第36話 侯爵令嬢 秘密が漏洩する
セヴェリーニ侯爵の書斎。
マルチェッラは、コホン、と咳払いをしてから、その扉を、叩いた。
「閣下。——失礼いたします」
「うむ」
侯爵は、書類から顔を上げなかった。
「先日、お許しを頂きました、——お嬢様の、専属メイドの件で、ございます」
「ああ」
「ジーナと申す者が、——本日より、出仕いたしますので、ご報告させていただきます」
「うむ。——ごくろう」
マルチェッラは、一礼して、——下がろうとした。
「マルチェッラ」
「はい」
侯爵は、書類を、置いた。
「専属をおくのに、理由があるのだ」
少し、間をおいて
「実はな…」
「はい」
「プルデンティアの、——婚約が、決まった」
マルチェッラの、動きが、止まった。
「アルカディア公国の、——公太子との、縁談だ」
「……」
「公妃と、——なる」
マルチェッラの、目が、——みるみる、潤んだ。
「閣下、——」
マルチェッラは、エプロンの、端を、握った。
「——おめでとう、ございます。——お嬢様が、——お嬢様が、そのような、——ご立派な、ご縁を」
声が、震えていた。
マルチェッラは、この屋敷で、一番、古いメイド。亡きコルネリアに、仕え、——お嬢様が、生まれた日を知っている。母を喪った幼い姫君が、——婚約する。その姫君が、公妃となる。
涙が、——一筋、こぼれた。
「——お嬢様が、——小さい頃から、——お側で、——」
「うむ」
侯爵の、返事は、——短かった。
「——めでたい、と、——世間は、言うだろうな」
侯爵は、窓の外に、目を、やった。
マルチェッラは、エプロンで、目を、押さえていて、——侯爵の、思うところのある素振りには、気づかなかった。
「マルチェッラ」
「はい」
「専属の者にも、——お前にも、——色々と負担をかけるな」
「……はい」
「無理を、させぬように」
「畏まりました」
侯爵は、——再び、書類に、目を、落とした。
マルチェッラは、深く、一礼して、——書斎を、出た。
涙を、拭いながら、——足は、もう、プルデンティアの部屋へ、向かっていた。
◇
律子は、自室で、目録を、閉じたところだった。
……今日から、ジーナさんが、来る。
……でも。
……私、——ジーナさんのこと、——よく知らないのよね。
……顔も、——覚えていない。
……「もともと仲が良くて」、——と適当な嘘を、ついたけれど。
……もし。
……「なぜ、私を、お選びに?」と、——聞かれたら。
……昔の思い出話を、——振られたら。
……「私、お嬢様と、そんなに親しかったでしょうか」と、——怪訝な顔を、されたら。
……どう、——しよう。
律子は、——前世の癖で、——想定問答を、——組み立て始めた。
……思い出話は、——「懐かしいわね」で、——受け流す。
……「なぜ私を」は、——「あなたの明るさが、好きだったの」で。
……うん。
……これで、——なんとか。
……いや。
……穴だらけだ。
その時、扉が、——勢いよく、叩かれた。
「お嬢様!」
……あら。
……マルチェッラ。
……なんだか、慌てている?
「ええ、——どうぞ」
扉が、開いた。
マルチェッラが、——飛び込んできた。目が、——赤い。
……泣いてる?
