↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
107/122

第107話 悪役令嬢、書庫に灯りをつける

 

 書庫は、閉じた翼棟の、一階に、あった。


 鎧戸を、カリストが、押し開けると、夏の終わりの光が、埃の柱を、いくつも、立てた。


 書架が、——並んでいた。奥まで。(つづ)りの背に、年号。年号。年号。百年が、順番に、眠っていた。


 律子は、しばらく、動けなかった。


 ……ある。

 ……本当に、全部、あるわ。

 ……文書館の扉も、市場も、帳簿の裏も、——全部、閉まっていたのに。

 ……一番大きな扉が、婚約者の家の、閉じた翼棟で、開けられるのを、待っていたなんて。


「……顔が、笑っているぞ」


「笑いますわよ、これは」


 律子は、手袋を外して、目当ての年代の書架へ、歩いた。アリアドネ議長の、在任期。法典編纂(へんさん)の動議の、年。


 綴りを、抜いた。埃を、払って、開いた。


 審議録だった。発言者の名前。逐語の、記録。


 律子は、立ったまま、読み始めた。


 ——書架の奥に、赤い外套の婦人の小さな肖像が、議事録の書架を見下ろすように掲げられていた。


 ◇


 第一の動議の、審議。


 アリアドネ議長の、提案理由の陳述。格調高く、まっすぐで、——志の、塊のような演説。


 続いて、質疑。


 ……来たわね。


 発言者は、議員ではなかった。議員の「求めにより」発言する、参考人。——法律家、と、肩書がある。


 その法律家の指摘は、こうだった。草案第十二条の定義と、第四十七条の定義が、重複し、かつ、齟齬する。第八条の例外と、第三十一条の原則の、優先関係が、条文上、決せられない。経過の措置を欠くため、既存の契約関係が、施行日に、法的な空白に落ちる——。


 ……。

 ……正しいわ。

 ……一つ一つは、全部、正しいのよ。私が読んでも、同じ箇所を、突くもの。


 第二の動議。数年後。手直しされた草案。別の法律家が、立つ。新しい重複。新しい齟齬。棄却。


 第三の動議。晩年。また、別の法律家。同じ型の、指摘の列。棄却。


 三冊の綴りを、机に、並べて、律子は、指摘の一覧を、頭の中で、揃えた。


 ……見えたわ。

 ……この方たち、直させる気が、ないのよ。

 ……本気で法律を作りたい人の指摘には、順番が、あるの。致命傷から、指摘するのよ。直せるように。

 ……この人たちの指摘は、順番が、ばらばら。小さな傷と、大きな傷を、混ぜて、数で、埋めている。——審議の時間を、殺すための、並べ方だわ。

 ……正しい指摘を、殺すためだけに、使っている。

 ……重複の指摘も、矛盾の指摘も、経過措置の欠落も——全部、私の商売の、道具よ。法律を、良くするための、道具。

 ……それを。

 ……こんな使い方で。

 ……「私は、政治家で、法律家ではない」——伝記の、あの人の言葉の通りだわ。法律家の土俵に引きずり込まれて、法律家の道具で、——もてあそばれたのよ、あの人は。三回。九年かけて。


 気がつくと、唇を、噛んでいた。


 強く、噛んでいた。


 ◇


「——熱心な、こと」


 声に、律子は、顔を、上げた。


 書庫の入口に、セレーナ公妃が、立っていた。いつから、いたのだろう。カリストの姿は、ない。呼ばれて、表へ、戻ったらしい。


「も、申し訳ございません。お行儀も、なく——」


「いいのよ」


 公妃は、書架の間を、ゆっくり、歩いてきた。埃の柱の光を、避けもせずに。


「この書庫にね、灯りがついたのを、見るのは、——何年ぶりかしら」


「……」


「政治のことは、わたくしには、分かりませんの。本当に、分からないの。夫の考えも、評議会の方々のことも」


 公妃は、机の上の、三冊の綴りを、見た。それから、律子を、見た。


「でもね。——本を、あんなふうに、読む方を、久しぶりに、見ました。読みながら、怒って、唇を噛む方を」


「……お見苦しいところを」


「いいえ」


 公妃は、首を、振った。


「怒れるのは、——分かる方、だけよ。わたくしには、この部屋の紙が、何に怒ればいいものなのか、分からないもの」


 温かい手が、また、律子の手を、取った。


「プルデンティアさん。……一つだけ、お願いが、あるの」


「はい」


「あの子を、——導いてやって、くださいますか」


 ……。


「あの子はね、いい子なのよ。でも、この家は、あの子に、何も、教えてあげられないの。教えないことが、あの子を守ることに、なっているから。……わたくしには、それが、正しいのかどうかも、分からないまま、ここまで、来てしまって」


