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第23話 侯爵令嬢、眼鏡をかける


「サントーニ先生」


「はい」


「あの、——立ち入ったことを、お伺いしても?」


「あ、はい」


「先生は、——何の、魔法を、お使いに、なりますの」


 サントーニは、少し、笑った。


「あ、——お見せした方が、早いですね」


 彼は、机の上から、——白い紙を、一枚、取った。


 窓辺を、見た。窓の外に、薔薇の、白い枝が、伸びていた。母コルネリアの、好きだった、白い薔薇。


 サントーニが、薔薇を、——じっと、見つめた。


 しばらくすると、白い紙の上に、——薔薇の、像が、ゆっくりと、浮かび上がった。


 細い線で、葉脈の、一本まで、正確に。


 律子は、——息を、止めた。


「……まあ」


 紙の上で、白い薔薇が、——静かに、咲いていた。


「これは、——写し取る、魔法です」


「お写し」


「対象を、見て、別の紙に、像を、移すんです」

 

 ……前世の、コピー機。

 ……いえ、もっと、正確。

 ……手で写すのとも、違う。

 ……これは、——法廷の証拠に、なる。

 ……弁護士の、私の、——脳が、——騒ぐ。


「——先生の魔法なら肖像画が、あっという間に、お出来に、なりますわね」


「あー、——それは駄目ですね」


 サントーニは、頭を、掻いた。


「——流行らないんです、これ」


「えっ?」


「あの、——肖像画は、絵の先生が、——顔の整え方を、心得ていますけど、——僕の写しは、その力が、なくて」


「……」


「本当のことが、——そのまま、出てしまうので」


「——あら」


「貴族の方々は、——絵の先生に、頼まれます」


「お肌の、皺も、染みも、——お消しいただけるから、ですわね」


「そうなんです」


 サントーニは、苦笑した。

 

 ……前世の、私と、——同じ。

 ……シミ取り、——私も、しなかった。

 ……いえ、する余裕が、——なかった。


「写しの魔法は、——本当のことを、見せます」


「——本当のこと」


「はい。だから、貴族の方々には、——好まれません」


 律子は、——軽く、頷いた。


「——魔法は、嘘を、つかないのですね」


 サントーニが、——一瞬、動きを、止めた。


「あ、——」


 眼鏡の奥の、緑の目が、——律子を、見た。


「——いま、お嬢様、——すごいこと、おっしゃいましたね」


「えっ?」


「はい。それは、守護魔法使いの、——お決まりの言葉として、知られていたのですが、百年前のリーナ・ヴァイス・フローラ事件を経て、魔法法廷の基礎的な考え方になっています」


「百年前の事件?」


「ええ。世界中の、——不平等な契約書が、——一夜のうちに、消えてしまった、——という、大事件です。奴隷契約、——不利な労働契約、——子供を売り渡す契約、——みんな、消えました」


 律子は絶句した。


 ……世界中の契約書が消えた?

 ……それも、不平等な契約だけ?

 ……奴隷契約、子供を売り渡す契約、——みんな?

 ……魔法、恐るべし。


「左様で、ございますか」


「——お嬢様、よく、ご存じでしたね」


「——お恥ずかしゅう、ございます」


 サントーニは、軽く、笑った。


「お嬢様、ご論文といい、——法律のこと、——いろいろ、お詳しいんですね」


「——お母さまの、書架に、いろいろ、ございましたので」


 律子は、——お母さまの名前を、出した。


 サントーニの目が、——少しだけ、優しくなった。


「——そうだったのですね」


 彼は、深追いは、しなかった。


 ……お優しい、お方。

 ……いえ、お優しい、というか、——お引きに、なる、お方。


 ◇


「お嬢様」


「はい」


「あの、——試しに一枚、——お写しして、よろしいですか」


「私を、——ですか」


「はい。——僕の魔法と、お嬢様の魔法との、違いを、——理解しやすいかなと」


「……お肌の、染みは、——まだ多くないと思いますけれど」


 律子は、軽口を、叩いた。

 サントーニは、軽く、笑った。


「ご安心、ください」


 律子は、椅子に、座り直した。プルデンティアの背筋が、完璧に、伸びた。十三歳の侯爵令嬢の、所作。完璧だった。


 サントーニが、——新しい紙を、取った。


 律子を、——見つめた。


 しばらく。

 

