↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
95/119

第95話 悪役令嬢、判例の地図を作る


「お嬢様、八冊目です!」


 ジーナが、油紙の包みを、抱えてきた。


 解くと、いつもの字が、現れた。定規のように正確で、それなのに冷たくない字。余白に、几帳面な注記。「原本、この頁、虫損有り。判読可能な範囲で、写す。不明字は、空欄とし、推定で、埋めない」。


 ……推定で、埋めない。

 ……ええ。それでいいのよ。分からないところを分からないままにできるのは、——誠実の、技術ですもの。


 九冊のうちの、八冊。判例の地図は、もう、描ける。


 その夜、律子は、机の上に、大きな紙を、広げた。


 横軸に、年代。縦軸に、争点。印を、打っていく。効果不発、白。測定争い、白。手数料、白。同意の瑕疵、白。——契約の有効性そのものを正面から争った大型事件だけ、黒。


 打ち終えて、律子は、紙を、眺めた。


 白い印には、判決が、ある。勝ちも、負けも、ある。ばらばらに、散っている。紛争というのは、本来、ばらばらなものだ。


 黒い印は、百年の層に、二十件余り。


 古い層には、——判決が、ある。勝ちも、負けも。核心を争って、きちんと、裁かれている。


 ところが。


 直近の数十年。十七件だけは、全部、判決が、ない。


 和解、六。取下げ、七。仲裁移行、四。提訴から、どれも、数ヶ月以内に、消えている。まるで、同じ手順書で、畳まれたように。


 ……昔は、この争点を裁けた。

 ……ある時期から、裁けなく、なっている。

 ……いつから?

 ……線を引きたいけれど、——標本の精度が、足りない。境目は、まだ、ぼやけている。

 ……落ち着きなさい、律子。まず、偶然である可能性を、検証しましょう。


 ……一つ。大型事件は、和解の金額も大きいから、和解しやすい? ——いいえ。白い印にも、大型はあるわ。あちらは、判決まで、行っている。


 ……二つ。有効性の争いは、法的に筋が悪いから、原告が諦める? ——いいえ。筋が悪いなら、そもそも、十七件も、提訴されない。


 ……三つ。記録の欠落? ——いいえ。記録は、ある。綺麗に、残っている。「取下げ」られた案件まで、几帳面に。


 偶然である可能性は、三つとも、死んだ。


 律子は、ペンを置いて、窓の外の、青白い灯を、見た。


 ……周辺は、裁かせる。

 ……核心だけ、裁かせない。

 ……これは、癖でも、傾向でも、ない。

 ……これは、誰かによる、運用よ。


 目録を、開いた。数週間前に書いた行を、探す。「——偶然か、設計か。標本を増やすこと」。


 その下に、書いた。


 「標本:十七件。偶然の可能性:三案、全て棄却。——結論:設計。管理する手が、存在する」


 手の、正体は、書かなかった。まだ、書けることが、ない。ただ、手は、ある。数十年、判決の手前で、事件を、静かに、畳んできた手が。


 ◇


 翌朝、お父さまからの手紙が、届いた。


 三枚の大作だった。長い手紙には、長い返事が、返ってくるらしい。


 アウレリオが、無事に、着いたこと。着いたその日のうちに、屋敷の警備の図面を、引き直し始めたこと。改めて使用人の面談を、一人ずつ行い、皆が怖がっていたこと。「あの男は、挨拶より先に、屋根に登った」と、少し、呆れたように、書いてあった。


 庭の薔薇のこと。ロドリゴの自動車が、また、新しい音を出し始めたこと。そして、末尾に、一行。


 「学問は、逃げない。だが、季節は、逃げる。——たまには、庭を、歩きなさい」


 ……はい、お父さま。

 ……庭は、歩いておりますわ。礼拝堂の、埃も、見ておりますけど。


 ◇


 その週、監察棟から、呼び出しが、届いた。


 書面いわく——「分類保留の確認に、ご来棟いただきたく。先般の登録更新の際の押印の不備を訂正するため、半期の確認を早めて実施します」。


 ……半期確認。ええ、伺っていたわ。仮免許の、更新ね。

 ……押印の不備。——ああ、あの、逆さの判。

 ……直す気に、なったのね。


 窓口には、あの若い女性官吏が、いた。鑑定室で「かわいい」と呟いた、彼女である。律子を見ると、緊張と、嬉しさが、半々の顔をした。影のウサギ以来、この人だけは、律子の名前に、匙を落とさない。


