第251話 ミエハル伯爵①
ミエハル伯爵の王都屋敷に向かう馬車の中。
俺は背もたれに身体を預けながら、今日の面会の目的と起こり得る展開のことを考えていた。
一番の目的は、父親の横領を告発した件の報告だ。
同じ敷地内で半同棲しているとはいえ、俺とエステルはまだ婚約者にすぎない。
今回の告発は、ダルクバルト男爵家の存続に関わる一大事。
俺たちがどんなに伯爵と関わりたくなくても、婚約者の家への報告は避けて通れない。
きちんと説明し交渉しなければ、婚約解消を言い渡されることすらあり得る。
そして直接話をするとなれば、出てくるテーマはさらに二つ。
エステル誘拐の顛末とテルナ川水運協定についてだ。
エステル誘拐事件については経緯と顛末を手紙で報告してあるものの、直に会えば触れない訳にはいかないだろう。
そして水運協定。
より正確に言えば、俺とフリード伯爵の接近について。
ミエハルとしては、むしろこの件が一番気になっているはず。
先日の締結式でフリード卿が水運協定の発案者として俺を紹介した件は、すでに小耳に挟んでいるだろう。
あの締結式にミエハルの姿はなかった。
一応フリード卿から案内をしたはずだが、当然欠席だった。
まあ王室からあらぬ疑いを立てられても困るだろうし、出席なんてできないよな。
だからと言って娘の婚約者が敵対勢力と懇意にしているのを看過できるはずもない。
果たしてどんな手で牽制してくるのか。
相手はあのワルスール・クルシタ・ミエハル伯爵だ。
エステルの父親であり、ギフタル小麦の成功で一代で巨万の富を築き、高位貴族に成り上がった男。
同時に、帝国と繋がっている極めて危険な人物でもある。
一筋縄ではいかないだろう。
俺にとって最悪なのは、エステルとの婚約を破棄されることだ。
それだけは、なんとしても阻止しなければ。
「…………」
握ったこぶしに自然と力が入る。
すると––––
「ボルマンさま」
隣に座るエステルが、突然俺の右手に手を重ねてきた。
「エステル?」
振り返ると彼女は、
「大丈夫ですよ」
穏やかにそう言った。
「ボルマンさまなら大丈夫。あの海賊伯ですら自分の味方にしてしまう人ですもの。自らの利益にしか興味のない父など、ボルマンさまの相手じゃありません」
そう言って微笑む。
「そうかな」
「そうですよ。私が知るボルマンさまは、そういう人です」
静かに、だが確信を込めて頷く婚約者。
その言葉に心が軽くなる。
「……そうだな」
俺は彼女の手に、自分の左手を重ねた。
エステルの言う通り。
今の俺にはたくさんの支援者がいる。
フリード伯爵だけじゃない。
テルナ川に接する領地の領主たちとも良好な関係を結ぶことができた。
ミエハルの後ろ盾が王室ならば、こちらには旧王国から続く東部のネットワークがある。
これは報告という名の交渉で、交渉の皮を被った戦争だ。
カレーナが危険を冒して手に入れてくれた情報もある。
恐れることはない。
エステルが信じている、俺自身を信じろ。
馬車が速度を落とす。
窓の外に、目的の建物が見えてきた。
☆
ミエハルの屋敷は、奴の現在の地位をそのまま表すものだった。
無駄のない石造りの外壁。
過剰な装飾はないが、使われている素材そのものが高価だと一目で分かる。
成金趣味じゃない。
これは「力」を誇示するための建築物だ。
馬車が止まり、扉が開く。
「ボルマン・エチゴール・ダルクバルト様。本日はようこそお越しくださいました」
出迎えた執事の動きは洗練されていた。
視線、姿勢、声の高さ――どれもが完璧で隙がない。
ミエハル伯爵家の執事、ギリウル。
最初に顔を合わせたのは、婚約の挨拶のとき。
あの時はまさかこいつが帝国の情報機関の人間だとは思わなかった。
カレーナを罠に嵌め、エリスを亡き者にしようとし、カエデを捕えるためにエステルを誘拐した連中の黒幕。
クソ野郎め。
「出迎えに感謝する」
俺は努めて冷静にそう言うと、馬車に向かって手を伸ばす。
「エステル」
「ありがとうございます。ボルマンさま」
俺の手を取って微笑み、馬車から降り立つ婚約者。
「エステルお嬢様。お久しぶりでございます」
立礼する執事に、エステルはひと言。
「元気そうでなによりね。ギリウル」
上品な微笑みをたたえ、だけど決して本人を見もしないその姿は、彼女なりの覚悟と怒りの表れか。
「……ご案内します」
エステルの毅然とした姿に一瞬目を見開いた執事は、すぐに何事もなかったかのように俺たちを屋敷の中へと案内したのだった。
(空気が重いな)
屋敷の奥へと案内されながら、俺は妙な圧を感じていた。
果たしてそれは、ただのプレッシャーなのか。
ホールの隅に控える衛兵。
すれ違うメイド。
彼ら、彼女らから感じる、探るような視線。
––––そうか。
最悪、こいつら全員が帝国の工作員である可能性もあるのか。
「…………」
エステルに目配せする。
小さく頷く婚約者。
彼女も同じような空気を感じとっているのか。
(……まあ、大丈夫だろう)
さすがに、この場ですぐに手を出してことはないはず。
(俺たちが変なポカをしない限りは、な)
今日俺がここに来ることは、仲間たちもフリード伯も知っている。
ミエハルもそのくらいは理解しているだろう。
そうして俺たちは応接室に通された。
「久しぶりだな、ボルマン君」
低く、腹の底が知れない声。
ワルスール・クルシタ・ミエハル伯爵は部屋に入ってくると、値踏みするような目で俺を見た。
前回ほぼガン無視状態だったことを考えれば、少しは進歩なんだろうか。
まあ、どうでもいいけど。
「ご無沙汰しております。閣下」
俺は型通りの立礼を返し、顔を上げる。
「そして伯爵位への陞爵、おめでとうございます」
「うむ」
興味がなさそうな顔で頷くミエハル伯爵。
伯爵は手で俺たちにソファに座るように示すと、自分は俺たちの向かいのソファに腰を下ろした。
「それで、今日は何の話だったか」
まるでどうでもいい話を聞くかのように問う伯爵。娘のことは空気扱いだ。
俺は小さく息を吸い、こう切り出した。
「男爵位を継ぐことになったので、ご挨拶に伺ったんですよ」
「……ほう?」
蛇のような視線が、俺に向けられた。