 ……見られている。

 ……先生に、——見つめられている。

 ……四十三歳の、私の、心臓が、——騒がしい。

 ……いえ、これは、授業の、一環。

 ……授業に、集中、私。

 

 紙の上に、——像が、浮かび上がった。


 プラチナブロンドの、髪。


 アイスブルーの、瞳。


 白い、——少し痩せた、十三歳の、顔。


 そして、——

 

 ……あら。

 

 律子は、——目を、見開いた。


 羊皮紙の中の、プルデンティアの、——アイスブルーの瞳の上に。


 淡く、——銀縁の、眼鏡が、重なって、浮かんでいた。


 細い、——フレーム。

 

 ……これは。

 ……私の、眼鏡。

 ……前世の、——城山律子の、——一部。

 ……それが、——プルデンティアの顔の上に、——重なって、——出ている。

 ……ばれた。

 ……ばれた、かも、しれない。

 

 サントーニは、——紙を、見ていた。


 しばらく、——黙っていた。


「——あれ?」


 サントーニが、軽く、首を、傾けた。


「お嬢様、——眼鏡、お持ちですか?」

 

 ……来た。

 ……どうしましょう。

 ……お父さまの、お眼鏡を、——お考えに、なって、いた、と、——お答えしましょう。

 ……お父さまも、銀縁の、眼鏡。

 ……つじつまは、合う。

 

 律子は、——軽く、首を、傾けた。


「いえ、——あの」


「はい」


「お父さまの、——お眼鏡のことを、——お考えに、なって、おりました」


「あー、——」


 サントーニは、頭を、掻いた。


「——なるほど、——なるほど」


「お父さまは、——銀縁の、お眼鏡を、お掛けで、いらっしゃいますの」


「左様で、ございますか」


 サントーニは、——軽く、頷いた。


 追及は、——しなかった。


 しかし、——眼鏡の奥の、緑の目は、——一瞬だけ、深いものを、見た目だった。

 

 ……お分かりに、なった、——かも、しれない。

 ……でも、——お問いに、ならない。

 ……お優しい、——というか、——お見守りに、なる、お方。

 

 ◇


 サントーニは、——その紙を、——丁寧に、巻いた。

「お嬢様、——これ、お預かりして、いいですか」

「あ、——ええ」

「授業の、参考に、させてください」

「ええ、——どうぞ」

 

 ……お預かりに、なる、——のですね。

 ……先生の、——お手元に、——前世の私の、眼鏡が、残る。

 ……まあ、——いいか。

 ……お話に、なる方では、ない。

 

 ◇

 

 最初の授業が、——終わった。

 

