第46話 侯爵令嬢 屋根に登る
律子は、自室に戻ると、改めて情報を整理した。
……ルクレツィアが、動いた。
……彼女は旧教会派ではなく、世俗側の治安長官、——フォンターナ伯爵の奥様。
……お母さまの協力者、というよりは、ご友人、そして、同志、——みたいなポジション、だろう。
……私が母の意志を継ぐ、と、お手紙に書いた。
……それを心配なさって、護衛をつけてくださった。
……半ば、強引に……。
父の顔を思い出して、律子はくすり、と笑った。
……それから、もう一つ。
……「コルネリア様の面影が……」と、おっしゃった。
律子は、鏡台の脇の小さな鏡を、覗き込んだ。
プラチナブロンドは、お父さま譲り。
お母さまは、漆黒の髪。
……髪の色は違うけれど、
……顔立ちが、——似てきたのかも知れない。
……お母さまの遺志を継ぐ、と決めたあの日から。
——鏡の中の少女は、その瞳に、愁いと決意を宿していた。
……この決意を、お会いした瞬間に、感じ取った。
……だから、「面影」と、おっしゃった。
律子は、小さな鏡を、机に戻した。
◇
……それから。
……お母さまの警告の後、——ルクレツィアは返信を、お止めになった、と思っていた。
……でも、彼女が協力者ではなく、——上流社会のご友人で、同志であるならば。
……証拠の残るお手紙ではなく、——別の手段で連絡を取っていた、可能性が高い。
……置換魔法でお屋敷に入り込んだ男の話も、お聞きになった筈。
……でも、その時点では、ルクレツィアはアウレリオを、——送り込まなかった。
……何故?
……その訪問者の目的は、——脅迫や恫喝では、なかったのかしら。
……直接の敵では、ないとなると、その目的は、——警告?。
……いえ。
……結論を出すのは、まだ早い。
……でも、フォンターナ伯爵夫人は、何かご存じ。
……お話を、聞かなければ。
「彼がいれば、悪い魔法使いも、時代錯誤な騎士も、大丈夫。安心なさい」
突然、——彼女の言葉が、蘇った。
……悪い魔法使い。
……恐らく、法を越えて、——置換魔法を悪用する人たち。
……アルカディアの魔法評議会の管理を、——すり抜ける魔法使い。
……これは、分かる。
……時代錯誤な騎士?
……今どき、騎士って、いるのかしら。
その思考を遮るように、扉の向こうから、ジーナの声が聞こえた。
「お嬢様、——新しい夏服が届きました」
「どうぞ、お入りになって」
ジーナが紙の箱を抱えて、ずんずんと部屋に入ってくる。
机の上に箱を置くと、口火を切った。
「お嬢様、凄いです。ご覧になりましたか」
「ご覧にって、まだ箱を、開けていないじゃない」
「いえいえ、夏服ではなく。——あの、殺し屋です」
「殺し屋?」
「拳銃を二丁も持って、——バンバンと」
「アウレリオのことね。今日からお屋敷の警備担当になったのよ。——殺し屋、は、酷いでしょう。近衛のご出身だと、いうし」
「そうなのですか、あの顔は、——何人か殺していると思ったのですが」
「そういうことを、言ってはいけないわ」
「失礼いたしました。お嬢様。でも近衛と言ったら、——王様をお守りする方、ですよね」
「そうね」
「凄いですお嬢様。王様をお守りする方に、お守りいただけるなんて」
……ジーナの話は、大抵、「凄い」に収束する。
「それはそうと。今度、ジーナにお使いに、行っていただきたいの」
「どちらでしょう」
「お母さまが、寄付を続けていらした孤児院なの」
「それは、——ご立派なことでございますね」
「お母さまがご用意なさっていた品を、お届けして欲しいのよ」
「承知いたしました」
「その時に、孤児院の中を見学して、——子供たちが良い環境で育っているか、見てきて欲しいの」
ジーナが、胸をどん、と叩いた。
「お任せください。孤児たちがきちんとお食事できているか、いじめられたりしていないか、——わたしがきちんと、調査して参ります」
「それと、もう一つお願いがあって。——私の影さんも、連れて行って欲しいの」
「お安いご用です。——先日、お庭で練習いたしましたので、準備はばっちりです」
ジーナはそう言いながら、机に載せた箱を開けた。
水色の、半そでのドレス。
「あら、涼しげで、良いわね」
「お召し替えなさいますか。お手伝いさせていただきます」
「そうね。お願い」
律子は、ドレスを脱ぎ、水色の半そでに袖を通した。
裾は、膝下まで。
鏡の中の自分を、確かめる。
……これなら、少しくらい、動いても、大丈夫。
今までのドレスより、軽い。風が通る。袖が肘までしかないせいで、腕が剥き出しになるのは、令嬢としては、——いささか大胆かもしれない。
でも、夏のお屋敷の中であれば、許される範囲、だろう。
「お嬢様、お似合いです」
「ありがとう」
その時。
ミシリ、と、上から、音が響いた。
