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夏休み中の学校は、静寂が広がっていた。
下駄箱には陽光が差し込み、中央階段へとまっすぐに光が伸びている。僕はその光に導かれるように、階段を駆け上っていった。
生徒会室は三階。電気のつけられていない階段は、ぼんやりと薄暗くて、僕の影だけが長く伸びている。
――本当に、湊は生徒会室にいるんだろうか。
勢いで飛び出してしまったから、今になって不安になってきた。
僕は一度息を整えて、三階の廊下を進んでいく。最奥の部屋――生徒会室の透かし窓からは、わずかに白い光が零れていた。
「湊。……い、いる?」
遠慮がちに扉をノックすると、中からガタ、と音がして、足音がこちらに近づいてくるのがわかった。
「――……渉?」
ゆっくりと扉が開く。
湊は信じられないというように僕を見て、小さく「なんで」と呟いた。
「ちょっと話したいことがあって、いいかな……?」
湊は立ち尽くし、言葉を失っている。
――突然訪ねてきてしまったんだから、当たり前だ。
彼はしばらく逡巡したあと、ようやく口を開いた。
「……入っていいよ」
招かれるまま、生徒会室に足を踏み入れた。室内は広く、僕たち以外には誰もいない。
奥にある大きな机には、書類がまとめられ、スマホだけがぽつんと置かれていた。
きっと生徒会の仕事の合間に、僕の配信を見てくれていたんだろう。
「……渉。いきなり、どうしたの?」
湊は振り返って、僕に問いかける。
迷うように揺れる瞳。彼の視線から、戸惑いが伝わってくる。
僕はまっすぐに彼を見つめたまま、はっきりと告げた。
「湊の相談に、答えたいと思って来たんだ」
その瞬間、湊は大きく目を見張った。ある可能性に気づいたのか、静かに息をのんでいる。
――本当のことを伝えるのは、怖くてたまらない。
だけどそれ以上に、このまま自分を隠して、彼を不安にさせることはできなかった。
「――僕が、『旭 ルイ』なんだ」
静まり返った部屋に、僕の声だけが響く。湊はただじっと、僕を見つめていた。
「人見知りで口下手な自分を変えるために、Vtuberになったんだ」
「……っ」
「僕にとって『旭 ルイ』は、理想を詰め込んだキャラクターで……。だから、本当の僕とは全然違うんだ。今まで黙ってて、ごめん」
湊が好意を寄せてくれた『旭 ルイ』と正反対な人間であること、それを隠していたこと。罪悪感に押しつぶされそうになって、胸のあたりを掴んだ。
――やっぱり『旭 ルイ』の中身がこんな人間だなんて、失望されたんじゃないか……
学校でも、配信でも、湊と話せなくなるかもしれない。そんな最悪な想像が頭を巡って、胸が苦しい。
僕はそれでも一歩前に出て、言葉を絞り出した。
「でも、今日の配信で湊の悩みを聞いたとき……。ちゃんと、本当のことを伝えようって思ったんだ」
湊は少しだけ顔を上げたが、痛ましげに眉根を寄せていた。初めて見る顔に喉がつかえて、動揺してしまう。
湊は伏せがちだった視線をさらに彷徨わせ、掠れた声で沈黙を破った。
「それじゃあ、なんで俺を避けてたの?」
「……えっ?」
「俺のこと、気持ち悪いって思った?」
――頭が真っ白になった。
正体を知られて幻滅されるとか、隠していたのを責められるとか……そんなことばかり考えていたのに。
湊にとっては、僕に避けられていた事実のほうが、ずっと傷つくことだったんだ。
「湊……」
これまで、彼がどれだけ悩んでいたか。その瞳が、どんな言葉よりも正直に語っていた。
もう、誤魔化せない。
僕は息を吸い込んで、震える声で口にする。
「――湊のことが、好き」
