第45話 侯爵令嬢 用心棒に会う
照りつける真夏の太陽が、——セヴェリーニ家の白亜の館を、白く焼き尽くさんばかりに輝かせていた。
庭園の緑は、濃い。
セミの合唱が、熱気をいっそう増幅させている。
◇
律子の自室。
律子は机に広げた目録の項目を、ペンで叩きながら、——作戦を練っていた。
……次の目標は、聖ルチア孤児院。
……お母さまが何度もお運びになり、そこを出た院生たちの消息を、追っていらした。
……ここで何が、行われているか。
……探る必要が、ある。
……一方で、聖ルチア孤児院は、敵の本丸、——ではなくとも、敵の機関一部、である可能性が高い。
……露骨に接触しては、危ない。
……出来るだけ目立たず。
……探索の意図は、——隠しながら。
……お母さまが生前にご用意なさっていた物資を、寄付する、——というのは、どうだろう。
……そしてジーナを送り込み、影さんを、潜り込ませる。
……そうだ、——それが良い。
そこまで考えた、その時。
外から、ターンッ、と、銃声が響いた。
その鋭い音に、律子の身が、引きつった。
次の瞬間、律子は窓辺に走り寄った。
影が、後を追う。
中庭に、——お父さまが腕を組んで、立っていた。
……大丈夫。お父さまは、——無事だ。
……あら。
……お父さまの横に、——貴族の、ご婦人。
……見たことのない、お顔。
二人の視線の、その先。
陽光を真正面から浴びて、立つ青年が、いた。
銀の刺繍が施された、——漆黒のロングコート。
夏の暑さにも関わらず、その顔には、——一片の汗も、不快の色も、ない。
陶器のように白い肌は、涼しげで。
アメジストの瞳は、静かに、伏せられている。
そして、その右手に。
二連装の、古式の拳銃が、——握られていた。
「……アウレリオ、お願い」
貴婦人の声が、二階まで、聞こえた。
アウレリオと呼ばれた青年は、——ただ黙って、一度だけ深く頷いた。
その動作には、無駄も、自己主張も、ない。
彼は古式拳銃を、静かに、標的に向けた。
その動きは、まるで祈りを捧げるかのように、厳かで——そして、速かった。
標的は、中庭の端に置かれた、小さなオレンジが二つ。
セミの声が、——一瞬、静まったように感じられた。
——タン、タン。
澄んだ発砲音が、二度。
それは舞踏会のワルツ、ではなく。
静かな、けれど確実な、——運命の刻印のようだった。
放たれた弾丸は、一つ目のオレンジの中心を撃ち抜き。
もう一つのオレンジを、高く、跳ね上げた。
青年は、流れるような動作で、右手の銃をホルスターに収め。
左手で、ホルスターから、もう一丁の銃を抜いていた。
抜くのと、コックの音が、同時だった。
青年は跳ね上げられたオレンジに視線を向け、そして、銃口を向けた。
——タンッ。
三度目の銃声。
空中で、オレンジが弾け、破片が太陽の光を反射しながら、——落ちていった。
静寂が、中庭を、支配した。
男は熱を帯びた銃身を、静かに、指先でなぞった。
そして、カチャリ、と淀みない動作で、——腰のホルスターへと収める。
律子は、ふと、我に返った。
……え。
……ガンマン?
……なんでガンマンが、——お家の庭で、腕前を披露しているの?
