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白鷺くんの「布教」が始まってから、もうすぐ一週間が経とうとしていた。
結局僕は、彼を拒むことができなかった。それどころか、気づけば登校が楽しみになっている。
学校にいる時間はあれだけ長く感じられたのに、彼といると、あっという間に過ぎていくんだ。
「鵜月くん、昨日の配信見た?」
今日も白鷺くんは、僕を昼食に誘ってくれた。
もちろんスマホを片手に持っているけど、その目は画面ではなく、僕のほうを向いている。
「たしか、雑談配信だったよね」
僕は頬を掻きながら、ぽつりと答える。
雑談配信――話すのが苦手な僕にとって、ゲームの力を借りずにトークするのは勇気がいる。
何度もやって、ようやくコメントを拾ってトークができるようになったけど、まだまだ緊張が解けない。
――正直、白鷺くんの感想も気になる……!
ミシロさんからのコメントでは「楽しかった」って言ってくれたけど、実際はどうだったんだろう。
期待と不安を抱えながら、白鷺くんをちらりと見た。
彼はぱっと表情を明るくして、身を乗り出してくる。
「俺、ルイくんの雑談配信すっごい好きで。最初はゲーム実況がほとんどだったけど、最近は日常のことも語ってくれるようになったよね?」
「う、うん。そうだね……」
「やっぱり、ルイくんをより身近に感じられるのがいいよね……。それに、雑談も面白いし!」
白鷺くんは恍惚とした表情で、口元を綻ばせる。
妙に熱の籠った言い方が気になるところだけど、楽しんでくれたのは本当みたいだ。
それに、僕のこと『面白い』って……!
コメントはもちろん嬉しい。でもこうやって直接言われるのは、また違った破壊力を持っていた。
表情を変えないようにしていたのに、だんだんと頬が緩んでしまう。
「雑談配信、僕も、好きだな」
心の中の弾みが、そのまま言葉になって滲んだ。
その瞬間、白鷺くんは大きく目を見開き、息をのんだ。彼は咄嗟に口元を手で塞ぎ、目を逸らす。
「……白鷺くん?」
彼の耳は、なぜかほんのりと赤く染まっていた。
「……鵜月くんの笑った顔、初めて見た」
「えっ……!?」
「あの、なんていうか…………すごく、いいと思う……」
白鷺くんは目を泳がせながら、たどたどしく呟いた。
壇上で自信に満ち溢れていた彼とは違う、少しだけ動揺したような表情で。
――僕、今までそんなに無表情だった!?
たしかに家族以外の前で笑ったのは、初めてかもしれない。
今までは、そもそも人と喋る機会が少なくて……表情筋は凝り固まって、うまく笑うことができなかったんだ。
恥ずかしくなって、目を伏せる。白鷺くんのスマホのロック画面には、『旭 ルイ』が弾けるように笑っていた。
きっと今の僕とは、似ても似つかない笑顔だろう。
だけどルイをやっていたおかげで、リアルでも自然と笑顔を見せられるようになったのかもしれない。
「鵜月くん、あのさ」
しばらく黙り込んでいると、白鷺くんがおもむろに口を開いた。
顔を上げると、彼はわずかに頬の赤らみを残しながら、僕をじっと見つめていた。
「あ、あの……」
しかしいくら待っても、白鷺くんから次の言葉は出てこない。
――ど、どうしたんだろう……!?
その視線から逃げられなくて、頬に熱が集まってくる。
たまらず目を逸らして、スマホで時計を確認するふりをした。
「そ、そろそろ教室に戻らないとだよねっ」
急いでお弁当箱を片付けて、腰を上げる。けれど白鷺くんは、なかなか立ち上がろうとしなかった。
「今日で『布教』期間……終わっちゃうね」
白鷺くんは目を伏せ、ぽつりと呟いた。その表情は、どこか寂しげにも見える。
「あ……。そう、だね」
「鵜月くん、ルイくんに結構ハマってくれたよね?」
「え、それは……」
なんて答えればいいのかわからず、口ごもってしまう。
――そうだ。白鷺くんは、ルイを布教するために、僕と話をしてくれているんだった。
最初は戸惑っていただけだったのに、胸の奥が空っぽになっていくような感覚に襲われる。
僕への「布教」が終わったら、次はどうするんだろう。そもそも「布教」なんだから、僕だけじゃなくて、他の人にも広めようとしているのかもしれない。
――それじゃあ白鷺くんとゆっくり話せるのは、これが最後?
