第49話 侯爵令嬢、法律を整理する
木曜日の夜。晩餐会の当日。
セヴェリーニ侯爵家の馬車が、夜の王都を走っていた。
馬車の中では、向かいの席に、カリスト殿下が座っていた。白い正装。胸元にアルカディアの銀の紋章。背筋が伸び、この年齢にしては堂々としている。
しかし、——少し、足元の、置き方が、落ち着かなかった。
律子は、令嬢の所作で、正面を向いたまま、横目で観察した。
……緊張していな姿を、——装っていらっしゃる。
……でも、足元は、正直ね。
「プルデンティア嬢」
カリストが、口を開いた。
「はい、殿下」
「今夜の晩餐会には、——どのような方々が、いらっしゃるのですか」
……来た。
……情報収集。
……外交の訓練を受けていらっしゃる。
律子は、令嬢の声で、答えた。
「主催のコルソ侯爵は、セルヴィアの外交担当で、ございます。アルカディアとの窓口を、長年お務めの方です。今夜の晩餐会も、——殿下のセルヴィア訪問を聞き、お声がけになったと伺っております」
「招待客は?」
「セルヴィア法学界からは、フォンターナ伯爵ご夫妻。——世俗派の重鎮で、治安長官をお務めです。それから、法学者の皆様が数名。聖職者側からは、——」
律子は、淀みなく、続けた。出席者の家格、立場、アルカディアとの関係、——注意すべき人物。準備した情報を、令嬢の声で、順番に。
カリストは、黙って聞いていた。
馬車の揺れの中で、侯爵が、窓の外を向いたまま、短く言った。
「プリュは、準備を怠らないな」
律子の内心が、少しだけ止まった。
……お父さま。
……それは、お褒めの言葉、でしょうか。
カリストが、律子を見た。
「……本当に、よく準備されている」
その声に、わずかな何かが混じっていた。感心、というより、——少し、面食らった、温度。
……関係者の調査と、その関係性の理解。
……弁護士の基本だ。
律子は、令嬢の笑みで答えた。
「——お役に立てたのでしたら、幸いでございます」
馬車が、コルソ侯爵家の前で、止まった。
◇
コルソ侯爵は、正面玄関で、三人を迎えた。
六十代だろうか。白髪を丁寧に整えた、穏やかな顔立ちの人物。しかし目に、——長年の外交で磨かれた、鋭さが同居していた。
「カリスト殿下、——ようこそ、セルヴィアへ」
コルソ侯爵は、深く頭を下げた。
「セヴェリーニ侯爵、——お運びいただき、光栄です」
「こちらこそ、——本日はお招きいただき、ありがとうございます」
侯爵が応じた。
コルソ侯爵の目が、律子に向いた。
「これは、——セヴェリーニ嬢。——殿下の婚約者殿を、直接お目にかかれて、光栄です」
「プルデンティア・セヴェリーニで、ございます。——本日は、お招きいただき、ありがとうございます」
律子は、令嬢の礼をした。
コルソ侯爵は、律子を一瞥して、セヴェリーニ侯爵に向かって、小声で言った。
「——コルネリア様に、よく似ていらっしゃる」
セヴェリーニ侯爵は、短く頷いた。
律子にも、聞こえていた。しかし、令嬢の笑みを崩さなかった。絹の扇子を軽く握った。
……お母さま。
……今夜も、一緒ですわ。
◇
大広間は、燭台の炎で明るく照らされていた。
コルソ侯爵が、広間の中央で、声を上げた。
「皆様、——本夜の主賓をご紹介申し上げます」
広間が、静まった。
「アルカディア公国より、——カリスト・ヴァレンティーノ・アルカディア公太子殿下」
視線が、一斉に集まった。
カリストは、広間の中央に進み出た。完璧な外交の所作。一礼。顔を上げた時の、澄んだ青い瞳。
広間のあちこちで、小さな声が上がった。令嬢たちの、息を呑む気配。
……さすが、ね。
……こういう場では、本物の公太子殿下。
「——並びに、殿下の御婚約者、セヴェリーニ侯爵令嬢、プルデンティア嬢」
律子は、一歩、前に出た。令嬢の礼。深く、一度。
顔を上げた時、広間の視線が、律子の上にも集まっていた。
……法廷の入場より、——視線が重いな。
律子の心が、静かに、観察していた。
◇
招待客への挨拶が、始まった。
カリストと侯爵が、セルヴィアの重鎮たちと言葉を交わしている間、——律子は、令嬢として各家の方々に礼をこなしていった。
