第60話 侯爵令嬢、孤児院を見学する
馬車が止まった。
「着きましたよ」
ロドリゴが到着を告げた。
ジーナは、窓から外を見た。
白い石造りの建物。二階建て。窓に、白いカーテン。手入れの行き届いた庭に、秋の花が咲いていた。黄色い小花と、赤い実のついた低木。塀に沿って、背の高い木が並んでいる。葉が少し色づいていた。
木の門に、小さな看板。
「聖ルチア孤児院」
「思っていたより、ずっときれいな施設ですね。ねぇ、影さん」
影に語り掛けた。
ロドリゴが扉を開け、ジーナが元気に飛び降りた。
秋の朝の風が、頬に当たった。どこかから、石鹸の香りがした。
◇
律子も影の視界を借りて、同じ光景を見ていた。
しかし、ここが置換魔法を悪用する組織の一角だと思うと、——そこには、静かな狂気が潜んでいるように見えてしまう。
音のない、影の視界の中で、——聖ルチア孤児院は不気味に佇んでいた。
石造りの門。白い漆喰。門の上に聖人の像。聖ルチア。——目を閉じた少女の聖人。
……この人はどうして——目を閉じているのだろう、ただ祈っているのか。
……あるいは、ここで起こっていることを——見たくないからか。
……そういえば、裁判所にある正義の女神も——目隠しをしているよね。
……あれは、外観に惑わされずに厳正な裁判を行う、という強い意志。
……私も、外観に惑わされずに、——この施設を見極める。
庭の植木は定規で測ったかのように真っ直ぐに切り揃えられ、敷き詰められた白石の砂利は、——足を踏み入れるのを躊躇わせるほど美しく整列している。窓ガラスはどれも磨き抜かれ、まるで冷酷な鏡のように、こちらを拒絶するように——光を跳ね返していた。
◇
門のところに、修道服の女性が待っていた。
五十歳くらいだろうか。小柄で、丸い顔。目尻に、深い皺。笑うと、頬がりんごのように丸くなった。
「よくいらっしゃいました。施設長のシスター・テオドラと申します」
「——ご丁寧に、ありがとうございます。セヴェリーニ家の者でございます」
ジーナは、令嬢風のお辞儀をした。お屋敷を出る前に練習したお辞儀。
ジーナは背が高いので、小柄なシスターを覆い隠すような光景になってしまった。
テオドラが、にこにこと頷いた。
「コルネリア様には、大変お世話になりました。——この度はプルデンティアお嬢様にご手配いただいたとか。信心深くて素敵なお嬢様ですね」
ジーナがぴょこん、と顔を上げて笑った。
「はい、使用人が言うのも何なのですが、頭もよくてお綺麗で、——それは凄いお嬢様でございます」
「あらあら、嬉しそうにおっしゃるのね」
ジーナが、はっとして顔を赤らめた。
「あ、これはご内密に」
「はいはい。承知しました。——さあ、どうぞ中へ」
◇
石畳の小道を、テオドラとジーナが並んで歩いた。
庭の花壇に、子供たちが数人いた。水を撒いている子。しゃがんで土を触っている子。一人が顔を上げて、ジーナを見た。黒い大きな目の、四歳か五歳の男の子。
ジーナは、思わず、手を振った。
男の子が、照れたように、俯いた。
「可愛らしいお子さんたちですねぇ。みんな楽しそう」
「ええ、子供は遊ぶのが仕事ですから。ここでは学習としての共同作業以外は、一切の労働はさせません」
「なるほど、なるほど、それは普通の家より良いかもしれません。——私が小さい頃は、朝から晩まで、家事の手伝いに兄弟の世話ばかりさせられました」
「あら、それじゃぁ、ここにいらした方が良かったかも知れませんね」
二人は笑った。
「子供たちは、今、何人いらっしゃるのですか」
「今は五十三人でございます。一番小さい子が二歳、一番上が十五歳になります」
「ずいぶん幅が広いのですございますね」
