第12話 侯爵令嬢、母と秘密を共有する
丘の上に、着いた。
コルネリアが、車を、止めた。
エンジンを、切った。
風の音だけが、聞こえた。
丘の上から、見渡すと、東に、麦畑と葡萄畑と、低い丘の連なりが、続いていた。北の方角に、青い山並みが、霞んで、見えた。あの山の向こうが、エアル王国だった。山の手前の谷間を、白い細い線が、伸びていた。
「お父さま、あれは」
プルデンティアが、白い線を、指差した。
「あれが、エアルの、南街道だ」
「街道?」
「国と国を結ぶ、古い街道だ」
「人が、歩いているのが、見えるかしら」
「ここからでは、見えないな。馬車が、走っているのは、点のように、見えるかもしれない」
プルデンティアは、目を凝らして、街道を、見た。
白い線の上に、小さな、黒い、ぽつぽつが、いくつか、動いている、ように、見えた。
「動いています、お父さま」
「うむ」
「人や、馬車ですか」
「そうだろう」
「あの方たちは、どこから、どこへ、向かっているのでしょう」
「商人なら、エアルの蒸留所から、王都の方へ、お酒を運んでいるかもしれない」
「商人だけですか?」
「巡礼者なら、セルヴィアの、聖地に、向かっているかもしれない」
「……たくさんの人が、それぞれの目的で、あの道を、歩いているのですね」
「ああ」
プルデンティアは、しばらく、白い線を、見ていた。
風が、髪を、揺らしていた。
◇
コルネリアが、後部座席から、籠を、降ろした。
籠の中には、ペッピーノが用意してくれた、お弁当が入っていた。サンドイッチ、果物、チーズ、それから、紅茶の入った、革張りの保温瓶。
丘の上に、毛布を、広げた。
「プルー、お弁当よ」
「はい!」
三人で、毛布の上に、座った。
サンドイッチを、頬張った。ペッピーノの、丁寧に焼いたパンに、ハムと、薄切りのチーズと、トマトが、挟まれていた。
「美味しい」
「ペッピーノは、本当に、料理が、上手ね」
「お母さま、ペッピーノを、起こさなかったでしょうね」
「もちろんよ。昨日のうちに、お願いしました」
「それは、ようございました」
コルネリアが、笑った。
プルデンティアも、笑った。
クラウディウスが、サンドイッチを、頬張りながら、二人を、見ていた。
「お母さま」
「はい、プルー」
「運転、なぜ、お上手なのですか」
「それは、ね」
「はい」
「実家に、いた時、馬を、よく、駆っていたの」
「馬?」
「ええ。父が、馬好きで、私にも、教えてくれた」
「お母さまの、お父さま」
「あなたの、おじいさまね」
「……」
プルデンティアは、母方の祖父に、会ったことが、ない。亡くなったのが、コルネリアの結婚前だった、と聞いている。
「馬と、自動車は、似ているのですか」
「全然、違うわ」
「……」
「でも、機械も馬のように扱えば良いの」
コルネリアは、麦畑の方を、見た。
「馬は、力で、動かそうとすると、嫌がるの」
「嫌がる?」
「ええ。優しく、誘うように、動かしてあげると、よく、応えてくれる」
「……自動車も、ですか」
「自動車も。今日のあの子も、よく、応えてくれたわ」
「『あの子』?」
「自動車のことよ」
「自動車を、『あの子』と、呼ばれるのですか」
「ええ」
コルネリアが、また、悪戯っぽく、笑った。
「内緒よ、プルー。お母様が、自動車を、『あの子』と呼んでいること」
「……はい!」
プルデンティアは、嬉しそうに、頷いた。
母と、内緒の話を、共有した。
それだけで、世界が、少し、違って、見えた。
◇
お弁当を、食べ終えた。
果物を、剥いた。林檎の皮が、ナイフで、長く、繋がって、降りていく。クラウディウスは、これだけは、得意だった。プルデンティアと、コルネリアが、感心して、見ていた。
紅茶を、保温瓶から、注いだ。
春の光の中で、家族が、紅茶を、飲んでいた。
「お父さま」
「うむ」
「今日、ありがとうございます」
「何のことだ」
「お休みを、お取りくださって。お弁当を、食べさせてくださって」
「……それくらい、構わない」
クラウディウスは、少し、照れたように、紅茶を、飲んだ。
「次も、お休みを、お取りください」
「うむ、考えよう」
「お母さまも、また、運転されるべきです」
「あら、嬉しい」
「お父さまは、その時は、助手席に」
「プリュ、そんな——」
コルネリアが、笑った。
プルデンティアも、笑った。
クラウディウスは、降参したように、肩を、すくめた。
春の光の中で、三人の笑い声が、丘の上に、広がっていった。
◇
午後、二時を、過ぎた頃。
帰路に、つくことに、なった。
毛布を、畳み、籠を、片付け、自動車に、戻った。
「クラウディウス様、帰りは、お任せします」
「いや、コルネリア、お前が」
「いいえ。今日のところは、これくらいに、しておきます」
「そうか」
「私が運転できると知られると、申し訳ないでしょう?」
コルネリアが、悪戯っぽく、笑った。
「誰に、申し訳ない、と」
「ロドリゴに」
「……ああ」
「あの方の、お仕事を、奪ってはいけないわ」
「そうだな」
クラウディウスが、運転席に、座った。
コルネリアが、助手席に、座った。
帽子を、また、被った。紐を、顎の下で、結んだ。
プルデンティアが、後部座席で、まだ、笑っていた。
「お母さま、楽しかったわ」
「お母様も、楽しかったわ、プルー」
「また、来てもいい?」
「もちろんよ」
「来年も、再来年も?」
「ええ」
「私が、大人になっても?」
「……」
コルネリアが、振り返った。
娘を、見た。
しばらく、見ていた。
それから、穏やかに、笑った。
「ええ、もちろんよ、プルー」
「約束?」
「約束」
コルネリアは、小指を、出した。
プルデンティアも、小指を、出した。
二人の小指が、絡まった。
春の光の中で、母と娘の、小指の、約束が、結ばれた。




