第121話 悪役令嬢、開廷する
舞踏会の大広間で、全員の目がプルデンティア・セヴェリーニに集っていた。全員が同じものを見ている。いや、一人だけ、彼女の周りに別のものを見ている目があった。
魔法史のルシア先生は、いつもの紺のローブではなく、落ち着いた色のドレスをまとっていた。その顔は、困ったような、笑っているような…。
ルシアの目に見えていたもの。シャンデリアの光の下、張りつめた広間の、壇の降り口。たった一人で立つ令嬢の、足元に、肩口に、結い上げた髪の上に——小さな、光の粒たちが、集まってきていた。ふわふわと、せわしなく、まるで、袖をまくるように。この広間の誰の側にも寄らず、ただ一人の周りにだけ、光の粉が、増えていく。
……あらまぁ。
……ずいぶんと、集まって。——あなたたちも、あの子の味方なの。
ルシアは、口元の困った形を、そのままに、心の中でだけ、頷いた。
……なら、私の出る幕は、ありませんね。
◇
静寂の中で、律子は、広間を、見渡した。
急がなかった。ゆっくりと、端から、端まで。数百の顔が、こちらを見ている。その中から、律子は、三つの顔を、確かめた。
表彰者の列の、マルクス。
動いていない。あの、読む目のまま。非難の色も、かばう色もない。ただ、これから始まるものを、正確に聴く構えの、姿勢だけが、そこにあった。
……陪審が、一人。
教師陣の列の、ルシア先生。
先生は——あらまぁ、という顔を、していた。眉が、少しだけ、上がって、口元が、困ったような形をしている。そして、誰よりも落ち着いていた。動揺が、どこにも、なかった。
……先生。あなた、なぜ、そんなに、平気なお顔なの。
そして、楽団席の、レオンハルト。
弓を、下ろしたまま、まっすぐに、こちらを見ていた。目が合っても、彼は、そらさなかった。
……新入生歓迎会でバイオリンを合わせてくれた方。
……皆さん、いらっしゃるのね。
……上等よ。証人は、多いほど、良い。
……さぁ、開廷よ。
律子は、息を、一つ、置いて——口を、開いた。
「まず、申し上げますわ」
声は、広間の隅まで、通った。
「クララさんの、仰ったことは——すべて、事実です」
どよめきが、走りかけた。
「私は、事実を、一つも、争いません」
どよめきかけた広間を、律子は、続きで、置き去りにした。
「争うまでも、ないからですわ。順に、参りましょうね。——まず、白いお髪の方」
「——模擬法廷で、髪が白くなった方の、こと」
律子は、広間の一角へ、顔を、向けた。
「その方でしたら、今夜、この会場に、いらしてますわ。——ご本人に、伺いましょう」
人垣が、ざわ、と、割れた。
割れた先に、真っ白な髪が、立っていた。撫でつけた白髪の彼が、飲み物の杯を持ったまま、目を、白黒させていた。
「え、僕!?」
「恐れ入ります。皆さまに、お髪のことを、ご説明頂けます?」
「か、髪? ……ああ、これ?」
彼は、手のグラスを、隣に押しつけて、進み出た。数百の視線に、少し、ひるんで——それから、いつもの調子が、あふれ出た。
「これはですね、その——染めたんです。というか、抜いたんです。色抜きの魔法の友達に、頼んで。格好いいでしょう、これ。友達の間では、式典映えするって、評判で」
広間が、しん、とした。
「……模擬法廷の、せいでは?」
誰かが、恐る恐る、聞いた。
「は? 違いますよ!? 順番が、逆です、逆。演習の後に、僕が、勝手に——あっ、そうだ、それで、翌日、面白かったんですよ。セヴェリーニ様が、僕の髪を見て、真っ青になって。演習で追い詰めすぎたかと思った、って、すっ飛んで来られて。僕、慌てて説明して。……あの時の、セヴェリーニ様のお顔、僕、一生、忘れません」
——広間に、最初の笑いが、起きた。
小さな笑い。けれど、それは確かに、笑いだった。張りつめていた一枚岩の空気に、細い、ひびが、入った。
「怖い、って噂は、まあ、分かりますよ。演習のセヴェリーニ様、そりゃあ、怖いですもん。……でもね、あの人と当たると、強くなるんです。僕、秋の演習、勝ち越しましたから。グラティアヌス教授も、仰ってました。『あれと当たった者は、伸びる』って。……以上です!」
