第38話 侯爵令嬢、聴取書をとる
「ジーナ」
「はい、お嬢様!」
「魔法をお見せしたのには、わけがあります」
「わけ、で、ございますか?」
「ええ」
律子は、少しだけ、身を乗り出した。令嬢の所作の範囲で。
「以前、ジーナがお屋敷にいるとき、不思議なことが起きたでしょう?」
ジーナの目が、——一瞬、泳いだ。
「あ、あの、——」
「中庭で消えて、門の外からお戻りになった、あの日のこと」
「お、お嬢様、よくご存知で、ございますね」
「ロドリゴから伺いました」
「左様で、ございますか」
「あの不思議なご出来事。——あれも、魔法です」
ジーナの目が、もう一段、大きくなった。
「お、魔法、で、ございますか?」
「ええ」
「あ、あの、お嬢様のお魔法のようなもので、ございますか?」
「種類は違うけれど、——魔法には、違いないわ」
「左様で、ございましたか!」
ジーナは、胸を、撫で下ろした。
「私、ずっと、気が変になったのだと、思って、おりました」
「あなたが悪いわけではないわ。あなたは、魔法を、かけられただけ」
「私が、魔法を」
……理解が追いつかず、ぽかんと、口を開ける。
「ジーナ。——あの日のことを、もう一度、お話、いただける?」
「もちろんで、ございます、お嬢様!」
◇
ジーナは、少し、考える顔をした。記憶を辿っている顔。
律子は、ペンを、ノートに構えた。弁護士の、「聴取書を、お取りいたします」の、姿勢。
「あの日、ジーナはお屋敷の中庭に、おりました」
「ええ」
「お洗濯物を、取り入れして、おりました」
「ええ」
「奥様のお洗濯物、——白い襟巻きを、取り入れる、ところで、ございました」
律子の胸が、——一瞬、——大きな鼓動を打った。
……お母さまの、白い襟巻き。
……記憶にある。
……お母さまが、好きだった、絹の襟巻き。
律子は、顔を、変えなかった。
「ええ、続けて」
「はい、お嬢様」
「襟巻きに手を伸ばした、その瞬間、——」
「うん」
「気がついたら、別のお部屋に、おりました」
律子のペンが、——止まった。
「別の部屋」
「左様で、ございます」
「どんなお部屋?」
「あ、それが、お嬢様」
ジーナの顔が、少しだけ、緩んだ。
「意外と綺麗な、お部屋で、ございました」
「綺麗?」
「広うございました。窓が大きくて、お光が、たっぷりと、差して、おりました」
「……」
「それに、お絨毯が分厚くて、足が沈むのです、お嬢様!」
……上等な部屋。
……貴族の館。
……あるいは、商会の応接室。
「お部屋には、どなたがいらしたの?」
「殿方が、三人ほど、おられました」
「三人」
「皆様、お行儀のよろしい、紳士のお方々で、ございました」
「紳士」
「眼鏡をお掛けのお方が、お一人。ご年配のお方が、お一方。あと、もうお一方は、若かったかしら」
律子のペンが、——止まった。
……三人。
……眼鏡の紳士。——年配の紳士。——若い紳士。
……一人では、ない。
……三人がかり。
……役割が、分かれている。
……サントーニ先生が、おっしゃっていた。
……「魔法使いと、法律家と、商会の代理人が、——一つの会社の中に、揃っている」。
……「契約の組成から、紛争対応まで、——一手に引き受ける」。
……あの、組織。
……あの、大手ファームが、
……目の前に、——証言として、現れた。
律子の背筋を、——冷たいものが、走った。
しかし、顔は、変えなかった。
「その方たちに、——脅されたの?」
「あ、それが、お嬢様」
ジーナの顔が、もう一段、緩んだ。
「とっても、お優しかったので、ございますよ」
……あら。
「優しい?」
「左様で、ございます。眼鏡のお方が、『お嬢さん、驚かせて、申し訳ない。少しの間、お静かに、お待ちください』と、——」
「へぇ、」
「お椅子を、お引きいただき、私は、座らせて、いただきました」
「椅子に」
「テーブルの上には、お菓子が、ご準備されて、おりました」
律子のペンが、——もう一度、止まった。
……お菓子。
「お菓子」
「ええ、ええ、お嬢様、立派なお菓子で、ございましたよ! アーモンドのお焼き菓子と、果物のお砂糖漬けと、お紅茶」