「お、お呼び立てして、申し訳ございません。確認は、すぐ、済みますので」


 問診は、書式の棒読みだった。発現に、変化はありませんか。制御に、変化は。副作用に、変化は。


「ございません」


 ……変化の有無なら、誰より、私が、見ているわ。

 ……毎朝、濃さを、確かめているもの。約束だから。


「では、台帳を、お持ちしますね」


 官吏は、奥の棚へ、走って行った。


 律子は、待ちながら、いつもの癖で、部屋の奥を、眺めた。


 台帳の棚。年代の、揃っていない背表紙。緩んだ綴じ紐。背表紙の上に、それぞれの月日ぶんの、埃。


 ……あら。


 律子は、目を、細めた。


 ……埃の浅い綴りが、——二冊。

 ……一冊は、私の。先月から、照合だ、更新だと、出ずっぱりですものね。

 ……もう一冊は。


 棚の位置。綴りの厚み。背の金文字は、ここからでは、読めない。読めないが、あの一角は、——公家関係の棚だ。


 ……ふうん。

 ……よく動く綴りが、公家と、私、と。


 官吏が、綴りを、抱えて、戻ってきた。律子の特殊例外記録の、綴りだった。押印の頁を、探して、めくっていく。


 律子は、卓の向かいから、何とはなしに、その手元を、見ていた。


 頁が、繰られていく。鑑定の記録。分類保留の経緯。発現は常時。制御は可能。副作用は、影の濃度の低下、詳細、継続観察中——


 その頁の、右上の角が。


 ——折れていた。


 小さな、三角の折り目。一度折って、戻した跡。頁に、目印を、つけた跡だった。


 ……あら。

 ……頁の端を、折る人間が、触ったのね。

 ……しかも、折られたのは、この頁。「常時発動」「制御可能」の項。

 ……読んだ方が知りたかったのは、私の魔法が、どこまで使えるか、ということ。


「……よく、閲覧される綴りなの? これ」


 なにげない声で、聞いた。


「え? いえ、特殊例外の記録は、めったに——あ、でも、そういえば、先日」


 彼女は、押印の位置を、確かめながら、悪気なく、続けた。


「写しの、ご要望が、ございました。その頁を含めて、何枚か」


「あら。私の更新の、確認かしら」


「いえ、更新とは、別で。ご依頼が、その、——上の方から、ございまして」


「上の方」


「はい。ええと、——どなたのご指示だったか、私は、その、書面が回ってきただけで」


「その書面は、こちらに、綴じてあるの?」


「あ、いえ。回付のお書面は、写しをお付けして、上へ、お戻しする決まりで」


 ……紙は、ある。

 ……ちゃんと、手続きの形も、ある。

 ……ただし、還る先は、上。——追える形はあって、追う権限が、私に、ないだけ。


「いつ頃の、お話?」


「ええと……歓迎会の、あった週です。覚えてます、わたし、あの週は——」


 官吏は、そこで、少し、頬を染めた。歓迎会の影絵の話が、監察棟にも、届いていたらしい。


 ……歓迎会の、週。

 ……模擬裁判は、ご覧になっていないのね。

 ……興味のあるのは、——影絵の方。


 律子は、待つ間に、手前の机の、閲覧簿に、目を、落とした。日付、氏名、閲覧の目的。行儀よく、並んでいる。先月から、——一行も、増えていない。


 ……閲覧簿は、きれいなまま。

 ……なのに、写しは、出ている。

 ……正面の帳簿を、通らない通路が、ある。この役所には。


「お待たせしました。——判、押し直します」


 官吏は、恐縮しながら、逆さの判の隣に、正しい向きの判を、押した。それから、申し訳なさそうに、笑った。


「この綴り、最近、出し入れが多くて。……うちで、よく動くのは、あとは、公家様の綴りくらいなんですけど。あちらは、——昔から、なんです」


「あら。お役所も、大変ね」


「はい。……あ、いえ、大変では、ないです。お仕事なので」


 ……公家の綴りは、昔から、よく動く。

 ……私の綴りは、先月から、その仲間入り、と。

 ……ああ、なるほど。読めてきたわ。

 ……公家に嫁ぐ娘の、身辺調査。——嫁入り道具の、鑑定ね。

 ……不快だけれど、あり得る話。婚約は、公のことですもの。

 ……ただ。

 ……嫁の調査で、折る頁かしら、ここ。素行や、健康なら、分かるけれど——性能の頁を、折る?

