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第110話 悪役令嬢、立ち読みをする


 朝の街道は、刈り入れの荷車で、混んでいた。


 麦を積んだ荷車が、ゆっくり、先を行く。追い越すたび、藁の匂いが、馬車の中まで、流れ込んだ。


 村への道と、王都への道の、分かれ目で、馬車を、停めた。


「ここで、いいんです」


 クララは、旅行鞄と、焼き菓子の包みを、抱えて、降りた。


「村まで、送りますのに」


「歩いて帰るのが、里帰りですから。それに——」


 クララは、少し、笑った。


「立派な馬車で帰ったら、村中が、大騒ぎになってしまいます。心の準備を、してもらわないと。うちにも、村にも」


 ……ええ、そうね。それが、いいわ。


 クララは、鞄から、紙を一枚、出した。鉛筆の線で、道が、描いてある。


「明後日の、実家までの道順です。この、曲がった木が目印で、パン屋さんの角を、川の方へ。橋を渡って、三軒目が、うちです。あと、この店のパンが、おいしいです」


 ……道案内、最後まで、律儀だこと。しかも、パン情報つき。


「確かに、承りました」


「じゃあ、あの……明後日。——約束ですよ!」


 クララは、手を振って、丘の道を、登って行った。振り向いて、もう一度、手を振った。麦の間の道を、小さくなっていく。


 ……行ってらっしゃい。

 ……半年ぶりの、おうちよ。


 馬車は、川沿いの道を、下った。


 昼前に、王都が、見えた。百年前に遷都した王都である。川と、橋と、石造りの街並み。丘の上の街アルカディアとは、まるで違う——平らで、広くて、忙しい街だった。通りを、荷馬車と、辻馬車と、それから、ぷすぷすと音を立てる自動車が、行き交っていた。