僕は胸のあたりを押さえながら、小さく問いかけた。
「白鷺くん、次は他の人に『布教』するの?」
僕の質問が意外だったのか――彼は瞠目し、瞳を揺らした。
一度息を吐き、どこか諦めたような様子で答える。
「……しないよ。本当に好きなものを伝えても、いいことってないから」
「え……?」
「ううん、なんでもない。そろそろ教室に戻ろうか」
白鷺くんは繕ったように笑って、立ち上がった。
――今、様子が変だったような……?
僕は疑問に思いながらも、それ以上聞くことはできなかった。
授業が終わり、掃除の時間になっても、僕は白鷺くんとの会話ばかりを反芻していた。
渡り廊下をモップで拭きながら、小さくため息を吐く。
「楽しかったな……」
配信を一緒に見るのも、普段の彼からは想像がつかないような熱弁を聞くことも。
でもその日々も、今日で最後だ。
「やっぱり『旭 ルイ』は僕に合わなかった」と言って、ただの隣席のクラスメートに戻らないと。
ルイの中の人が僕だと知られないためにも、明日からは関わらないほうがいい。
それはわかっているのに……
「……あ」
階段を一段ずつ拭き終え、教室前の廊下へ出る。目線の先には、掃除をしながらクラスメートと談笑する白鷺くんの姿があった。
彼の笑顔を見ていると、なぜか胸が締めつけられる。
――これからもほんの少しでいいから、話ができないだろうか。
そんな不相応な願望が湧き上がってしまう。
――駄目だ。変なことを考えるな。
僕は急いで視線を逸らし、踵を返した――そのときだった。
「鵜月くん」
呼び止められて顔を上げると、同じ掃除班の女子が立っていた。
彼女は制服のポケットから、ごそごそとなにかを取り出す。掃除の用事かと思ったが、どうやら違うらしい。
「これ、鵜月くんに渡してって頼まれたんだー。はい、あげる」
手渡されたのは、二つ折りにされたメモだった。僕は戸惑いながらも、ゆっくりと開く。
『放課後、化学実験室に来て!』
用件だけで、名前すら書いていない。小さく丸っこい字だった。
「これ、誰から……?」
「秘密にしてって頼まれてるから。そういうことで、よろしくー」
「えっ!? あ、あの……」
彼女はひらひらと手を振って、階段を降りていってしまった。
あっけなく取り残されてしまい、その場で立ち尽くす。
――そもそも僕に、なんの用が?
白鷺くん以外に学校で話す人もいないし、思い当たる節もない。
ただ一つわかるのは、僕にとって良い内容じゃないということだ。こうやって人伝いで渡してきて、名前を明かさないくらいなんだから。
「なんなんだろう……」
ずしんと心が重たくなって、息が苦しくなる。
僕はメモを制服のポケットにしまって、胸のあたりをぎゅっと押さえた。
――行きたくない。
いくらそう思っていても、あっという間にその時はきてしまう。
放課後を告げるチャイムが鳴る。クラスメートは席を立ち、ぞろぞろと教室から出ていった。
一体、誰が僕を呼び出したんだろう。なにを言われるんだろう。
不安が頭の中を支配して、なかなか立ち上がる気になれなかった。
――でも、早く行かないと。
これのせいで、配信が遅れてしまったら最悪だ。
「……よし」
なんとか自分を鼓舞して、鞄を肩にかける。急ぎ足で教室を出ようとしたとき、背後から声をかけられた。
「鵜月くん」
振り向くと、白鷺くんが不思議そうに僕を見ていた。
「……白鷺くん?」
僕が小首を傾げると、彼は慌てたように答えた。
「呼び止めちゃってごめん。……急いでる?」
「す、少しだけ……」
「……そっか。じゃあ、また明日ね」
彼は少しだけ躊躇うように間を置いてから、何事もなかったかのように手を振った。
もしかして、配信のことで話し足りないことがあったんだろうか。
こんな呼び出しさえなければ、もっと教室にいたかった。
僕は少し悔しさを感じながら、白鷺くんにぎこちなく手を振って、化学実験室へと向かった。




