表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/60

第22話 侯爵令嬢、魔法の授業を受ける


 翌日の、午前十時。

 

春の終わりの光が、玄関ホールの石床に、長く伸びていた。

 

 マルチェッラが、扉の前で来客を迎えていた。


「——サントーニ先生がお見えに、なりました」


 ホールに声が響いた。


 律子は、廊下の角から、こっそりと、覗いていた。プルデンティアの身体は、廊下の影に、隠れていた。しかし、首だけは、——前に、出ていた。


 扉が、開いた。


 外の光と、入ってきた人物の輪郭が、——一瞬、重なった。


「……」


 律子は、固まった。


 ……あら。

 ……あら、あら。

 ……若い。

 ……若いし、——。

 ……お美しい——。

 ……背の高いマルチェッラより頭一つ、背が高い。

 ……栗色の、髪。

 ……銀縁の、眼鏡。

 ……白いシャツに、紺のローブ。

 ……ローブが、——少し、よれている。

 ……いえ、よれている、というのは、失礼。

 ……お急ぎで、お見えに、なった、——お感じ。

 ……えっ。

 ……えっ、——この方が家庭教?

 ……てっきり、ペトルス先生みたいな方かと。


 律子の意識が、廊下の影で、激しく、混乱した。


 ……落ち着きなさい、私。

 ……私は四十三歳。

 ……家庭教師は、お仕事上の、お相手。

 ……お仕事上の、——お相手。

 ……はい。

 ……はい、はい。

 ……でも、——若い。

 ……二十代の、半ば、か、後半。

 ……お父さま、これ、わざと?

 ……いえ、まさか。お父さまは、そんなお方ではない。

 ……人材難で、——ベテランの方はいらっしゃらなかった、——のだろう、たぶん。

 ……うん。たぶん、そう。

 ……そういうことに、しておきましょう。


 律子は、額に手を当てた。


 ◇


 玄関ホールで、マルチェッラが、男を、迎えていた。


「サントーニ先生で、いらっしゃいますね。——お待ち、申し上げて、おりました」


「——あ、はい。マルティーノ・サントーニといいます」


 声が、若かった。少し、——息が、上がっていた。

 

 ……あら。

 ……お息が、——上がってる。

 ……走って、お見えに、なったのかしら。


「——昨日、お話をいただいて、——すいません、馬を、急がせて来たもので」


 サントーニは、軽く、頭を、掻いた。


「閣下に、ご挨拶を、——」


「閣下は、執務中で、ございます。お嬢様の、お勉強の時間に、お通し、申し上げます」


「あ、はい。——よろしくお願いします」


 マルチェッラが、頷いた。


 そして、——廊下の方を、ちらりと、見た。


 マルチェッラの目が、律子と、合った。


 ……ばっ。


 律子は、廊下の影に、頭を、引っ込めた。


 マルチェッラは、——気付かない振り、を、——してくださった。


 マルチェッラの目元が、——ほんの少し、ゆるんだ気がした。

 

 ◇


 お勉強の間。


 南向きの窓から、午後寄りの光が、差し込んでいた。書架の背表紙が、橙色に、染まっていた。


 律子は、椅子に座って、待っていた。プルデンティアの背筋は、伸びていた。十三歳の侯爵令嬢の所作。完璧だった。


 ただ、——指先だけが、少しだけ、震えていた。


 ……お母さま。

 ……プリュに、お力を、お貸しください。

 ……四十代独身が、——お若い、家庭教師の方と、二人きりに、なります。

 ……お母さま、——どうか、お見守りください。


 扉が、開いた。


 サントーニが、——入ってきた。


 近くで見ると、先生は、——スラリとしていた。栗色の髪が、少し、汗ばんでいた。緑の瞳。銀縁の眼鏡。シャツの袖を、軽く、押し上げていた。


 律子は、——椅子の上で、軽く、頭を、下げた。


「お初に、お目に、かかります」


「あ、——はい、サントーニです。——あの、お嬢様の、家庭教師を、お引き受けすることに、なりまして」


 サントーニは、——軽く、お辞儀を、した。


 ……あら。

 ……お辞儀は、ちゃんと、——なさるのね。

 ……でも、——少し、慌てて、いらっしゃる。


「セヴェリーニ家の、プルデンティアで、ございます」


「あの、お嬢様」


「はい」


「お嬢様の、——論文を読みました」


 ……あら?


