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第47話 侯爵令嬢 監視者を知る


 夜。


 律子は、自室の窓辺に、立っていた。


 ランプは、机の上で、小さく揺れている。


 月は、薄い雲に、覆われていた。


 外は、——夏の夜にしては、暗い。


 ……眠れない。


 今日、起きたこと。


 ルクレツィアの来訪。


 黒い服の青年。


 屋根の上の、風。


 ……それから、——あの、丘の上の小屋。


 律子は、影さんに、頼んだ。


 ……あなた、見てきてくれる?

 ……あの、丘の上を。


 影は、ゆっくりと、絨毯の上を伸び。


 窓の下の、暗がりへ、——流れて、消えた。


 その時。


 律子の視界の、——隅に。


 屋敷の壁を、するりと伝う、——人影が見えた。


 律子は、息を、止めた。


 ……アウレリオ、さん?


 黒いコートが、ひるがえる。


 屋敷の壁を、——滑るように、降りていく。


 ……影さん、追って!


 アウレリオは、地面に降り立つと、——一度も、振り返らずに、走り始めた。


 影がその後をついていく。


 その向かう先は。


 ……丘の、——小屋。


 律子は、窓に、両手をついた。


 ……一人で?

 ……お父さまにも、——知らせずに?


 遠くで、——犬が、吠えた。


 風が、——窓の外を、——吹き抜けていく。


 ◇


 律子は、ベッドで目を閉じた。


 影の視界が浮かび上がり、走るアウレリオが見える。


 小屋にたどり着くと、扉の近くに立ち、身を隠しながら短銃を構えた。


 そして、突然、扉を蹴り開けた。扉のノブが外れて、地面に落ちる。


 ……わぁ、——有無を言わさずか。乱暴だなぁ。

 ……これって、自力救済の禁止で、——少なくとも、住居侵入罪と器物損壊罪が成立するよね。

 ……最大で4年6か月の懲役になるぞ。


 律子は思わず、——突っ込みを入れた。


 小屋に飛び込んだアウレリオを追って、影も中に入る。


 無人だ。


 いや、アウレリオが顔を上げた。裏口を見ている。


 素早く裏口に向かい、扉を開けると、——馬に乗った男が、今、まさに走り出そうとしていた。


 アウレリオは、何の躊躇もなく、銃口を馬に向けた。


 律子が、目を開き、——ベッドの上で起き上がった。


 少し遅れて、遠くから、


 ——タンッ。


 乾いた、一発の音が届いた。


 律子の身体が、こわばった。


 続いて、——もう一発。


 それから、——馬の、いななき。


 地響きのような、——蹄の音が、——夜の中を、——切り裂いていく。


 ——近づいてくる。


 律子は、——屋敷の正面へ向かう窓を、——開けた。


 風が、——飛び込んでくる。


 月明かりの、——薄い光の中で。


 一頭の馬が、——屋敷の方へ、——突進してくる。


 その背に、——男が、——伏せている。


 逃げている。


 律子の目が、追った。


 ……アウレリオさん、は。


 いた。


 遥か後方の、丘の中腹。


 黒いコートの影が、——道を飛び越え、斜面を滑るように降りてくる。


 その右手が、——上がる。


 ——タンッ。


 馬の前脚が、——崩れた。


 男が、——草の上に、——投げ出される。


 馬は、——転倒し、——首を、振った。


 律子は、息を、呑んだ。


 ……外さない。

 ……走っている馬を、仕留めた。


 ……あの、距離で。


 アウレリオは、——銃をしまって、歩き出した。


 ゆっくりと、——倒れた男に、——近づいていく。

 

 その手は、——もう、——銃口を、下ろしていた。


 律子は、——窓を、——閉めた。


 手が、——少し、震えていた。


 ◇


 翌朝。


 セヴェリーニ家では、——応接間の、続きの小部屋に、皆が集まっていた。


 窓は、——閉ざされている。

 

 光は、——細い、隙間から、——差していた。


 部屋の中央の、——椅子。


 その上に、男が一人、——縛られて、座っていた。


 左脚を、——粗い布で、——縛られている。


 血が、——少し、——染みていた。


 顔は、——三十前後。

 

 日に焼けた、——皮膚。

 

 目は、——伏せられている。


 男の前に、侯爵が立っていた。


 律子は、——侯爵の、——少し後ろに、——控えている。


 部屋の隅に、——アウレリオが、立っていた。

 

 黒いコート、——腕を、組んでいる。

 

 昨夜と、——同じ、——表情。


「お前は、——何者だ」


 侯爵が、——静かに、聞いた。


 男は、答えなかった。


 侯爵は、もう一度、聞いた。


「お前は、——誰に、——雇われている」


 男は、——少し、唇を、舐めた。


 それから、——掠れた声で、——言った。


「……名前は、知らない。——名乗らない約束だ」


「警備局に引き渡されれば、——知らないではすまされない。——分かっているな」


 侯爵の声は、——抑えていた。


 しかし、——その下に、——重いものが、——あった。


 男は、——目を、——上げた。


 アウレリオを、——一度、見た。


 ……あの目。


 律子は、——気づいた。


 ……あの目は、——「もう、終わった」、——という、あきらめの目。


 男は、——息を、吐いた。


「監視を、——請け負っていた」


「監視」


「ああ。——この屋敷を」


 侯爵の、——眉が、——わずかに、動いた。


「いつから」


 男は、——少し、——間を、置いた。


「……三年前から」


 律子の、——耳の奥が、——遠くなった。


 ……三年。


 ……お母さまが、——亡くなる前から。


 ……ずっと?

 ……ずっと、——見られていた?