「ええ。小さい子が来ると、上の子たちが面倒を見てくれます。——自然と、そうなるのですよ」
ジーナが関心して、何度も頷いた。
◇
律子も、ジーナの影に潜みながら、周囲をくまなく見ていた。
ジーナが通り過ぎた門の前には、恰幅の良い警備員が立っていた。胸には剣と盾の刺繍が入っている。
……何の紋章だろう、騎士団みたいでちょっと大袈裟な感じ。
中庭。
明るい白い漆喰の壁。糸杉が一本。子供たちが五、六人、遊んでいる。元気そう。顔は明るい。洋服はお揃い。質素だが清潔。
……いいわね。
……前世の児童相談所で、時々見た施設より、ずっといい。
修道女が一人、子供たちを見守っている。顔は穏やか。子供たちが時々、修道女に飛びついている。
……慕われているわね。
……良い関係。
見上げるほどに立派な本館は、中世の修道院を思わせる堅牢な石造りだ。壁の白漆喰には塵ひとつなく、陽に照らされて眩いほどに輝いている。———孤児院と聞いて想像するような、貧困の垢や、子供たちの騒がしい足音といった生活臭はここには一切ない。
むしろ、不気味なほどに「清潔」だった。
◇
ジーナたちが、建物の中に入った。
廊下が、明るかった。白く塗られた壁。板張りの床。磨かれていて、ジーナの靴が映るくらいだった。
「凄く綺麗ですね」
「——毎朝、子供たちが交代で磨いています。いえ、強制はしていませんよ。自分たちの家ですから、自分たちで守る、そうです」
「素晴らしいですね」
「コルネリア様も、よくそうおっしゃってくださいました」
テオドラが、少し、目を細めた。懐かしそうに。
「奥様が、そうでございましたか」
廊下の突き当たりから、何か聞こえてきた。声。子供の声。
「——今の時間は、朝の勉強の時間なんです」
「子供たちに、勉強を?」
「はい。読み書き、計算。——ここを出た後に、困らないように」
テオドラが、穏やかに言った。
「そこまでご配慮されているのですね。——卒業後は、どちらへ?」
「各地の商会や教会に、就職のお世話をしています。——旧教会派の系列ですので、セルヴィアだけでなく、リミニやアルカディア方面も多いですね」
「みなさん、活躍されているのでしょうねぇ」
テオドラは、少し間を置いた。
「——手紙をくれる子もいます。なかなか、忙しいようですけれど」
「そうですか」
「——さあ、こちらが食堂です」
◇
食堂は、広かった。
長い木のテーブルが三つ。椅子が並んでいる。壁に、子供たちの絵が貼ってあった。花、動物、家。
窓から、庭が見えた。さっきの男の子が、まだ土を触っていた。
「——三食、きちんとお出ししています。野菜はほとんど自分たちの庭で作っていますよ」
「まあ、庭も?」
「ええ。上の子たちが、小さい子に教えながら。——去年は、かぼちゃが大豊作で」
テオドラが、くすくす笑った。
「——あんなに採れると思わなくて、三日続けてかぼちゃ料理になってしまいまして。子供たちに、だいぶん文句を言われました」
ジーナも、思わず笑った。
「——こちらが寝室です」
◇
律子が、廊下を進む二人を見ていた。
寝室は、二部屋。小さい子の部屋と、大きい子の部屋。
小さい子の部屋には、白いカーテンのついた小さなベッドが並んでいた。それぞれのベッドの脇に、小さな棚。その上に、人形や、貝殻や、石ころが、丁寧に並べられていた。
……一人一人の、宝物があるんだ。
……一つの棚に、干し草で編んだ小さな馬が置いてあった。丁寧に作られていた。誰かの手作り。
ジーナが、その馬を指さしている。
テオドラが、何かを答えていた。
……この干し草の馬がどの子のものか、誰が作ったのか説明しているのだろう。
……今のところ、怪しい気配は、——無いなぁ。




