第100話 悪役令嬢、遠乗りをする
教場の演習で、グラティアヌス教授が、問いを、出した。
「——尊属殺の、加重処罰について。卑属(子など)が、尊属(親など)を殺めた場合、通常の殺人より、刑を、重くする。この法理は、正当か」
教場が、静まった。誰も、手を、挙げなかった。触りたい話題では、ないのだ。親殺しの話である。
「——セヴェリーニ」
指名だった。律子は、立った。
「加重を支える論理は、二つ、ございます。一つは、尊属への恩義は普遍の道徳であり、その侵害は通常の殺人より重い非難に値する、と。いま一つは、身分の秩序の、保護でございます」
……ここまでは、教科書。
「反対の側から、申し上げます。第一に、法の下の平等。人の命の重さに、続柄で、差をつけることに、なります。第二に、——実務の問題が、ございます」
「実務?」
「加重刑には、下限が、ございます。長年、親から虐げられた子が、耐えかねて、親を殺めた事案で、裁判官は、減軽の逃げ道を、失います。情状が、どれほど、酌むべきものでも、です。——重くする法律は、軽くできない法律でも、ございますので」
教場の、どこかで、椅子が、小さく、鳴った。
「結論として、争うべきは、加重の当否そのものより、下限の設計かと、存じます。——量刑に、出口のない法律は、いずれ、法廷で、破綻いたしますので」
着席。
教場が、静かだった。
賞賛の静けさでは、なかった。親を殺す話を、綺麗な姿勢のまま、淡々と、出口だの、下限だの、と。教授だけが、満足そうに、頷いた。どこかの席で、囁きが、す、と、走った。
「人の感情がないのかしら……悪魔的ね」
……あら。
……お褒めに、与ったわ。たぶん。
……今のは、実務の話なのだけど。前世では、最高裁まで、争われた論点なのよ。
……そして、これ、たぶん、五つ目の噂の、餌になるわね。「人を殺めてよい条件を、研究している」——今日のは、殺めた後の、量刑の話で、条件の話では、ないのだけど。
……噂は、そういう区別を、しないものね。
その日も、図書館に、寄った。第十六年度の先例集は、あと、数頁で、読み終わる。
夜、貴賓区画で、頁を、繰っていると、ジーナが、お茶を、換えに来た。
「お嬢様、最近、根を、詰めすぎです」
「再戦の、支度よ」
「再戦?」
「未読の先例を、潰してから、申し込むと、決めているの」
「はあ。……お相手の方も、大変ですね」
……あら。
……大変かしら。大変かもね。
◇
書状は、翌朝、届いた。
良い紙に、少し、角ばった、生真面目な字。
「約束の、遠乗りに。今週の、休日に。——カリスト」
……約束の、遠乗り。
……覚えて、いらしたのね。入学式の週の、あの厩舎の。
……「ゼフィロの弟が、ちょうど、あなたに、合うと思う」。
……ええ、殿下。ぜひ。
◇
休日の朝の厩舎は、飼い葉と、日向の匂いがした。
「やあ、来たな」
カリストは、乗馬服だった。壇上の原稿の顔では、なかった。
「ベッポ、例の子を」
「へえ、殿下」
年かさの馬丁が、奥から、馬を、引いてきた。ゼフィロより、少し小柄な、鹿毛だった。目が、大きい。その大きな目が、律子を見て、警戒に、丸くなった。
「レヴァンテだ。——ゼフィロの、弟」
「はじめまして、レヴァンテ」
律子は、令嬢の礼を、——馬に、するのは。二回目だった。
「こいつは、競りで、売れ残った」
カリストは、レヴァンテの首を、撫でながら、言った。
「臆病だと、言われて、値が、つかなかった。——見る目のない者ばかりだ」
「……あら」
「乗れば、分かる。いい馬だ」
……売れ残りを、見込んで、引き取った、と。
……ふうん。
鐙の掛け方、手綱の持ち方、乗る時の、体の順番。カリストの説明は、短くて、具体的だった。ここには原稿の言葉が、一つも、なかった。
◇
北への道は、初め、ゆっくりだった。
律子でも、並足は、できる。速歩も、一応、できていた。淑女の嗜みの範囲では、履修済みである。
ただ、——どうにも、ぎこちなかった。
手綱の張り。脚の位置。重心。教わった項目を、一つずつ、頭の中で、確認しながら、乗る。確認するたび、レヴァンテの耳が、後ろへ、倒れた。
「——セヴェリーニ嬢」
並んだカリストが、こちらを、見ていた。
「手綱は、会話だ」
「会話」
「あなたは、たぶん、——書き取りを、しようとしている」
……。
……書き取り。
……言い当てられたわ。項目を、書き取って、確認して、採点していたもの。私の手癖よ。
……手綱は、会話。
……会話、ね。
……。
……あら。
……その話、知っているわ。
……『馬は、力で、動かそうとすると、嫌がるの』。
……『優しく、誘うように、動かしてあげると、よく、応えてくれる』。
……お母さま。
……麦畑の道で、仰っていた。おじいさまに、教わったって。実家にいた頃、馬を、よく、駆っていたって。
律子は、息を、一つ、吐いた。
手綱の項目を、頭から、消した。採点を、やめた。ただ、手のひらで、レヴァンテに、聞いた。——ねえ、あなた、どんな風に行きたいの。
レヴァンテの耳が、ぴ、と、前を、向いた。
歩みが、変わった。背中の揺れが、急に、丸くなった。
「……応えて、くれたわ」
小さく、声に、出てしまった。
……お母さま。馬って、こういうこと、でしたのね。
……おじいさまが、お母さまに。お母さまは、その手で、自動車の「あの子」に。
……そして私は、殿下に教わって、——いま。
……レヴァンテ。あなたのことも、「あの子」と、呼びましょうか。内緒で。
「——急に、良くなった」
カリストが、少し、驚いた顔を、していた。
「呑み込みが、早いな」
「良い先生が、二人、おりますの」
「二人?」
「ええ。二人」
カリストは、少し、考える顔をして、——それ以上は、聞かなかった。
◇
「そういえば、殿下。ご依頼の件、ご報告が、ございますの」
道が、緩い登りに、なった頃、律子は、言った。
「ああ。——評判の」
「進捗は、——マイナスですわ」
「…………マイナス」
「私の挨拶が、呪いに、認定されましたの。挨拶をされた生徒が、三名、匍匐前進で、避難いたしまして」
「ほふく……」
カリストが、噴き出した。
こらえようとして、失敗して、鞍の上で、笑った。壇上の二分間の原稿とは、別の生き物の、笑い方だった。ゼフィロが、呆れたように、耳を、振った。
「わ、悪い。……いや、笑いごとでは、ない。依頼人として、その、遺憾だ」
「ご遺憾、承りました」
「……ふ、匍匐……」
「殿下。まだ、笑っていらっしゃるわ」




