第26話 侯爵令嬢、お弁当を交換する
昼休み。
学院の中庭の、白い石のベンチ。
二人で、——お弁当箱を、開いた。
律子のお弁当箱には、——ペッピーノの手による、——伝統的な品。パースニップ(白ニンジン)の蜂蜜ロースト。鶏のローストの薄切り。白いパン。クリスタルフルーツ(砂糖漬けの果物)のビスコッティ。
キアラのお弁当箱には、——商家の腕の見せどころ。パテ・アン・クルート。飾りパイ。葡萄の一房。
律子は気が付いた。
……あら、——お弁当の対比が、——綺麗に出るのね。
……侯爵家は、——「お祖母さまのお台所」の、——根菜とお肉と焼き菓子。
……ロッセリーニ家は、——「映えるご馳走」の、——お肉のパイ料理。
……お料理が、家を語っている。
「プルー」
「ええ?」
「それでは、——お約束の、」
キアラは、——パテ・アン・クルートの一切れを、——フォークで、——律子の方に、差し出した。
「召し上がって」
「あら、——よろしいの?」
「うん。お痩せに、なった、——お祝い」
「お祝い、——というのは、——変では」
「お元気で、お戻りに、なった、——お祝い」
「——ありがとう、——キアラ」
律子は、——パテ・アン・クルートを、——自分のお弁当箱に、——受け取った。
……パテ・アン・クルート。
……パイ生地で、——お肉を包んだ精緻な一品。
……デパ地下なら、——一切れ、——千五百円くらい?
……ロッセリーニ家、子供を甘やかしすぎでは?
「では、——お返しに」
律子は、——パースニップの蜂蜜ローストを、——一切れ、キアラの方に差し出した。
「プルー、朝、「人参を、差し上げる」、とおっしゃったでしょう?」
「——ええ」
「——これ、——白ニンジン、——ですわよ」
「——ええ、——パースニップ。——白ニンジン」
「——プルー!」
「——でも、お返しが、白ニンジン一切れ、だけでは、失礼ですから、——」
律子は、——クリスタルフルーツのビスコッティを、——一つ、——キアラに、差し出した。
「——お菓子も、ご一緒に」
「——……うん」
「——いかが?」
「——お菓子は、いただきますわ。——でも、——白ニンジンは、やっぱり、ずるい!」
キアラは、——膨れた顔のまま、——白ニンジンと、——ビスコッティを、——自分のお弁当箱に、
——受け取った。
律子の口元が、——緩んだ。
……前世の家事弁護士の経験で、——お菓子で緩衝して正解。
◇
「で、——」
キアラが、——白ニンジンを、——口に、運びながら、——目を、細めた。
「——お休み中は、——何か、——お変わりに、なったの?」
……来たわね、——核心。
「実は、——お父さまが、——家庭教師を、——頼んでくださって」
「あら、——何の?」
「——魔法のお師匠様」
「魔法!」
キアラの、——大きな緑の瞳が、——丸くなった。フォークが、止まった。
「貴女、——魔法を使えるの?」
「ええ。影の魔法なんですって」
「影の魔法!」
「闇属性なのかしら、でも一般的な闇魔法とは、少し、違うらしくて」
「見せて。見せて!」
「——昼日中の、お庭で?」
「うん!」
……仕方ない。
……バゲットでもミートパイでも、——出るものは、出るのだから。
「影をお花の形にするわ」
そういうと、キアラの目が影に釘付けになった。
律子は、——心の中で、影に、声をかけた。
……お花、——お願い。
昼の光の下、——律子の影が、——少しだけ、——揺れた。
ベンチの脇の、——石畳の上に、——小さな、——黒い塊が、——浮かび上がった。
……お花、——では、ない。
「あら、——なに、これ」
「——クッキー、——でしょうか」
「クッキー?」
「——お茶菓子の、——」
「——お花を、頼んだのよね?」
「ええ」
「——クッキー、——出たわね」
キアラが、——けらけら、笑った。律子も、——肩を、揺らして、笑った。
……ふっ、——軽い。
律子の身体が、——一拍、——軽く、——なった。風が、——通り抜けるような、——感覚。
「注文と納品が、お揃いにならない魔法ね」
キアラが、——パテ・アン・クルートに、——フォークを、伸ばした。
その時。
キアラの、——フォークを持つ手が、——止まった。
「——あら」
「——あれ?」
キアラは、——首を、——傾げた。
「——私、——なんで、一人でお弁当を食べているのかしら」
キアラの、——緑の瞳が、——中庭を、——軽く、見回した。
他の令嬢たちは、——少し離れた場所で、——お喋りしている。
ベンチには、——キアラ、一人。
「——でも」