 公妃の声は、最後まで、穏やかだった。穏やかなまま、底に、長い年月が、透けた。


「あなたは、分かる方。怒れる方。……だから、お願いするの。導く、というのが、何をすることなのか、わたくしには、上手に、言えないのだけれど」


 律子は、その手の温かさの中で、——正確に、答えることにした。安請け合いは、この手に、失礼だった。


「……私に、できる形で」


 律子は、言った。


「お約束、いたしますわ」


「ありがとう」


 公妃は、笑った。カリストの笑い方の、原型が、そこに、あった。


「書庫はね、いつでも、いらっしゃい。鍵は、家令に、言っておきます。——灯りのつく部屋が、一つ増えるのは、いいことだもの」


 ◇


 夜。貴賓区画の、灯りの下。


 目録に、新しい頁が、いくつも、立った。


 「公宮:正面は立派、翼棟は閉鎖、人手は半分、修繕は選択的。窮乏の実見。招きが大祭まで延びた理由と、整合」


 「大祭:式次第の運営=魔法評議会官吏。当主の挨拶=原稿。統制は家全体に及ぶ(殿下の原稿は、お家の制服)。公の主宰権=太陽の移ろいの宣言のみ(奪う価値なしとされた役目)」


 「評議会高官、実見。照合、開始:

  バルディ議長——筆頭・恰幅。式次第の、公式の宛先。

  ネーリ議員——白髪・三期目・監察部会長。……私の綴りの写しは、監察の筋? ——推定で、埋めない。

  ステッラート議員——四十がらみ・長身。官吏の目の、非公式の宛先。二度に一度、議長より、先。構成図上の枠、未詳。要照合。

  残る顔ぶれ、三、四名——名前との一致、未了。公報の号を、遡ること」


 「コスタンツォ公:型の外に出ない方。例外、一言——『クラウディウス侯には、感謝している』。読めない。保留」


 「セレーナ公妃:ご依頼、拝受。『あの子を、導いて』。——当職の回答:『私に、できる形で』。誠実に、履行のこと」


 それから、頁を、改めて。


 「公家書庫:評議会議事録の副本、推定百年分。監督権の名残として、届き続けている。敵の管理外。閲覧、随時の許可を得た。——調査環境、一変」


 「アリアドネ法案:三度の審議録、実見。棄却の機構=雇われ法律家による技術的指摘の集積。指摘は個々に正当、配列は殺意(順不同・大小混合・時間の殺害)。——正しい道具の、悪用」


 ペンが、そこで、止まった。


 ……もてあそばれて、いたのよ、あの人は。

 ……私の商売の道具で。

 ……なら、私の返し方は、決まっているわ。

 ……同じ道具で、——今度は、通すの。


 「方法論(対アリアドネ反省):小さく。隙なく。順を追って。定義は一箇所、例外は明示、経過措置は本体より先に書く。——敵に、正当な指摘を、一つも、残さないこと」

 

 ……あの三冊は、負け方の目録どころじゃなかったわ。

 ……敵の、攻め手の目録よ。百年前の指摘の型、全部、頂いていくわ。私の草案の、校正者は、——あなたたちよ。


 最後に、一行。


 ……それにしても。

 ……開かない扉の目録に、四枚、並べた矢先に。

 ……一番大きな扉が、——お姑さまの、「いつでもいらっしゃい」で、開くなんてね。

 ……婚約者という身分、ずっと、制約の欄に、入れていたけれど。

 ……訂正よ。——資産の欄に、移します。


 床の影が、机の端で、耳を、ぴこん、と立てた。


「ええ。——忙しくなるわよ、私たち」


 律子は、蝋燭を、消した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。