勉強の間に、午後の光が、傾き始めていた。


「じゃあ、——また来週、お伺いします」


 サントーニは、軽く、頭を、掻いた。


「次は、もう少し、——影に、声を掛ける、練習を」


「畏まりました」


「——あ、すいません、僕も、まだ、お嬢様の魔法の癖を、——掴めていなくて」


「……」


「えーと、——いろいろ、試させてください」


「お願い、申し上げます」


 律子は、軽く、頭を、下げた。


 サントーニも、頭を、下げた。


「では、——失礼します」


「お運び、ありがとうございました」


 サントーニが、扉に、向かった。


 扉が、開く前に、彼は、——少し、振り返った。


「お嬢様」


「はい」


「——お母さまのこと、——伺いました」


「……」


「——お悔やみ、申し上げます」


 律子の心臓が、——少しだけ、痛んだ。


「ありがとうございます」


「——あの、——余計なこと、かも、しれないですけど」


「はい」


「——魔法は、嘘を、つきません」


「……」


「——お嬢様も、——どうか、ご自分に、嘘を、——おつきに、ならないように」


「……」


「——では、失礼します」


 サントーニが、扉を、開けた。


 午後の光が、廊下に、差し込んだ。


 扉が、——閉まった。


 ◇


 律子は、——椅子の上で、しばらく、動かなかった。


 息を、——ゆっくり、吐いた。


「……ふぅ」


 声に出した。


 ……お味方、——なのかも、しれない。

 ……眼鏡に、お気づきになって、——でも、お問いに、ならない。

 ……「魔法は、嘘を、つきません」。

 ……「自分に、嘘を、おつきにならないように」。

 ……先生は、——たぶん、——お分かりに、なっている。

 ……でも、——問わない。

 ……信頼、——してよい、お方。


 律子は、——窓の外を、見た。白い薔薇が、午後の光に、揺れていた。


 影が、机の脚の下で、——立っていた。


 うずくまっては、いなかった。


 律子は、気づかなかった。


 ただ、——窓の外の、薔薇を、見ていた。


 ◇


  夜。

 

 律子の部屋。

 

 寝台の脇の机に、——運転教本、文箱、扇子が、——並んで、置かれていた。

 

 母の部屋から、持ち帰った、三つの遺品。

 

 律子は、——机の前の椅子に、座っていた。手元に、目録の紙。羽根ペンを、取って、項目を、書き加えた。

 

 「サントーニ先生からの、初授業」 ——終わった。横に、印を付けた。

 

 その下に、——

 

 「影魔法 = 闇属性に分類される。ただし通常の闇魔法と異なる。代償は自分に返る」

 

 「写し取りの魔法――肖像画より正確すぎる。流行らない」

 

 「百年前 リーナ・ヴァイス・フローラ事件――不平等な契約書が消失。魔法法廷の基礎」


 律子は、——羽根ペンを、置いた。


 ……前世の私の癖。

 ……どんなお話も、終わったら、——その日のうちに、要点を、書き留める。

 ……それが、——後で、自分を助ける。


 律子は、——机の上の三つを、見た。


 ……お母さまの、運転教本。

 ……お母さまの、文箱。

 ……お母さまの、扇子。

 ……それから、——私の、目録。

 ……お母さまの、お仕事を、——お引き受け、申し上げます。

 

 律子は、——目録を、軽く、——抱きしめた。

 

  ◇


 サントーニ先生の、最後の言葉が、——律子の中に、残っていた。


  「魔法は、嘘を、つきません」

 

  「お嬢様も、——どうか、ご自分に、嘘を、——おつきに、ならないように」

 

 律子は、——少し、考えた。

 

 ……お師匠様、——ありがとう、ございます。

 ……「自分に、嘘を、つかない」。

 ……それは、——前世の私の、——仕事の、訓示と、——同じ。

 ……依頼者には、嘘を、つけない。

 ……自分にも、——嘘を、——つけない。

 

 律子は、——立ち上がった。


 寝台に、歩いた。寝衣に、着替えた。


 寝台の縁に、——座って、足元を、見た。


 影が、——立っていた。


 うずくまっていない。


 ……あなた、——今日は、——お疲れさま、ね。

 ……いえ、——「あなた」、——というのは、——失礼かしら。

 ……あなたは、——私の、——一部、——なのよね。

 ……たぶん。

 ……サントーニ先生も、——「お嬢様の中身と、繋がっている」と、——おっしゃった。

 ……だから、——「あなた」では、なくて、——

 ……「私」、——なのかしら。


 律子は、——軽く、微笑んだ。


 ……まあ、——いいわ。

 ……今日のところは、——「あなた」、——にしておきましょう。

 ……一緒に、いてくれて、——ありがとう。


 影は、——静かに、立っていた。


 律子は、——ランプに、手を、伸ばした。


 ……お母さま、——おやすみなさい。

 ……ありがとうございました。

 ……明日も、——続きを、——いたします。


 ランプの灯りを、——消した。


 毛布の中で、——目を、閉じた。


 窓の外で、——夜風が、——白い薔薇を、——揺らしていた。

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