彼は、妙に堂々と、一礼して、下がった。拍手をしかけた者が、慌てて、手を止めた。
……上出来ね。証人第一号。
律子は、目の端で、表彰者の列を、見た。
マルクスが——小さく、頷いていた。
……一つ。
◇
「二つ目。——夜の、公宮の灯り」
律子は、続けた。
「事実ですわ。私、授業の後、公宮に、通っております。公妃殿下の、お許しを頂いて、公家の書庫で、古い記録を、読ませて頂いておりますの。法学の、勉強のために。……ご照会は、公宮へ、どうぞ。灯りが一つ点くのは、私が、一人で、本を、読んでいるから」
律子は、少しだけ、首を、傾げた。
「夜の読書が、罪でしたら——この学府の半分が、有罪ですわね」
二度目の、笑い。さっきより、少し、大きかった。
「三つ目。——分類のできない魔法」
「事実です。評議会の登録の紙は、私の魔法に、闇とも、光とも、お書きになれませんでした。『分類保留』——それが、正式の記録ですわ。得体が知れないのではなく、まだ、名前が、ないだけ。名前のないものが罪でしたら、生まれたての赤子は、みんな、罪人になりますね」
ここでの笑いは、控えめだった。まだ、後段があるのだから。
「さて、舞踏会での魔法の暴走、これも事実。でも、私のやったのは影絵です。新入生歓迎会の時と同じ。ただ、やりすぎて、お酒を飲んだ貴族の方が腰を抜かしましたが…」
広間から笑いが漏れた。
「そういえば、歓迎会の時に、蛙を出したのも、魔法の暴走でした。本当は出す気はなかったのに」
ここで、笑いがはじけた。歓迎会に出席した生徒たちは、お辞儀をする蛙の姿を思い出していた。
視界の端で、マルクスが頷くのが見えた。
「四つ目。——セルヴィアの、社交界の噂」
「『誰の手かは、誰にも、分からない』と、クララさんは、仰いました。——正確ですわ。分からないものは、分からない。私も、噂の主を、特定できませんが、……ところで、社交界を去られた方が噂を撒くことが出来るでしょうか。私の勘なのですけれど、その方はピンピンして、今日も社交界で噂話に花を咲かせていると思いますわ」
……ヴィオラ様のご活躍は、私の耳にも入っておりますもの。
広間には、押し殺したようなくすくす、という笑いが広がっていた。
マルクスの頷きが、目の端で、二つ、増えていた。
「そして——五つ目」
律子は、床の中央へ、向き直った。
顔を覆っていたクララが、指の間から、こちらを、見ていた。
律子は、扇子を、閉じもせず、開きもせず、ただ、くるり、と、回した。
「——クララさんが、私のお側で、お仕事をしてくださったこと。夜のお茶会。エアルへの、道案内と、荷物番」
床の中央の、クララを、見る。責める色は、どこにもなかった。
「全部、事実です。そして、皆さま——彼女、とても、優秀ですのよ。胡桃のパンが美味しい宿屋から、心付けの相場まで、エアルの道は、全部、この方の頭の中にありましたの。私は、そのお返しに馬車を出した。それだけ。……ああ、それから、夜のお茶会の中身は、山羊のボタンさんの、お話ですわ。神父様の帽子を、食べた子の」
どこかで、誰かが、噴き出した。
「——以上、五つ。事実は、全部、本当。絵だけが、間違い。……ね、簡単でしたでしょう?」
マルクスの頷きが——五つ目。今度のは、深かった。
律子は、最後に、床の中央へ、向き直った。カリストへ。
「最後に、殿下。——婚約破棄の、宣言の件」
カリストの肩が、強張った。
「お気持ちは、承りましたわ。ですけれど、一点だけ、手続きの問題がございます。——私どもの婚約は、殿下と私の、お約束では、ございませんの。アルカディア公家と、セヴェリーニ侯爵家の、契約ですわ。締結のお席に、私たち、おりませんでしたでしょう? 十三の子供でしたもの。……当事者でない者に、破棄の権限は、ございませんのよ。殿下にも。——私にも」
……。
「ですから、先ほどのご宣言は、法的には——お気持ちの表明、ですわね。承って、おきます。破棄をお望みでしたら、正規の手続きで、どうぞ。お家と、お家で。……その席には、たぶん、私も、おりませんけれど」
カリストは、何も、言えなかった。怒りの行き場が、手続きの壁に、吸い込まれて、消えていた。
広間が、静まり返っていた。