キアラの目が、——自分のお弁当箱に、——戻った。
「——これ、——なに?」
キアラの、——お弁当箱の中。
ロッセリーニ家の、——商家の料理人が、詰めた、お弁当の中に、——
白い、——根菜の、蜂蜜の艶のかかった一切れ。
砂糖漬けの果物が、——散らされた、——上品な、——焼き菓子、——一つ。
「……白ニンジン?」
「……ビスコッティ?」
キアラの、——首が、もう少し、——傾いた。
「うちのお弁当箱に、——白ニンジンが入っている——わけがない」
律子は、——ベンチに座ったまま、——その光景を見ていた。
キアラの、——困惑する横顔。栗色の巻き毛が、少しだけ、揺れている。
……忘れられている、——のね、——私。
……メイドの皆さんと、——同じ。
……キアラは、私が見えずに、首を、傾げている。
キアラは、——もう一度、——お弁当箱を、——見つめた。
「……飾りパイ、——いつも通り。——葡萄、——いつも通り」
商家の料理人の品の中に、——侯爵家の料理人の品が、——二品、紛れている。
その対比が、——キアラの目には、——あまりにも、——明らかだった。
「……うちの料理人、——こういうものは、作らない」
キアラの、——緑の瞳が、——少しずつ、——困惑を、——深めた。
その瞬間。
キアラの目が、——律子を、——捉えた。
「——プルー!」
「——キアラ」
「——貴女、——どこに、——いらしたの」
「——ずっと、ここに」
「——ずっと?」
「——ええ」
キアラは、——目を、——丸くした。
ベンチの上の、——律子。お弁当箱の、——半分。フォーク。
すべて、——一分前と、——同じ、——配置で。
「——……あら、——私、——どうして、——プルーを、——忘れたんだろう」
律子の中で、——部品がそろう音が響いた。
……これが、——魔法の「代償」。
……影を、使うと、——私の存在が、——人の記憶から、——抜ける。
……サントーニ先生の、言っていた、——「代償が、自分に、返ってくる」、——
……それは、——「忘れられる」、——という代償。
……影が薄くなる、ということ。
「——プルー」
「うん?」
「——貴女、——姿を消す、——魔法がお出来に、なるの?」
「——たぶん、そう、なのかも」
「——「たぶん」、ばっかり」
「ごめんなさい、キアラ」
「——お師匠様に、お聞きしたほうが良いわね」
「ええ、次回、お聞きします」
「——プルー」
「——うん?」
「次に、消える時も、——白ニンジンを、置いといて頂戴」
「——白ニンジン?」
「記憶の、目印に」
「承知いたしました」
律子は、——軽く、頷いた。
……白ニンジンの目印。
……弁護士の頭でも、——納得。
二人で、——立ち上がった。
◇
……物として残ったものは、——記憶を、——呼び戻す。
……白ニンジンと、ビスコッティが、——私の存在を、——証言してくれた。
……「物的証拠は、強い」、——
……これは、弁護士として、——ずっと、実感し続けてきたこと。
……魔法の世界でも、——同じ、——ね。
……魔法は、人を消せても、——物は、消せない。
……これは、——憶えておく。
……次回、——先生に、——お聞きする、項目。
律子は、——心の中で、——目録に、書き込んだ。
◇
午後の、——もう一つの授業。
修辞学。律子は、——黙って、——板書を、写した。
……お屋敷の三週間で、——錆びついた頭が、——少しずつ、——回ってきた。
……明日からは、——普段の通学。
……今日は、一日目としては、——
……上出来ね。
◇
放課後。
学院の、白い正門の前。律子の馬車と、キアラの馬車が、——並んで、止まっていた。
「プルー」
「うん?」
「——明日も、——ね」
「——ええ、——明日も」
「——白ニンジン、——お置きに、なるの、——忘れないで、——頂戴」
「——畏まりました」
キアラは、——栗色の巻き毛を、——一度、揺らして、——自分の馬車に、——乗り込んだ。
律子も、——自分の馬車に、——乗った。
馬車が、——動き出した。
◇
窓の外を、——王都の、——夕方の通りが、——流れていく。
……みんなに、——お会いできた。
……キアラ。ローザ。マチルダ。ベアトリーチェ。
……お屋敷の中だけだった、——三週間と少し、——
……外に、——お友達が、——いてくださる。
律子は、——軽く、——目を、閉じた。
……お母さま、——プリュは、——この世界のことを、——勉強します。
馬車は、——夕暮れの王都を、——お屋敷に向かって、——進んでいった。
律子の足元で、——影が、——一緒に、座っていた。




