆さんに。エアルの、お豆の煮込みだそうで」


「まあ」


「大鍋で。皆さん、大喜びで。それでその、——カンディドゥス様も、いらしたそうです。いつもみたいに、パンだけで、お済ませになろうとしてたのを、クララ様が、お皿を、持って行かれて」


「……召し上がったの」


「お代わりを、なさったそうです」


 ……。

 ……よかった。

 ……ちゃんと、召し上がったのね。温かいものを。


 律子は、お茶を、一口、飲んだ。それから、ふと、思った。


 ……私も、差し入れ、できないかしら。寮に。

 ……お菓子とか。お肉とか。栄養のあるもの——


 思って、二秒で、やめた。


 ……駄目ね。

 ……呪いの令嬢からの差し入れよ。皆さん、凍り付いた後、毒見役を、決め始めるわ。

 ……クララさんには自然にできることが、私には、構造的に、できないのよね。

 ……善意の届く人って、いいわね。

 ……あら。また「うらやましい」だわ、私。今度のは、柔らかいやつだけれど。


「お嬢様?」


「なんでもないわ。——いいお話ね、それ。集積所の棚では、そちらを、育ててちょうだい」


「がんばって流しておきます」


 ジーナが、笑って、下がった。


 ◇


 律子は、目録を、引き寄せた。依頼の頁を、開いた。


 「受任案件:評判改善(依頼人:殿下)」


 その下に、書いた。


 「進捗:当職の挨拶により、生徒三名が、匍匐前進を開始。挨拶は、呪いと、認定される。——進捗、マイナス」


 「所見:噂は、七不思議の形式を獲得。個別の反証は、もはや、無効。目撃証言も、時系列も、文法に敗訴。——噂は、娯楽になった。娯楽は、事実より、強い」


 「八つ目:内容不明。要調査」


 最後の一行を書いてから、律子は、我に返った。


 ……いえ、調査してどうするのよ、自分の怪談を。

 ……でも、気になるじゃないの。八つ目。

 ……夜中に、私の部屋から、——何ですって?


 床の影が、するりと、机に、上った。先が、ゆっくり、丸くなって、——長い耳が、二本、立った。手影絵の、ウサギの形だった。


 影のウサギが、耳を、ぴこん、と、傾げた。


「……なあに」


 ぴこぴこ。


「……あ」


 律子は、影を、見た。夜中に、部屋から。声。一人ぶんの。


「……八つ目、あなたのことじゃなくて? 私が、夜、あなたと話してる声——」


 ぴこん。


「…………それ、本当のことじゃないの」


 律子は、頭を、抱え直した。


 ……七つの噂の、八つ目だけが、事実。

 ……どうしましょう、殿下。

 ……ご依頼の案件、当職の手に、負えない気配が、して参りましたわ。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。