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第108話 悪役令嬢、花摘みをする


 秋の最初の風は、匂いで、分かる。


 乾いた草と、遠い煙の匂い。学府の丘の木々は、まだ緑だったが、光の角度が、もう夏のものでは、なかった。


「セヴェリーニ様、こちらです。この裏手に、いっぱい、咲いてるんです」


 クララが、先に立って、歩いていた。腕に、浅い籠。花摘みである。


 ……でも、その「裏手」が、旧礼拝堂の裏、なのよね。


「クララさん。あなた、ここ、怖いのじゃ、なかったかしら」


「昼間は、大丈夫です。幽霊は、夜にしか出ませんから」


 クララは、真顔で、言った。


「それに、七不思議では、ここの幽霊、祈る女の人なんですって。祈ってる方が、悪いことをするはず、ありません」


 ……理屈が、独特なのよね、この子。

 ……ちなみにその祈る女の正体、私、知ってるのだけど。

 ……言わないわよ、もちろん。詮索終了の案件だもの。


 礼拝堂の裏は、日当たりのよい斜面だった。小さな青い花が、石壁に沿って、群れて咲いていた。


「これ、うちの村には、咲かない花なんです。学府の丘にしか、ないんです。山の花なのですって、寮の子から聞きました」


 クララは、しゃがみ込んで、丁寧に、茎の根元から、摘み始めた。摘みすぎない。三本に一本。来年も咲く摘み方だった。


「押し花にして、お手紙に、入れるんです。母は、字が、そんなに得意じゃないので——花の便りを、楽しみにしてるんです。春は春の、夏は夏ので。手紙の花で、わたしの季節が、分かるんですって」


