第66話 侯爵令嬢、背景を知る
週末。
手紙の返事は、二日で来た。一行だった。
「お待ちしております」
——あの時と、同じ、一行。
フォンターナ伯爵夫人の所へ行くと告げると、アウレリオが同行を申し出た。無言で馬車の御者台に乗った。黒い服を風に揺らしながら、道中、一言も、喋らなかった。
◇
フォンターナ伯爵邸。サロン。
黒いドレスに、大ぶりの翡翠の首飾り。扇子を忙しなく動かしながら、ルクレツィア・フォンターナ伯爵夫人は、律子を迎えた。
「あら、いらっしゃい、セヴェリーニ嬢」
「ルクレツィア様、本日は、お時間を賜り——」
「ええ、ええ。堅苦しいのは、そこまでで結構よ。——お掛けなさい」
律子は、勧められた椅子に、腰を下ろした。
ルクレツィアは、扇子を、ぱちりと閉じた。
「本題の前に、——一つ、言っておくことが、あるわ」
「はい」
「あなた、最近、——評判が、悪くてよ」
「——」
「『影の魔法で人を脅す、恐ろしい令嬢』。——それから、『子供とは思えない頭で、人を陥れる』のですって」
律子は、——頭を、抱えた。
令嬢の所作が、一瞬、どこかへ行った。
「——もう、こちらまで、届いておりますの」
「社交界でね、——私より耳の遅い者は、いないの」
ルクレツィアは、扇子の陰で、少しだけ、笑ったようだった。
「——面目次第も、ございません」
「あら、謝ることは、ないのよ」
ルクレツィアは、扇子を、また開いた。
「評判はね、———盾にも、的にも、なるわ。あなたのそれは、当分、的でしょうけれど」
「——はい」
「覚えて、おきなさい。悪名は、——消すものでは、なくてよ。使うものよ」
……使うもの。
……悪評を、鎧にする。
……前世の依頼人にも、一人、いたわね。そういう逞しい社長さんが。
「——胸に、刻みます」
「よろしい」
◇
律子は、持参した包みを、開いた。
孤児院から写しとった紙。
「本日は、——お目に掛けたいものが、ございます」
ルクレツィアは、紙を、受け取った。
目が、文字を、なぞった。
「聖騎士団附属慈善管理局」。
——扇子が、止まった。
「素材管理台帳 提出のこと」。「リミニ商会連合 グロッソ商会」。
しばらくの間、サロンに、庭の鳥の鳴き声だけが、——響いた。
「——どこで、これを」
「——お尋ねに、ならないで、いただけますか」
ルクレツィアは、律子の顔を、しばらく、見た。
「ええ。——聞かないで、おくわ」
紙が、卓の上に、戻された。
律子は、背筋を伸ばしたまま、続けた。
「告発の道を、——探しました。治安判事。——罪名が、ございません。子供の髪を集めることを、禁じる法律が、ないのです。教会法廷。——お裁きになるのは、旧教会派。世論。——先に潰されるのは、セヴェリーニの家です」
「ええ。——そんなものはないわ」
ルクレツィアは、あっさりと、言った。
「私たちも、——同じ道を、全部、歩いたもの」
……即答。
……とっくに、検討済み。
……この方たちは、何年も前に、同じ壁の前に、立っている。
律子は、一度、息を整えた。
「ルクレツィア様。——あの日、仰いました。『アウレリオがいれば、悪い魔法使いも、時代錯誤な騎士も、大丈夫』と」
「——」
「時代錯誤な、騎士。——こちらの、ことで、ございましたのね」
律子は、紙に、指を置いた。
ルクレツィアの目の色が、変わった。
「——気づいたのね」
「あの時は、分かりませんでした。——孤児院を見るまでは」
「そう。——見て、しまったのね」
ルクレツィアは、長く息を吐いてから、吐き出すように言った。
「警備員の服に紋章があったでしょう。聖騎士団という名の、旧教会派の武力組織。そして恐らくは、——コルネリア様を手にかけた実行部隊」
律子は扇子を強く握りしめた。
◇
「教えてください」
律子は、まっすぐに、ルクレツィアを見た。
「お母さまは、——何を、お持ちでしたの」
「——」
「法律では、裁けないはずです。訴える先は、どこにもない。——それなのに、お母さまは、殺されました。——殺してまで、止めたいものを、お母さまは、お持ちだった。——そうとしか、考えられません」
ルクレツィアは、しばらく、黙っていた。
それから、静かに、口を開いた。
「コルネリア様はね、——数字を、集めていらしたの」
「数字」
「孤児院を出た子たちの、——その後よ。老いるのが、早い。亡くなるのが、早い。行方の知れない子が、多すぎる。——一人一人の話は、ただの不幸よ。でも」
ルクレツィアの指が、卓を、一度、叩いた。
