第42話 侯爵令嬢、籠の鳥になる
夏の午後の光が、——薔薇の上に、降り注いでいた。咲き切った花は、ジョルジョが摘み取った後で、——緑の葉だけが、——揺れている。
律子は、——カリストの、半歩、後ろを、歩いていた。
令嬢の所作。婚約者の隣ではなく、半歩下がった位置。母コルネリアが、——社交の場で、よく取っていた位置。
……父の前では、——立派な公太子殿下。
……お庭に出た今、——どう、変わる、かしら。
律子は、——観察を、続けていた。
◇
しばらく、二人は、——黙って歩いた。
カリストが、——薔薇に、目を止めた。
「——薔薇の、お庭、——よく整備されていますね」
「お母さまが、——好まれて、いました。残念ながら、今は、暑さを耐えるために花を摘んであります」
「そうでしたか」
カリストは、——軽く、頷いた。
……無難な、お返事。
……まだ、——本性が、出ていない。
……いえ。
律子は、——内心で、——少し、——首を、振った。
……「本性」、——という言葉は、——フェアじゃない。
……四十三歳の私が、十五歳の方を評価するのは。
……私の、——十五歳の頃。
……まだ、高校一年。
……お友達と、——好きな芸能人の話、——ばかり。
……同じ。
……いえ、——カリスト殿下の方が、——年にしては、立派に振る舞っている。
……決めつけない。
……お会いするたびに、——新しく、——見直す。
律子は、——観察の目を、——少しだけ、——優しくした。
そして、——調査者の本能で、——切り出した。
「カリスト殿下」
「はい」
「——アルカディアは、——魔法の国、と、伺っております」
「ええ、——その通りです」
「私も、——少しだけ、魔法を、習っておりますの」
カリストの、——青い瞳が、一瞬、明るくなった。
「少しだけ?」
「ええ、——少しだけ」
「どんな、——魔法ですか?」
……食いついた。
……魔法の国の王子様には、——取り敢えず、魔法の話題で、正解。
律子は、——令嬢の所作で、——答えた。
「——影の魔法を、——」
言いながら、律子は、——自然と、——自分の足元に、——視線を、落とした。
◇
……あら。
律子の足元の、——影。
いつも通り、——そこに、ある。
でも。
……。
律子は、——心の中で、——いつものように、——頼んだ。
……あなた。
……ちょっと、——形を、見せて。
……。
……返事が、——ない。
律子の指先が、扇子を握りしめた。
……いつもなら、——少し、形を、変える。
……今は、——動かない。
……光が、遮られて、——できている、——ただの、影。
……私の、影さん、——では、ない。
律子は、——もう一度、——心の中で、頼んだ。
……お願い。
……少しだけ。
……。
影は、——応えなかった。
……あら、——あら。
……これは、——
律子の、頭が、回り始めた。
……影が応えない。
……前世で、——スマホの電源が、——突然、切れた、——あの感じ。
……なぜ。
◇
「——ああ」
カリストの声が、——隣で、響いた。
律子が、——顔を、上げた。
カリストは、——軽く、微笑んでいた。少年らしい、——無邪気な、しかし、どこか、——得意げな、微笑み。
「影の魔法、——なのですね」
「……」
「でも、——今は、——使えないので驚かれていますね」
……。
カリストの、——微笑みが、——ニヤリ、に、——変わった。
「——気づきました?」
「……」
……あら。
……最初から分かって、いたみたい。
「アルカディアの公家は、——代々、他の魔法を、無効化できるんですよ」
「無効化」
律子は、令嬢の声で応じた。——驚きは見せない。
「他の魔法使いの、力を、打ち消せる。——その範囲が、選べるんです」
「範囲が」
「ええ。——身の回りは、——常に無効化しています。——本気で使うと、——もっと広く、一帯を制圧できる」
「左様でございますか」
……常時、——近距離には、——効いている。
……だから、——近くで歩き出した瞬間から、——あなた、——応えなくなった。
……本人が、——意識しなくても、——側にいるだけで、効いている。
……魔法に対する防御は、——完璧ね。
……前世なら、——携帯と同じ周波数の電波を発する、——ジャミング装置と、同じ理屈。
……側に、いるだけで、——通信が、切れる。
◇
「アルカディアには、——色々な、——魔法使いがいるんですけど」
カリストは、——調子に、——乗ってきた。少年の、自慢が始まる。
「僕には、——誰も、——敵いません」
「それは立派な、魔法ですこと」
「魔法評議会も、——僕には、何もできません」
律子の、——眉が、心の中で、吊り上がった。顔には、出さない。
……あら、——言い切った。
……「魔法評議会も、——僕には、何もできない」。
……お父さまは、——「公家は、魔法評議会の、監督」、と、説明された。
……これで、——分かった。
……公家が、——評議会を、抑えられる理由。
……無効化の魔法で、制御している。
……いえ。
……今は、記録するだけ。
律子は、——令嬢の所作で、応じた。
「まあ、——それは大変、心強い、お力で、ございますわね」
「でしょう?」
カリストは、——にっこり、笑った。
……無邪気。
……他者を傷つけることを、——想像できない、——子供。
……それでも、——お父さまの前では、——立派にしていた。
……お父さまが、——席を外された途端、——本性が出る。
……分かりやすいわね。
◇
律子の、頭が、——冷静に、計算を、始めた。
……魔法では、——不利だな。
……側にいる時に、——影は使えない。
……婚約者として、——側にいる時間が、——これから長くなる。
……公妃として、一緒に暮らすようになると、——影はずっと封じられる。
……前世なら、——夫の前で、携帯を切らなくてはならない、みたいな?
……調査も、——この方の側では、できない。
……尻に、——敷かれるなぁ。
……いえ。
律子は、——内心で、——少しだけ、首を、振った。
……「尻に敷かれる」、——は、——正しくない。
……むしろ、——「籠の鳥」、——かな?
……調査の計画を、——組み直さなくては。
……賢者学府に入学すれば、——カリスト殿下も、——同じ学府に、いらっしゃる。
……側にいる時間が、——どれくらいになるか、——把握、——しなければ。
◇
カリストは、——まだ、自分の話を、——続けていた。
「——僕の魔法は、アルカディアでも、歴代の中で、強い方らしくて」
「左様で」
「先生方も、——「カリスト殿下のお力は、別格」、と」
「お見事で、——ございますね」
律子は、——令嬢の所作で、——相槌を、打ちながら、——足元の影に、——心の中で、——もう一度、頼んだ。
……あなた。
……聞こえる?
……。
……返事は、——ない。
……ええ。
……分かりました。
……今は、——あなたと、——お話、——できない。
律子は、——心の中で、——影に、——軽く、礼を、した。
……今は、——お休みなさい。
……カリスト殿下が、——お帰りに、なったら、——また。