「お嬢様、あの自動車、ロドリゴさんのより、静かです」


「……本当ね。悔しがるでしょうから、内緒よ」


 宿は、銀行街の外れの、堅実な構えの宿にした。看板が小さく、造りが良い。商用の客の泊まる宿なのだろう。


 ◇


 午後、律子は、本屋に、いた。


 金融街の本屋は、詩集も恋物語も、置いていなかった。棚は、相場表と、年鑑と、法令集と、航路表。紙とインクの匂いに、どこか、金勘定の匂いが、混じっている気がした。


 目当ての棚は、すぐに、見つかった。


 灰色の、厚い綴り。背に、素っ気ない金文字。——「死亡表」。


 ……あるとは、聞いていたけれど。

 ……本当に、あるのね。刊行物として。棚に、並んで。


 手に取って、開いた。教区ごとの、埋葬の集計。月別。享年の欄。死因の欄。几帳面な、細かい活字が、頁の端から端まで、死者を、数えていた。


 ……凄いわ、これ。

 ……人口統計の、原石じゃないの。保険と、年金の、台所。金融の街は、死の帳簿を、毎月、刷って、売っているのね。


 ぱら、ぱら、と、頁を、繰った。


 背後で、店主が、立ち上がる気配がした。年配の、眼鏡の店主だった。


「お若いお嬢さんが、死亡表とは、また、珍しい」


 ……あら、いらしたのね。


「——ああ、そうか」


 店主は、一人で、合点した。


「ご縁談の、お相手調べですな」


「……」


「お相手のお家の、ご長寿の筋を、お調べになる。賢明なことです。家柄は、飾れましても、教区の帳面は、正直ですからな。ご長寿の家系かどうか、三代も遡れば、一目で」


 ……面白い商売が、あるものね、この街。

 ……縁談の調査。でも、否定は、しないでおくわ。勝手に、良い着物を、着せてくださるのだもの。


「勉強に、なりますわ」


 嘘ではない。大変な勉強になっている。


 律子は、頁を、繰り続けた。教区の名前が、変わる。街の中心の教区。港の教区。それから——職人街と、貧しい地区の、教区。


 指が、止まった。


 享年の欄の、数字が、若い。


 三十八。四十二。三十五。


 死因の欄には、几帳面な活字で、同じ言葉が、並んでいた。


 ——老衰。


 ……老衰、享年三十五。

 ……こんな矛盾を、活字が、平気な顔で、刷っているわ。

 ……医者は、嘘を書いていない。体は、本当に、老いて、尽きたの。……ただ、その老いが、誰かの帳簿の、上で——

 ……今日は、ここまでよ。ここでは、ここまで。


 律子は、静かに、綴りを、閉じた。


「——こちら、定期購読も、できますのかしら」


 店主が、眼鏡の奥で、目を、瞬かせた。


「できますが。……はて」


 店主は、律子を、見て、綴りを、見て、首を、ひねった。


「……保険屋の、お使いさん、でしたかな」


 ……あら。

 ……二度目の推測の方が、ずっと、いい線よ、ご主人。


「考えて、おきますわ。——それと、新聞を。そちらの二紙」


「へい、毎度」


 ◇


 店の表で、律子は、新聞を、開いた。


 一面は、相場と、船の入りだった。頁を繰ると、広告面。蒸留酒。船会社。保険。そして——紙面の四分の一を使った、大きな広告が、あった。


 オブシディアン・スケール、黒曜の天秤の、意匠。


 「本年度、事務員・書記・法務員・魔法使い、若干名募集」


 ……あら、あら。

 ……求人広告。ご丁寧に、待遇まで、刷ってある。


 読んで、律子は、眉を、上げた。


 ……初任で、地方の裁定官の俸給を、超えるじゃないの。

 ……寮つき。賄いつき。それから——

 ……「在学中の奨学金は、採用時に、当社が完済いたします」。

 ……。

 ……借金ごと、買うのね。

 ……貧しくて、優秀な子を、狙い撃ちだわ、この一条。奨学金を背負った子にとって、これ以上の条件が、この世のどこに、あるの。

 ……そう。——そういうこと。

 ……優秀な人が、集まるわけだわ。

 ……学府からも、就職しているはずよ、これは。毎年。一番、出来のいい層が。


「お嬢様、お嬢様」


 ジーナが、広告を、横から、覗き込んでいた。


「この、天秤の絵——そういえば、寮で、聞きました!」


「あら、何を」


「この、天秤の会社の、その、大株主の御曹司さまが——学府に、いらっしゃるんですって! ご就職なさりたい上級生の方々が、皆さん、お近づきになりたがって、大変なんだそうです。お茶会の、お誘いの、取り合いだとか」


 ……。

 ……大株主の、御曹司。

 ……学府に。


「あなた、本当に、何でも、拾ってくるわね」


「寮の洗濯場は、情報の泉です!」


 ……今日は、名前を、聞かないでおくわ。

 ……天秤の中枢の家の子が、同じ学府の、同じ敷地に。

 ……接触は、しない。目立つ観察も、しない。——帰ってから、静かに、確かめるだけよ。


 ◇


 両替と、為替の用は、川向こうの、大きな銀行で、済ませた。


 石造りの、堂々とした本店だった。床は磨かれ、窓口は十を超え、奥では、あの、カチ、カチ、という音が、規則正しく、鳴っていた。


 順番を、待つ間、律子は、広間の壁際の、硝子の箱に、気がついた。


 古い通帳が、一冊、飾られていた。


 小さな、素朴な綴りだった。革は擦り切れ、角は丸い。銘板に、几帳面な字で、こうあった。——「当行、最初の、守護通帳。開業の年、守護魔法がかけられた」。


 ……守護魔法。

 ……ああ、聞いたことが、あるわ。破れない、消せない、書き換えられない、——魔法の、通帳。

 ……この国の銀行は、これで、始まったのね。

 ……でも。


 律子は、広間を、見渡した。


 窓口。帳簿。印章。控えの綴り。奥の機械室。順番札。掲示された、利率の表。


 ……いま、この広間の、どこにも、魔法の気配が、ないのよ。

 ……守っているのは、複式の帳簿と、監査と、印章と、規則。——それと、あの機械。


 窓口の、年配の行員に、聞いてみた。硝子の箱の、通帳のことを。


「ああ、あれは、開業の頃の。……昔は、一冊一冊、魔法使い様が、魔法をかけてくださったそうで。けど、お客が、万を超えては、ねえ。——今、魔法が残っているのは、地下の、原簿の間だけです。守護のお役目の方も、当代で、お三人とか」


「三人」


「儲かる、お仕事じゃ、ございませんから。……ですが、うちの、心臓ですよ。あすこだけは、百年、誰にも、触らせておりません」


 ……。

 ……万を超えては、ねえ。

 ……そうよね。誠意で成り立つ魔法は、——量産が、きかないのよ。

 ……だから、この銀行は、魔法の信用で、開業して、——制度の信用に、引き継いだんだわ。帳簿と、監査と、規則に。

 ……魔法は、引退して、心臓の一部屋だけを、守っている。

 ……。

 ……あら。

 ……あらあらあら。

 ……これ、——私のやろうとしている事業の、先例じゃないの。

 ……奇跡で始めて、制度に、引き継ぐ。誰かが、百年前に、金融で、やり遂げていたのよ。

 ……お見事だわ、どこの、どなたか、存じませんけど。

 

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