「お嬢様、——」
マルチェッラは、——律子の前に、来ると、——膝を、折らんばかりに、——身を、かがめた。
「——ご婚約、——おめでとう、ございます」
……。
律子の、——思考が、一瞬、止まった。
……漏れた。
……お父さま。
……マルチェッラに、——お話しに、なった。
……あら。
……あらあら。
律子の頭が、——再び、回り出す。
……マルチェッラが、知った。
……マルチェッラが、知ったなら。
……台所。——お庭。——若い子たち。
……一日で、——いえ、——半日で、屋敷中に、広まる。
……使用人の口に、——戸は、立てられない。
……噂が、——広がる。
……広がる前に。
……キアラに、——私の口から。
……「日を改めて」、——なんて、——言っていられない。
……今日。
……今日しか、ない。
「お嬢様、——わたくし、——」
マルチェッラの、声が、——また、震えた。
「——お嬢様が、小さい頃から、——お側で、——見守って、まいりました。——奥様も、——どれほど、——お喜びに」
……あ。
律子の、——焦りが、——一瞬、——止まった。
……お母さま。
……マルチェッラは、——お母さまを、知っている。
……お母さまに、仕えて、——私が、生まれた日を、——知っている人。
……この涙は。
……本物。
……婚約が、——どう、広まるか。
……それは、——後で、考えればいい。
……今は。
「ありがとう、——マルチェッラ」
律子は、——令嬢の声で、——でも、少しだけ、——柔らかく、言った。
「あなたに、——そう言ってもらえて、——嬉しいわ」
マルチェッラは、——エプロンで、——目を、押さえた。
◇
その時。
廊下から、——明るい声が、——響いた。
「お嬢様ーっ!」
……あら。
「ジーナさんが、——お見えに、なりました」
取次の声に、——重なるように、——足音が聞こえた。
そして、——若いメイドが、——一人、——部屋の入口で、立ち止まり、——ぴょこんと、頭を、下げた。
「お嬢様!」
律子は、——その顔を、見た。
……この方が、——ジーナさん。
丸い頬。——大きな、——茶色い目。——元気の塊のような、——笑顔。
……でも、まったく、——記憶に、ない。
「お久しぶりで、ございます、お嬢様!」
ジーナは、——目を、——うるうるさせていた。
「わたし、——嬉しくて。わたし、——お嬢様が、——わたしのことを、——覚えていてくださって!」
……いえ。
……覚えて、——いません。
……ごめんなさい。
「マルチェッラさんから、聞いて、——もう、——飛んできちゃいました!」
「ええ、会いたかったわ、ジーナ」
……あら。
……何も、——疑っていらっしゃらない。
……「なぜ私を」も、——「思い出話」も、——なし。
……想定問答、——全部、——空振り。
……身構えて、——損した。
「お嬢様が、——わざわざ、——わたしを、——名指しで!」
「ええ」
「凄いです、お嬢様! ——わたしなんかを、——覚えていてくださるなんて!」
……「凄い」の、——使い方が、——少し、——おかしい。
……いえ。
……元気な、——お嬢さん。
「お側で、——精一杯、——お仕えします! ——流石、お嬢様、——お見る目が!」
……お見る目?
……いえ、——もう、——細かいことは、——いい。
◇
マルチェッラが、——ハンカチを取り出すと、すっと、——涙を、拭いた。
そして、——背筋を、伸ばした。
一瞬にして、差配役の、——顔に、——戻っていた。
「ジーナ」
「は、——はい!」
「あなた、——自分が、——どれほどの、お役目を、——仰せつかったか、——分かっていますか」
「えっ」
「お嬢様は、——」
マルチェッラは、——一度、——言葉を、切った。
それから、——声を、——少しだけ、——低くした。
「——アルカディアの、公太子家に、——お輿入れに、なります」
「……え」
「公妃と、——なられる、お方です」
ジーナの、——丸い目が、——さらに、——丸くなった。
「こ、——公妃!?」
「あなたは、——その、お方の、——ご専属。——ご自分の、ふるまい一つが、——お嬢様の、ご評判に、関わります」
「は、——はい!」
「軽はずみは、——許されません。——分かりましたか」
「はいっ! ——わたし、——精一杯!」
ジーナは、——感激で、声が、裏返っていた。
「お嬢様が、——公妃さま! ——凄いです、——凄いです、お嬢様!」
……だから、——「凄い」の、使い方が。あ、これは良いのか。
律子は、——令嬢の微笑みを、——保った。
……感激する、ジーナさん。
……訓示する、マルチェッラ。
……二人に、——囲まれて。
……そして、私の頭の中は。
……婚約、漏れた。
……キアラに、今日。
……ジーナさんのことは、——よく知らない。
……でも、——旧友の、ふり。
……三つが、——同時に進む。
……弁護士の仕事で、——案件が同時進行していく。
……期日が、——重なった時の、——あの、感じ。
律子は、——内心で、——軽く、——息を、ついた。
表は、——涼しい顔で微笑んで。