「論文?」


「家父長権の、——あれを、十歳でお書きになるとは、すごいですね」


「——お、お恥ずかしゅう、ございます」


「いえ、本当に。——あの年で、古代法の、家父権の、限界の、議論まで、踏み込んで、——」


 サントーニが、続けようとして、——途中で、止まった。


「あ、——すいません、初対面なのに、いきなり、研究の話を」


 彼は、頭を、軽く、掻いた。


 ……あら。

 ……お頭を、お掻きに、なった。

 ……先生も、——緊張、なさっている。

 ……いえ、——緊張、というか、——お話に、夢中。

 ……学者の方。

 ……可愛らしい。

 ……いえ、可愛らしい、では、——いけないわ、私。

 ……四十三歳が、二十代を、——お可愛らしい、と思うのは、——ええと、——犯罪では、ないけれど、——心の中で、止めましょう。


「——いえ、お話、お聞かせください」


 律子は、軽く、笑った。


「論文の話をお好きな方は、——少ないですから」


「ですよね」


 サントーニも、笑った。


「——僕の周りでも、法律の話は、——あまり、喜ばれなくて」


「左様で、ございますか」


 ……「僕」と、——おっしゃった。

 ……素が、出た。

 ……いい兆候。

 ……お打ち解け、いただきやすい、お方。

 

 ◇


 お茶が、運ばれてきた。


 マルチェッラが下がり、扉が、閉まった。


 二人だけが、お勉強の間に、残った。


 サントーニは、——お茶器を、見ていた。


 ……あら。

 ……サントーニ先生も、——お茶器を、ご覧になっている。

 ……どこを見て、いいか、お困りに、なって。


 律子は、軽く、息を、整えた。


「サントーニ先生」


「——はい」


「お茶を、お召し上がりに、なってから、——授業をお始めに、なりませんか」


「あ、——」


「ご遠慮、——なさらず」


「すいません、——いただきます」


 二人で、お茶を、飲んだ。


 しばらく、——沈黙だった。


 しかし、——その沈黙は、嫌な沈黙では、なかった。


 ◇


 お茶を、飲み終わった。

 

 サントーニが、——茶器を、置いた。

 

 彼は、軽く、頭を、掻いた。


「えーと、お嬢様」


「はい」


「まず、——今日は、お嬢様のお魔法を、見せていただきたくて」


「見るの、——ですか」


「はい。——魔法って、その人の中身と、繋がっているので。先に観察してから、教える順番の方が、いいんですよ」


「左様で、ございますか」


「——お嬢様の、影を、見せていただけますか」


 律子は、床に伸びている、自分の影を、見た。


 ……ふつうの、影。

 ……いえ、——プルデンティアの影。

 ……髪が、長いから、——前世の私の影とは、形が違う。


「しばらく、——お黙りに、なって、ご覧ください」


「畏まりました」


 二人で、しばらく、影を、見ていた。


 南からの光が、律子の影を、床の上に、長く、伸ばしていた。


 すると、——


 影が、少しだけ、揺れた。


 律子の身体は、動いていなかった。しかし、影は、——確かに、動いた。


「あ、——」


 サントーニが、軽く、声を、出した。


「いま、動きましたね」


「ええ、——」


 サントーニは、椅子から、少し、身を、乗り出した。


「——なるほど」


 彼は、何か、考えている顔だった。

 

 ……あら。

 ……お考えに、なっている、お顔。

 ……眼鏡の、奥の、——緑の目が、——少し、輝いている。

 ……学者の、お顔。

 ……素敵。

 ……いえ、観察、止めて、私。

 

 ◇


「お嬢様」


「はい」


「その影に、——声を、かけてみてください」


「声、ですか」


「はい、——心の中でも、言葉でも、どちらでも」


 ……影に、声を、掛ける。

 ……シュールな、状況だな。

 ……いえ、お授業。


 律子は、——心の中で、影に、呼びかけた。


 ……あの、——ウサギの形に、なって、いただけるかしら。


 影は、——しばらく、動かなかった。


 律子は、声に出した。


「ウサギ、——お願い」


 影が、——もぞもぞ、動いた。


 影が、——変な形に、なった。


 何かの、塊。動物の、ような。植物の、ような。よく、分からない、——もの。


 律子の内心:


 ……これは、ウサギ、——では、ない。

 ……何だろう。

 ……強いて言えば、——バゲット?