「紅茶も」
「用意されて、おりました」
「ふむ、——」
「『少しの間、お静かに、お待ちください』、とおっしゃるので、私、お菓子をいただいて、おりました」
ジーナは、少しだけ、照れたように、笑った。
「お菓子、美味しゅうございましたから」
律子は、ペンを、ノートに置いた。息を、整えた。弁護士の、息の整え方。
……立派な部屋。
……三人の紳士。
……椅子を引いて、座らせる。
……菓子と紅茶を、用意。
……「お静かにお待ちください」。
……粗暴な拘束では、ない。
……むしろ、丁重な接待。
……ジーナは「優しかった」と、感じている。
……これは、——上等の組織。
……血の一滴も、流さない。
……叫び一つ、上げさせない。
……被害者に、被害の自覚を、持たせない。
……被害が、被害として、成立しない、仕組み。
……そして、お菓子。
……親切ではない。
……ジーナを、大人しくさせ、——退屈させず、——
……「楽しい時間だった」と、思わせるための、道具。
……被害の記憶を、——心地よい記憶に、——上書きする。
……そこまで、計算している。
……この相手は、手強い。
律子の背筋が、もう一度、震えた。
「ジーナ。——お菓子を召し上がって、それから、どうなったの?」
ジーナの顔は、明るかった。
「ただ、少しの間、おとなしく、お待ちして、おりましたら、もう一度、景色が変わって、気がついたら、お屋敷の表門の外に、おりました」
「表門の外」
「左様で、ございます」
「お一人で?」
「お一人で、ぽつん、と」
「その、景色の変わる瞬間は、どんなご様子?」
「あ、それが、お嬢様、よく覚えていないので、ございます」
「覚えていない」
「気がついたら、お部屋でしたし、気がついたら、表門の外でした」
「ふむ、——」
「あのお部屋に、どれくらい、おりましたかも、よく分かりません。お菓子は、三ついただきました、けれど」
「お菓子、三つ」
「左様で、ございます」
……菓子を、三つ。
……お茶を、飲みながら。
……一時間か、——せいぜい、それくらい。
……その間に、——あちらでは、——何かが、——済まされた。
……ジーナを、——身代わりに、——置いて。
……誰かが、——この屋敷で、——用事を、果たした。
律子は、ノートに、書き留めた。
『滞在の記憶/曖昧/菓子三つ=一時間ほどか』。
◇
律子は、ペンを、置いた。
「ジーナ」
「はい、お嬢様!」
「怖い思いを、——いえ」
律子は、言い直した。
「——大変な目に、——遭ったわね」
「いえ! ——お菓子、美味しゅうございましたから!」
……本当に、——からっとしている。
……それが、——救い。
……そして、——それこそが、——あの組織の、——狙い。
「ジーナ」
「はい!」
「もう、——大丈夫よ」
「お嬢様?」
「あなたは、——このお屋敷にいれば、——安全。——もう、——あんなことには、——ならないわ」
律子は、令嬢の声で、——でも、少しだけ、——確かな声で、言った。
「私が、——守ります」
ジーナの目が、——うるうると、——した。
「お嬢様、——」
「だから、——安心して、——お仕えなさい」
「はいっ! ——流石、お嬢様! ——私、——一生、お仕えします!」
……三秒で、——戻った。
律子は、少しだけ、笑った。
◇
ジーナが、下がった。
部屋に、一人。
律子は、ノートを、——見下ろした。
……三人の紳士。
……魔法使いと、法律家と、商会の代理人。
……サントーニ先生の言う、——あの組織。
……それが、——半年前、——この屋敷に、——手を、伸ばしていた。
……ジーナを、——身代わりに、——置換して。
……誰かが、——この屋敷に、——入り込んだ。
……お母さまが、——亡くなる、——少し前に。
……誰が。
……何のために。
……まだ、——見えない。
……今日は、——ここまで。
……手がかりは、——増えた。
……一つずつ。
律子は、ノートを、閉じた。
足元の影が、——静かに、——寄り添っていた。




