第63話 侯爵令嬢、報告を聞く
律子は、目を開けた。
自室の天井が、見えた。秋の午後の光が、窓から斜めに差し込んでいる。
寝椅子の上で、少し、体を起こした。
頭が重い。身体の片側が冷たい。影はまだ戻ってきていない。
律子は、窓の外を、少し見た。それから、手元の紙を見た。
写しの文字が、薄く、残っている。
「聖騎士団附属慈善管理局」
「素材管理台帳 提出のこと」
「リミニ商会連合 グロッソ商会」
律子は、紙を、膝の上に置いた。
それから、目を閉じた。今度は影の視界を借りるためではなく、考えるために。
◇
……整理する。
……今日、見たもの。
一つ目。
……手紙。聖騎士団附属慈善管理局からの、業務連絡。
……「素材管理台帳」という言葉。
……素材、と書いてある。子供たちのことを。
……そして、グロッソ商会。リミニ商会連合の一角。
……孤児院への運営資金の出どころ。
……聖騎士団と、リミニ商会が、この孤児院に、文書で繋がっている。
二つ目。
……散髪。白い布の上に落ちる、切られた髪。
……一本も、床に落とさない。
……名前の書かれた小袋に、一人ずつ、丁寧に入れる。
……五十三人分。
……管理している。収集している。
三つ目。
……懺悔室の魔法使い。牧師の格好をした男。
……格子越しに、子供に、何かの魔法をかけていた。
……手のひらに集まっていた、薄い光。
……子供には、影がなかった。
……光を、吸い取っていた。
……サントーニ先生は言った「内側の光があるから、影が生まれる」
……影がなくなるということは、光が吸い取られている。
……そして——あの子供の笑顔。
……焦点の合わない目で、笑っていた。
……あれは、恐らく、『洗脳』。
……強制的に、笑わされている人間の顔。
律子は、目を開けた。
窓の外の薔薇の蕾が、秋の光の中で、静かに揺れていた。
◇
……三つを、並べる。
……髪の収集。
……置換契約の対象特定二要件は、「名前と血または髪」。
……名前の書かれた小袋の中の髪は、置換契約の「素材」として、完全に機能する。
……そして洗脳。
……彼らは、誰かのために、自分の器官を差し出す契約に喜んで署名するだろう。
……その運営には、聖騎士団と、リミニ商会が、関わっている。
律子の頭の中で、前世の弁護士の回路が、静かに動いた。
……これは。
……牧場だ。
……子供を育てて、素材を収集する。
……子供たちは、洗脳され、幸せだと信じている。
……シスター・テオドラも、実態を知らない。
……知らないまま、育てられて、出荷されている。
律子は、膝の上の紙を、見た。
「素材管理台帳」
……素材、と書いてある。
……あの子たちのことを。
……中庭で遊んでいる子供たち。
……読み聞かせで笑っていた子供たち。
……名前のある子たちが、素材台帳に、並んでいる。
律子の手が、扇子を、握った。
その手に、力が、入った。
それから、少し、緩めた。
……怒りは、後でいい。
……今は、整理する。
……あの施設で違法なことが行われている。——それは間違いない。
……証拠もある。
……告発しなければ。
……でも、どうやって。
律子は、紙を、丁寧に、折った。
引き出しの奥に、しまった。
窓の外の薔薇を、もう一度、見た。
秋の光が、薔薇の蕾の上に、静かに落ちていた。
……お母さまも、この施設を、見ていた。
……同じものを、見ていた。
……おそらくは、もっと遠くまで、見えていた。
……私は、まだ、途中だ。
律子は、扇子を、閉じた。
ふと気が付けば、一日中、——部屋には誰も来なかった。
マルチェッラには、簡単な食事をお願いしていたが、忘れているに違いない。
影の魔法の副作用、影を分離すると、——私が皆から意識されなくなる。
…これは、夕飯も食べ損ねるわね。
律子は少しだけ苦笑した。
◇
夕暮れ時、ジーナとロドリゴの乗った馬車の音が聞こえた。
しばらくして、影が戻ってきた。律子の足元に、少しだけ重く、うずくまった。
……影さん、お疲れさま。
律子は手のひらで影に触れるような所作をした。——影は応えなかった。しかし、少しだけ形を丸く整えた。