広間の隅で、一人の初老の男性が、律子に近づいてきた。
白髪。黒の法衣に、金の縁取り。法曹予備学院のモンタナーリ先生と同じ、法学者の装い。
「セヴェリーニ嬢、——初めてお目にかかります」
「はい」
「私は、ヴィンチェンツォ・ランベルティと申します。モンタナーリ君の、旧い同僚で」
「まあ、——モンタナーリ先生の」
「ええ。——実は、ぜひ、一度、お話したいと思っておりまして」
ランベルティは、穏やかに微笑んだ。
「先日、モンタナーリ君から、お嬢様の論文を、見せていただきました」
「あ、あれは論文という程のものでは」
「いえ、——とんでもない」
ランベルティの目が、真剣になった。
「お嬢様は、法典の条文を、——甲類と乙類に、分類なさいましたね」
「ええ、——拙い試みで、ございますが」
「拙い、などと」
ランベルティは、首を振った。
「私は、法学を五十年やっております。しかし、あの分類を、自分でやろうとは、思いもしなかった」
「……」
「権利の内容と、権利の実現手段。——言われてみれば、当たり前のことです。しかしこれまで、誰もやらなかった」
ランベルティは、少しだけ、声を低くした。
「お嬢様は、法典の地図を、描こうとなさっている。——私には、そう見えます」
律子は、令嬢の声で、応じた。
「……過分なお言葉で、ございます」
「いえ、——本当のことです」
ランベルティは、もう一度、頷いた。
「モンタナーリ君が、『あなたは法曹界を変える』と申しておりました。私も、同意します」
その言葉が律子の心に、静かに刺さった。
この世界の法律は整理されていない。その場しのぎに制定され、——あちらこちらに散在している。確かに、律子はその整理をしたかった。
この世界で、彼女だけが、六法全書を学んだ人間なのだから。——千五百年の時間をかけて人々が整備し続けた完成形を、——彼女だけが知っている。
……モンタナーリ先生に、ランベルティさん。
……あの分類が、法学者の人たちに届いている。
……嬉しい、わね。
そこに、カリストが、近づいてきた。
侯爵との挨拶回りの途中で、律子とランベルティが話し込んでいるのを、遠くから、目にしていたようだった。
「——プルデンティア嬢、こちらは」
「カリスト殿下、——ランベルティ先生で、ございます。法学者の方で、私の通う法曹予備学院のモンタナーリ先生のご同僚です」
「ランベルティと申します、殿下」
ランベルティが、頭を下げた。
「殿下の婚約者殿は、——大変な法学者でいらっしゃいます」
「……そうですか」
カリストは、社交的な笑みで応じた。しかし、その青い瞳が、一瞬、律子に向いた。
「法典の条文を、甲類・乙類に分類なさった。——これまで誰も思いつかなかった整理を」
「……」
「殿下は、法学には、ご興味が」
「魔法が、専門でございますので」
カリストは、公太子の声で、答えた。
ランベルティが、「なるほど」と頷いた。
律子は、令嬢の笑みを保ったまま、横目で、カリストを見た。
……足元の置き方が、また、少し、変わった。
……魔法の話なら、自信満々でいらっしゃる。
……でも、法学の話には、——手が届かない。
……堂々とした公太子の顔で、立っているけれど、
ランベルティが、律子に向かって、最後に言った。
「——今後の研究を、楽しみにしております、セヴェリーニ嬢」
「ありがとうございます」
ランベルティは、一礼して、去っていった。
カリストが、律子の隣に、並んだ。
少しの間、二人は黙っていた。
「——プルデンティア嬢」
「はい」
「君は、——僕の知らないことを、たくさん知っているのですね」
カリストの声は、穏やかだった。しかし、その奥に、少し嫉妬が混じっていた。
律子は、令嬢の笑みで、答えた。
「殿下も、——私の知らないことを、たくさん、ご存知でございます」
「……魔法と、自動車に法律で、今のところ一勝二敗ですけどね」
カリストは、少しだけ、苦笑した。
……あら。
……自分で、おっしゃった。
……素直、ね。
律子の内心が、少しだけ、温かくなった。




