第103話 悪役令嬢、七不思議を暴く
昼、ジーナが、封書を、二通、運んできた。
「セルヴィアから、お手紙です。クラウディウス様と、——アウレリオさんからも」
父の手紙は、簡潔だった。息災である。学問に励め。金は、良いかかり方をしているか。末尾に、一行。「アウレリオの報告に、目を通しておきなさい」。
アウレリオの手紙は、時候の挨拶が、なかった。番号だけが、振ってあった。
「一。道中、異状なし。二。侯爵閣下、ご健勝。屋敷の警備、再編済み。
三。発ちます折、学府周りの数箇所に、耳を、残して参りました。
四。離任の五日後より、従者筋に、歓迎会の余興について、仔細を尋ねる者が、あった由。街の酒場でも、人懐こい男が、お嬢様の影絵の話を、聞きたがった由。影は、何匹に、分かれたか。獣の形は、どれほどの間、保ったか。距離は、どこまで。——耳には、雑に答えるよう、申し付けてございます。
五。時期に、ご留意を。手前が発ちますまで、この種の聞き込みは、ございませんでした。
六。ジーナに。装填、六十秒を、切ること」
律子は、手紙を、二度、読んだ。
……何匹に、分かれたか。形は、どれほど、保ったか。距離は、どこまで。
……ただの興味じゃ、ないわね、これ。——計測よ。
……好奇心なら、「綺麗でしたか」と聞くの。「何匹」「何分」「何歩」とは、聞かない。
……そして、この関心の形。——見覚えが、あるわ。
……監察棟の、折られた頁。「常時発動」「制御可能」。
……同じ人たちか、どうかは、分からない。でも、同じ種類の、目。
……私の魔法の性能を、測りに、来ている。
……それにしても、この聞き込み。
……アウレリオがいる間は、動かなかった。いなくなってから、五日で、動いた。……見ていたのは、私だけじゃ、ないのね。うちの警備の顔ぶれまで、見ていたんだわ。
律子は、目録の、調査の頁を、開いた。
「影絵への聞き込み(アウレリオ報告):性能への関心(数・持続・距離)。監察棟の写しの件と、同種の関心と推定。同一主体かは、不明。——推定で、埋めない」
「対応:影絵、人前での使用、停止。影の運用、屋内のみ」
……ジーナ、装填六十秒ですって。
「私も、がんばります!」
ジーナが答えた。
……あなた宛ての行まで、読み上げてないのだけど。まあ、いいわ。
◇
その夜、律子は、古文書庫の閉館まで、粘ってしまった。
ジーナには、先に戻って、湯の支度を、頼んである。中庭の外れを、貴賓区画へ、一人、歩いた。夜気が、薄荷のように、冷たかった。
旧礼拝堂の前で、——足が、止まった。
色硝子が、内側から、ほんのり、灯っていた。
……あら。
揺れる、蝋燭の色だった。
そして、——声が、した。
低い、抑えた、声。一人ではない。複数の声。言葉までは、聞き取れない。
……夜の、礼拝堂に。灯りと、声。
昼間の手紙が、胸の中で、頁を、開いた。影絵の性能を、聞き回る男。雑に答えておきました、というアウレリオの筆跡。
……もし、あの人たちなら。
……学園の中で、人を待ち伏せる場所としては、——上等よ、ここ。夜は、誰も、来ない。噂が、人払いを、してくれる。
律子は、足音を、殺して、近寄った。石段を、二段。重い扉の前。
把手に、鎖。錠前。
指先で、触れた。——冷たい。掛かっている。
……施錠は、済んでいる。外側から鎖がかけられている。
……なのに、中に、人。
……入口が、——この扉以外に、ある。
心臓が、一つ、大きく、鳴った。
……確かめるわよ。
……直接は、開けない。開けられないし、開けたら、駄目。相手が本物なら、こちらが、死ぬもの。
……だから、——あなたの、出番。
足元の影に、頼んだ。
……ごめんなさいね。先に、謝っておくわ。でも、非常時なのよ。
……見てきて。人数と、得物だけで、いいわ。
影が、するり、と、足元を離れて、扉の下の、細い隙間に、——吸い込まれた。
夜が、静かになった。
自分の呼吸の音が、大きい。錠前の冷たさが、まだ、指に、残っている。丘の下で、街の灯が、瞬いていた。
意を決して、目をつむると、中の景色がぼんやりと浮かび上がった。
人影が、二つ。
蝋燭の揺れる灯りの中に浮かび上がる、若い男性と、若い女性。
……二人。若いわね。学生だわ。得物は——
……丸腰。
……顔は、よく見えないけれど、お互い向き合っている。
二人が、寄り添った。近い。近すぎる。男性の腕が、女性の、髪のあたりに、そっと、触れて——ぐっと、抱き寄せた。
「————」
……もう、いいわ!
……戻って、戻って、戻って!
影は、扉の下をするり、と抜けて、足元に、畳まれた。心なしか、動きが、のんびりして、見えた。
律子は、石段を、二段、降りた。礼拝堂の壁に、背中を、預けた。
息を、細く、長く、吐いた。
……刺客では、——なかったわ。
……ええ。全然、違ったわね。
……恋人たち、だわ。夜の礼拝堂で、逢っている、どなたか。
見上げると、色硝子が、内側の灯りで、静かに、ほのめいていた。
……ああ、——そういう、こと。
……外から、これを見た誰かが、いたのね。いつかの、夜に。
……灯りの中の、待つ人影。跪くように、座って、誰かを、待つ形。
……「祈る女」。
……七不思議の二の、正体は、——あなたたちの、先輩たちよ。たぶん、何十年ぶんもの。
……本当のことの上に、誤読が、束ねてある。いつもの、あれだわ。
それから、律子は、施錠された扉を、もう一度、見た。
……入口は、この扉じゃない。窓は、高くて、嵌め殺し。
……つまり、——別の入口が、あるのよ、この建物。
……一番古い遺構ですもの。蜜月の時代の、何かが。
……調べる?
……いいえ。——今夜は、無理。
……恋人たちの秘密を暴く緊急性は、ゼロよ。ゼロどころか、マイナス。
律子は、壁から、背中を、離した。足音を、殺したまま、来た道を、戻った。
……お幸せにね。どなたか、存じませんけど。
◇
貴賓区画の、灯りの下。目録の、雑記の頁。
「旧礼拝堂:夜の蝋の主、判明。——学園の、恋人たち(顔は、見ていない。見ない)。入口は、扉に非ず。経路、未詳。祈る女(七不思議の二)=灯りの中の待ち人の、誤読と推定。——詮索、終了」
それから、調査の頁に、戻って、一行。
「本日の夜間の件:当初、待ち伏せを疑う(昼の報告との連想)。誤り。連想は、証拠に非ず。——ただし、警戒の手順自体は、正しかったと、評価する」
……びっくりしたのは、事実だけれど。
……手順は、間違えていないわ。声を聞いて、施錠を確かめて、直接開けずに、偵察を出した。
……次も、同じように、やるの。次が、本物でも、動ける手順で。
ペンを、置くと、床の影が、するり、と、机に、上った。先が、丸くなって、長い耳が、二本、立つ。影のウサギが、——壁に、もう一匹、ウサギを、並べてみせた。
二匹の影ウサギが、壁の上で、こつん、と、頭をくっつけた。
「…………」
「……ええ、そうね。そういうことだったわね、今夜のは」
こつん。二匹のウサギがまた頭をくっつけた。
「……あなた、意外と、俗っぽいのね」
律子は、笑って、蝋燭を、消した。