「二十人を超える協力者から、何年もかけて、集めて、——束ねると、絵が、見えるの」
「——絵」
「ええ。一つ一つは、法廷では、紙屑よ。誰の証言でもない、又聞きの山。——でも、束ねた絵は、嘘を、つかないの」
……状況証拠の集積。
……前世でも、あった。単体では戦えない証拠を、量で、模様にする。
……お母さまは、独学で、そこに辿り着いていた。
「それだけなら、——まだ、殺されなかったでしょうよ」
ルクレツィアの声が、少しだけ、低くなった。
「コルネリア様には、——もう一束、あったの」
「——もう一束」
「お金の流れよ」
サロンの燭台が、小さく、揺れた。
「誰かが聞いた数字。誰かが見た、書類の一行。誰かが覚えていた、取引の日付。——それをね、束ねていくと、旧教会派の、さる聖職者の蓄財が、浮かんでくる。教会の俸給では、どうしても、説明のつかない蓄財が」
「——」
「その説明のつかない分がね、——置換契約の実入りと、形が、合うのよ」
……名前と、金額。
……紐付いた瞬間に、それは告発ではなく、——武器になる。
「セルヴィアの元老院ではね、旧教会派と世俗派が、もう長いこと、拮抗している。——そこへ、聖職者の不正の、名前と金額が出てご覧なさい。旧教会派は、政争で、立ち直れない打撃を受けるわ」
ルクレツィアは、閉じた扇子の先を、卓の上の紙に、向けた。
「法廷はね、——一つの場所に、過ぎないのよ」
「——」
「コルネリア様がお持ちだったのは、——世論を、動かせるもの。それが、——もっと、怖かった」
「——法廷で勝てなくても」
「そう。——法廷で勝てなくても、教会の信用は、地に落ちる。落ち始めたら、——止めようが、ないの」
「だから、——」
「だから。——法廷闘争が始まる前に。広がる前に。——」
ルクレツィアは、そこで、言葉を、切った。
その先は、言わなかった。
◇
律子は、膝の上で、両手を、重ねた。
……お母さま。
……そこまで、お一人で。
律子は、次の問いを、静かに、置いた。
「——もう一つ、伺います。——我が家の中庭に、置換魔法で、侵入した方がいたと、聞いております」
ルクレツィアの眉が、わずかに、動いた。
「——そこまで、辿り着いているのね」
「その方は、——何者ですの」
「私は、会っていないわ。——コルネリア様から、後で、聞いただけよ」
ルクレツィアは、記憶を、辿る目をした。
「ガリーブ、——と、名乗ったそうよ」
「ガリーブ」
「南方の言葉で、『異邦人』という意味ですって。——本名を隠すにしても、ずいぶんと、自分を嗤った偽名だこと」
「——その方は、何をしに」
「脅しに来たのでは、ないの。——警告に、来たのよ」
「警告」
「聖騎士団と、リミニ商会。——その両方が、コルネリア様の調べに、気づいている。——それだけを、告げに来たの」
……敵の側の人間が、——警告に。
「コルネリア様の見立てではね、——あの男は、置換契約の仕組みを、最初に、設計した人間よ」
律子の背筋が、冷えた。
……魔法使いと、法律家と、商会の代理人。
……魔法の副作用の外側で、自分たちは傷つかずに利益を得る。
……一番賢い仕組みを、設計した人。
「……設計した、ご本人が」
「ええ。けれど、仕組みは、もう、あの男の手を離れて、動いている。——止める手立てが、本人にも、ない。だから、——告げることしか、できなかったのでしょうよ」
……作った本人が、止められない仕組み。
……前世でも、見た。制度は、設計者より、長生きする。
……走り出した列車は止まらない。
「私はね、セヴェリーニ嬢。——それが脅しだったなら、その日のうちに、アウレリオを送り込んだわ」
「……」
「でも、警告なら、——決めるのは、コルネリア様よ。続けるか、退くか。——他人が、決めて差し上げることでは、ないの」
「お母さまは——」
「警告を受けて、———それでも、続けることを、お選びになった」
サロンに、また、鳥の声だけが響いた。
「——それでもね」
ルクレツィアの声が、初めて、揺れた。ほんの、わずかに。
「すぐにアウレリオを、送り込まなかったことを、——今でも、悔いているわ」
律子は、少し時間を、置いた。
それから、令嬢の声で、——しかし、はっきりと、言った。
「それは、——ルクレツィア様のせいでは、ありません。お母さまが、お選びになったことです」
ルクレツィアは、律子を、長いこと、見た。
「——そういうところが、——目より、よほど、似ているわ」




