冒険の始まり 修行 5
その日の夜19時半。俺は夕食を取り終えて、水飲み場で水を飲んでいた。
もう食事を見逃したりしない。
朝は6時に、昼は12時、夜は19時に食事が出される。毎回場所はランダムだが、俺はすぐに見つける事が出来るようになっていた。
どうも祖父が「無我」で運んでいるようで、祖父がお盆から手を離すまで匂いさえ認識できない。
なんと15時におやつまで出されていたのだから、祖父の感覚にあきれるのと同じく、これまで気付かなかった自分が不甲斐なくなる。
生活自体はもうすっかり問題なく出来るようになった。
だが、俺は全身棒で叩かれボロボロだった。一度も祖父の攻撃を防ぐ事が出来ない。手加減してくれていても痛いものは痛い。攻撃のタイミングもバラバラで、5分の間に立て続けに3回叩かれたかと思うと、1時間以上攻撃されない事もあった。
だが、周囲の様子が分かると言うだけで、また、祖父が攻撃してきてくれる事で、もう孤独を感じる事は無かった。
3月3日、15時05分。食事のタイミングで俺は正確な時刻が分かるようになっていた。今はおやつの時間で、今日は新鮮なフルーツと、「アンコ」の乗った「団子」だ。アズマの食べ物だが、エレスで大流行している。
俺が団子を食べ終え、満足している隙を突いて祖父の攻撃が来た。初めて祖父の攻撃が見えた気がして、手に持った棒で防ぐ。
コンッと音がして、祖父の攻撃を受け止める事に成功した。
「うむ。よくやったカシム」
祖父の満足そうな声。その声に向かって、俺は棒を振る。
棒は空を切る。
「フフフ。いいぞ、カシム。その調子だ」
祖父が愉快そうに笑う。
俺が修行でいい結果を出すと決まって祖父は嬉しそうに微笑む。直接見られないのが残念だが、俺はこの祖父の笑顔が大好きだった。この笑顔を見るために頑張ろうという気持ちになる。
少年の頃、俺が一度だけそう告げると、祖父は走って逃げて、しばらく自室から出てこなかった事があった。何か大声で叫んでいたが・・・・・・。
しかし、この笑顔は警告サインだ。なぜなら、この後にはさらなる厳しい修行が待っているからだ。
案の定、祖父の気配がより薄くなり、攻撃速度も威力も上がった。
一撃のダメージが半端なくなってくる。
ほっそい木の棒とは思えないくらい痛い。一度、俺が受けると俺の棒がへし折れてしまったので、今は俺だけ鉄の棒を使っている。
「ふむ。5分ほど気絶していたぞ」
とか、宣告される事が増えてきた。
最終的に、攻撃は四六時中となり、俺は風呂とトイレ以外では、常に攻撃を受け続ける事となる。当然寝込みも襲撃される。俺は迷宮内を走り回り、跳んだり転げたりして祖父の攻撃に対処し、懸命に攻撃を仕掛けていった。
回復魔法や薬も無く、俺の全身は、一カ所の漏れも無く(兜で守られている頭以外)傷だらけとなっていた。
3月30日、19時55分31秒。
祖父の攻撃を、あえて兜で受けたあと、俺は鉄の棒を右手で横凪に振り切りつつ、左手を攻撃が来た方と正反対の俺の背後に伸ばす。すると、そこに祖父の足があり、俺の手が祖父の足にかすかに触れた。
「カシム~~~~~!」
祖父の大声が迷宮内をこだまする。祖父が荒々しく俺を抱きしめる。
「良くやった、カシムよ!我が孫よ!」
祖父にもみくちゃにされながら、俺は大きく息を吐き出し脱力する。
『終わった~~~~~』
声に出さず、魂からの声がどこかから漏れ出て、安堵が全身を包む。
一撃を入れる事は出来なかったが、祖父にかすかにでも触れる事が出来た。それだけでも至難の業なのだ。
「これで『無明の行』は修了とする」
祖父の言葉に「ありがとうございました!」と深々と礼をする。
地下迷宮を出て、祖父が鍵を開け、長く被り続けていた兜を外してくれる。
直接吸う空気がとても新鮮で美味く感じる。
風を頬に直接感じる。
空を埋め尽くす満天の星空の美しさと、夜空の明るさに、目が眩みそうになる。
大気の流れが全身をくすぐり、この広大な庭の何処にどんな動物が潜んでいて、何処で鳥が羽を休めているのかも分かるようだし、虫たちの歩く音すら聞き分けられそうだった。
その世界が、あまりにも賑やかで、まぶしくて、美しく、俺は感動に打ち震えた。
「ハハッ」
自然に声が漏れた。
「ハハハハッ」
俺が笑うのを、祖父が目を細めて見ていた。
「どうだ?カシムよ。自然は、世界は美しかろう」
俺は祖父の言葉に頷いた。世界の有り様がこれまでと違って見える。この感覚を味わえたのなら、あの地獄の修行も甲斐があったというものだ。
そこで俺は疑問に思う。
「ねえ、じいちゃん」
「ん?なんだ?」
修行が修了したので、おれは普段の言葉遣いに戻す。もう祖父も俺を咎めたりしない。
「じいちゃんは一体いつ、こんな修行をしたの?」
すると祖父は首をかしげて、さも当然そうに言い放つ。
「ワシはこんな修行はしておらんぞ?普通に出来たからな」
うわ。出た、天然天才発言。勘弁してください。爪の垢を煎じて飲ませてください。あやからせてください。
ともあれ、こうして俺の「無明の行」が修了した。