 律子は、声に出した。


「……バゲット、ですわね、これ」


 サントーニが、影を、見つめた。


 眼鏡の奥の、緑の目が、——少し、丸くなった。


「——バゲット、——ですか」


「お食事の時に出る、——バゲット、です」


「ウサギを、頼んだのですよね?」


「ええ。——でも、影は、バゲットに、なりました」


 サントーニが、——口元を、押さえた。


 笑いを、堪えていた。


「——お嬢様」


「はい」


「あの、——もう一度、お試しください」


「畏まりました」

 

 ……今度は、ちゃんとした、形に、なって。

 ……お師匠様の、前で、バゲットばかり、出していられないわ、私。

 

 律子は、心の中で、影に、頼んだ。

 

 ……お花の、形に、なって。

 影が、——もぞもぞ、動いた。

 

 影が、——丸く、平らに、なった。


「……」


 律子は、影を、見つめた。

 

 ……ミートパイ。

 

 律子は、声に出した。


「ミ、——ミートパイ、ですわね」


「ミートパイ」


 サントーニが、繰り返した。


「——お嬢様、お花を、頼んだのですよね」


「ええ」


「——ミートパイが、出ました」


「左様で、ございます」


 二人で、——一拍、お互いの顔を、見た。


「——お嬢様」


「はい」


「お腹が、お空きですか?」


「あら、——」


「いや、——だって、バゲットと、ミートパイが、続けて、——」


「あら、——ばれましたか」


 二人で、軽く、笑った。

 

 ……あら。

 ……笑った。

 ……先生の、——お笑いに、なった、お顔。

 ……綺麗。

 ……いえ、お授業。

 ……お授業に、集中、私。


 ◇


 サントーニが、——お茶を、もう一口、飲んだ。


 そして、——少し、声を、変えた。


「お嬢様」


「はい」


「——お嬢様の、魔法ですが、——」


 彼は、少し、考えた。


「——属性で、言えば、——闇、——でしょうか」


「闇、——ですか」


「はい。影を、お使いに、なる、——一般的には、闇属性に、分類されます」


「左様で、ございますか」


「ただ、——一般的な、闇魔法とは、——少し、違うようですね」


「違いますか」


「一般的な、闇魔法は、——攻撃に使うものなんですけど、お嬢様の影は、——なんていうか、——お嬢様を、守ろうとする、——動き方を、しています」

 

 ……あら、——的確。


「正式な分類は、——アルカディアの、評議会で、見極めてもらうことに、なります。——僕の手には、余ります」


「サントーニ先生でも、——お分かりに、ならない?」


「——はい、お恥ずかしながら」


 サントーニは、軽く、頭を、掻いた。


「僕は、写しの、専門なので。——属性の鑑定は、別の、専門領域なんです」


 ……ご謙虚。

 ……「分からない」と、——お認めに、なる方。

 ……前世の業界でも、同じだった。

 ……「分かりません」と言える、専門家は、——信頼できる、お方。


 ◇


「お嬢様」


「はい」


「ただ、——一つだけ、確かに、申し上げられることが」


「はい」


「お嬢様の魔法は、——」


 サントーニは、軽く、椅子に、座り直した。


「——魔法には、代償が、あります」


「ご代償」


「力を、使うと、——その分、どこからか、お代わりを、差し出す。これは、お分かりですか」


「ええ、——お母さまから、お聞きしたことが、——少しだけ」


「お嬢様の魔法は、——その代償が、お嬢様、ご自身に、——返ってくる、魔法です」


「私に」


「はい」

 

 ……自分の代償を、自分で、引き受ける。

 ……前世で、——私が、引き受け続けたものと、——同じ性格。

 ……離婚調停の、依頼者の、苦しみを、——夜中に、思い出して、本棚の前で、缶ビールを、開けた、私。

 ……あれと、——同じ、種類のもの。


「だから、——軽い気持ちで使うのは、やめておいた方が、いいです」


 サントーニは、——少し、真剣な顔に、なった。


「——自分の中の、何かを、削って使う、そういう魔法ですから」


 律子は、背筋を、伸ばした。


「畏まりました、サントーニ先生」


「——よろしくお願いします」


 サントーニは、軽く、頭を、下げた。

 

 ……頼りに、なる、——先生。

 ……お若いけれど、——言葉に、芯が、ある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