 ……切手の要らない、便りの同封物、ね。

 ……優しい娘の、正しい土産だわ。


 律子も、隣に、しゃがんだ。


 その時だった。


「あれ……」


 クララの手が、止まった。石壁の根元、花のいちばん濃いあたり。蔦が、厚く、垂れている。その蔦の裾が、——不自然に、揺れた。風もないのに。


 クララが、蔦を、そっと、持ち上げた。


 戸が、あった。


 木の、低い戸。半分、地面に沈むように。古い。けれど、把手のあたりだけ、色が、明るい。


 ……あら。

 ……磨かれてるわ、把手。使われている艶よ、これ。


 戸の前の敷石が、中央だけ、浅く、すり減っていた。一人や二人の足では、こうは、ならない。何十年。あるいは、もっと。


 戸の隙間から、細く、冷たい空気が、流れ出ていた。地下の、石の匂い。


 ……下り、ね。奥は、通路。

 ……方角は——


 律子は、頭の中で、学府の地図を、開いた。戸の向き。斜面の傾き。


 ……北。

 ……旧礼拝堂の隠し通路は、……開かずの塔の、方へ続いている。


「セ、セヴェリーニ様。開けちゃ、だめですよ。ぜったい、だめです」


 クララが、蔦の裾を、握ったまま、青くなっていた。


「開けませんわ」


 律子は、言った。本心だった。


 ……夜の礼拝堂の、施錠の謎。入口は、扉じゃない——あの晩の答え合わせが、こんな昼間に、花摘みで、済むなんてね。

 ……使い道は、知ってるわ。代々の、恋人たちの、通用口。

 ……人さまの秘密の出入口を、暴く趣味は、ないの。

 ……関連のない事実は、事件の記録に、綴じない。雑記に、一行。それで、おしまい。

 ……ただ、方角だけは、覚えておくわよ。北。塔。——保留。


 律子は、蔦の裾を、クララの手から、受け取って、元の通りに、下ろした。蔦は、何事もなかったように、戸を、隠した。


「そっとして、おきましょう。——古いものはね、そっとしておくのが、礼儀ですのよ」


「は、はい」


 クララは、二度、頷いて、それから、籠を、抱え直した。


「今日のは、お手紙用じゃ、ないんです」


 クララは、籠の底の、薄い帳面を、そっと、持ち上げて見せた。古紙を綴じた、手製の帳面だった。開いた頁に、色の褪め始めた春の花が、丁寧に、並んで貼ってある。


「半年分、作ってたんです。春の分と、夏の分は、もう、押せてて。この秋の花で、最後の頁なんです。休みまで、まだ半月ありますから、ちょうど、押し上がります」


「まあ」


「今度のは、お手紙じゃなくて、直接、渡せるので」


 クララの声が、そこだけ、半音、高かった。


 ◇


 帰りの坂道で、里帰りの話に、なった。


「乗合馬車で、行くんです。街道を、乗り継いで。二日と、ちょっとです」


「乗り継ぎ、ですの」


「はい。朝いちばんの便に乗って、宿場で、次のに乗り換えて。わたし、来る時も、そうだったので、慣れてます。二番目の宿場のパンが、すっごく、おいしいんですよ」


 ……乗合馬車を、乗り継いで、二日と、ちょっと。

 ……親に負担をかけない、気遣いのある子ね。


 律子は、二歩ぶん、黙った。


 ……さて。

 ……エアル。近代銀行と、決済網と、会社の登記。分類機の、生まれた国。

 ……行きたい先が、山ほど、あるのよね、あの国には。

 ……調べものは、本物。嘘は、一つも、要らないわ。


「クララさん。実は、私も、エアルに、参りたいと、思っておりましたの」


「え?」


「調べものが、ございますのよ。銀行と、決済の仕組みのことで。論文の、資料に」


 嘘ではない。全部、法廷までつながる本当だ、とは、言えないだけで。


「馬車を、仕立てますわ。——ご一緒に、いかが」


 クララの顔が、ぱっと、明るくなって。


 それから、すっと、曇った。


「あの……でも」


 目が、泳いだ。籠の花を、見て、自分の靴を、見て。


「うち、その……なんにも、ない村で。家も、小さくて。セヴェリーニ様が、いらしたら、みんな、腰を抜かして……その、恥ずかしいような、おうちで」


 ……ああ。

 ……そうよね。


 律子は、扇子を、開かなかった。代わりに、少しだけ、声を、低くした。


「クララさん。誤解を、なさらないで。これは、ご親切では、ございませんの」


「え?」


「私、エアルは、初めてですのよ。言葉の訛りも、道も、宿の良し悪しも、存じませんわ。——道案内と、荷物番を、お願いしたいの。お仕事として。馬車は、そのお給金代わり」


「お、お仕事」


「ええ。現に、もう、働いてくださっているわ。二番目の宿場のパンが、おいしいのでしょう? 私、一人では、一生、知らなかった情報よ」


 クララは、ぱちぱち、と、瞬きをして。


 それから、噴き出した。


「……ふふ。セヴェリーニ様、そういう、言い方、なさるんですね」


「弁のたつ家系ですの」


「じゃあ……道案内、いたします。パンのおいしいお店を、全部、教えます。——約束ですよ!」


「ええ。約束」


 クララは、籠を抱えて、坂を、二段飛ばしに、下りて行った。途中で一度、振り向いて、手を振った。


 律子も、振り返した。


 ……村と、丘の話は、半音、上がるのよね、この子。

 ……ご両親の話は、——出なかったけれど。

 ……詮索は、しない。着けば、分かることだもの。


 ◇


 出立の三日前、律子は、父に、手紙を書いた。


 「収穫の休みに、エアルへ参ります。銀行と決済網の調査。学友の帰省に、同道いたします。宿は街道筋の確かな宿を。費用は、良いかかり方を、いたします」


 ペンを、止めた。


 ……護衛の欄、ね。

 ……アウレリオさんを、呼び戻す。——選択肢としては、ある。あの腕なら、これ以上は、ない。

 ……でも。

 ……影絵の聞き込みは、あの人が発った五日後に、始まった。敵は、うちの警備の顔ぶれまで、見てる。

 ……あの人が、いま、セルヴィアを離れて、こっちへ動いたら?

 ……「セヴェリーニ家が、何か、始めた」——旗を、立てるようなものだわ。

 ……それに、お父さまの守りを、薄くするなんて、論外。三年も、見張られていた家よ、うちは。

 ……エアルは、中立の商業国。治安は、大陸で一番いい。銀行に、守護魔法がかかっている国よ。

 ……行き先は、低く。荷は、軽く。学生の休暇旅行の顔で。

 ……護衛は——


 窓の外で、乾いた音が、規則正しく、響いていた。カチ、カチ、と、空撃ちの音。中庭で、ジーナが、練習している。


 ……いるじゃないの、うちに。


 律子は、手紙の続きを、書いた。


 「護衛は、こちらで。ジーナが、精進しております」

 

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