◇
半時ほど前。
セヴェリーニ家の応接間では、クラウディウス・セヴェリーニ侯爵が、——珍しい客を迎えていた。
フォンターナ伯爵夫人が、全身黒づくめの青年を伴って訪ねてきたのだ。
フォンターナ伯爵夫人は、ソファーに腰を下ろし、扇子を扇ぎながら、一方的に喋っていた。
「貴方様は、元老院の要職にあるのに、安全意識が、欠如しておりますわ」
セヴェリーニ侯爵は、その迫力に押されながらも、持論を展開していた。——一応。
「そう言われるが、——この屋敷にも銃はありますよ」
「そう、銃はあるかも知れません。でも、家来の男たちは、年寄りばかり。あとはメイドしかいない。——そして、貴方様も決して、武闘派とは、言えませんわね」
「法に携わる者として、——暴力を遠ざけることも、必要では」
「そういう高潔なお考えは素晴らしいけれど、——わたくしはまた、親しい方を失って泣くのは、嫌ですから。——つべこべ言わずに、この、アウレリオをお雇いなさい」
侯爵は、黒づくめの青年を、改めて眺めた。
若い。しかし、異様な落ち着きが、ある。
「……しかし、それはあまりにも、——お節介というものでは」
「ええ、お節介ですわ。お節介で、貴方様や、お嬢様がご無事なら、——それで結構」
フォンターナ伯爵夫人が、軽くソファーのひじ掛けを叩いた。
侯爵は、黙り込んだ。
彼女の迫力の前では、——沈黙の戦略家と呼ばれる彼にも、勝ち目は、なかった。
「アウレリオは、近衛から主人が引き抜きました。身元は、ご安心くださいませ」
伯爵夫人は扇子をたたみ、
「腕は……、お見せした方が、早いですわね」
そう言うと、机に置かれていたオレンジに、——手を伸ばした。
◇
律子は部屋を出ると、階下へ向かった。
階段の下に、背筋をピン、と伸ばして立っている人影がある。
マルチェッラだ。
音を立てないように、こっそりと、階段を下りていく。
「マルチェッラ」
囁くと、マルチェッラが振り返った。
「お嬢様」
「お客様がいらしているのね。どなた?」
「はい。フォンターナ伯爵夫人で、いらっしゃいます」
「フォンターナ伯爵って、お父さまのお友達でしたっけ」
「詳しくは存じ上げません。ただ、治安系の要職にある方と、伺っております」
……お父さまは、立法・政務系のお仕事。
……フォンターナ伯爵はそれを補完する、——世俗側の治安長官、といったところかしら。
律子は、頭の中を整理した。
「そのフォンターナ伯爵夫人がどうして、ガンマンを連れていらしているの」
「ガンマン? ——ええ、どうやら、あの用心棒を斡旋に、——来られたようで」
その時。
応接間の扉が開いた。
侯爵と、フォンターナ伯爵夫人が、話しながら出てくる。
その少し後ろを、アウレリオと呼ばれた青年が、——静かについていた。
マルチェッラが、深々と頭を下げる。
律子も、少し慌てながら、——令嬢の所作で、挨拶の礼をした。
フォンターナ伯爵夫人が、——プルデンティアに目を止めた。
「あら」
「娘の、プルデンティアです」
侯爵に紹介され、律子も名乗った。
「プルデンティア・セヴェリーニで、ございます」
「あら、まぁ。コルネリア様の、面影が……」
そして、思い直したように、
「ルクレツィア・フォンターナです。この度はご婚約、おめでとう」
ルクレツィアは、強い眼力で、律子を見た。
「ありがとうございます」
機械的に返事をしながら、——名前が、引っかかった。
……ん。
……ルクレツィア?
律子の頭の中では、情報処理が、追いついていなかった。
……お母さまの、文箱。
……お手紙。
……一番、短い手紙。一番、慎重だった方。
……偽名を使わず、連絡を絶った方。
……そして。
……私のお手紙には、お返事をくださった方。
……お待ちしております、と。
驚きで、律子の口が、少し開きかけた。
それを察して、ルクレツィア・フォンターナ伯爵夫人は、——唇に指を当てた。
「彼がいれば、悪い魔法使いも、時代錯誤な騎士も、大丈夫。安心なさい」
彼女は、有無を言わせなかった。
◇
ロドリゴが屋敷の扉を開けると、豪華な馬車が、屋敷の前に待ち構えていた。
従者の手を借りて、伯爵夫人が馬車に乗り込む。
「今日は、お心遣いありがとうございました。フォンターナ伯爵にも、よろしくお伝えください」
侯爵が、声をかけた。
ルクレツィアは頷くと、
「承知いたしました」
そして、後ろに立っているアウレリオを、眺めた。
「それじゃぁ、アウレリオ。——後を頼んだわよ」
アウレリオは、静かに頭を下げた。
律子も、マルチェッラも、一同頭を下げて、馬車を見送る。
馬車が、門をくぐったところで。
侯爵が、——腕を組んだ。
「やれやれ」
そして振り向くと、マルチェッラに向き合った。
「今日から彼、アウレリオ・スカルラッティに、——屋敷の警備を担当してもらう。部屋の準備を、頼む」
……アウレリオ・スカルラッティ。
律子は名前を反芻しながら、その青年を、眺めた。
黒い服のせいで、引き締まった細身の体が、——更に細く見える。
直毛の髪の毛が、——勢いよく筆で描いたように、伸びている。
……また、出た。
……乙女ゲームの、立ち絵。
……危険な香りの、クールキャラ。
……キラキラ家庭教師、ピカピカ婚約者に続いて、——三人目。
……ツンツン・ガンマン?
……でも、ガンマンは普通、乙女ゲームに出てこないような……。
……それにしても。
……こんな格好で暑くないのかしら。