「お前一人で、——か」


「いや。——交代制だ。——丘の小屋を、——拠点に。——一人ずつ、——詰めていた」


「報告は、——どこへ」


「決められた場所に、——書付を、——置く。それだけだ」


「誰が、——受け取る」


「知らない」


 男は、首を、振った。


「報酬は、——別の場所に、——届く。——会ったことは、ない」


「指示は」


「同じだ。——書付で、——来る。——筆跡は、——毎回、違う」


 侯爵は、——黙った。


 律子は、——手を、握りしめていた。


 ……顔を、見せない、——雇い主。

 ……一人を雇って、別の一人が、——その者を、——管理する。

 ……誰も、——全体を、——知らない。

 ……前世で、——聞いた。

 ……組織犯罪の、——基本構造。

 ……尻尾を、——掴ませない、——仕組み。


「監視の、——内容は」


「屋敷の、——出入り。——侯爵の、——外出先。——奥様の活動」


 男は、そこで、——少し、——目を、伏せた。


「……奥様が、——亡くなりになってからは。——お嬢様の行動も」


 律子の、——指が、——冷たくなった。


 ……私の、行動も。


「最近、——何があったかを、——言え」


 侯爵が、——抑えた声で、——命じた。


「お嬢様が、——復学されたこと、——家庭教師が来られたこと、——アルカディア公太子が来られたこと」


 律子は、——背筋が、——冷たくなった。


 ……全部、——知られている。


「どこに、——報告した」


「——もう、——話しただろう」


 男は、——首を、——振った。


「書付を、——置く。——それしか、——知らない」


「報告の頻度は」


「七日に、——一度」


 侯爵が、——アウレリオを、——見た。


 アウレリオが、——短く、頷いた。


「次の、——書付を、——置く場所を、——言え」


「……王都の、——南。——廃れた井戸の、——脇の、——石の下」


 男は、——力なく、——答えた。


「次に、——置く日は」


「明後日」


 侯爵は、——少し、——沈黙した。


 それから、——アウレリオに、——目を、——やった。


「見張っていてくれ。——王都の、——警備局に、——引き渡す前に、——確認することがある」


「承知しました」


 アウレリオは、——男の脇を、通り。


 男を、——別室へ、——連れていった。


 扉が、——閉まった。


 ◇


 律子は、——廊下に、——出た。


 窓の外、——夏の朝の光が、——眩しい。


 ……ずっと、——見られていた。

 ……お母さまがお亡くなりになった後。

 ……お父さまが、——沈黙を選ばれた、——その下で。

 ……私が、——事件の調査を続けている——その間も。

 ……屋敷を丘の上から。

 ……毎日、——毎日。


 律子は、——息を、——整えた。


 ……いえ。


 ……お父さまは、——お気づきだったかもしれない。

 ……「監視されている」ことに。

 ……だから、——表向きは、——「通り魔」として、お母さまの死を、処理なさった。


 ……でも、「小屋」が、——監視の拠点であることは、——お気づきになっていなかった。


 ……それを、——アウレリオさんが、——見つけた。

 ……たった、——半日で。

 ……。


 ◇


 律子は、——アウレリオを、——探した。


 彼は、——中庭に、——いた。


 昨日と、——同じ場所。


 アウレリオは、——拳銃の、——手入れを、していた。


 ロングコートを、——脱いで、——白いシャツの、袖を、肘まで、——たくし上げている。

 日に焼けた、——細い腕。


 律子は、——近づいた。


 アウレリオが、——目を、——上げた。


「セヴェリーニ嬢」


「アウレリオさん」


 律子は、一度、——息を、整えた。


「昨夜のことを、——お聞きしてもよろしいかしら」


「侯爵に、——ご報告した通りです」


「私には、一言の、ご報告も、——なかったわ」


 アウレリオは、——拳銃の、手入れの、手を、——止めなかった。


「お嬢様には、——関係が、ないことです」


 ……関係が、ない。


 律子の、——目が、きつくなった。


 ……この、お屋敷の、——私の、家のことが。

 ……関係がない。


 律子は、——拳を、軽く、——握った。


 しかし。


 声は、——抑えた。


「あなたの、——ご主人は、——お父さま。——それは、——分かっています」


 アウレリオは、——手を、止めずに、聞いている。


「でも、——私も、——この家の、人間です。——監視されていた対象でも、あります」


 ……前世の、弁護士。

 ……感情で、——詰めない。

 ……論点を、——整理して、——詰める。


「あなたの、——契約の相手は、——お父さま、——でも。——情報を、共有することは、あなたの判断で、出来るはず」


 アウレリオは、——拳銃の銃身を、——布で、拭いた。


 それから、——短く、答えた。


「……検討します」


 律子は、——少し、——目を、見開いた。


 ……「検討します」。

 ……「関係がない」、——では、——なくなった。


 律子は、——令嬢の所作で、——一度、頷いた。


「お願いします」


 そう言って、——背を、向けた。


 歩き始めた、——その時。


 後ろから、——アウレリオの声が、——聞こえた。


「セヴェリーニ嬢」


 律子は、——振り返った。


「あなたが、——監視されていたのは。——閣下の、——責任では、ない」


 ……。


「あなたが、——気づかなかったのは、——あなたの、——責任でも、ない」


 ……。


「気づく道具を、——持っていなかっただけだ」


 律子は、——アウレリオを、——見つめた。


 ……この人。

 ……今、——慰めて、いる?


 ……いえ。


 ……事実を、——言って、いるだけ。

 ……それが、——この人の、やり方。


 律子は、——もう一度、——頷いた。


「ありがとう、——分かったわ」


 アウレリオは、——もう、——目を、——拳銃に、戻していた。


 律子は、——中庭を、——後にした。


 セミの合唱が、——続いている。


 風は、——昨日と、——同じ方向から、——吹いていた。


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