……今日は、怖い目に合わせてしまったわね。
……ゆっくり、休んで。
律子は足元を見た。床の影が薄い。
……今日は、たくさん、使ったから。
◇
翌朝。
ジーナが律子の自室に参上した。
「お嬢様、おはようございます。——昨日のご報告に参りました」
「ジーナ、お疲れさま」
「戻ってすぐご報告すればよかったのですけれど、——何故かすっぽりと忘れてしまって、ちょっと疲れたのかも知れません」
律子は少し寂しそうに笑った。
「それはあなたのせいではないの。——大丈夫よ」
ジーナはペコリと頭を下げると、気を取り直して話し始めた。
「いやいや、お嬢様、本当に立派なご施設で、ございました!」
ジーナの顔は明るい。律子は令嬢の笑みで聞いた。
「お子様方は、お元気だった?」
「皆さん、お元気で! お庭で駆け回って、お顔もぴかぴかで——」
「お食事は?」
「お台所から焼きたてのパンの香りが——」
「お洋服は?」
「お一人、お一人、お名前のお刺繍がされておりまして——」
「そうね」
「礼拝堂もステンドグラスから光が差し込んで——」
「ええ」
「施設長のシスター・テオドラ様、本当にお優しいお方で——」
「シスター・テオドラ」
「左様で、ございます。ご挨拶を申し上げましたら、——コルネリア様のお話をとても懐かしそうにされて」
律子はその名前を頭に刻んだ。
「お話の途中で、お子様方が入ってきて、『シスター!』、と飛びついて——」
「そう」
「シスター様は、お一人、お一人のお名前をきちんと覚えていらして——」
「ご立派な方ね」
「『ピエトロ、お行儀よく』『マリーア、お足元にお気をつけて』、と——」
律子の心が一瞬、揺れた。
……ピエトロ。マリーア。
……その名前が、台帳に記載されているに違いない。
「ジーナ」
「はい、お嬢様!」
「お子様方は、いずれ大きく育って、施設をお出になるのよね」
「ええ、お嬢様、シスター様のお話では、多くのお子様はご紹介先に就職されるそうです」
律子は軽く頷いた。
「そうですか」
律子の内心の声は、別のことを呟いていた。
……お母さまは孤児院を出た後の足跡を追ってらした。
……理想的な施設。その先にあるのは。
「ジーナ」
「はい!」
「ありがとう。とても、よく、分かったわ」
「お役に立ちましたか?」
「ええ、大いに」
律子は軽く笑った。
そこで、ジーナが、律子の顔を覗き込むように言った。
「あの、私が入れないところは、——影さんに行っていただいたのですけれど」
「ええ」
「礼拝堂から戻ってくるときに影さんが震えていて、——何があったのでしょう」
律子は、不意を突かれた。当然の質問を予期できていなかった。
……魔法使いの司祭がいたことを、——ジーナに言うべきか?
……ジーナと影さんは一つのチーム。
……でも、あまり知りすぎるとジーナも危険な立場になる。
……ああ、これね。——お父様が私に全てをお話にならない理由。
……ごめんなさい。ジーナ。
「ああ、司祭様に見つかりそうになって、慌てて逃げてきたの」
「そうなのでございますね。安心いたしました。私、影さんに何かあったら、——お嬢様が影なしになるのではないかと心配で」
律子は、再び、不意を突かれた。
……影なしになる?
……影が薄くなっただけで、人から忘れられるようになる。
……本当に、影がなくなったら、どうなる?
……私が魔法使いに気づいたように、——魔法使いも私の影の魔法に気づいた。
……あの魔法使いは、——本当に影を捕まえられたのだろうか?
……もっと慎重にならないと。
「心配してくれてありがとう。本当に助かったわ。あなたも今日はのんびりしてね」
「畏まりました! 失礼いたします!」
ジーナは明るく退出した。
それと対照的に、律子は顔色が冴えなかった。鏡台の前に進み、自分の姿を見た。
プラチナブロンドの髪。アイスブルーの瞳。でも少し、血の気が引いていた。
……敵は見えてきた。
……さぁ、侯爵令嬢、どうする?
律子は、足元の影に目線を写した。影は静かに、そこにあった。