二人そろって、天井を見上げる。
「鼠さん、——でしょうか」
ジーナが、気味悪げに言う。
ミシリ、ミシリ、と、音が移動していく。
律子は窓辺に飛びより、今度は上を見上げた。
屋敷の屋根が連なる先に。
人影が、見えた。
ジーナも窓から身を乗り出して、上を見上げる。
「あぁっ! あの殺し屋、——じゃなくて、黒い人」
……北の塔ね。
律子は、方角を、確認した。
二人は、部屋を出て、北の塔に向かった。
◇
二人が北の塔の階段を登っていくと、——外に出る扉の前に、ロドリゴが立っていた。
「お嬢様」
「ロドリゴ、どうしたの」
「アウレリオ殿が、屋敷の一番高いところに登りたいと、仰いまして」
律子は頷くと、扉を開けた。
外には、風が吹いていた。
夏の暑さの中で、それが心地よい。
連なる屋敷の屋根。
その上を、アウレリオは危うげもなく、歩いている。
風に、直毛の髪と、黒いコートが揺れていた。
その視線は、遠くを見つめている。
律子はジーナを振り返ると、短く言った。
「行ってみましょう」
「は、はい、お嬢様」
ジーナも、ぎこちなく頷き。
二人は恐る恐る、——屋根へ足を踏み出した。
「お嬢様、あぶない」
ロドリゴが叫んだが、律子は振り返らなかった。
風が、半そでのドレスを、なびかせる。
二人は体を低くし、一歩一歩、前へ進んだ。
アウレリオがそれを認め、——こちらへ引き返してくる。
「セヴェリーニ嬢。危ないからお戻りなさい」
「どうして、こんな所へ?」
「自分の仕事を、しているだけです」
「仕事? 屋根へ登るのが」
「全体を見渡して、——警備計画を、練っています」
「何か見つかって?」
アウレリオが遠くを見て、指を指した。
「例えば、あそこの繁みは、刈らせたほうが良い。——賊に潜む場所を、提供しているようなものだ」
屋敷の外の、繁み。
確かに、人が潜むのによさそうな、大きさだった。
……なるほど。
アウレリオは、もう一方の手で、別の方向を指した。
「それから、——あの小屋」
律子は、目を凝らした。
屋敷から、少し離れた高台。
夏草の生い茂る丘の上に、——古びた小屋が、一軒、ぽつりと、建っていた。
屋敷を見下ろせる位置にある。
「あれは、——昔、猟師が使っていた小屋。今は、誰も使っていない筈です」
律子は、答えた。
「人の出入りが、ある」
アウレリオは、短く、言った。
……この距離で、見えるの?
「誰かが、いるということ?」
「ええ」
律子は、もう一度、丘の上の小屋を、見た。
屋根の傾いた、小さな影。
風の中で、ひっそりと、佇んでいる。
誰もいないように、見える。
……でも、この人が、いる、と言うのなら
「セヴェリーニ嬢。俺の仕事はあなたの話し相手では、ありません。お戻りください」
……確かに。
……でも、その言い方は、ないのではないかしら。
「お嬢様に、失礼でございますよ」
先に、ジーナが文句を、言った。
アウレリオはそんなことは意に介さず、風に吹かれながら、遠くを眺めている。
律子は、弁護士の思考に、切り替えた。
「あなたの言うことは、もっともです。——あなたのお仕事は屋敷の警備。それなら、警備のお話を、しましょう」
アウレリオが、振り返る。
「警備の話?」
「半年以上前、この屋敷に、——魔法使いが侵入者を、送り込みました」
「魔法使い?」
「ええ」
「俺は、——魔法使いの訓練も受けている」
「どんな?」
「魔法を発動される前に、撃つ」
アウレリオは、冷徹に言った。
……ぞくり、とした。
……魔法を、発動される前に。
……確かに、あの早撃ちなら出来るだろう。一瞬で人を殺せる人間が、目の前に、いる。
「相手は、このジーナに置換魔法をかけて、入れ替わりに侵入してきたの。——魔法使いが、目の前に現れたわけでは、ないわ」
「なるほど。——少し厄介な、相手ですね」
「魔法使いが相手を特定するには、正式な名前と、血か、髪の毛が要るわ。——ジーナは、バザールで髪の毛を切られた。あなたも、お気を付けて。——あなたが置換されたら、警備どころではない」
「それならば、心配は無用です」
「どうして?」
「近衛は入隊時に、本名を捨てる。——王家に敵対する一味に、家族を人質に、取られたりしないように」
律子は、はっとした。
……近衛、と聞いて。
……真っ白な礼服に身を包んだきらびやかな兵士を、想像していたけれど。
……これは、実のところ、諜報部隊、ね。
……この人、プロだわ。
「誰が来ようが、屋敷に入ったら俺が、打ち倒す。ご安心ください」
それだけ言うと、アウレリオは、再び遠くへ視線を戻した。
……降参、降参。
律子は両手を上げ、心配そうに見守っているロドリゴの方へ、屋根の上を引き返した。
風が、半そでのドレスを、なびかせる。
セミの合唱が、——遠くで、続いていた。