 ……まあ。役人の癖かも、しれないけど。

 ……それから。

 ……魔法の副作用まで、読まれたかしらね。


 押し直された判を、確かめた。今度は、上下、正しかった。


「ありがとう。——お手数を、おかけしましたわ」


 立ち上がりかけて、律子は、棚を、もう一度、見た。


 ……そういえば。

 ……この棚には、あの方の綴りも、あるのよね。「忘れない」の、分類。

 ……副作用の欄も、あるのなら。あの魔法の、代償も——

 ……。

 ……やめなさい、プルデンティア。

 ……自分の仕様書が、誰かの机にあるのが、こんなに、嫌なのよ。

 ……なら、あの方の仕様書を、私の机に、置かないことね。

 ……知りたければ、ご本人に、伺うの。伺える間柄に、なってから。


 律子は、棚から、目を、外した。


「ごきげんよう」


 官吏が、嬉しそうに、深々と、礼をした。


 帰り道、律子は、歩調を、変えなかった。振り返りも、しなかった。


 ……気づいたことを、気づかれないこと。

 ……これも、前世の、職業の技術よ。


 ◇


 昼、律子は、旧礼拝堂の前を、通りかかった。


 今日は、バイオリンの音は、しなかった。扉を少し押すと、埃と、石の匂い。壁際の燭台の受け皿に、蝋の垂れが、見えた。層が、一つ、増えている気がした。夜の客は、また、来たらしい。


 ……気には、なるのよ。

 ……でも。


 律子は、扉を、そっと、戻した。


 ……監察棟の写しと、礼拝堂の蝋を、同じ糸で、結びたくなる。——それは、飛躍よ。

 ……関連性を示すものが、何一つ、ないもの。

 ……関連のない事実を、事件の記録に、綴じないこと。前世からの、決まりよ。

 ……蝋は、蝋の頁へ。学園の不思議の、雑記の頁へ。

 ……綴じ先を、間違えないの。それが、地図を、正しく保つ、唯一の方法。


 ◇


 夜、貴賓区画で、律子は、目録の、調査の頁を、開き直した。


 頁の頭に、線を引いて、書き改める。


 「一:判例を管理する手。周辺は裁かせ、核心のみ判決前に畳む。運用歴、数十年。開始の時期、未特定(標本の精度不足。要精査)。正体、不明」


 「二:記録の写しを取った者。当職の特殊例外記録の写しを、正規の回付書面・帳簿外の経路で取得(書面は評議会内部へ還流。当職に、追う権限なし)。時期:歓迎会の週。関心の所在:影の運用性能(折られた頁より推定)。写しの範囲:不明(代償の頁を含むか、未確認)」


 「二の読み筋。A:縁組の身辺調査(不快。ただし、あり得る)。B:——保留。いずれであれ、当職の影の仕様書が、他人の机にあることに、変わりなし」


 二行を、並べて、眺めた。


 ……百年の手と、私を読む目。

 ……同じものなのか、別のものなのか。——まだ、書かないわ。

 ……推定で、埋めないの。


 それから、頁を、後ろの方へ、めくった。雑記の頁に、一行だけ。


 「旧礼拝堂:蝋、八層目。以上」


 ……ただ、一つだけ、分かったことが、ある。


 律子は、ペンを、置いた。


 ……私、この学園で、ずいぶん、いろいろなものを、見てきたつもりだった。

 ……判例の地形も。台帳の綴じ紐も。頁の、折れ目も。

 ……でも。

 ……こちらが見ている間に、——向こうも、見ていたのね。


 窓の外で、丘の下の街が、青白く、瞬いていた。あの灯りのどこかに、私の記録の写しを、机に置いている誰かが、いる。折られた頁の先を、読んでいる、誰かが。


 床の上で、影が、動いた。


 いつもの、遊びの耳では、なかった。二本の耳が、ぴん、と、張って、扉の方を、向いていた。何もいない扉を、じっと、見ていた。警戒の、耳だった。


「……ええ」


 律子は、静かに、言った。


「あなたも、そう思う?」


 耳は、動かなかった。張ったまま、扉を、向いていた。


 律子は、蝋燭の火を、見た。それから、火を消す前に、目録の頁の余白に、小さく、もう一行だけ、書き足した。


 「——見られているなら、見返して差し上げましょう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。