時が、止まったような感覚がした。
恥ずかしくて、怖くて、視線を合わせることすらできなかった。僕は耐えきれず、ぎゅっと目を瞑った。
「湊は初配信から僕を応援してくれて、学校でも友達になってくれた。僕はいつも、君に支えられてたんだ」
目の前が潤み、視界が歪んでいく。
彼が好きだと言っていた、いつも明るくて、堂々としている『旭 ルイ』はどこにもいない。
僕はそれでも必死に、最後まで言葉を紡いだ。
「湊のこと、嫌いになったわけじゃない。僕が意識しすぎて、身勝手に湊を避けるようになってたんだ」
言い終わったあとに待っていたのは、長い長い静寂だった。
きっと僕なんかに恋愛感情を向けられて、困惑しているんだろう。
顔を伏せて、制服の裾で涙を拭った。張り裂けそうな胸の痛みを抑えつけ、なんとか顔を上げようとしたとき――
「俺も、渉が好きだ」
ぐっと腕を引かれ、強く抱き寄せられる。
「えっ……?」
気づいたら、湊の腕の中に包まれていた。
肌を通じて、一気に熱が伝わってくる。彼は腕の力を込めて、必死に訴えかけた。
「大切な友達だったのに、気がついたら、渉から目が離せなくなって……。俺以外の人と仲良くしてるのを見たら、嫉妬でおかしくなりそうだった」
「なっ……!?」
「それに、俺……」
湊はそこで言葉を区切り、耳元でそっと囁いた。
「心のどこかで、渉がルイくんなんじゃないかって思ってたんだ」
僕は目を見開いて、思わず口を開く。
「前から、わかってた……?」
湊はゆっくりと首を横に振る。
「確信はなかったよ。だからずっと、俺の勝手な願望だと思ってた」
――願望?
まるで僕が『旭 ルイ』であることを、望んでいたみたいじゃないか。
僕は顔を上げて、恐る恐る問いかける。
「……幻滅、してないの?」
湊は少しだけ腕の力を緩めて、僕の顔を覗き込んだ。
「するわけない。渉もルイくんも、俺が好きなところは一緒だから」
「え……」
「初配信のとき、俺以外誰も見てなくても、最後まで楽しませようとしてくれたよね。学校でも、俺自身を見て、決めつけずにまっすぐ接してくれた」
彼は安心させるように、そっと微笑む。
「俺はきっと、渉の根本にある優しさに惹かれてたんだ」
――僕の、優しさ……
湊は『旭 ルイ』というキャラクターじゃなくて、『旭 ルイ』を通して、僕自身を見ていてくれたんだ。
「渉もルイくんも、別の存在じゃない。俺にとっては、どっちも大好きな渉自身だよ」
その瞬間、肩の力が抜けて、なにかが解けたような感覚がした。
「これからは、渉の恋人としてそばにいたい」
恋人という甘い響きが、胸をいっぱいに満たしていく。
ずっと怖くてたまらなかったのに、湊と両想いになれるなんて……まるで、都合のいい夢でも見ているようだった。
けれど、頬に触れる湊の手の温もりが、たしかに現実なのだと教えてくれる。
僕は息をのみ、大きく頷いた。
窓から温かなオレンジの光が差し込んで、僕たちを照らす。湊の透き通った目が、嬉しそうに細められた。
「渉。……目、閉じて」
ゆっくり瞼を下ろすと、お互いの鼓動だけが小さく響いていた。
湊の温もりが、すぐそこまで迫ってくる。彼は僕の顎を持ち上げて、そっと唇を重ねた。
身も心もすべてが溶けあって、優しく受け止めてくれるようだった。
――僕はきっと、湊のおかげで変われたんだ。
配信を始めたばかりの僕に、自信をくれた。学校では、ずっと独りぼっちだった僕の側にいてくれた。
湊がいてくれたことで、少しずつ、自分のことを好きになれた。
想いが通じ合うなんて、奇跡みたいなことだけど……
――これからも、彼の隣にいたい。
僕は溢れ出す幸福感に包まれながら、彼の背中に腕を回した。




