↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
94/119

第94話 悪役令嬢、気になる


 その日の午後、律子は、中庭の外れへ、足を、向けた。


 旧礼拝堂。


 魔法史の講義で、ルシア先生が触れた、蜜月の時代の、建築。後で、見ておこうと思ってから、だいぶ、経ってしまった。


 近づくと、——音が、した。


 バイオリンの音だった。


 石造りの小さな建物の、重い扉が、少しだけ、開いている。隙間から、旋律が、細く、流れ出ていた。


 律子は、扉を、押した。


 中は、縦に開けた空間だった。小さな建物なのに、天井だけが、高い。埃の匂い。斜めに差す、色硝子越しの光。古い祭壇には、天秤の浮彫——セルヴィア様式の、意匠だった。


 その祭壇の前で、レオンハルト・フォン・リヒテンフェルスが、弾いていた。


 譜面台も、なかった。一人と、一挺のバイオリンだけがそこにあった。旋律が、高い天井に、昇って、降りてくる。


 曲の切れ目で、彼は、弓を止めて、——振り向いた。


「セヴェリーニ嬢」


 驚いた様子は、なかった。軍人の家の人間は、背後の気配に、驚かないのかもしれない。


「ごきげんよう、リヒテンフェルス様。……お邪魔を、してしまいました」


「いや。——足音が、していた」


「あら。……気づいて、いらしたの」


「石畳は、よく、鳴る。——三小節、前から」


 ……三小節前。

 ……扉に着く前から、ばれていたのね、私。


「こちらで、練習を?」


「音響が、良い」


 簡潔だった。


「三小節前から、お聞こえになるのですもの。お耳も、よろしいのね」


「——音の、属性だ」


 彼は、当然のことのように、言った。


「些細な魔法だ」


「まあ。楽器には、あつらえ向きの、属性ですこと」


「……そうだな」


 少しだけ間があった、ような気がした。気のせいかも、しれなかった。


「……七不思議は、ご存知? ここ、二つ目の——祈る女が、出ますのよ」


「聞いた」


 彼は、弓で、天井を、軽く、指した。


「出たら、——聴かせれば、いい。客がいると、張り合いがある」


 ……あら。

 ……いいわね、この方。


「歓迎会では、ありがとう存じました。おかげで、良い演目に、なりましたわ」


「礼は、要らない。——あの影は、拍を、持っていた」


「拍」


「拍を持つものには、合わせる。それだけだ」


 彼は、当然のことのように、言った。噂がどうという話は、最初から、彼の判断基準の中に、存在していないらしかった。彼の世界は、拍を持つものと、持たないものとで、できているのだろう。


「軍人の家の方が、バイオリンとは、珍しいのね」


「軍人の家では、三男は、余りだ。——余りは、好きに、していい」


 声に、湿り気は、なかった。事実として、言っていた。


 律子は、会話の合間に、堂内を、見るともなく、見ていた。癖だった。


 長椅子には、埃が、均等に、積もっている。使われていない建物の、正しい埃だった。祭壇の天秤の浮彫。剥がれかけた壁の彩色。そして——


 ……あら。


 壁際の、古い燭台。


 受け皿に、蝋の垂れが、あった。


 ……新しいわ、あれ。

 ……埃を、被っていない。


「リヒテンフェルス様。あちらの灯りは、あなたが?」


「いや」


 彼は、燭台を、一瞥した。


「弾くのに、灯りは、要らない。それに、——昼しか、来ない」


「……そう」


 ……使われていない礼拝堂の、新しい蝋。

 ……誰かが、夜、ここに、来ている。

 ……覚えて、おきましょう。


「では、リヒテンフェルス様。ご練習の、お邪魔をいたしました」


「いや。——また、合わせる機会が、あれば」


「ええ。機会が、あれば」


 律子は、礼をして、重い扉を、押した。背後で、旋律が、再開した。祈る女の代わりに、天秤の祭壇が、それを、聴いていた。


 ◇


 夜、貴賓区画で、律子は、目録を、開いた。


 「アウレリオ:セルヴィアへ帰任。以後、お父さま付き」


 「ジーナ:拳銃一丁、貸与さる(内側の守り)。命中精度:板の端→中円まで七巡。装填:九十秒→七十秒。——芋の皮むきの成果、との由」


 「カンディドゥス氏:昼食、パン一切れ(本を汚さない位置で)。——所見:気になる」


 書いてから、少し、考えた。


 ……気になる、の、何が、とは、書けないのだけど。

 ……調査対象でもないのに、目録に載せるのも、変な話よね。

 ……でも、影が、先に、見たんだもの。仕方ないわ。


 「リヒテンフェルス氏:旧礼拝堂にて単独練習。判断基準:拍。クララさんへの接近:観測されず。——攻略対象説:保留、継続」


 「同氏、魔法は、音の属性(ご本人談。『些細な魔法』、とのこと)。道理で、お耳が、よろしいわけだわ。——楽器向きの、可愛らしい属性」


 「同件、アウレリオの見立て(部屋を聴く耳)と、ご本人の申告(些細な)が、割れている。——どちらも、嘘とは、限らないのよね。保留」


 「旧礼拝堂:燭台に、新しい蝋の垂れ。氏の使用に非ず(昼のみ・灯り不使用)。夜間の使用者、不明。——要観察」


 頁を、眺めた。


 ……気になる、が、三件。

 ……パンと、蝋と、——それから、まだ聞けていない、八つ目の噂。

 ……学園というのは、本当に、忙しいところね。


 床の影が、机に上って、耳を、ぴこん、と、立てた。


「なあに。……ええ、明日も、書庫よ」


 耳が、ぴこぴこ、と、揺れた。


「……先に、見たのは、あなたの方でしょう」


 律子は、蝋燭を、消した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。